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第三章
影に落ちる
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動きの止まった塊たちの中心に背を預けあうように立つ4人の視線の先、影たちが道を開けた闇の真ん中に、かろうじて二足歩行をした何かが立っていた。
ひたひたりと近付くにつれ、その姿がはっきりとしてくる。頭部には暗闇に映える白い髪、濁った金色の瞳、元はどんな姿をしてたのか想像にできぬほど、口は耳元まで裂け、血走った目を向けだらだらと唾液とも血ともつかない液体を垂らしていた。身体は崩れ再生を繰り返しているようで身を纏う、あちこちが破れほつれたボロを赤く染め上げていた。
鼻に付く屍肉の腐る匂いだと壬生は思わず鼻を覆うように口元を押さえて、彫りの深い眉頭のシワを深くする。戦鬼は、どこか懐かしさを覚える不快な香りに首をかしげると、鼻をすんっと鳴らす。同時に腹奥が引っ張られるような、言いようのない虚しさを感じた。
ぴしゃと強く地面に叩きつけ、骨が軋み肉が飛び散る湿った音が響く。
「あれが…影落ち…?ほとんど瀕死じゃねぇか」
「元には戻せない理由がわかったろ、さて、あれと今からやり合うわけだが…見た目に騙されるなよ…強さはさっき言った通りだ」
手負いに理性もない、獣よりもタチが悪いと目を細める。
(これは…?)
戦鬼は2人の会話も耳に届かず、腹に感じる虚しさに首を傾げて腹を撫でた。目の前に揺れる影落ちの下たる血が、崩れ落ちていく肉が鉄扇達の元で食べたどの馳走よりも美味そうに映る。
くるるっと喉がなる。影落ちの視線の定まらない濁った金と目があったような気がする。ふっと屍に埋まった赤い大地が脳裏をよぎった。
「そうだ…俺はずっと暗闇の中にいた…何かを…ずっと見て…いた?」
苦痛の時間を過ごし、暗闇が唯一安心できる時間だった。唐突に腕を引かれる気配がするとハッとして左を見る。
「どうかした?……それ!」
くんっと腕を引いたのは門桜だった。
様子のおかしい戦鬼に気がつくと、心配するように覗き込み、ギョッと目を見開き驚いた声を上げる。
「こんな時になんだ…うぉ…お前さんなんじゃそりゃ」
門桜の声にちらりと2人の方に目を向けた壬生が、同じく目を見開き戦鬼の顔を指差す。空牙はちらりと視線を向けて眉を寄せるとすぐに、視線を影落ちへと視線を戻した。
「みんなどうしたんだ…?」
「リュウ、眼帯を外せ」
「なんで………」
影落ちに視線を向けたままいいから外せと静かに、空牙呟く。
首を傾げながらも言われた通りに眼帯を外した戦鬼は、手の中を凝視する。眼帯はじっとりと濡れ、手首を伝い赤い雫が滴るほどに濡れていた。
「なんでこんなに濡れて…あれ…」
「血が出てるの…でもどうして」
解放された右目は、じくじくと痛み眉を寄せて触れると、ぬるりとした生暖かいものに触れる。門桜は困惑する戦鬼の目元を袖でぬぐいながら、いつ怪我をと言うように、血の流れる右側を観察して、影落ちへと視線を向けたままの空牙を見た。
「おい、大丈夫かそれ、攻撃食らってたようには見えなかったが…」
「わからない、俺も攻撃はいなしてたと思ってたが…食らってたのか…?」
「のかってお前…」
「原因はその眼帯だろうな、アレに引っ張られたな…お前アレ見て何を思った」
首をかしげる戦鬼に緊張感ねぇなと呆れた顔で壬生が返す。空牙が視線の先の影落ちを顎で示すと、目を細めた。
「何って…腹の奥が虚しくなるような…あぁ…後ちょっと懐かしかった…?この匂いはよく覚えてる」
「食欲に引っ張られたの?確かに君からしたらアレは何度も食べてきたものの匂いだろうけど…」
心配したのにと嘆息すると目頭を押さえた門桜がつぶやく。その言葉に壬生は再びぎょっとすると、どう考えても食欲をそそる匂いじゃないだろうと口元を押さえたまま、眉をひそめた。
「でも、それとこれはなんの関係が…」
「お前はまだ暴走しやすいからな、それは必要以上に鬼の力が出ないようにするものでもある。だから、急激な力の上昇を押さえつけられて体の方に出たんだろ」
「暴走?こいつそんな危ねぇのかよ…外させて平気か?」
「問題はない。コンがいる限りはそいつはすぐ正気に戻る。それにアレ相手でそれつけたままは無理だな」
暴走という言葉に、警戒する視線を戦鬼に送る壬生は、最悪こいつもかと眉をひそめる。
空牙は口の端をあげて軽く首を振ると、ぴしゃりぴしゃりと尾を揺らしながら、こちらの様子を伺うように首をひねる影落ちを指差した。
ぐるると、影落ちが空牙の動きに喉を鳴らして崩れ落ちかけた耳を揺らす。指を追いかけるように、目が空牙へと向く。
「ぐぎゃぁ!」
ぎゃっぎゃっと耳をつん裂く不快な声を上げて鳴き始めれば、呼応するように周りの目玉たちからも、奇声が響く。
「っるせぇ!耳がおかしくなる…これどうすんだ!」
耳を抑えて声を荒げた壬生は、叫ぶだけで攻撃してこない周りにに眉を寄せ、空牙の方を見れば目を見開き固まっていた。
「いぃぃだぁぁいぃぃ、だずげ……ぎゃ…でぇ」
