94 / 140
新人魔導師、3回目の発掘調査に参加する
6月29日、課題提出日
しおりを挟む
天音が課題を提出したのは、提出期限ぴったりの2日後のことだ。そのころ由紀奈は外でひたすら飛んでは降り、飛んでは降りを繰り返していた。食堂の窓から疲れきった顔をしているのが見えるので、論文どころではないだろう。
課題を捲りながら、雅は軽く頷き、白衣の胸ポケットから出した判を右上の空いたスペースに押した。雅らしいピンク色をしている。
「よくやった」
短い言葉だが、それが彼女の中では最上級の誉め言葉であると知ったので、天音は嬉しくなった。
「ありがとうございます!」
「これなら魔導文字についてわかるようになったじゃろう。論文を理解する時間も早くなってきたな」
言われてみれば、初めてきちんとした論文を読んだときは理解するのに10日かかった。それも、朝から晩まで読み込んで、だ。しかし、2日で論文を読んで要約し、意見まで纏められるようになった。成長を感じる。
「それで? 魔導文字の発音は復活させられそうか?」
挑戦的な笑みを浮かべる雅に、天音は何も返すことができない。何せ、「わからない」が正解だったのだから。
「う、それは……」
「こら雅、後輩が可愛いからと言って虐めてはいけませんよ」
「ふん、可愛いからではないわ」
食堂に入ってきたのは、穏やかな笑みを浮かべた零だった。由紀奈の飛行訓練の指導をしていたらしい彼は、珍しくうっすらと汗をかいていた。水分補給に来たのだと言う。
「由紀奈はどうじゃ?」
「急降下が苦手なようですね」
「それで何回も手本として飛ばされたのか」
「ええ、まあ。今日だけで30回はやりましたね」
どおりで汗ばんでいるはずだ。並の魔導師なら魔力切れを起こしていてもおかしくないが、彼にかかれば少し疲れる程度で済んでしまうらしい。
「そうそう、魔導文字の発音と聞こえましたが、どうかしましたか?」
「話している暇はあるのか」
「今は夏希に交代しましたので」
冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出して、キャップを開けている。いつもの定位置に座って、しっかり休む体勢になった零を見て、雅はあとは任せるとばかりに行ってしまった。
「ええと……所長と副所長の論文を読みまして、魔導文字の発音について調べていたんです。発音が復活させられれば、他の方も魔法を使えるようになるのではないか、と思いまして……」
「なるほど、そういうことでしたか。それで? どういう結論になりましたか?」
揶揄う、というよりは、天音の意見を聞くのを楽しみにしているような表情だった。その顔が意外にも幼くて、少し驚く。
「現代の言葉よりは古代語に近い……というのが私の結論です。さらに言うと、口語体ではなく文語体として残されているのではないかと考えました。残された資料は研究日誌や今で言う教科書のようなものがほとんどです。すなわち、会話で使われるような砕けた言葉遣いではなく、正確な表記がされていると考えます。呪文はいわば口語体、ゆえに残されていないのではないでしょうか。加えて、文字の形からして、筆記体のようなものが書きやすさから残され、楷書体が見つかっていない、あるいは廃れた可能性があるとも考えました。ただ、いずれにせよ、発音方法がわかるような資料は見つかっていないため、特定は不可能だと書きました」
天音の意見を聞き、零は満足げに頷いた。パチパチと拍手をしている。その姿がデスゲームの支配人に見えなくもなくて、夏希の表現の正確さに笑いそうになった。
「よくあれだけの資料でそこまで行きつきましたね」
「いえ……私だけではできなかったと思います。ヒントをくださったのは副所長ですし」
以前の夏希の話を思い出し、筆記体という案が出てきたのだ。自分1人の力ではないと否定する。
「けれど、それを覚えていて、活用したのは貴女でしょう。それに加え、以前よりずっと、自ら考え行動することが増えた。僕はそれも評価したいですね」
「それは……そう、かもしれません」
言われたことを完璧にやるのではなく、出された課題に対して考え、最良の結果を出す。今の天音は、そのように変化していた。
「わからない、が正解でもいいと、初めて知ったんです」
「確かに、学校ではそんなことはないかもしれませんね」
「はい」
数学でも国語でも。いつだって答えが用意されていて、それを出せばいいだけだった。けれど、研究は違う。まだわからないことも、今正解とされていることが変わることもある。
