執着の勇者と贖罪の魔王~赤い瞳は愛欲に燃える~

ツジウチミサト

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3「魔物」と「人間」

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 ――――イルフィ、どうして僕を置いていくの?

 危険に巻き込みたくなかったのは嘘じゃない。
 けれどそれ以上に、魔物になった自分を、いつかおまえが忌み嫌うのではないかと、それが怖かったんだ。

 ――――僕を捨てたことを、一度でも後悔してくれた?

 これで良かったのだと何度も自分に言い聞かせた。
 おまえを守るためとはいえ、完全に魔物になってしまった私には、おまえを別れる以外なかったのだと。
 言い聞かせて、おまえを恋しく思う未練に蓋をしたんだ。

 ――――……でも、もういいよ。

 肉体のみならず、私の時間はおまえと別れたあの日で止まっていた。私にとっておまえは、いつまでも幼い子どものままだった。
 だからおまえが大人になり、私以上に深い想いを抱えた男になっていたことを、私は理解出来なかったのだろう。
 私の身勝手でずるい本心を見抜いて、伝えたい言葉も飲み込んで、私に背を向けたおまえ。――あの日の私のように。

 置いていく方が苦しいのだとばかり思っていた。
 置いていかれる不安と孤独と悲しみを知らなかったから。
 
 ハヴェル。
 おまえに『捨てられて』ようやく、私はおまえの気持ちがわかったよ。
 






 ハヴェルの唯一の誤りは、イルフィの魔力を見くびっていたことだ。
 イルフィが並の魔物であったならば、意識を完全に奪われていたことだろう。それほどにハヴェルの術は強力だった。

 だが、イルフィの魔力は“出力”が封じられただけで、先祖返りの血に宿った魔力そのものが消え去ったわけではない。そのためハヴェルの術下にありながら、か細くはあっても自我を保ち続けることが出来たのだ。

 ハヴェルの問わず語りを、イルフィは全て聞いていた。
 そして自分が、何一つ彼に伝えていないことに気づいた。


「う……」

 さんざん犯された体はまだ重く、口も尻も鈍い痛みを訴えている。文字通りに足腰が立たないほどだ。
 それでもイルフィはベッドから身を起こし、汚れたシーツを剥ぎ取ってローブの代わりに纏うと、ままならない体を引きずるようにして屋敷を出た。

 ハヴェルを、追いかけなければ。
 ちゃんと、伝えなければ。

 自分と再会することだけを心の支えとしてきた、と彼は言った。それを子どもの愛着行動の延長だと自分は決めつけて、今更何を言っても遅いと、返事すらしなかった。
 だから彼は自分の傍にいることに絶望し、『魔王』に成り代わることを選んだのだ。

 ――――復讐をやめさせたおまえを恨むぞ、ハヴェル。

(あの子は、それしか私の気持ちを聞いていない)

 しかも自分のように魔物を手下にすることなく、一人で剣を取ろうとしている。

 触手の魔物をけしかけたのは足留めのためもあったのか。危険に巻き込みたくないと置いていった。かつての自分と同じことを、彼はしたのだ。
 

 森は昼なお鬱蒼と暗く、林立する木々のせいで見通しも悪い。
 膝の高さの低木や草が裸の脚を傷つけ、ローブの裾を引き裂いたが、それでもイルフィは歩みを止めなかった。
ハヴェルが屋敷を出て行ってから既に数時間が経っている。彼はもう森を抜けたかもしれない。
 焦りとともに歩調が自然速まる。先を急ぐイルフィの視界を、不意に横切るものがあった。

「っ!」

 咄嗟にその場に身を屈める。
 一拍遅れた長い髪を、一陣の旋風がかすめた。
 転がるように近くの木の影に身を隠す。太い幹を盾にして様子をうかがったら、四方の枝に幾つもの赤い光が連なって見えた。

 赤い瞳。濁った嘶き。獣のような匂い。
 ――魔物だ。

「……ニンゲンダ」
「ニンゲンガイル……」

 コウモリに酷似した体に人間の顔をもつ異形が、ギギと耳障りな鳴き声に混じって人語を発する。巨木の枝に逆さ吊りでぶらさがる体躯は人間の子どもほどの大きさで、五匹、いや六匹いるだろうか。
 目は赤く爛々と輝き、襲うべき『人間』として自分を見据えている。獣型の魔物は人肉を食らうので、どうやら自分は餌として認識されたようだ。
 半魔とはいえ元々人間の体である。しかも魔力が封じられているため、知能の乏しい低級な魔物には区別がつかないのだろう。