にいと溶けた口の端をあげた影落ちの口から、言葉が発せられた。びくりと空牙の肩が揺れる。その声は形容しがたい叫び声ともまた違う不快感をもたらし、次第に感染するように周りからも「いたい」「たすけて」と言葉が広がる。
「おい!あんたどうしたんだ!」
「師匠危ない…!」
「だぁくっそ」
影落ちを凝視したまま、音を拾うように耳をせわしなく動かし、呼びかけには反応しない空牙に首をひねる。すぐに横から門桜の声が響くと影鬼が空牙に向けて飛びかかろうとしていた。
壬生は舌打つと、空牙の襟元を掴み引き、身を無理やり引かせる。合わせるように空牙のいた場所に戦鬼と門桜が立ち、赤黒い爪と竜の腕が影落ちの攻撃を防いだ。
「何考えてんだ!」
「っ……あぁすまない…」
壬生怒号にハッとしたように、引っ張られて崩れた態勢を整え転ぶのを防げば、じっとりと浮かべた汗をぬぐい3人に向けて助かったと礼を言う。
「…こいつ…なんだ」
「まずい…離れて!」
影落ちの攻撃を受け止めた戦鬼と門桜は予想よりも軽い攻撃に眉を寄せる。受け止めた腕の上で影落ちの崩れた顔が再びにたりと笑うと、止められた腕がどろりと2人の腕に絡みつくように滴った。
門桜は咄嗟に身をひねり、戦鬼を壬生と空牙の方へ蹴り飛ばすと、自身も尾を地面に突き刺すように勢いよく叩きつけ後ろに飛ぶ。
膝をつき、突然蹴り飛ばされて困惑する戦鬼のとなりに少し滑るように着地すると、腕に滴る影落ちの体液を払い飛ばした。
「か……」
「リュウ、人間と師匠は?」
名前を呼びかけた戦鬼に"リュウ"と強調して呼ぶと、影落ちに視線を向けたまま背後の2人の様子を訪ねる。
「こっちは問題ない、すまん…取り乱した。壬生も助かった、ありがとう」
「あー、うっせぇ…あんたがいねぇとアレの情報得られなさそうだったからなだけだ」
立ち上がる門桜の肩にポンと手をかけて答えると、壬生を見て目を細める。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、仕方なく仕方なくだと繰り返して、ぶつぶつと呟いた。
「師匠、まさかアレ……」
「今は考えなくていい、とは言えこれが終わったら少し動かないといかんな…」
門桜は空牙の反応に思い当たる節があるのか、不安そうにちらりと影落ちから背後への空牙に意識を向ける。それに少し、息を漏らすように笑うと、肩に乗せていた手を頭へと移動させた。
「こいつを連れてきて良かったな…壬生、方陣式使えるな?悪いが手を貸してくれ…あいつは"殺せない"」
封じて霧散させると門桜のふわりと大きな耳を倒すように軽く撫で、壬生の方を見る。
鬼の傍で隙の多い術を使うことに抵抗を感じる壬生は、空牙の真意を探るように押し黙り渋い顔を浮かべる。
門桜は何をするか理解しているのか、影落ちからは目をそらさず、空牙が指示を回すのを待つ。
「リュウ、お前は奴の気を引け、ただし間違ってもあれに捕まるなよ…あれにお前が取り込まれるのは厄介だ」
「えっと…動き回ってればいいのか?」
「それでいい、とにかく奴の攻撃には捕まらず、奴の意識を俺と壬生から外せ」
状況が読めず蹴り飛ばされたままやりとりを見ていた戦鬼は、声をかけられてようやく立ち上がると首をひねった。
空牙の言葉で、突然の門桜の行動は、影落ちから離れる為だったのかと、影落ちの動きをじっと警戒しながら観察を続ける門桜の方に目を向ける。
「俺と?まさか方陣式を俺とお前の2人でやる気か?俺は単一方陣式しか出来んぞ…だいいち信頼も何もない俺とあんたで連式ができるとも思えんが…」
連式は複数人で一つの術を完成させる。事前の打ち合わせ、息を合わせるために練習を必要とする。簡単なものならば可能だがそれでも互いの信頼関係があって初めてできるものであり、相手の力もわからない状況で組んで成功などするはずがないと、渋るように首を振った。
「そもそも鬼と鬼を倒すための術を手を組んで使うなど聞いたことねぇぞ」
「そりゃな、鬼と鬼狩りは敵対関係だからな…」
「そもそも、なんでお前はそれが使える鬼はこれに触ることはできないはずだろ?」
「式術は鬼同士なら消しあえるのを利用して、式具には鬼の一部を使う。鬼が触れられないのは式具が抜き身の刀の様なものだからだ、刃を素手で掴めば突然怪我をするだろう?」
「扱いを知ってれば使えると?」
「そうは言ってない、鬼が扱えるのは自刃の力だけだ」
空牙は、壬生に一枚の札を投げる。硬い板でも飛ばしたようにまっすぐと壬生手元に飛ぶとピタリと止まった。
「俺が使う術札は俺の血で作ってる、だから扱えるそれだけだ」
札を手に取った壬生は頭をガシガシとかくと、刀を地面に突き刺す。
「なら俺があんたにあわせりゃいいのか?」
「必要はない、俺がお前の使う方陣に連なる」
熟練度なら壬生よりも上である空牙が下に合わせるのが妥当だろう、そう言えば門桜と睨み合うように唸りを上げる影落ちを見る。
「俺が使うのは月と水の属性だ、方陣はその二つを合わせた月桂凛水-瑞玲瓏…俺は型式を持ってねぇ独学だ、合わせられるのか?」
「ふっ…心配はいらん、お前はいつも通りやればいい、リュウ、コン任せるぞ」
影落ちが壬生の動きに気づけば、唸り声を大きくさせ周囲の影も飛びかかってくる。
空牙の言葉を合図に、戦鬼が地面を蹴り上げると一気に影落ちとの距離を詰めた。