「前まではそれが不確かなようで嫌な気持ちもあったんです。でも、今は、もし自分が証拠を見つけたら、新しい資料を見つけたらって思うようになりました。そうしたら、調べていくこと自体が、とても楽しくなっていったんです」
「……そうですか。それはよいことです」
零の表情が普段よりも柔らかい。つられて天音も笑顔になった。食堂には、2人の笑い声が響いていた。
それを破ったのは夏希の声だった。
「つっかれた……もう50回は飛んだぞ」
「夏希……」
「……ん? なんかいい雰囲気だったか? 邪魔して悪ぃな」
「そこは嫉妬するところでしょう!」
「別に心配してねぇよ」
先ほどの笑みは何処へ行ったのか、零は夏希の華奢な体にすがって泣きそうになっていた。
「お前のコト、信じてるからな」
ふ、と。夏希の表情が、声が、甘く穏やかなものに変化した。これは見たり聞いたりしてよかったのか、と天音はできるだけ意識しないようにして気配を殺した。
課題を捲りながら、雅は軽く頷き、白衣の胸ポケットから出した判を右上の空いたスペースに押した。雅らしいピンク色をしている。
「よくやった」
短い言葉だが、それが彼女の中では最上級の誉め言葉であると知ったので、天音は嬉しくなった。
「ありがとうございます!」
「これなら魔導文字についてわかるようになったじゃろう。論文を理解する時間も早くなってきたな」
言われてみれば、初めてきちんとした論文を読んだときは理解するのに10日かかった。それも、朝から晩まで読み込んで、だ。しかし、2日で論文を読んで要約し、意見まで纏められるようになった。成長を感じる。
「それで? 魔導文字の発音は復活させられそうか?」
挑戦的な笑みを浮かべる雅に、天音は何も返すことができない。何せ、「わからない」が正解だったのだから。
「う、それは……」
「こら雅、後輩が可愛いからと言って虐めてはいけませんよ」
「ふん、可愛いからではないわ」
食堂に入ってきたのは、穏やかな笑みを浮かべた零だった。由紀奈の飛行訓練の指導をしていたらしい彼は、珍しくうっすらと汗をかいていた。水分補給に来たのだと言う。
「由紀奈はどうじゃ?」
「急降下が苦手なようですね」
「それで何回も手本として飛ばされたのか」
「ええ、まあ。今日だけで30回はやりましたね」
どおりで汗ばんでいるはずだ。並の魔導師なら魔力切れを起こしていてもおかしくないが、彼にかかれば少し疲れる程度で済んでしまうらしい。
「そうそう、魔導文字の発音と聞こえましたが、どうかしましたか?」
「話している暇はあるのか」
「今は夏希に交代しましたので」
冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出して、キャップを開けている。いつもの定位置に座って、しっかり休む体勢になった零を見て、雅はあとは任せるとばかりに行ってしまった。
「ええと……所長と副所長の論文を読みまして、魔導文字の発音について調べていたんです。発音が復活させられれば、他の方も魔法を使えるようになるのではないか、と思いまして……」
「なるほど、そういうことでしたか。それで? どういう結論になりましたか?」
揶揄う、というよりは、天音の意見を聞くのを楽しみにしているような表情だった。その顔が意外にも幼くて、少し驚く。
「現代の言葉よりは古代語に近い……というのが私の結論です。さらに言うと、口語体ではなく文語体として残されているのではないかと考えました。残された資料は研究日誌や今で言う教科書のようなものがほとんどです。すなわち、会話で使われるような砕けた言葉遣いではなく、正確な表記がされていると考えます。呪文はいわば口語体、ゆえに残されていないのではないでしょうか。加えて、文字の形からして、筆記体のようなものが書きやすさから残され、楷書体が見つかっていない、あるいは廃れた可能性があるとも考えました。ただ、いずれにせよ、発音方法がわかるような資料は見つかっていないため、特定は不可能だと書きました」
天音の意見を聞き、零は満足げに頷いた。パチパチと拍手をしている。その姿がデスゲームの支配人に見えなくもなくて、夏希の表現の正確さに笑いそうになった。
「よくあれだけの資料でそこまで行きつきましたね」
「いえ……私だけではできなかったと思います。ヒントをくださったのは副所長ですし」
以前の夏希の話を思い出し、筆記体という案が出てきたのだ。自分1人の力ではないと否定する。