「『魔王』の名も廃れたものだな」

 自嘲を鼻で笑う。
 魔力を使えない今の自分は、あれらの言うとおり脆弱な人間と変わりない。直接支配下に置いていた高等な魔物ならばまだ話が通じたかもしれないが、もし名のあるものがこの森に残っていたら、とっくにハヴェルが斬り伏せているだろう。

(こんなところで足留めされている場合じゃない)

 一斉に飛びかかってきたコウモリ達をかい潜り、イルフィは木立の間を走った。足場が悪いのと素足なのもあって思うようには速度が出ない。体の痛みも治まっていないので余計にだ。

 コウモリ達は連携を取って、木々の間を飛び交いながら襲ってくる。何とかかわしながら走っていたが、

「あっ!」

 かぎ爪のついた羽を避けようとして、木の根に足を取られた。
 顔から地面に叩きつけられて転んだ自分に、すかさず数匹が襲いかかる。

「うっ……!」

 背中に重み、続けざまに焼けるような痛み。
 体を押さえつけるように降り立ったコウモリが、振り払う隙を与えず肉に食らいつく。足の爪や牙が肉を引き裂き、人間と同じ赤い血があふれた。
 その血ごと肉にむしゃぶりつかれる壮絶な痛みで気を失いかけながら、イルフィはそれでも立ち上がろうとした。

(ハヴェルを、止めなければ)

 故郷の地下室で、徐々に蒸し殺されていった時の恐怖と焦りを思い出す。
 ハヴェルを守らなければ。ぐったり目を閉じて弱っていく、この子だけでも助けなければ。

(復讐なんて、魔物になった私が背負えばいい。おまえには人間のまま、生き残った命を幸せに生きてほしいんだ)

 厳重に封じられた魔力の解放の仕方なんて知らなかったが、頼れるものは先祖から受け継いだ異形の力しか残っていない。
 私に力があるのなら、今使わないでいつ使う。

「う、ああああぁっ!」

 渾身の力を振り絞り、手と膝を支えに体を起こす。
 イルフィに群がっていたコウモリ達は突然息を吹き返した餌に驚き、その瞬間、一斉に身から炎を吹き上げた。

「イルフィ!」

 駆け寄る足音と斬撃の音。
 コウモリ達の下から這い出したイルフィが振り返ると、炎に包まれ断末魔をあげるそれらが、次々と首をはねられるところだった。

 剣を振るっていたのは、武装して『勇者』の姿となったハヴェルである。

 ――――よかった、追いつけた。

「ハ、ヴェル……」

 かすれた声で呼びかけたイルフィの体を、取り乱したハヴェルが慌てて抱き上げる。魔物達に食い荒らされかけた体は血まみれの傷だらけで、相当な重傷であることは一目で見て取れた。

「イルフィ、どうして屋敷を出てきたんだ! 森の中は危険だとわかってただろ!?」

 明らかに動揺して青ざめる彼に、幼い頃の面影が重なる。
 イルフィが少し怪我をするだけでも、大袈裟に怯えて泣き出したあの子。二度と大切な人を失いたくないと、いつも心配して恐れていたハヴェルのために、イルフィは強くなろうと思ったのだ。

 大丈夫だハヴェル。おまえは何も心配しなくていい。いつもそう言っているだろう?

 イルフィは、弱々しくも安心させるように、ハヴェルに向かって微笑んだ。

「……え?」

 焦燥に駆られていたハヴェルが、目を見開く。
 腕の中のイルフィは瀕死の状態だったが、そのえぐれた腕や裂かれた脚の傷などが、みるみるうちに塞がっていくのがわかったからだ。

 これは治癒の術に違いない。魔物の中でも高等な者しか使えないとされる、己の回復力を爆発的に高めて身体を治療するという、高度な魔術だ。
 ハヴェルとて多少は扱えるが、これほどの深手を癒やすことは、術を磨いた今とて不可能である。使いこなせるのは、体内に圧倒的な魔力を秘めた、生来の強力な魔物のみだと聞く。

「……僕の封印を、解いたのか」

 状況を理解したハヴェルが呆然と呟く。
 頷く代わりに、イルフィは自分を抱くハヴェルの手に掌を重ねた。

「どうやって……」

 それは、と。
 心の中でだけ返事をしようとして、イルフィは思い直す。
 ちゃんと伝えなければと思って、森の中を走ってきたのではないか。

 人間だった頃の自分は、彼の不安を取り除くために強くなった。魔物になることすら厭わないほど、彼を守りたくて、大切で、愛しくて仕方なかった。
 あの頃と心は何も変わっていないのだと、彼に伝えなければ。

「……おまえに会いたいと思ったから、何でも出来たんだ」

 重ねた手に力をこめると、彼はビクリと震えて視線を背ける。
 しかしおずおずと見つめ合う位置に戻ってきて、泣き出しそうにくしゃりと顔を歪めた。
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