「うぉあ!あっぶね…」
「いいから集中して」
周りの影たちが、襲いかかるように動き出す。壬生はとっさに突き立てた刀に手を伸ばすもつかみきる前にふわりとした赤灰色のものが視界を覆った。
壬生と空牙の中心に立ち尾を伸ばした門桜が壬生を見上げて、ため息を吐く。
「問題はないお前の身は私が守る」
不本意だがと付け足しながら尾を伸ばして襲いかかる影を突き飛ばす。
「あいつは鬼になりたてだ、力を使いこなせてない。いつまでも持たんぞ」
「なおさらそれ行かせて大丈夫だったのかよ!」
「仕方ないだろうあいつは術への耐性がない、ここにいれば俺たちの術に当てられる」
空牙が前方に突っ込んでいった戦鬼に視線を向けてから、"コン"ほど防御にも優れてないと付け足すと、術の発動を促した。
戦鬼は影を踏みつけ上空へ飛び、近くの影を掴むとそのまま影落ちへと投げつける。
(だめだこいつらを投げても戻ってくる…触れるのはダメならこの腕は使えない、触れずに俺に意識を向ける方法…)
投げた影は影落ちへと到達する前に途中で体勢を立て直すと、戦鬼に向かってくる。影落ちは全く戦鬼へ興味を示さず、懐からいくつもの石がぶら下がる縄を取り出す壬生へ対して視線を向けた。飛びかからんと、足に力が入る。
「行かせない!」
飛び上がり足場のない空中にいた戦鬼は、周囲の影を伸ばした手で掴み、自身を飛ばすように腕を振るう。
勢いのままに影落ちの近くに降りる中、壬生の刀が目に入る。
(あれだ…!)
手のひらに意識を集中させる、壬生の刀を頭に浮かべた。
周囲の影を引き込むように戦鬼の手に黒々としたものが集まる。掴むように手を握ると黒い塊は柄となり、いくさおにの手に収まった。
頭に動きが自ずと浮かぶ、腰の刀を引き抜くように手を動かせば、柄の先に闇の中で一層深く黒をきらめかせる美し刃が現れる。細身のしなやかな刀身に、緩く波打つ刃紋、戦鬼は頭上に振りかぶると影落ちへ向けて落下の勢い共に振り下ろした。
「っ……」
きぃんと刀の音が響く。戦鬼の刀に気づいた影落ちは溶けかけた腕を立てて受け止める。
戦鬼の刀が到達する直前、メキメキと音を立て腕が白化する。
「骨…か…」
手に伝わる硬さに眉を寄せると、向かってくる尾を避けるため勢いよく刀を押しつけ、後ろへと飛び距離を取る。
想定していなかった硬さに痺れる手を見て、強く握り直すと背を伸ばし、刀を体の前で静かに構えた。
(不思議だ、使った事ないはずなのに)
目の前に薄く伸びる刃と此方へと興味を示し、首を傾げ尾を揺らす影落ちを視線に捉え、ふっと静かに息を吐く。
戦鬼が半歩足を進めると、影落ちの体がバキバキと音を立て、溶けた肉の合間から骨が突き出し鎧のように体を覆った。
「こっちに向いたか…だがこれでは」
肉は切れても骨は先の様に弾かれる。眉を寄せ、腰を落とすと、飛びかかってきた影落ちの爪を刀で受け止める。
「っく……」
重い一撃に、足が沈む。踏ん張る様に足に力を入れて押し返すと、振るいあげた刀の形が変わる。刀身はさらに長くそして太くなり、ズシリと重みが加わる。そのまま叩き潰す様に影落ちに叩きつければ、ひらりとかわされる。追いかける様に地面に着く前に、振り下ろす勢いのまま横に薙ぐ。
ぶおんと風を切る音と共に重みのある、大剣を軽々と操り影落ちへ刃を振った。かわし切れなかった影落ちの腹を骨の鎧ごと叩き潰すようにすれば、メキメキと骨が軋む音を立てて吹き飛ぶ。当たるとまずいと学んだのだろう影落ちは、戦鬼の刀を避け距離を取ろうとする。戦鬼はそれを許さず追い込むように、いくつもの軌跡を残した。
最初こそ上手くかわされていたが、徐々に精度の上がる振るわれる刃のスピードに押しはじめた。骨の鎧では動きにくいのか、今度は足元の骨を解く。
ぶちぶちと足の筋肉がちぎれる音と共に、太く変化し白い筋の通る赤黒い肉がむき出しになった。
「今度はなんだ…?」
ぐぐっと筋肉に力の入る音が聞こえると、影落ちは戦鬼に向けて口を大きく開けて飛びかかる。
そのスピードにかわすのが間に合わないと戦鬼は大剣を手前に構えて、突き立てると盾のように攻撃を防ぎ、ぎぃんっと大きな音が響く。顔面から大剣に突撃した影落ちはフラフラと後ずさり頭を振ると、不快な鳴き声を立てた。
「足が速くなった…?面倒だな…硬い上に…いやそれなら柔らかくなった足元を狙えば…」
潰れた顔がぶちぶちと音を立てて元に戻る影落ちに、少し距離を置きながら観察する。足は発達した筋肉がむき出しになり、上半身は骨の鎧で覆われていた。稼働力を優先した下半身を狙うかと、相手の足の速さに合わせて細身の刀へと形を変える。
顔が再生しきる前に、戦鬼は踏み込み下肢へへ向けて刀を払うように振るう。
影落ちの耳がピクリと揺れると、その場を後ろへと飛びのいた。音だけで戦鬼の動きを判断するように耳を揺らしながら手を顔で覆い悶えるように叫ぶ。戦鬼は、間髪入れずに踏み込むとそのまま下段へ切り掛かり、着地直前の影落ちの足を切り落とす。
「ぐぎゃぁぁぁぁ!」
「っく…」
一際大きな咆哮が、切り込んだ戦鬼の脳を揺らす。バランスを崩し慌てて距離を取ろうとする戦鬼の肩に崩れ落ちた影落ちの腕がかかった。
(まずい…!)