「けれど、それを覚えていて、活用したのは貴女でしょう。それに加え、以前よりずっと、自ら考え行動することが増えた。僕はそれも評価したいですね」
「それは……そう、かもしれません」
言われたことを完璧にやるのではなく、出された課題に対して考え、最良の結果を出す。今の天音は、そのように変化していた。
「わからない、が正解でもいいと、初めて知ったんです」
「確かに、学校ではそんなことはないかもしれませんね」
「はい」
数学でも国語でも。いつだって答えが用意されていて、それを出せばいいだけだった。けれど、研究は違う。まだわからないことも、今正解とされていることが変わることもある。
「前まではそれが不確かなようで嫌な気持ちもあったんです。でも、今は、もし自分が証拠を見つけたら、新しい資料を見つけたらって思うようになりました。そうしたら、調べていくこと自体が、とても楽しくなっていったんです」
「……そうですか。それはよいことです」
零の表情が普段よりも柔らかい。つられて天音も笑顔になった。食堂には、2人の笑い声が響いていた。
それを破ったのは夏希の声だった。
「つっかれた……もう50回は飛んだぞ」
「夏希……」
「……ん? なんかいい雰囲気だったか? 邪魔して悪ぃな」
「そこは嫉妬するところでしょう!」
「別に心配してねぇよ」
先ほどの笑みは何処へ行ったのか、零は夏希の華奢な体にすがって泣きそうになっていた。
「お前のコト、信じてるからな」
ふ、と。夏希の表情が、声が、甘く穏やかなものに変化した。これは見たり聞いたりしてよかったのか、と天音はできるだけ意識しないようにして気配を殺した。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。
魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。
それを見ていた貴族の青年が…。
異世界転生の話です。
のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。
※ 表紙は星影さんの作品です。
※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。
愛想を尽かした女と尽かされた男
火野村志紀
恋愛
※全16話となります。
「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
聖女の座を奪われてしまったけど、私が真の聖女だと思うので、第二の人生を始めたい! P.S.逆ハーがついてきました。
三月べに
恋愛
聖女の座を奪われてしまったけど、私が真の聖女だと思う。だって、高校時代まで若返っているのだもの。
帰れないだって? じゃあ、このまま第二の人生スタートしよう!
衣食住を確保してもらっている城で、魔法の勉強をしていたら、あらら?
何故、逆ハーが出来上がったの?
婚約破棄に全力感謝
あーもんど
恋愛
主人公の公爵家長女のルーナ・マルティネスはあるパーティーで婚約者の王太子殿下に婚約破棄と国外追放を言い渡されてしまう。でも、ルーナ自身は全く気にしてない様子....いや、むしろ大喜び!
婚約破棄?国外追放?喜んでお受けします。だって、もうこれで国のために“力”を使わなくて済むもの。
実はルーナは世界最強の魔導師で!?
ルーナが居なくなったことにより、国は滅びの一途を辿る!
「滅び行く国を遠目から眺めるのは大変面白いですね」
※色々な人達の目線から話は進んでいきます。
※HOT&恋愛&人気ランキング一位ありがとうございます(2019 9/18)
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
大好きな母と縁を切りました。
むう子
ファンタジー
7歳までは家族円満愛情たっぷりの幸せな家庭で育ったナーシャ。
領地争いで父が戦死。
それを聞いたお母様は寝込み支えてくれたカルノス・シャンドラに親子共々心を開き再婚。
けれど妹が生まれて義父からの虐待を受けることに。
毎日母を想い部屋に閉じこもるナーシャに2年後の政略結婚が決定した。
けれどこの婚約はとても酷いものだった。
そんな時、ナーシャの生まれる前に亡くなった父方のおばあさまと契約していた精霊と出会う。
そこで今までずっと近くに居てくれたメイドの裏切りを知り……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる