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鬼と椿と猫
しおりを挟む鬼の家は静かな竹林に囲まれた、平屋の日本家屋だ。
二人だけの家ではなく、鬼の配下達が共に暮らして身の回りの世話をする。
掃除の猫又軍団。ろくろ首の庭師。どうしても赤飯を作ってしまう料理人小豆あらい。他にも鬼の為に働く妖怪だらけだ。
「千夜さまぁ。千夜さまの御召し物です。いい匂いですよー」
猫又軍団の『ハチワレ』が二足歩行で歩き、前脚だった手で千夜の着物を運ぶ。
天気の良い日だと洗濯物に彼らの毛がもれなく付いてくる。
「これっハチワレ!!千夜様の御召し物が毛だらけではないか!何度注意してもなおらんな」
「トラ様!!!御勘弁ーっ!」
サッと洗濯物を置き、ハチワレは踊りながら去って行く。猫又軍団の猫達は困ると踊って誤魔化す。『トラ』と呼ばれる猫は猫又軍団の上司であり、踊りの師匠なのだとか。
「トラさん、何か用事?」
「姫様、親方様がお呼びです。裏の庭園に来て欲しいとの事です。
まったくあんなジメジメした庭の何処が良いのやら」
トラさんを撫でるとゴロゴロと喉を鳴らした。
お礼に煮干しを与え、着物の毛を取ってもらう約束をして庭園へと向かう。
鬼と共に暮らすようになってから、配下の妖怪達は千夜の事を『姫様』『お嫁様』などと呼ぶ。
ハチワレと、滅多に姿を見せない座敷童は千夜と名前で呼んでくれる。
慣れた廊下を歩き、縁側から下駄を履いて裏庭を目指す。平屋と言っても普通の家ではなく、大名屋敷のような造りで家の中を歩き回るのも苦労する。
裏庭も同様で、枯山水の横を通り過ぎ竹林を進んだ先にあるので距離がある。
竹林から犬柘植、山茶花の前を過ぎれば裏庭だ。
「来たか、千夜。待っていたんだ」
濃紺の浴衣を着た鬼が差し出した手を取り、横を歩く。
下駄で歩く事に慣れない千夜の足取りに、鬼はゆっくりと歩幅を合わせる。
「見てくれ、綺麗に咲いただろう」
見事に咲いている椿を鬼は一本手折り千夜に渡す。
手の平に収まる椿の花弁は艶やかで、朝露を纏って宝石のように輝いていた。
「とても綺麗、帰って部屋に飾るわ」
千夜は花弁が傷付かないように、そっとハンカチの上にのせた。
「千夜から名前を貰ってから、いつ咲くのか楽しみだった。毎日通って、咲いたら一緒に見たいとずっと思ってたんだ」
毎日通っていたのかと千夜は驚いたが、鬼の嬉しそうな顔に言葉が出なかった。
「……朝は冷えるのに、風邪をひいたらどうするの」
気恥ずかしくなってしまい、可愛げのない言葉を言ってしまう。
鬼は千夜の空いた方の手を握り、口許を緩ませた。
「手を繋いで帰ればいい。この為に千夜に来てもらったのだからな」
じんわりと伝わる熱に、思わず顔を俯かせる。
鬼の元に来てから大切にされている事が十分に伝わってくる。鬼の配下である妖怪達も親しみ深く千夜に良くしてくれていた。
人の身で、異界の物の怪と暮らす事なんて考えていなかった。
良くて鎖で繋がれて、悪くて喰われて終わり。
優しく手を握られる事なんて想像した事もない。
「……どうして」
自分は鬼を含め妖怪を嫌いになれないのか。
彼らを嫌いになれれば家に自分の居場所はあったはずなのに。
「千夜、冷えてきたから屋敷に帰ろう。もう朝食の用意が終わっている頃だ」
鬼と並んで屋敷に帰る途中、落ちた椿の花が目に入る。
誰かが、落ちた椿は人の首のようで縁起が悪いと言っていた。
「千夜?」
鬼の声に千夜が我に返って手を強く握る。
落ちた椿の花に不安を感じ、鬼の首を見てしまう。
「椿、離れないでね」
愛せない自分の精一杯の願いを込めて。
「千夜の傍が俺の居場所。離れるなんて想像しただけで苦しいよ」
優しい口付けに罪悪感が募る。
己を知らない自分に鬼を愛せるのか。
千夜は鬼との呪に結末ばかりを求めてしまう。
最期は喰われるか、鬼を滅ぼすのか。
ポツリと降り出した雨に鬼の濃紺の浴衣が黒く染まる。
終幕は、彼の手で。
千夜は降り出した雨の幕に、二人の姿を確かに感じていた。
ハチワレが二人の傘を慌てて持ってきたが、自分の傘を忘れた事に気付き尻尾をだらりと垂れ下げる。
「……しょうがない。ハチワレは俺が運ぼう」
鬼が名残惜しげに千夜の手を離すと、ハチワレを抱きあげる。ゴロゴロと喉を鳴らしてハチワレが丸くなった。
「さあ、帰ろう。みんな待っている」
千夜は小さく頷いて、鬼と並んで屋敷に帰った。
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