みしっと掴まれた肩が悲鳴をあげる。肩に温かい感触、何かが流れ込む。視界に一瞬映ったのは佇む空牙だった。
現実なのかそれとも今流れ込む物なのか、考える余裕もなく、響き続ける音に耳の奥がきぃんと鳴り鼓膜が破れたと顎を伝う生暖かいものが伝う感触で理解する。
腰に何か巻きつく、速く抜け出さなければと足に力を入れると同時に、後ろへと引っ張られる。ぐわぐわと揺れる視界から影落ちが遠ざかっていく。
「今!」
引っ張られ止まると、背中に温もりを感じる。こもった聞き取りづらい耳に、門桜の声が届いた。
視界の横を無数の石の繋がる縄が飛んでいく。壬生が懐から出していた奴だなと、目で追うと生き物のように、影の塊を貫きながら伸び、足を斬られ身動きの取れない影落ちを搦めとった。捕まる影落ちは苦しいのか、抜け出そうともがくも突然絶叫が響き渡る。
「うるせぇ!耳がおかしくなる!」
「これでも軽減してる、仕上げに行くぞ」
両の人差し指と中指を立て、挟み合うように指を交差させて組み、額に汗を浮かべて悪態を吐くと、壬生の隣で同じように指を組み耳をぺたりと倒した空牙が睨む。
「んなこたぁわかってる!おい狐っ子!俺の腰袋の中に竹杭の赤字の札があるそれ出せ。」
「わかった。リュウお疲れ様…少し休んでてもうすぐ終わるから。」
引き寄せて受け止めていた戦鬼の耳から流れる血を拭っていた門桜は、仕方ないとでも言うように離れれば、壬生に近寄り腰につけられた袋に手を伸ばす。
「これ?」
「それだ、そいつをアレに向けて投げろ…心臓に突き立てれるのが理想だが、近くに投げるだけでいい」
使うものなら最初から準備しておけとでも言いたげに取り出した、杭のようないびつな形をした竹板を尾先で持ち変える。
「俺だって使うとは思わなかったんだよ!速くしてくれ!アレの動きとめねぇと無理だ!抵抗がすげぇ」
開きそうになる腕を震わせて耐えている壬生は、浮かぶ汗を拭うこともできず門桜を促した。
戦鬼は、ぼんやりと聞こえる二人の声に視線を向けてから、ずっと黙ったままの空牙を見る。
空牙は、じっとまとわりつく縄でもがき苦しむ影落ちを見ていた。その表情は壬生のように抵抗による余裕のなさとは違う、もっと何か別の表情のように見えた。
壬生は、周りに気を配る余裕はないのだろう、黙り込んだままのソラの様子には気づいていなかった。
門桜がちらりと空牙へと視線を向けてから、不思議そうに空牙を見ていた戦鬼と目が合う。少し目を細めると、影落ちへと視線を向けて、壬生から預かった式札をもがく影落ちの心臓に掴んだ尾ごと突き立てる。
無抵抗なまま心臓に一撃を受けた影落ちは、びくっと大きく跳ね、引き抜かれる尾をだらりと見開いた目で追う。どろりと、体中から血が吹き出す。
「何をしたんだ…?」
止んだ絶叫に、影落ちへと視線を戻した戦鬼はその変貌に目を見開き、首をひねる。
「血を逆流させたんだよ。効くか分かんなかったが…あたったみてぇだな」
抵抗が弱まり少し余裕ができたのか、息を軽く吐くと空牙を横目で見る。
「私にそんな危険な物を掴ませたのか」
壬生の言葉に眉を寄せて、睨むように見上げてから小さく溜息を吐く。
「お前あん時俺の札を平気でつかんでたろ…鬼じゃねぇのかわからんが、平気なんだろ……って今はそんな事どうでもいい今のうちだ…ソラ!やるぞ!」
「…っ!…わかってる」
反応の遅れた空牙に眉を寄せるも、影落ちが動かないうちにやるぞと声をかける。ピクリと肩を震わせた空牙が、指を組んだまま腰を落とし姿勢を低くした。
「水鏡は現身境界を引く、凛と鳴きるは月瓏……鬼の空蝉、骸と亡く……汝は永遠と虚無に溺れ…それは檻、それは底。月桂凛水-瑞玲瓏」
壬生に合わせるように空牙の声も重なり、鈴の音とともに、低い壬生の声が響き渡る。壬生から伸びる縄にぶら下がる石が、壬生の言葉の一つ一つに反応するように淡く光り、少しずつ前へと伝達する。
影落ちに巻きついた石が光る度、石から水があふれ影落ちを包んだ。
組んでいた指を離した空牙は、そばに浮かぶ竪琴を掴み影落ちへと走る。掴まれた竪琴 の弦が切れ、形が変わると小さな短刀へと変化する。
「安らかなひと時の夢を」
小さく呟いた空牙は目を見開く影落ちへ短刀を突き刺す。水に包まれた影落ちの歪な口が歪みなにかを呟くように動いた。
ひたひたりと近付くにつれ、その姿がはっきりとしてくる。頭部には暗闇に映える白い髪、濁った金色の瞳、元はどんな姿をしてたのか想像にできぬほど、口は耳元まで裂け、血走った目を向けだらだらと唾液とも血ともつかない液体を垂らしていた。身体は崩れ再生を繰り返しているようで身を纏う、あちこちが破れほつれたボロを赤く染め上げていた。
鼻に付く屍肉の腐る匂いだと壬生は思わず鼻を覆うように口元を押さえて、彫りの深い眉頭のシワを深くする。戦鬼は、どこか懐かしさを覚える不快な香りに首をかしげると、鼻をすんっと鳴らす。同時に腹奥が引っ張られるような、言いようのない虚しさを感じた。
ぴしゃと強く地面に叩きつけ、骨が軋み肉が飛び散る湿った音が響く。
「あれが…影落ち…?ほとんど瀕死じゃねぇか」
「元には戻せない理由がわかったろ、さて、あれと今からやり合うわけだが…見た目に騙されるなよ…強さはさっき言った通りだ」
手負いに理性もない、獣よりもタチが悪いと目を細める。
(これは…?)
