さよならジーニアス

七井 望月

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エージェント未来を往く

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 帰り道、繰り返すエンカウントを突破し自宅に着いた。

 束の間の休息が訪れる。……なんて事はなく、自宅の玄関では大抵母親が固定エンカウントで出現する為、未だ油断は禁物だ。

「……ただいま帰りました。母上」

 初手は帰宅の挨拶安定、母親を臨戦態勢にさせない最善手。先制攻撃は見事成功し母親の攻撃ががくっと下がった。

「……お帰りお兄ちゃん。お母さんならどっか出掛けてるよ」

「あれ、そうなの?珍しいな」

 しかし俺の技は相手がいないのでうまく決まらなかった。代わりにひょこっと姿を表したのは妹の瑞希で、口には歯ブラシを咥えていた。……食後なのだろうか。それにしてもコイツはいつも歯を磨いている。

「……お前の口臭はそんなに臭くないと思うぞ」

「は?何言ってんだこのクソ兄……そうじゃなくて、前にも言った通りうちは貧乏だったから、医療費も馬鹿にならなくてさ。怪我とか風邪とかだったら自然治癒で治るけど、虫歯は治らないから、やっぱりちゃんとケアするしかなくて、だから磨いてるの」

 ……貧乏時代を思い出す瑞希は、おおよそ中学生とは思えないほどの哀愁を漂わせながらも、俺に口の匂いを煽られた事にぷんすかしつつ答えた。

「……まあ、誰かさんが口が臭いっていうように、これも全て気休め程度にしかならないかもだけどさ」

「……いや、いいことだと思うぞ。健康的にもいいし。実のところ嗅ぎたいくらいにいい匂いだし」

「は?キモ、死ね」

 ……やっぱり兄妹っていうのはいいな。色々あってすり減った俺の精神を癒してくれる。

 くれぐれも、私がシスコンのMなどという甚だしい誤解はしないように。どちらかと言えば私がLです寄り。

 ちなみにアルファベットのLMNの並びはデ○ノートで殺される順って考えると分かりやすいぞ!俺もそうやって覚えた。

 閑話休題。

「……まあ、俺も瑞希に言われてから毎朝歯を磨くようになったしな」

「あれ、私に言われる前からずっと歯を磨いてるって言ってなかったっけ?」

「あ、いや……」

 しまった、墓穴を掘った。粉☆バナナ!プーさん蹴るなぁ!

 なんて事だ。瑞希に対して知識マウントを取っていたのがバレれば俺の兄としての威厳が、まあもう地には落ちているんだけれど、地に埋まってしまう。

 そのまま墓穴を塞がれ残念な事でございやしたね、ご臨の終でしたね。なんて事になったらもうお兄ちゃんは耐えられない!

「……ま、どうでもいいけど」

 ……しかし瑞希は俺の失言に興味を示すことなく話を切り上げた。おかげで俺の容疑は晴れたが、もっと興味を示してほしかったという複雑なお兄ちゃん心である。

「それにしてもお母さんはどこ行ったんだろ?」

「……確かにな」




 ※





「……ねぇ、りっちゃん本当に大丈夫なの?テストを盗んだ犯人をそのままにしておいて」

「だから大丈夫だって。全く、本当に心配性なんだからトガちゃんは。……逆に、今騒ぎを大きくすることは私にとって不都合なの。最近、私を追ってるエージェントがここらを彷徨いてるみたいだし」

「それも、そうだけど……」

 私のことを不安げに見つめるトガちゃんこと十川五月。……私は溜め息を吐く。

 ……私、妙本理子はここ、十川五月の家を拠点の一つとしている。

 彼女とは昔からの友達で、私の“立場”を知っている数少ない人。だから彼女には事情を伝える事が出来たし、この時代の人間じゃない私の入学にも彼女は一枚噛んでいる。彼女はいわば共犯者だ。

「……はあ、トガちゃんはやっぱり何年経ってもトガちゃんだよ。私が“彼”との仲を取り持って上げようとした時も、結局なよなよしてなあなあになっちゃった訳だし」

「だ、だってそれはしょうがないじゃん!……私、恋愛なんて分かんないもん……」

 ……可愛い……ッ!という喉元まで来ていた言葉を飲み込み、話を続ける。

「でも学校では先生としてちゃんとやれてるじゃない」

「……生徒と真摯に向き合う事と恋愛は全然違うよ。それに先生っていうのは仕事だし、責任感っていうのもある。なよなよしてたら生徒も不安だろうし、ビシッとしないと」

 ……私はトガちゃんの言葉に変な違和感を覚えたが、それよりも「先生としてもちょっと抜けてるけどねアンタは」というツッコミをするか否か、そこのところを悩んでいた。

 結局、トガちゃんの天然あざと可愛さという個性を摘んでしまわないよう黙っておくことにした。

「ところでトガちゃん、今日の晩御飯なに?」

「……いきなりだね。まだ考えてないし気が早いよ。本当食いしん坊だね、りっちゃんは」

「私はハンバーガーが食べたいわ」

「……なかなか家庭料理でハンバーガーってなくない?、あー、でも自炊するのも面倒くさいしドライブスルーでもするー?」

「トガちゃんの奢りならもちろんウェルカム」

「絶対に嫌!たとえファストフードでも!……というかりっちゃん料理上手なんだからちょっとは料理手伝ってよ。居候のくせして。……昔は『料理は科学だ』って言って楽しそうに作ってたじゃん。昔のりっちゃんはどこへいっちゃったの……」

