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試験本番10分前
しおりを挟む「おはようございます、箱根くん!」
朝通学路を歩いていると、照りつける太陽の様に明るい声が俺の背後にかかった。俺は振り返るまでもなく、その声の主が言問であると気づき首の動きを最小限に留め軽く視線を向け「おはよう」と短く答える。
さらに笑顔で返事を返した言問はトコトコと俺の隣について歩きだした。彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見据える。
「……遂に、この日が来ましたね!」
「ああ、そうだな」
言問は両手の拳をグッと握って小さくガッツポーズを構える。今日も一日がんばるぞい!ってそんな感じのポーズ。どうやらエールを送ってくれている様だ、ありがたい。
俺自身も気合い十分で、がんばるぞいとは言わないけども、武者震いで鞄に付けたキーホルダーがカタカタ音をたてるくらいにやる気に満ちていた。理子に勝つための特訓もしてきたし、抜かりはない。
「……まあ、勝つよ。俺は」
自信満々にフッと鼻をならす。
「箱根くんなら、絶対に理子さんにも勝てますよ」
可愛らしい声を上げて言問は上目遣いでこちらを見る。俺も男だ。美少女にこうも期待されては頑張るしかない。
「……ただ、理子の頭脳は本当に未知数だ。底が見えない。前回のテストでも全教科満点だったし、どれほど余力を残してるのか皆目検討がつかないのが現状だ。確かに俺も相当学力をつけたが、理子にどれほど近づけたのか全くもって分からない。もしかすると、未だに俺と理子には天と地ほどの差があるかもしれない」
バトル漫画なんかでは、自身が力を付けたことにより圧倒的な相手との力量の差に気付くなんて展開があるが、そう考えると、俺と理子との間には、もはや越えられない、成層圏まで届くような高すぎる壁が立ち塞がってるのかもしれない。
「大丈夫です。それでも絶対に、箱根くんは理子さんに勝てますよ!」
「…………」
なんの確証もなく、言問はそう強く断言する。なんでそんなに根拠もなくユーキャン思考なの?ユー○ャンでもそうはいかないだろ。
俺が呆気にとられた表情で言問を見つめていると、言問は恥ずかしそうに頬をかいて「えへへー」と笑った。
「なんとなくですが、私には箱根くんが絶対に勝つだろうっていう、確信に近い予感があるのです。私の勝手な妄想を押し付けてしまって、それをプレッシャーに感じてしまったら大変申し訳ありませんが、箱根くんは絶対勝つって、私はそう信じています」
「……なんだよそれ。絶対とか確信とか言っときながら、なんとなくとか予感って、矛盾してんじゃねぇか。そんなものより、自分の実力の方がよっぽど信頼できるね。……ありがとな、自信ついたよ」
屈託のない言問の笑顔に俺は気恥ずかしさを感じ、視線を逸らしてボソボソとそう答えた。
「ふふ、箱根くんツンデレですね」
「う、うるせぇバカ」
そう言って俺の手を握ってくる言問を振りほどこうとするフリをして、俺達は学校へ向かった。
※
「ふふふ、遅かったわね、箱根」
教室へ入ると、理子がラスボス然とした不遜な態度で俺の椅子に足を組んで座っていた。おいおいスカートで足組んでるからパンツが見えそうだぞ。
まあコイツの下着姿を見たとしても、別に何とも思わないけどな。
「目と目が合ったわね。だったらやることは一つ、問題バトルよ!」
まるでポケ○ントレーナーみたいなことを言い出して理子は俺に問いを投げ掛ける。言ってることは短パン小僧だが、この人リーグチャンピオンですよ。
「……問題。1600年、徳川家康を総大将とする東軍と毛利輝元を総大将とする西軍との間で繰り広げられた戦いは何か」
「……なんだずいぶんと簡単な問題だな」
理子は何とも言わず、答えをどうぞ?と急かすような視線でこちらをじっと見る。
あー、この感じ、親父との特訓を思い出すな。くっ、またフラッシュバックが。
こんな回想ならば目の前の理子を想起させたいと思いつつ俺は答える。
「……関ヶ原の戦い」
「正解、天下分け目の戦いね」
あっさりと理子は答えた。天下分け目の戦いね……この勝負で買った方こそが天下一だという理子の宣戦布告だろうか。
「……じゃあ、その関ヶ原の戦いに参加していたと言われる、巌流島の戦いで佐々木小次郎を破った剣術家は誰か」