戦鬼は2人の会話も耳に届かず、腹に感じる虚しさに首を傾げて腹を撫でた。目の前に揺れる影落ちの下たる血が、崩れ落ちていく肉が鉄扇達の元で食べたどの馳走よりも美味そうに映る。
くるるっと喉がなる。影落ちの視線の定まらない濁った金と目があったような気がする。ふっと屍に埋まった赤い大地が脳裏をよぎった。
「そうだ…俺はずっと暗闇の中にいた…何かを…ずっと見て…いた?」
苦痛の時間を過ごし、暗闇が唯一安心できる時間だった。唐突に腕を引かれる気配がするとハッとして左を見る。
「どうかした?……それ!」
くんっと腕を引いたのは門桜だった。
様子のおかしい戦鬼に気がつくと、心配するように覗き込み、ギョッと目を見開き驚いた声を上げる。
「こんな時になんだ…うぉ…お前さんなんじゃそりゃ」
門桜の声にちらりと2人の方に目を向けた壬生が、同じく目を見開き戦鬼の顔を指差す。空牙はちらりと視線を向けて眉を寄せるとすぐに、視線を影落ちへと視線を戻した。
「みんなどうしたんだ…?」
「リュウ、眼帯を外せ」
「なんで………」
影落ちに視線を向けたままいいから外せと静かに、空牙呟く。
首を傾げながらも言われた通りに眼帯を外した戦鬼は、手の中を凝視する。眼帯はじっとりと濡れ、手首を伝い赤い雫が滴るほどに濡れていた。
「なんでこんなに濡れて…あれ…」
「血が出てるの…でもどうして」
解放された右目は、じくじくと痛み眉を寄せて触れると、ぬるりとした生暖かいものに触れる。門桜は困惑する戦鬼の目元を袖でぬぐいながら、いつ怪我をと言うように、血の流れる右側を観察して、影落ちへと視線を向けたままの空牙を見た。
「おい、大丈夫かそれ、攻撃食らってたようには見えなかったが…」
「わからない、俺も攻撃はいなしてたと思ってたが…食らってたのか…?」
「のかってお前…」
「原因はその眼帯だろうな、アレに引っ張られたな…お前アレ見て何を思った」
首をかしげる戦鬼に緊張感ねぇなと呆れた顔で壬生が返す。空牙が視線の先の影落ちを顎で示すと、目を細めた。
「何って…腹の奥が虚しくなるような…あぁ…後ちょっと懐かしかった…?この匂いはよく覚えてる」
「食欲に引っ張られたの?確かに君からしたらアレは何度も食べてきたものの匂いだろうけど…」
心配したのにと嘆息すると目頭を押さえた門桜がつぶやく。その言葉に壬生は再びぎょっとすると、どう考えても食欲をそそる匂いじゃないだろうと口元を押さえたまま、眉をひそめた。
「でも、それとこれはなんの関係が…」
「お前はまだ暴走しやすいからな、それは必要以上に鬼の力が出ないようにするものでもある。だから、急激な力の上昇を押さえつけられて体の方に出たんだろ」
「暴走?こいつそんな危ねぇのかよ…外させて平気か?」
「問題はない。コンがいる限りはそいつはすぐ正気に戻る。それにアレ相手でそれつけたままは無理だな」
暴走という言葉に、警戒する視線を戦鬼に送る壬生は、最悪こいつもかと眉をひそめる。
空牙は口の端をあげて軽く首を振ると、ぴしゃりぴしゃりと尾を揺らしながら、こちらの様子を伺うように首をひねる影落ちを指差した。
ぐるると、影落ちが空牙の動きに喉を鳴らして崩れ落ちかけた耳を揺らす。指を追いかけるように、目が空牙へと向く。
「ぐぎゃぁ!」
ぎゃっぎゃっと耳をつん裂く不快な声を上げて鳴き始めれば、呼応するように周りの目玉たちからも、奇声が響く。
「っるせぇ!耳がおかしくなる…これどうすんだ!」
耳を抑えて声を荒げた壬生は、叫ぶだけで攻撃してこない周りにに眉を寄せ、空牙の方を見れば目を見開き固まっていた。
「いぃぃだぁぁいぃぃ、だずげ……ぎゃ…でぇ」
にいと溶けた口の端をあげた影落ちの口から、言葉が発せられた。びくりと空牙の肩が揺れる。その声は形容しがたい叫び声ともまた違う不快感をもたらし、次第に感染するように周りからも「いたい」「たすけて」と言葉が広がる。
「おい!あんたどうしたんだ!」
「師匠危ない…!」
「だぁくっそ」
影落ちを凝視したまま、音を拾うように耳をせわしなく動かし、呼びかけには反応しない空牙に首をひねる。すぐに横から門桜の声が響くと影鬼が空牙に向けて飛びかかろうとしていた。
壬生は舌打つと、空牙の襟元を掴み引き、身を無理やり引かせる。合わせるように空牙のいた場所に戦鬼と門桜が立ち、赤黒い爪と竜の腕が影落ちの攻撃を防いだ。
「何考えてんだ!」
「っ……あぁすまない…」
壬生怒号にハッとしたように、引っ張られて崩れた態勢を整え転ぶのを防げば、じっとりと浮かべた汗をぬぐい3人に向けて助かったと礼を言う。
「…こいつ…なんだ」
「まずい…離れて!」