「……科学の意義、それすなわち『物の価値を上げること』なのよ。分子の形を変えて価値の低いものを価値の高いものに変えていくこと、これが科学の最も大事な部分。料理も完成品より自炊した方が安価なのは料理というのが物の価値を上げる行為だからであって、つまり私は気付いてしまったのよ。『他人の金で飯を食べる』というのは、一種究極の科学であると……」

「……なんか難しい事言ってるけど、トンデモ理論で私を言いくるめようとしてるだけな気がする。だいたいそれって科学じゃなくない?その対価を私が払ってるだけで物の価値は変わってないわけだし、「借金すれば無料」とか「課金するのは無料」っていうのとなんら変わらないよ」

「……最後の喩えだけはよく分からないけど、さすがにもう適当言っても騙されなくなったわね。……トガちゃんも大人になったのね。嬉しいような寂しいような……」

「えっへん!」

 トガちゃんは得意気に鼻を鳴らして私に大人になってると言われた事を誇るように胸を反るが、話をすり替えられていることには全く気付く様子はなくやっぱりトガちゃんは可愛いのであった。

「それじゃあ大人になったトガちゃんに免じて割り勘にしてあげましょう。行こうかマクダゥナルへ!」

「当たり前ですー。でも今日だけだからね。毎日ファストフードだと体壊しちゃうんだから」

「……毎日トガちゃんの料理よりはマシよ」

「え?」

「え?」

「…………」

「え?」

「……何よ」

「……いや、なんでもない」

「行きましょう」

「……うん」





 ※





 ……私が十川五月の家を訪ねた時にはそこはもうもぬけの殻であった。

「……上手くやったわね」

 茶色がかったブラックヘアーの天才少女を捕らえにやってきた私であったが、どうやら一杯食わされたようだ。

 彼女の行動パターンは把握していた。今日はここ、十川五月の家に身を隠す日。しかし彼女はおろか家主さえも姿が見えないのはやはり彼女に出し抜かれたからであろう。

「あらあらあら、参ったわ本当」

 わざわざ足を運んだというのにも関わらず、この惨憺たる結果というのはどうにも納得がいかない。

 ……何かないかと家の中をキョロキョロと見渡していると、ふと台所に置いてあるホットケーキが目に入った。

「いいわね♪ちょうどいい腹ごしらえだわ」

 手を合わせていただきますと呟くと、ホットケーキを一口頬張った。





「おえええええええええ!!!!!」





 ※





 ……泣き疲れた私が帰路を辿るのは完全に日が沈んだ後であった。

 あのまま何もしたくないと虚脱感に苛まれていたのだが、結局放課後だから帰るしかない。土に?いや、家に。

 人生の良い事悪いことはプラマイゼロであるとどこかで聞いたことがあるが、ひとまず落ち込むところまで落ち込んだ私は今となっては清々していた。

 だって私は悪くないもん。箱根くんのテストを盗んだのも私じゃないんだから。

 ……だけどもたった一度だけ、私が理子さんを妨害すれば箱根くんが一位になれると考えたのも事実。私は悪い子なのです。

「だから決めた!明日箱根くんに会ったら全部話して謝ろう。そして私にひどい事を言ったことを謝ってもらおう。そうすれば万事解決でしょう」

 空元気だったかもしれないが、私は軽い足取りで夜の闇を背に歩きだした。

 ……その時だった。

「……文夏か?」

「え?」

 闇夜の中から突如投げ掛けられた声。声の方へ振り返ると暗闇の中でもかろうじてシルエットが分かる紺色のスーツを着た男が立っていた。

「…………お、お兄ちゃん?」

 ……私、言問文夏の兄である。

「久しぶり。大きくなったね、文夏」

「このッ……!バカお兄ちゃん!」

 私は久々の再開を祝う抱擁をするかの如く駆け出して、その勢いのままお兄ちゃんの腹を思いっきり殴り付けた。

 兄からすると可愛い妹がハグしてくれるとでも思ったのだろう。両手を広げてウェルカム体勢だったのが、パンチを欲してやまないドMみたいに見えて面白かった。

「……バカバカバカバカバカお兄ちゃん!今さらどんな面下げて帰ってきたのよ」

「あ、や、ちょっと、訳があってね」

 ノックアウトを喰らった兄は立ち上がりつつ言葉を放った。

「少し、尋ねたいことがあってね。……多分文夏と同じ学校に通っている、妙本理子って娘についてなんだけど……」

「……え?、妙本、理子?」

「あれ?知らないかい。茶色がかった髪色で、凄く頭の良い女の子。って聞いてるけど」

 ……私は、兄が何か悪い冗談を言っているんだと、本気でそう思いたかった。





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