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1話 プロローグ 兄妹と幼馴染

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 高校三年生だった時のことを、あたしはよく思い出す……

 あの年に、あたし達の関係は全て変わってしまった。

 そう、あれは、まだあたし達がただの兄妹だった頃の話――

   ◇ 

「お兄ちゃん、おやよー」

 リビングで朝食を食べていると妹が起きて来た。

「ああ、おはよう、和音かずね

「いつも、あたしのために朝食を作ってくれるなんて、いい旦那ですな」

「……いつから俺がお前の旦那になったんだよ」

「えー、二人きりの家族なんだし。夫婦みたいなものでしょ」

 両親は二人とも亡くなっていて、この大きな家に住んでいるのは俺達二人だけだった。

「――それは発想が飛躍しすぎてないか?」

「そんなことないって」


「それで、今日の和音の予定は?」

「ふふ、今日はお兄ちゃんを尾行しようと思ってるんだぁ」

 妹は自他共に認められているブラコンだった。

「……それって、俺に言ったら意味なくないか?」

「敢えて、宣言して足取りを辿ることに意味があるんだよ」

「そ、そうなのか?」

「だって……、お兄ちゃんにあたしを意識してもらわないと意味がないでしょ」

「またそう言って、俺を惑わすつもりなんだろ――」

 俺を誘惑してくる、この妹……

 実は容姿がめちゃくちゃ可愛いかったりする。

 そんなの身内びいきだろって?