影落ちの攻撃を受け止めた戦鬼と門桜は予想よりも軽い攻撃に眉を寄せる。受け止めた腕の上で影落ちの崩れた顔が再びにたりと笑うと、止められた腕がどろりと2人の腕に絡みつくように滴った。
門桜は咄嗟に身をひねり、戦鬼を壬生と空牙の方へ蹴り飛ばすと、自身も尾を地面に突き刺すように勢いよく叩きつけ後ろに飛ぶ。
膝をつき、突然蹴り飛ばされて困惑する戦鬼のとなりに少し滑るように着地すると、腕に滴る影落ちの体液を払い飛ばした。
「か……」
「リュウ、人間と師匠は?」
名前を呼びかけた戦鬼に"リュウ"と強調して呼ぶと、影落ちに視線を向けたまま背後の2人の様子を訪ねる。
「こっちは問題ない、すまん…取り乱した。壬生も助かった、ありがとう」
「あー、うっせぇ…あんたがいねぇとアレの情報得られなさそうだったからなだけだ」
立ち上がる門桜の肩にポンと手をかけて答えると、壬生を見て目を細める。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、仕方なく仕方なくだと繰り返して、ぶつぶつと呟いた。
「師匠、まさかアレ……」
「今は考えなくていい、とは言えこれが終わったら少し動かないといかんな…」
門桜は空牙の反応に思い当たる節があるのか、不安そうにちらりと影落ちから背後への空牙に意識を向ける。それに少し、息を漏らすように笑うと、肩に乗せていた手を頭へと移動させた。
「こいつを連れてきて良かったな…壬生、方陣式使えるな?悪いが手を貸してくれ…あいつは"殺せない"」
封じて霧散させると門桜のふわりと大きな耳を倒すように軽く撫で、壬生の方を見る。
鬼の傍で隙の多い術を使うことに抵抗を感じる壬生は、空牙の真意を探るように押し黙り渋い顔を浮かべる。
門桜は何をするか理解しているのか、影落ちからは目をそらさず、空牙が指示を回すのを待つ。
「リュウ、お前は奴の気を引け、ただし間違ってもあれに捕まるなよ…あれにお前が取り込まれるのは厄介だ」
「えっと…動き回ってればいいのか?」
「それでいい、とにかく奴の攻撃には捕まらず、奴の意識を俺と壬生から外せ」
状況が読めず蹴り飛ばされたままやりとりを見ていた戦鬼は、声をかけられてようやく立ち上がると首をひねった。
空牙の言葉で、突然の門桜の行動は、影落ちから離れる為だったのかと、影落ちの動きをじっと警戒しながら観察を続ける門桜の方に目を向ける。
「俺と?まさか方陣式を俺とお前の2人でやる気か?俺は単一方陣式しか出来んぞ…だいいち信頼も何もない俺とあんたで連式ができるとも思えんが…」
連式は複数人で一つの術を完成させる。事前の打ち合わせ、息を合わせるために練習を必要とする。簡単なものならば可能だがそれでも互いの信頼関係があって初めてできるものであり、相手の力もわからない状況で組んで成功などするはずがないと、渋るように首を振った。
「そもそも鬼と鬼を倒すための術を手を組んで使うなど聞いたことねぇぞ」
「そりゃな、鬼と鬼狩りは敵対関係だからな…」
「そもそも、なんでお前はそれが使える鬼はこれに触ることはできないはずだろ?」
「式術は鬼同士なら消しあえるのを利用して、式具には鬼の一部を使う。鬼が触れられないのは式具が抜き身の刀の様なものだからだ、刃を素手で掴めば突然怪我をするだろう?」
「扱いを知ってれば使えると?」
「そうは言ってない、鬼が扱えるのは自刃の力だけだ」
空牙は、壬生に一枚の札を投げる。硬い板でも飛ばしたようにまっすぐと壬生手元に飛ぶとピタリと止まった。
「俺が使う術札は俺の血で作ってる、だから扱えるそれだけだ」
札を手に取った壬生は頭をガシガシとかくと、刀を地面に突き刺す。
「なら俺があんたにあわせりゃいいのか?」
「必要はない、俺がお前の使う方陣に連なる」
熟練度なら壬生よりも上である空牙が下に合わせるのが妥当だろう、そう言えば門桜と睨み合うように唸りを上げる影落ちを見る。
「俺が使うのは月と水の属性だ、方陣はその二つを合わせた月桂凛水-瑞玲瓏…俺は型式を持ってねぇ独学だ、合わせられるのか?」
「ふっ…心配はいらん、お前はいつも通りやればいい、リュウ、コン任せるぞ」
影落ちが壬生の動きに気づけば、唸り声を大きくさせ周囲の影も飛びかかってくる。
空牙の言葉を合図に、戦鬼が地面を蹴り上げると一気に影落ちとの距離を詰めた。
「うぉあ!あっぶね…」
「いいから集中して」
周りの影たちが、襲いかかるように動き出す。壬生はとっさに突き立てた刀に手を伸ばすもつかみきる前にふわりとした赤灰色のものが視界を覆った。
壬生と空牙の中心に立ち尾を伸ばした門桜が壬生を見上げて、ため息を吐く。
「問題はないお前の身は私が守る」
不本意だがと付け足しながら尾を伸ばして襲いかかる影を突き飛ばす。
