常初花に酔う

櫻霞 燐紅

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 車のヘッドライトに照らされて、光る何かが陽詩ひなたの足元に落ちて転がってきた。
 転がってきたソレは陽詩のつま先に当たって止まる。転がってきたモノがモノだったので、ソレをどうしたものかと、飛んできた方に目を向ければ、雪交じりの雨が降っているにも関わらず、立ち尽くす男と、その場を後にする女の後ろ姿が見えた。
 いわゆる、修羅場しゅらば、というものだろう。
 陽詩は、自分の足元に転がったままのソレを拾うと、去っていった女の方を見るわけでもなく、俯いたままの男に傘を傾け、差し出した。
「風邪、引きますよ?それに、コレ。大切な物なのでは?」
 自分でもなんでそんなことをしたのかはわからなかった。普段の彼女だったら関わることなく、その場を後にしたことだろう。面倒ごとは嫌いだった。
 ただの気まぐれか、陽詩にとってあまり好ましくない時期のせいか…。
 二人の横を何台かの車が通り過ぎていく。
 さて、どうしたものか…。
 反応のない相手を見つめたまま、陽詩は白い息を吐く。
 男の反応を待っている間に、雨は完全に雪へと変わり、陽詩の肩を濡らし、積もっていく。
 時折、通り過ぎる人が不審そうにこちらに視線を向けてくるが、この寒さのせいか、面倒ごとに関わるのが嫌だからか、或いはその両方か…。チラリと視線を向けはしても声を掛けてくることはなく、足早に二人のそばを通り過ぎて行く。
 自分は何をしているのだろう…。
 女に振られて茫然自失しているように見える男の横顔を見つめながら陽詩は改めて、そう思った。差し出したままの手は冷気に晒され赤くかじかんでいる。
 反応を待っている自分が馬鹿々々しくなって、陽詩はこちらを見向きもしない男の手をつかむと手に持ったままだったそれを無理やり握らせた。このままでは埒があかないし、自分も風邪を引いてしまいそうだった。
 その動きに初めて男の視線が陽詩に向けられる。
 男の顔を見て、ゾクリと陽詩の身体に震えが走った。
 今、初めて陽詩の存在に気付いたと言わんばかりのその顔には、自分を振った女への未練は微塵も感じられなかった。ただ、自分の思考に落ちていただけのように見えた。
 陽詩は自分を襲った震えは差し出していた自分の手よりも、男の手の方が冷たかったからだと思いたかった。
 だが、自分の中でもう一人の自分がそれを否定しているのもわかっていた。
「とりあえず、移動しません?」
 
