勇者の逃亡

刄拔ゆい

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逃亡日誌17

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 僕とシルヴィアはシアマレーに向かって歩き始めた。
 街道は、地獄の入り口のように不吉を孕んでいた。
 いや、実際、その先には魔界が物理的に繋がっているのだろう。獣人たちはそこから現れたはずだ。
「ギルドの話では、勿論、シアマレーを奪還する計画を立てていると話していた、私も参加したかったが、各国に聖騎士と賢者の要請をしたらしい、私は追放された身として、彼らと肩を並べる訳にはいかなかった」
 そう語るシルヴィアは少し悔しそうだった。
「シアマレーの奪還と、残された人々の救出、計画には目的が二つある、私は、後者を陰ながら遂行しようと思っている」
 僕はどうするべきなのか。シルヴィアのようには決意を抱けなかった。
「人語が話せる獣人がいたな、気づいたか? 獣人は、力ある素材を食べると、その力を吸収して変質する、今回の場合、おそらく、シアマレーの戦士を食べて、あれだけの力と、私たちの言語を習得したんだ、この辺りに徘徊してくるということは、下っ端も下っ端だ、ボス級は、計り知れないくらい、強くなっているかもしれない」
 シルヴィアは片目を包帯で覆っていた。
 綺麗な銀髪が、風にそよいだ。
 騎士には勲章なのかもしれない、その傷は、でも、女性には似つかわしくない姿だと、僕は思ってしまった。
 失明しなかったとはいえ、傷の癒えないこの状態で、まともに戦えるとは思えなかった。
「……僕も、手伝うよ」
「本当か? いいのか? 大賢者様は?」
 本当は、勇者の僕が率先してシアマレーも救出しなければならなかったはずだ。だけど、世界は武力の要となる勇者を失った。紛れもなく僕の責任で。
 僕は、世界の惨状を知らなかった。シルヴィアはきっと、冒険者として、世界を本当に救おうと、自分の力量の中で、信念の中で戦ってきたのだと思う。
 獣人が、あれだけ純粋な殺意を抱いて僕らを苦しめていたなんて、僕は知る由もなかった。
 僕は机上で勉強して、捕らえられた泣き叫び助けを乞う魔人と、たった一度の戦場で対峙した魔人しか、知らなかった。
 それで全てだと思っていた。人間同士の戦争の歴史を繰り返しているだけなんだって。
 魔の驚異に対して、人々が戦争を中断して、手を取り合って戦ってきたこのもう一つの歴史を、僕は軽んじていた。
「戦士は、もう全員食べられたと考えた方がいい、女子供は、おそらく、残されている、獣人たちにとって、力のないものは何の糧にもならないからだ、ただ、人を食うことで、殺す快楽をも得たかもしれない、そう考えると人も醜い生き物だ、意味もなく快楽だけで他者を殺すのだから」
「シルヴィア」
「ああ、私も気がついた」
 正面に斧を両手に持った獣人が立っていた。そちらに意識を向けたかったのだろう。僕らの両側面から剣を振りかざした獣人を、僕とシルヴィアは飛び上がり躱した。
 シルヴィアの一撃一撃は、何度見ても慈愛に溢れていた。僕には無理だ。
 僕は急所に迫った剣を素手で破壊して、獣人の脇腹に蹴りを入れた。
 脇腹の鎧は砕け散り、血を吐いて獣人は転げ回った。
 僕は攻撃を躊躇わないことにした。獣人に対しては。
 僕の素手の一撃なら、獣人は深手を負っても、死ななかったからだ。
 シルヴィアとは違う、愛のない一方的な暴力だ。それでも、僕はシルヴィアの真似がしたかった。殺さないで、一時的にでも僕を驚異に感じてくれれば、それでいい。大賢者様に会うまでは、それで少しでも凌げればいい。
 斧を持った獣人が僕とシルヴィアに斬り掛かった、図体からは想像できないくらい速い攻撃だった。
 それを剣で受けたシルヴィアがその衝撃で後ろに倒れ込んだ。当たり前だ、あの傷で、本調子が出せる訳がない。
 僕は両の斧を蹴りで破壊して、獣人の腹に拳を入れた。獣人はうずくまって唸りを上げた。
「シルヴィア」
 シルヴィアは僕の手を取った。
「すまない」
「よく考えたら、真正面からシアマレーに行こうとしてるのおかしいよ、迂回しながら、隙きを見て忍び込もう」
「それはダメだ、聖騎士として、正々堂々と真正面から勝負したい、その想いこそが、相手に伝わるんだ」
 僕は傷が開いて血が滲んできたシルヴィアの手を強引に引っ張って、迂回ルートを模索しながらシアマレーを目指した。
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