 当然、そう思うだろうが、そんなことはない。

 その証拠として、学校でも結構な頻度で告白されているらしい。

 そして――

 それら全ての告白を断り。

 一途に俺のことを好きだと言ってくれている。

 いや、これで好きになるなとかいう方が無理なんだが……

 しかし、俺達の前にはたった一つだけ、とてつもなく大きな困難が立ち塞がっている。

 それは兄妹では結婚ができないということだった――

「惑わすだなんてひどいなぁ。あたしはお兄ちゃんとずっと一緒に居たいだけなのに……」

 実妹が可愛すぎる――

 俺は心の中で苦笑いした。

「いきなり重すぎるんだが……」

 そして、俺は敢えて反対の言葉を妹のために口にする。

「重いって何? お兄ちゃんは重い女は嫌いなの?」

「いや、嫌いってわけじゃないけど――」

「ふーん、いやじゃないならいいじゃん。あたしはあたしの全てをお兄ちゃんにぶつけてるだけ、お兄ちゃんがどう思おうとね」

 むくれた後に真剣な顔をする和音もかわいい。

「家族という離れられない関係の中で言いたい放題だな……」

「それはお兄ちゃんが悪いんだよ。こんなにお兄ちゃんのことを好きにさせたのは、お兄ちゃんなんだから――」

「ま、まあ、振り返ってみたら、俺に非がないとは言えないか……。散々、かわいい、かわいい、結婚したい、結婚しよって言ってきたしな――」

 昔は半分冗談、半分本気でそんなことを言っていた。

 今はとても言えないが……

「そうだよ。そんな風にずっと言われてきて、いざその気になったら、距離を置かれ始めたあたしの気持ちがお兄ちゃんにわかる? わからないよね」

「そう言われると頭が上がらないな――」

「ま、それも含めて……、あたしはお兄ちゃんのことを愛してるんだけどね」

「――そこまで行くと、兄妹愛の域を超えてない?」

 怒った後の急なツンデレ。

 もう、俺の好きな属性を全部持ってるよ、お前は……

「それはそれとして――。お兄ちゃん、今日はどこに行く予定なの?」

「まあ、彼女と遊園地でデートする予定だけど」

「じゃあ、とりあえず、そいつを殺すところからが一日の始まりだね」

「ニッコリ笑顔で物騒なこと言うなよ!? こえーだろーが!! ――というか、お前がよく知ってる相手だよ」

新稲にいなさんでしょ。隣の家に住んでて幼馴染の……」

「よくわかったな」

 この家には俺が小学生になる直前に引っ越をして来た。

 その時以来、俺達と仲良くしてくれているのが幼馴染の新稲だった。
 
「お兄ちゃんの交流関係は全て把握してるから」

「もしかして、俺、毎日尾行されてる?」

「――というわけで、隣の家に行って来るね」

「しれっと殺意むき出しで行こうとするな!!」

「どうして? 家が隣というだけでお兄ちゃんと距離感ゼロで接し続けてる性悪女でしょ? いい加減わからせてあげないとと思ってたところなのに」

「だから、その発想が既にヤバイんだって。俺は大事な妹を犯罪者にしたくないんだよ」

 これは割とマジでそう思っている。

「大事な妹……。ま、まあ、そこまで言われたら引き下がらないでもないけど――。で、ホントは新稲ちゃんとどんな用事なの?」

「ああ、ちょっとスーパーに買い出しに行くだけだよ」

 冗談で言ったつもりが、とんだ話になってしまった。

「うん、知ってた」

「知ってて、あそこまで話を広げたのかよ!?」

「だって、買い出しだけだったとしても、新稲さんにお兄ちゃんを取られたくないんだもん……」

「はぁ、妹が可愛すぎるのも考え物だな。何でも許しそうになる――」

「え、別にいいじゃん。かわいい妹のことは何でも許すべきなんだよ」

「俺に対する遠慮は全くないがな」

「だって、お兄ちゃんだから。お兄ちゃんだけだよ。人見知りのあたしが自分の全てをさらけ出せる相手は……」

 俺に対してはこんなだが、意外に和音は人見知りだったりする。

「そうだよな。だから、俺もお前のことが――」

「……お前のことが?」

「いや、何でもない――」

 危なく口を滑らすところだった。

「……やっぱり、お兄ちゃんはお兄ちゃんだね」

「何だよ、それ――」

   ◇

「相変わらず、お兄ちゃん子なんだね、和音ちゃんは――」

 和音がついて来ていることに、新稲も気づいてるようだ。

「お兄ちゃん子でくくれるお前も凄いな」

「そう?」

「新稲は癒し枠だから、そのままでいてくれよ」

 新稲の笑顔に俺は何度も癒されてきた。

しゅんがそう望むなら、私はこのままでいるよ」

「ああ、頼む」

「だけど、このままだと。私って、負けヒロイン確定なんだよね……」

「ん、何か言ったか?」

「ううん、何でもない」

「それはそうと、いつも夕飯を作りに来てくれてありがとな」

 新稲はよく家に夕食を作りに来てくれている。

「いつも言ってることだけど、別にお礼なんていいよ。私は二人のお母さんにお願いされたことを、ただ守ってるだけだから――」

「病気持ちで心配性だった母さんが、ずっと新稲にそうお願いしてたもんな……。でも、それが呪いの言葉になったら嫌だから、しんどくなったらいつでも言ってくれよ。いい加減、自分のことは自分でできるからさ」

 母さんは俺が中学一年生の時に亡くなった――

 そんな中、絶望の淵にいた和音と俺を心配して、まだ新稲自身も中学生だったのに、身の回りのことを色々と手伝ってくれた。

 その恩を俺は一生忘れることはないだろう……

 だからこそ、母親の言葉が新稲を縛るなんてことにならないようにと、俺は思い続けていた。

「うん、それもわかってる。でも、大丈夫、私が二人にしてあげたくてやってることだしね」

「そっか、ならいいんだけど――。ちなみに、今日は何を作る予定なんだ? 俺にも手伝えることあるか?」

「金曜日だからカレーにする。土日に予定が入ってるから作りにいけないけど、たくさん作っておけば、いつでも食べられるでしょ。瞬に手伝ってもらいたいことかぁ……、ジャガイモの皮むきとか大変だから、それだけでも手伝ってもらえると助かるかも」

「了解。それにしても、そこまで考えてくれてるとか、さすが幼馴染だな――」

「何年の付き合いだと思ってるのよ。瞬の行動はお見通しなんだから。土日は受験生の和音ちゃんの勉強をずっと見ててあげるんだよね」

「俺は新稲にも行動パターンを読まれてるのか……」

 単純な人間なんだな、俺って――


「新稲さんのカレー、ホントに好き」

「そう言ってくれると作り甲斐があるよ」

「ふふ」

「……新稲の前では仲いいよな」

「何か言った?」

「何も」

 まあ、新稲のカレーが好きなのは本当みたいだけど。

「和音ちゃん、もうすぐセンター試験だね。――勉強の調子はどうなの?」

「うん、過去問題やってる感触だと大丈夫そう。ここまでできるようになったのは、新稲さんとお兄ちゃんのお陰だと思ってるよ」

「嬉しいこと言ってくれるね……。私には兄妹がいないから、和音ちゃんのこと、本当の妹のように思ってるからさ」

「だよな――」

「ありがとう……」


「じゃあ、和音ちゃんのことよろしくね」

「ああ」

 ガチャ! 