ラッパーがリリックを返す様に、今度はこちらから問題を出す。
「宮本武蔵ね」
それを息を吐くように理子は答えた。
「そうだ、ちなみに宮本武蔵は通説では西軍、つまり敗れた側にいたと言われているが、歴史に名を残す大剣豪となった。前回のテストでは俺の負けだったが、今回は絶対に勝つ。負けたことをいつまでも引きずっていたら、勝者、宮本武蔵のような大剣豪にはなれないからだ」
理子は不敵に両の口角を上げた。まるで品定めをするような目で俺を一瞥して、それじゃあもう一問と、人差し指を立てて言う。
「……そうね、いい心掛けよ。では、「宮本武蔵」などの代表作がある小説家、吉川英治が座右の銘としていた言葉は何でしょう?」
吉川英治。『宮本武蔵』や『三国志』といった作品を書いた時代小説、歴史小説家だが、
「……朝の来ない夜はない、だよな」
「そう、正解。まあ、テストに出るような問題ではないでしょうけど」
理子はそう言うと俺の席から立ち、隣の自分の机から本を取り出す。ブックカバーのされていないその本には「時をかける少女」とあった。おいおい、そこは吉川英治を出せよ。
「いい言葉よね。誰にだって、辛くて苦しい時期はある。だけどそれもいつか終わって幸せが巡ってくる。たまに日の出が遅い日や、常夜の一日なんかもあったりするけど、いつかきっと、日はまた昇る」
理子は本をパラパラとめくり流し読み、しかめ面を浮かべる。いやだからそこは吉川英治を読めよ。
「……今日、朝がくるといいわね」
そう言って、理子はパタンと本を閉じた。
※
テスト前には自習時間がある。だがここでの勉強が点数に与える影響なんて微々たるものだ。
それでも俺は教科書とにらめっこしながらペンを走らせる。そうでもしないと緊張でどうにかなってしまいそうだからだ。
が、どれだけペンを動かそうとも緊張が和らぐ事はない。どうしよう、本当に緊張がマッハでヤバス=ヤバス。ここは、ちょっとトイレにでも行って落ち着こうか。
そうして俺はトイレで用を足し、教室へ戻る帰り道。積み重なった書類を重そうに運ぶ十川先生を見つけた。
「……半分持ちましょうか?先生」
「ん、ああ。誰かと思えば妙本か。あー、気持ちはありがたいが、テスト問題を生徒に手渡すわけにはいかないからな。私が持っていくよ」
そう言うと十川先生は小走りに「えっほえっほ」と口ずさむ。本当に、本人に自覚はないんだろうがこういうあざとい所があるよな。
「それにしてもお前は変わったな。妙本」
「……そうっすかね?」
突如十川先生は懐かしむように言う。
「ああ、昔のお前は死んだ魚の様な目をして友人関係を無駄な物だと一蹴していた根暗なぼっちだったが、今ではちゃんと気配りの出来る優男って感じだ。それに今回のテストの結果次第では彼女が出来るそうじゃないか。羨ましいな、爆発しろ」
いや、酷くないすかね、色々と。
「……俺、彼女の事とか先生に言いましたっけ?」
「え?あ……そ、それはだな!あれだ、妙本がこの前相談に来たろう?私のアドバイスがあったからには告白は成功してるだろうと思ってな。それに勉強か恋人かみたいな話をしてただろう?」
「……その話しましたっけ、僕」
全くもって記憶がない。先生から有難い言葉を宣った事は覚えているのだが……まあ、あれだ。ピークエンド効果みたいなやつだろうな、知らんけど。俺はそう自分に言い聞かせた。
「と、ところでだ!妙本、テスト勉強はどうかね?いや、もはや聞くまでもないかな?」
「そうですね。今回はいつも以上に気合いを入れて参りました」
「ほう、それは頼もしいな。……本来、教師というのは誰かに肩入れしたりするような事はないし、これはそういうものではないという断りを入れておくが、……期待してるぞ、頑張ってね?」
「……へ、へい?が、頑張ります」
「うむ、よろしい!」
先生は微塵も年の差なんて感じさせない、無邪気な笑顔をこちらへ向けて言った。
……何故か、懐かしいような不思議な気持ちが俺の心を覆った。気付けば緊張も吹き飛んでいた。
「ほら、ボーッと突っ立ってないで、早く教室へ戻れ。もし遅刻でもしたら、今までの努力が全部水の泡だぞ」
「は、はい」
ふと我に返った俺は、十川先生に急かされて教室へと向かった。
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