「あいつは鬼になりたてだ、力を使いこなせてない。いつまでも持たんぞ」
「なおさらそれ行かせて大丈夫だったのかよ!」
「仕方ないだろうあいつは術への耐性がない、ここにいれば俺たちの術に当てられる」
空牙が前方に突っ込んでいった戦鬼に視線を向けてから、"コン"ほど防御にも優れてないと付け足すと、術の発動を促した。
戦鬼は影を踏みつけ上空へ飛び、近くの影を掴むとそのまま影落ちへと投げつける。
(だめだこいつらを投げても戻ってくる…触れるのはダメならこの腕は使えない、触れずに俺に意識を向ける方法…)
投げた影は影落ちへと到達する前に途中で体勢を立て直すと、戦鬼に向かってくる。影落ちは全く戦鬼へ興味を示さず、懐からいくつもの石がぶら下がる縄を取り出す壬生へ対して視線を向けた。飛びかからんと、足に力が入る。
「行かせない!」
飛び上がり足場のない空中にいた戦鬼は、周囲の影を伸ばした手で掴み、自身を飛ばすように腕を振るう。
勢いのままに影落ちの近くに降りる中、壬生の刀が目に入る。
(あれだ…!)
手のひらに意識を集中させる、壬生の刀を頭に浮かべた。
周囲の影を引き込むように戦鬼の手に黒々としたものが集まる。掴むように手を握ると黒い塊は柄となり、いくさおにの手に収まった。
頭に動きが自ずと浮かぶ、腰の刀を引き抜くように手を動かせば、柄の先に闇の中で一層深く黒をきらめかせる美し刃が現れる。細身のしなやかな刀身に、緩く波打つ刃紋、戦鬼は頭上に振りかぶると影落ちへ向けて落下の勢い共に振り下ろした。
「っ……」
きぃんと刀の音が響く。戦鬼の刀に気づいた影落ちは溶けかけた腕を立てて受け止める。
戦鬼の刀が到達する直前、メキメキと音を立て腕が白化する。
「骨…か…」
手に伝わる硬さに眉を寄せると、向かってくる尾を避けるため勢いよく刀を押しつけ、後ろへと飛び距離を取る。
想定していなかった硬さに痺れる手を見て、強く握り直すと背を伸ばし、刀を体の前で静かに構えた。
(不思議だ、使った事ないはずなのに)
目の前に薄く伸びる刃と此方へと興味を示し、首を傾げ尾を揺らす影落ちを視線に捉え、ふっと静かに息を吐く。
戦鬼が半歩足を進めると、影落ちの体がバキバキと音を立て、溶けた肉の合間から骨が突き出し鎧のように体を覆った。
「こっちに向いたか…だがこれでは」
肉は切れても骨は先の様に弾かれる。眉を寄せ、腰を落とすと、飛びかかってきた影落ちの爪を刀で受け止める。
「っく……」
重い一撃に、足が沈む。踏ん張る様に足に力を入れて押し返すと、振るいあげた刀の形が変わる。刀身はさらに長くそして太くなり、ズシリと重みが加わる。そのまま叩き潰す様に影落ちに叩きつければ、ひらりとかわされる。追いかける様に地面に着く前に、振り下ろす勢いのまま横に薙ぐ。
ぶおんと風を切る音と共に重みのある、大剣を軽々と操り影落ちへ刃を振った。かわし切れなかった影落ちの腹を骨の鎧ごと叩き潰すようにすれば、メキメキと骨が軋む音を立てて吹き飛ぶ。当たるとまずいと学んだのだろう影落ちは、戦鬼の刀を避け距離を取ろうとする。戦鬼はそれを許さず追い込むように、いくつもの軌跡を残した。
最初こそ上手くかわされていたが、徐々に精度の上がる振るわれる刃のスピードに押しはじめた。骨の鎧では動きにくいのか、今度は足元の骨を解く。
ぶちぶちと足の筋肉がちぎれる音と共に、太く変化し白い筋の通る赤黒い肉がむき出しになった。
「今度はなんだ…?」
ぐぐっと筋肉に力の入る音が聞こえると、影落ちは戦鬼に向けて口を大きく開けて飛びかかる。
そのスピードにかわすのが間に合わないと戦鬼は大剣を手前に構えて、突き立てると盾のように攻撃を防ぎ、ぎぃんっと大きな音が響く。顔面から大剣に突撃した影落ちはフラフラと後ずさり頭を振ると、不快な鳴き声を立てた。
「足が速くなった…?面倒だな…硬い上に…いやそれなら柔らかくなった足元を狙えば…」
潰れた顔がぶちぶちと音を立てて元に戻る影落ちに、少し距離を置きながら観察する。足は発達した筋肉がむき出しになり、上半身は骨の鎧で覆われていた。稼働力を優先した下半身を狙うかと、相手の足の速さに合わせて細身の刀へと形を変える。
顔が再生しきる前に、戦鬼は踏み込み下肢へへ向けて刀を払うように振るう。
影落ちの耳がピクリと揺れると、その場を後ろへと飛びのいた。音だけで戦鬼の動きを判断するように耳を揺らしながら手を顔で覆い悶えるように叫ぶ。戦鬼は、間髪入れずに踏み込むとそのまま下段へ切り掛かり、着地直前の影落ちの足を切り落とす。
「ぐぎゃぁぁぁぁ!」
「っく…」
一際大きな咆哮が、切り込んだ戦鬼の脳を揺らす。バランスを崩し慌てて距離を取ろうとする戦鬼の肩に崩れ落ちた影落ちの腕がかかった。
(まずい…!)
