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第四章 ファーストプレイ:デットエンド

僕は死にませんッ!

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 ……突然、浴室中に爆発音が響いた。

 壁が砕け、蠢く巨大なタコの足の様な物が姿を現す。瓦礫が吹き飛び、砂塵が舞い上がる。視界が覚束無い。

「……レイさんッ!!」

 俺はこの場にいたレイさんの安否を確認する為に名前を叫ぶ。すると不意に背中に柔らかい物が当たる感触がした。

「大丈夫です!チロさん、私はここにいます!」

 レイさんは俺の背後に抱きつき、声を上げ自身の無事を示す。安堵の感情が涌き出し、俺は吐息を吐く。

 だが、安心してもいられない。……目の前に現れた巨大タコの足、蠢き暴れまわるそれが浴室の壁を完全に破壊し、怪物の全貌を露にさせる。

「……嘘だろ…?」

 ……壊された壁から現れた怪物は、想像を遥かに絶する体積だった。先程、壁の穴から覗かせていた足は全体のほんの一部、僅か先端のみだったのだ。

 巨大タコの圧倒的質量を目前にし、俺は無意識に訪れる身体の震えを止めることが出来なかった。……怪物が放つ威圧感にひれ伏してしまったのだ。

「……チロさん、下がっていてください」

 途端、後方にいたレイさんが俺を押し退け前に出る。

 だが威勢良く啖呵を切って飛び出した彼女だったが、その足は小さく震えていた。

 強さとしては上位のBランク、そんな彼女でさえも恐怖で身を震わす目の前の怪物。俺がここで立ち向かっても呆気なく瞬殺されるだけだろう。

 ……だけどここで黙って指を咥えて見ているだけ、俺はそんな質では無かった。

「……いや、レイさん。ここは俺に任せて下さい。俺が時間を稼ぐんで、レイさんはカナ様とユキさんの二人を呼んで来て下さい。…その三人がかりなら何とかこの化け物も倒せるはずです」

 俺はそう言ってレイさんを制する。俺が巨大タコと戦って、勝てる可能性など微塵もありはしなかったが、勢いに任せるままに口を走らせる。

 しかしながら、その口から偶然出た俺の提案は案外悪い作戦でもなかった。……問題は俺が巨大タコ相手に時間を稼げるかという所だが……

「……きっと、なるようになりますッ!だからレイさん!早くッ!」

「で、でも…!」

「心配は無用です!目的はあくまで時間稼ぎ、僕は死にませんッ!」

「……分かりました。絶対に死なないで下さいよッ!」

 言葉を言い終わるか否かというタイミングで彼女は駆け出す。流石はBランクの実力者、巨大タコの攻撃を躱して撒ききる位の事は容易だった。

「……ただその芸当が最低Dランクの俺に出来るかって事だが…」

 レイさんが無事に逃げ切ると、巨大タコは標的をこちらに変え、その蠢く丸太の様な足を床面に叩き付け威嚇を始める。

 ……正直そのまま永遠に威嚇をし続けて欲しい。ビタンビタンと暴れる十本足を床に叩き付けて脚部を磨り減らして骨を断って自害して欲しい。

 だがそんな虫の良い話など無い。巨大タコは俺と目が合うと、その十本の丸太足を乱雑に振り回し襲ってきた。

「あぶねっ!!」

 俺は巨大タコの攻撃を間一髪で何とか躱した。振り切られた足が床に当たり地面が爆ぜる。……もしもタコの足が当たっていたと思うとゾッとする。大地を砕く地雷程の威力、当たれば一撃死、オワタ式だ。

「くッ!!」

 間髪入れずに二発目の打撃が来る。俺は身を翻し、地面を転がりながら回避する。またもや奇跡的な回避だ。……しかしそんな偶然は何度も続かないだろう。俺は死を覚悟した。三本目の腕が俺の身体を覆い尽くして、押し潰さんと振り下ろされる。

 ……という幻影を、俺は見た。

「……えっ?」

 巨大タコは俺を襲わず、先程振り下ろした二本の足を振り上げて体勢を整える。……残り八本の足を攻撃に使うこと無く。

「……どういう事だ?」

 俺が突如持った疑問を解消する暇もなく、巨大タコは再び丸太足で襲いかかる。……先程同様二本の足のみで。

「……もしかして…」

 ……俺の中に一つの仮説が思い浮かんだ。俺は難なくタコの足を躱す。またもや攻撃は二本足のみだった。

「……やっぱりそうだ」

 ……タコ、と先程まで呼んでいたが、怪物の足は計十本。ただ頭部の槍の様な部分が付いておらず、どうもイカには見えない。しかし足の数からコイツをイカと仮定して話す事にする。

 イカの足は十本だと思われがちだが、実は違う。イカの足は計八本、残り二本は手なのである。つまり先程から二つの腕でしか攻撃をしないコイツは、足を使った攻撃が出来ないのだ。

「そうと分かれば、時間稼ぎ位ならッ!!」

 俺は巨大タコ、否、巨大イカの手のみを注視する。二つの腕の攻撃ならば何とか躱せる。後はレイさんが援軍を連れてきてくれるのを待つだけだ。

 ……待つだけ、だったのだが……

「……あっ」

 ……不意に俺は足を滑らせる。


 ……目前では巨大な軟体動物の手が振り下ろされていた。




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