 新稲を送って、家の中に戻ると和音が俯いていた。

「――罪悪感、か?」

「別に……、お兄ちゃんにああ言ったのは冗談だし――」

「わかってるよ」

 そう言って、僕は和音の頭をポンポンした。

「嫉妬なの……」

「え?」

「お兄ちゃんと新稲さんが、あまりにもお似合いだから――」

「別に、そんなことないだろ……」

「そんなことあるよ!! 気がついてないのはお兄ちゃんだけで、二人の知り合いや友達は、みんなそう言っているんだから!! 優しくて可愛くて料理もできてお兄ちゃんのことが大好きで、お母さんのお願いも健気に守ろうとしてくれて、あたしのことまで気にかけてくれて!! そんなの、そんなの――、あたし、絶対に敵わないじゃん……」

「和音の言いたいことはわかるよ。俺自身、俺にはもったいない幼馴染だと思ってるから――。でもさ、それでも俺は、その幼馴染以上にお前のことを大切だと想ってるんだからな」

「う、うん……。それは何回も聞いてる……」

「お前が俺以上に大切な人を作れないというのなら、俺はいつまでも和音の傍にいるから――。だから、そんな辛そうな顔して泣くなよ」

「うん、ありがとう……。でも――、ちょっとだけ、このままお兄ちゃんの胸を借りててもいい?」

「ああ」

 その後、和音は目が腫れ上がるまで、俺の胸に顔をうずめて泣き続けていた――

   ◇

「ああは言ったけど、ここまでくるとちょっとじゃないだろ……」

「そうかな? 兄妹なんだし、向かい合って一緒にベッドで寝るくらい普通だよね」

 涙が止まった後――

 あたしはお兄ちゃんのベッドまでついて来ることに成功していた。

「いや、絶対に普通じゃないと思うぞ。それと、こういう時だけ兄妹を強調するのはズルくないか?」

「え、何のこと?」

「絶対に確信犯だろ……」

「ねえ、ねえ。お兄ちゃんでも、あたしに抱きつかれてドキドキするの?」

「ぐっ……。正直、ちょっとはするな」

「やったー、じゃあ、あたしの作戦は成功したんだね」

「全部作戦だったのかよ!?」

「うん。あたしは、いつでも考えてるよ。どうすれば、お兄ちゃんとの距離を縮められるんだろうかってことをね――」

「あ、そういう意味な……」

「ふふ、いいよ、そんな無理に神妙な顔しなくても」

 あたしが想いを心の内に留めておけないだけであって、お兄ちゃんを苦しませたいわけではない。

「いや、そういうわけじゃないんだ。このまま沼っていったら、いつか取り返しがつかないことをしてしまいそうだなぁって思ってさ――」

「…………取り返しのつかないことって、具体的にはどういうこと?」

「わかってて言ってるだろ――」

「まあ、性に疎いあたしでも、さすがにそこまで純情じゃないよ」

「……どこまで知ってるんだ?」

「え、どうしたの? お兄ちゃん、急に真剣な顔になって――」

「別にただ気になっただけだよ。妹がどこまでそういうことを知ってるのかってな――」

「それは……」

「――それは?」

「秘密……」

 そんなの好きな人の目の前で言えないよ!!

 お兄ちゃんのバカ!!