 カランっと扉を開ける音に足元に向けていた視線を上げると、そこは落ち着いた雰囲気のバーのようだった。
 こじんまりとした、落ち着いたそこは、いかにも常連しか来なさそうな雰囲気が漂っていて、はるかは自分がここにいていいのか躊躇ためらった。そんな悠の躊躇いを感じ取ったのかどうかは分からないが、マスターと思われる男性が奥の席を示したので勧められるままそこに座れば、隣に先程の女性が座る。
「ねえ、ひーくん、タオルあったりしない?」
「ありますよ」
 苦笑を滲ませながら柊と呼ばれた男性は二人に断りを入れてバックヤードへ下がると、その手に2枚のハンドタオルを持って戻ってきた。
「ありがとう」
 女性は柊からタオルを受け取ると、濡れた髪や肩を拭き始めた。悠はそれで初めて女性が自分よりも濡れていることに気づいた。そういえばここに来るまでの間に彼女の肩に雪が積もっていたのを思い出す。
 肩よりも長い髪は含んだ水分で彼女の頬に張り付き、その濡れた髪が彼女の肩をさらに濡らしている。それを無造作に拭う様子を見ていたら目の前にタオルが差し出された。
「貴方もどうぞ」
 ひーくんと呼ばれた男性、ー後にひいらぎと書いて、『しゅう』と読むことを教えてから彼女には『ひーくん』と呼ばれているのだと教えてくれた―、に差し出されたタオルを受け取ると悠も濡れた髪をぬぐった。
「何にしますか?」
 しゅうは二人の使ったタオルを片付けるとそう聞いた。悠の前にはメニュー表が置かれている。
「ひーくんに任せるよ」
「甘めですか?」
「うん。出来たら強めがいいなぁ」
「強めねぇ。陽詩さんのはいつも強めなんですけどね?」
「うん、知ってる」
 陽詩と呼ばれた女性は、いつもそうなのだろう。柊は彼女の言葉になれた手つきで使う酒を選んでいく。
「お兄さんはどうしますか?」
 柊の言葉に彼の動きを見ていた悠は慌ててメニューに目を通す。が、なんとなく自分をここへ連れてきた彼女と同じものが飲んでみたいと思った。
「…俺も彼女と同じもので」
「甘いのは大丈夫ですか?」
「あ、はい」
 悠が頷くと、柊は手際よくカクテルを作ると二人の前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとー」
 そう言って、目の前に置かれたグラスに手を伸ばすと陽詩はそのグラスを悠の方へ掲げて見せた。それに悠も答えるようにグラスに手を伸ばす。
「じゃあ、改めて、初めまして」
 わざとおどけたようにそう口にして陽詩は悠のグラスと自分のグラスを軽く合わせると、それを口に運んだ。
「ん、美味しい」
 そう言って顔を綻ばせる陽詩につられるように悠もグラスに口をつけた。
「初めまして、って言ってましたけど、お友達じゃないんですか?」
 陽詩の反応に満足そうにしながら、柊がどちらに問うでもなく聞いてきた。それに思わず二人は互いに顔を見合わせる。
「友達、ではないかなぁ。さっき知り合ったばっかりだし…」
 そう答える陽詩に柊が視線だけで先を促した。
「ん~…、拾った?」
 首を傾げながら言われた言葉に二人の関係を聞いた柊も、拾ったと言われた当人である悠も何とも言えない表情になる。
「拾ったって…、犬猫じゃないんですから…」
「まぁ、そうなんだけど…」
 呆れたように言う柊に陽詩も苦笑を滲ませて返す。
「で、実際は逆ナンでもしたんですか?」
「いえ、ナンパはされてないですよ」
 二人のやり取りを他人事のように傍観していた悠は柊に話を振られ、慌ててそれを否定する。
「…お恥ずかしい話なんですが、どうも俺がフラれるところを見られてしまったみたいで」
「で、雨の中傘もささずにいたから連れてきてみたの」
 もう、雪になってるけどね、と続けながら、陽詩が悠の言葉を引き継いだ。
「…それは逆ナンになるのでは?」
「いや、そんなつもりで声かけてないよ?見かねたのと、同類っぽいなぁって思っただけで…」
「そういえば、今日はデートじゃなかったんですか?」
 逆ナンの言葉に、言い訳のように言い募れば、柊が答えが分かっているであろうことを敢えて聞いてきた。その言葉に陽詩は一瞬言葉に詰まると、残っていたグラスの中身を一気に呷った。
「私も今日別れたの!別れ話するんならホテルなんか行くなって思わない!?」
 語気を強める陽詩の言葉に、男二人は何とも言えない表情を浮かべる。
「…えーと、やるだけやってから、フラれた、と」
「そう!」
 悠の言葉に強く返して、陽詩は溜息をついた。
「でも、好きだったわけじゃなんでしたよね?」
 お代わりを催促するように置かれたグラスに、柊が新しい酒を作りながら問えば、「まぁね」とやる気のない返事が返ってきた。
「友達に人数合わせて付き合わされた合コンで声かけてきた奴だったけど、しつこいから付き合ってただけだし…」
 そう言って新しく置かれたグラスに手を伸ばす。
「だから、やめておいた方がいいって言ったじゃないですか」
「そうなんだけどぉ」
 柊の言葉に頬を膨らませながら陽詩は不機嫌そうに返した。
「そんなにしつこかったんですか?」
「ん~、まぁ返事返さなきゃ、出るまで電話鳴らされるくらいには?」
 その言葉に悠の頬が引き攣る。
「それは、下手をしたらストーカーになるのでは?」
「あ、やっぱり?」
 頬を引き攣らせた悠に対して陽詩の方はあっけらかんとした感じで軽く返した。
「そういう、あなたはどうなんですか?えーと、…」
「悠です」
 そこで挨拶はしてもまだ名乗っていなかったことに気付いて、悠は自分の名前を名乗った。
「陽詩です。なんで悠君は彼女さんと別れたの?」
「なんででしょう?」
 陽詩の言葉に今度は悠が首を傾げた。
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