さよならジーニアス

七井 望月

文字の大きさ
上 下
28 / 46

沈む夜に溶けていくように

しおりを挟む
 
 言問文夏です。私は今、非常に困惑しております。

 事実無根の濡れ衣を着せられ最愛の人から罵詈雑言を浴びせられた私は絶望や失意のどん底にいたわけですが、それが一周回って怒りに変わって彼にどう謝らせてやろうか等と考えていた矢先、久しぶりに再開した兄が私のお友達と例の最愛の彼が同じ“妙”字であるなどという爆弾発言をするものですから。

「……妙本理子?って、もしかして妙本箱根くんと理子さんって結婚してるってこと!?」

「いや、そうじゃあない。同じ妙字なのは二人が姉弟だからだ」

 ……ああ、そういう事でしたか。どうやら結婚は私の早とちりだったようです。

「……というかこの話理子ちゃんから聞いてない?」

「そうですね。前に二人の関係を聞いたことがあるんですが、『ただの仲良し小良しよ』としか……」

「…………不味いこと言っちゃったかな、僕」

 兄の顔がさあっと青ざめていくのがこの暗闇の中でも分かった。むしろだんだんと白くなった顔が浮かび上がってくるようだった。

「……ごめん、やっぱり今の事は聞かなかったことにして。あとここで僕と会ったことも記憶からきれいさっぱり消してくれ」

 兄ははそう言うとそそくさとまるで威張り散らしていた番長が裏番長の登場でだんだんと塩らしくなっていくように、かませいぬが散るかの如く逃げ去った。

 ……また勝手に居なくなろうとする兄に対して、怒った私は逃げ去る背中に声をかける。

「おい!馬鹿お兄ちゃん!まだこっち話は……この……ッ!どこ行くんだよ!!逃げんじゃねぇ!私とお母さんほっぽらかしてどこ行くんだよ!帰ってこい!……帰ってきてよッ!!お兄ちゃんッ!!」

 私は叫んだ。この非現実じみた現実の再開を逃すまいと手を伸ばした。しかしその背中は既に闇夜と混ざりあっていた。

 そこにはもともと何も無かったかのように、静寂のみがあった。

「……ばか、お兄ちゃんの馬鹿ぁ……」

 ……私の叫びもまた、宵闇の中に溶けた。



 ……僕は走って走って夜に駆けた。彼女の叫びも後ろめたさも全部全部振り切って。

「……俺だって帰りたいよ……でも、駄目なんだよ……」

 ……その言葉は誰にも届くことなく、走り去る自らの姿と共に夜の闇に消えたのだった。




 ※





「……結局、よく分からない食堂に来たね」

 狭い店内にレコードや往年の少年漫画、ちょっとエッチなフィギュアが並べられた昭和レトロな内観だ。店主の趣味なのだろう。カウンター奥のキッチンから顔を覗かせる店主は丁度その世代を生きたであろう風体をしていた。

「まあ良かったんじゃない?店主さんが『君たち可愛いから安くしてあげるよ』って言ってくれた訳だし」

 店長、カウンター奥でサムズアップ。

「うーん、でも良かったのかな。ホイホイ付いてきちゃって。……なんか、怪しくない」

 私は店主に聞こえないようヒソヒソとした声でりっちゃんに問いかける。店長は奥でニコニコしている。

「……だって、可愛いなんて言われたの初めてだったから……つい舞い上がっちゃって……。ぶっちゃけ今思えば怪しいと思うよ?怪しいことこの上ないしインテリアの趣味悪くない?って思う」

「だよね?」

 店主の表情が心なしか少し引きつったように見えた。

「でもさ、私だって女の子なのよ。長い間研究室に引きこもってた芋女だったけど、最近はメディアにも出るようになって……いや、最近じゃないわね。この時代ではもうずいぶんと前か。で、オシャレもするようになったのよ。それで世間では美人研究者なんて呼ばれるようになった。でも、身近な人間は地位のある年上の人ばっかりだから私みたいな小娘に対して可愛いなんて言わないわけよ。だから可愛いって言われるのが、嬉しいのよ。それに最近学校でも……」

「オッケー、ストップりっちゃん。料理が来たわ」

 私は首を降って隣に立つ店主に視線を向けるようりっちゃんに促す。店長のニッコリスマイルはハリボテかのように一切の感情が感じられない。

「ありがとうございます」

「いえいえ、いっぱい食べてね♪」

 丁寧な所作でお辞儀をするりっちゃんの真似をして私も頭を下げる。店主は普段の調子を取り戻しつつあるのか目に光が僅かに戻った。

 私はたらこスパゲティ、りっちゃんはトルコライスをまずは一口。

「……美味しい!」

 私が感じた第一印象はこれにつきる。元のハードルが低かった影響もあろうが、癖になるような何度でも食べたくなるような味わい……ッ!

「りっちゃん、当たりだよ。ここの店、すごく美味しい……!」

「…………」

 私が共感を得ようとさっちゃんの方を向くとりっちゃんはどうやら苦い顔をしていた。

「……あれ、もしかしてそっちはあんまり美味しくなかった?」

「…………トガちゃん、この店出るわよ!」

「え!ちょ、ちょっと!りっちゃん!?」

「お、おい、待て!く、食い逃げかッ!!!」

 いつも笑顔を絶やさなかった店主が今にも客を食い殺しそうな程の怒った形相を浮かべこちらへ飛びかかる。……その動きはまるで山猫のような動物的な動きで、瞬く間にその般若は目前まで迫っていた。

「トガちゃん目ェ瞑ってッ!!」

 刹那、響くりっちゃんの怒声と轟音。私は手を引かれ店の外へと強制的に連れ出される。

 ……そのまま走って走って、走り続けて、駅前の公園までやって来て、そこで私達はようやく立ち止まった。

「ど、どうしたのりっちゃん!!早く戻ろうよ!これじゃあ食い逃げだよ!」

「……ハァ……ハァ、いや、戻れないわ。……クソッ、上手くやったわね」

 ……りっちゃんが息を切らしているのはどうやら長い距離を走ってきた事が原因ではないようだった。

「薬を盛られたッ……あの店主、エージェントだったのよ……」




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Bグループの少年

櫻井春輝
青春
 クラスや校内で目立つグループをA(目立つ)のグループとして、目立たないグループはC(目立たない)とすれば、その中間のグループはB(普通)となる。そんなカテゴリー分けをした少年はAグループの悪友たちにふりまわされた穏やかとは言いにくい中学校生活と違い、高校生活は穏やかに過ごしたいと考え、高校ではB(普通)グループに入り、その中でも特に目立たないよう存在感を薄く生活し、平穏な一年を過ごす。この平穏を逃すものかと誓う少年だが、ある日、特A(特に目立つ)の美少女を助けたことから変化を始める。少年は地味で平穏な生活を守っていけるのか……?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~

kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...