「ま、まあ、そうだよな。何か、変なこと聞いて恥ずかしくなってきたよ――」

「そ、そうだよ。妹に何言わせようとしてるのよ」

「だな……」

 お兄ちゃん……

 あたしがどれくらいまでのことを知ってるのかが、気になったってことだよね――

「でも……。あたし、お兄ちゃんとだったら、そういうことしてもいいと思ってるよ」

「なっ?!」

「冗談、冗談だよ!! し、信じちゃった?」

 お兄ちゃんの反応に驚き、あたしは思わず逃げてしまった。

「ん、んなわけないだろ」

「だ、だよね……。あたしも何だか恥ずかしくなっちゃったから、もう背中向くね――」

「ああ、その方がいいと思う……」

「………………」
「………………」

 背中越しに接してるだけなのに、お兄ちゃんの心臓の鼓動があたしの身体にまで響き渡っている。

 お兄ちゃんの心臓の音、すごくドクンドクンってしてる……

 でも、それってつまり――

 あたしがドキドキしている心臓の音も、お兄ちゃんに伝わってるってことだよね……

   ◇

「はぁ、やっと、センター試験が終わったよ」

「お疲れ様。――試験は大丈夫そうだったか?」

 お兄ちゃんは試験会場まで、あたしを迎えに来てくれていた。

「うん、手ごたえはあったよ」

「そっか、ならよかった」

「だけど……」

「……どうした? その割には元気なさそうだけど?」

「ご、ご褒美がほしい――」

「え?」

「お兄ちゃんからの頑張ったご褒美がほしいって言ったの!! そしたら、次の本試験まで頑張れるから……」

「ご褒美って――、夕食はレストランに行く予定してたけど、それとは違うってことだよな……」

「もちろん、お兄ちゃんと二人きりの食事も嬉しいけど、そういうのじゃなくて――」

「ぐ、具体的には何をしてほしいんだ……」

「た、たとえば――。キ、キスとか……」

「なっ!?」

 遂に言ってしまった。

「……ダメ?」

「兄妹なんだから……、普通にダメだろ――」

「だよね……」

「ま、まあ、おでこにキスするくらいならいいけどな――」

「え、それならいいの!?」

 お兄ちゃんから予想外の答えが返ってきた。

「ああ、それくらいなら家族でもするだろ?」

「――言われてみればそうだね。じゃ、じゃあ、お願いします」

「かしこまられると、恥ずいんだが……」

「ご、ごめん……。と、取り敢えず、人目のない場所に移動しよっか――」

「そ、そうだな……」

 お兄ちゃんも緊張しているのか、 あたし達はぎこちない動きをしながら、路地裏へと移動した。


「じゃあ、するぞ――」

「うん、して……」

 ちゅっ!

 おでこにお兄ちゃんの唇が触れた瞬間――

「んっ」

 思わず、あたしは変な声を出してしまった。

「うっ……」

 ちゅっ! ちゅっ!

「ふぁっ?!」

「はい、終わり――」

「さ、三回した!? 今、三回したよね!! 何で?! 何で?! 心臓が飛び出るかと思うくらいビックリしちゃったんだけど!?」

「か、和音が変な声出すから――、一瞬理性が飛んじゃったんだよ……」

「そ、そっか、理性が飛んじゃったなら、仕方ないね……」

「ああ、仕方がなかったんだ……」

 あたし達、何を言い合ってるんだろう――

「やっぱり、子どもの頃にしたほっぺたへのキスとは違ったね……」

「違ったな……」

 あの頃のキスには、兄妹の愛情表現以上の意味はなかった。

 だけど、今回のキスには――


「何にしても、これで本試験まで頑張れそうだよ。ありがとね、お兄ちゃん……」

 気持ちが落ち着いてきたところで、あたしはお兄ちゃんに改めて感謝を伝えた。

「――なら、よかったよ」

「それで、本試験に受かったら……、次はどんなご褒美をくれるの?」

「うっ――。ま、まあ、その時までには考えておくよ――」

「あー、絶対だよ。今の耳に録音したからね」

「……口が滑ったかもしれない」

「当然、おでこにキス以上のご褒美だよ」

「あ、ああ……」

 今後のことを考えて苦悶しているお兄ちゃんの表情とは対照的に、あたしの心は晴れ渡っていた。

 センター試験の直後で疲れ果てていたはずなのに――

 お兄ちゃんからのキスによって、あたしの身体は魔法にかかったかのように軽くなっていた。


 思えば、この時が一番、楽しかったのかもしれない……

 もし、あの時、あたしが過去を振り返っていなければ、あんなことには――
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