みしっと掴まれた肩が悲鳴をあげる。肩に温かい感触、何かが流れ込む。視界に一瞬映ったのは佇む空牙だった。
現実なのかそれとも今流れ込む物なのか、考える余裕もなく、響き続ける音に耳の奥がきぃんと鳴り鼓膜が破れたと顎を伝う生暖かいものが伝う感触で理解する。
腰に何か巻きつく、速く抜け出さなければと足に力を入れると同時に、後ろへと引っ張られる。ぐわぐわと揺れる視界から影落ちが遠ざかっていく。
「今!」
引っ張られ止まると、背中に温もりを感じる。こもった聞き取りづらい耳に、門桜の声が届いた。
視界の横を無数の石の繋がる縄が飛んでいく。壬生が懐から出していた奴だなと、目で追うと生き物のように、影の塊を貫きながら伸び、足を斬られ身動きの取れない影落ちを搦めとった。捕まる影落ちは苦しいのか、抜け出そうともがくも突然絶叫が響き渡る。
「うるせぇ!耳がおかしくなる!」
「これでも軽減してる、仕上げに行くぞ」
両の人差し指と中指を立て、挟み合うように指を交差させて組み、額に汗を浮かべて悪態を吐くと、壬生の隣で同じように指を組み耳をぺたりと倒した空牙が睨む。
「んなこたぁわかってる!おい狐っ子!俺の腰袋の中に竹杭の赤字の札があるそれ出せ。」
「わかった。リュウお疲れ様…少し休んでてもうすぐ終わるから。」
引き寄せて受け止めていた戦鬼の耳から流れる血を拭っていた門桜は、仕方ないとでも言うように離れれば、壬生に近寄り腰につけられた袋に手を伸ばす。
「これ?」
「それだ、そいつをアレに向けて投げろ…心臓に突き立てれるのが理想だが、近くに投げるだけでいい」
使うものなら最初から準備しておけとでも言いたげに取り出した、杭のようないびつな形をした竹板を尾先で持ち変える。
「俺だって使うとは思わなかったんだよ!速くしてくれ!アレの動きとめねぇと無理だ!抵抗がすげぇ」
開きそうになる腕を震わせて耐えている壬生は、浮かぶ汗を拭うこともできず門桜を促した。
戦鬼は、ぼんやりと聞こえる二人の声に視線を向けてから、ずっと黙ったままの空牙を見る。
空牙は、じっとまとわりつく縄でもがき苦しむ影落ちを見ていた。その表情は壬生のように抵抗による余裕のなさとは違う、もっと何か別の表情のように見えた。
壬生は、周りに気を配る余裕はないのだろう、黙り込んだままのソラの様子には気づいていなかった。
門桜がちらりと空牙へと視線を向けてから、不思議そうに空牙を見ていた戦鬼と目が合う。少し目を細めると、影落ちへと視線を向けて、壬生から預かった式札をもがく影落ちの心臓に掴んだ尾ごと突き立てる。
無抵抗なまま心臓に一撃を受けた影落ちは、びくっと大きく跳ね、引き抜かれる尾をだらりと見開いた目で追う。どろりと、体中から血が吹き出す。
「何をしたんだ…?」
止んだ絶叫に、影落ちへと視線を戻した戦鬼はその変貌に目を見開き、首をひねる。
「血を逆流させたんだよ。効くか分かんなかったが…あたったみてぇだな」
抵抗が弱まり少し余裕ができたのか、息を軽く吐くと空牙を横目で見る。
「私にそんな危険な物を掴ませたのか」
壬生の言葉に眉を寄せて、睨むように見上げてから小さく溜息を吐く。
「お前あん時俺の札を平気でつかんでたろ…鬼じゃねぇのかわからんが、平気なんだろ……って今はそんな事どうでもいい今のうちだ…ソラ!やるぞ!」
「…っ!…わかってる」
反応の遅れた空牙に眉を寄せるも、影落ちが動かないうちにやるぞと声をかける。ピクリと肩を震わせた空牙が、指を組んだまま腰を落とし姿勢を低くした。
「水鏡は現身境界を引く、凛と鳴きるは月瓏……鬼の空蝉、骸と亡く……汝は永遠と虚無に溺れ…それは檻、それは底。月桂凛水-瑞玲瓏」
壬生に合わせるように空牙の声も重なり、鈴の音とともに、低い壬生の声が響き渡る。壬生から伸びる縄にぶら下がる石が、壬生の言葉の一つ一つに反応するように淡く光り、少しずつ前へと伝達する。
影落ちに巻きついた石が光る度、石から水があふれ影落ちを包んだ。
組んでいた指を離した空牙は、そばに浮かぶ竪琴を掴み影落ちへと走る。掴まれた竪琴 の弦が切れ、形が変わると小さな短刀へと変化する。
「安らかなひと時の夢を」
小さく呟いた空牙は目を見開く影落ちへ短刀を突き刺す。水に包まれた影落ちの歪な口が歪みなにかを呟くように動いた。
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