上 下
13 / 35
第二夜

第12話 最終チェック

しおりを挟む
「なんや、まークンとこうして話すのも久しぶりな気ィするわ。お父さんの前やとぜんっぜん喋らへんのやもん」
「ええ。──なるべく父の言葉は一言一句、聞き漏らすまいとしていますから」
「へえ、尊敬しとんねやな」
「…………それもありますけど」
 彼にしては珍しくあいまいな言い方である。
 そうか、と森谷はつぶやいた。
「親が尊敬できるとええなあ」
「森谷さんのところはちがうんですか?」
「──オレ、親ガチャってことば死ぬほど嫌いやねん。なにが親ガチャや。じぶんがうまくいかんこと、全部親のせいにしとるだけやないかって思うねん。でも──自分のなかに葛藤が生まれるたびに、多少なり『家のせいで』なんて言い訳をつけたくなる気持ちが分かるくらいには、あんま仲良うないねん」
「……神仏からすれば預かり知らぬことです。良し悪しなんて、ぜんぶ人間が決めているんだから。毒親のもとに生まれたことが、瞬間的に見れば悪いことでも、振り返って見たときに『あの親の元に生まれたから、反骨精神で頑張って、結果的にこんな良い人生になった』と胸を張れることもある。それはもちろん、腐らずに頑張れた人間にのみ訪れる瞬間でしょうけれど」
「まークンは──やのう」
 森谷の声が沈む。
 ダメですね、と将臣は苦笑した。
「おれはいつも正論が過ぎるみたいで」
「ホンマや。大半の人間が反発するわ」
「父に叱られるんです。人間は強くない。正論ばかりを説いたところで、人の心に届かなければ意味がない──。開祖の意志を継ぎ、教えを人々に伝うるはずの僧侶がこれでは、その役目を果たしているとは言えない、と」
 この聡明な子どもが叱られるか、と森谷は内心で呻いた。しかし博臣の言い分ももっともだともおもった。大人になればなおさら、正論から目を背けてしまう瞬間もやってくる。人は弱いから。正しさは時に弱き者すらも挫いてしまう。
 さっきも叱られました、と将臣はうつむいた。
「正論が正しいとおもっているうちは、まだ子どもだと。……人が、感情なんか捨てて、すべてロジカルな生き方をすればきっとおれの説く世界になるんでしょうね。でもそんなのは、AIの世界だ」
「…………」
「人は不完全だから、この世に在るのかもしれません」
 声は珍しく沈んでいた。
 落ち込んでいる──のかもしれない。どのような会話からそんな指摘を受けたのかは分からないが、大尊敬する父に叱られたのだから。どれほど弁が立ったところで所詮は二十歳も満たぬ子どもである。森谷は時折、この堅物少年が眩しくなる。きっと彼はこれまでも、この先も、正しくない道を行くことはないのだろうから。

 葬儀を執り行う部屋にたどり着いた。
 中には葬儀社の人間らしきスーツ姿の小柄な親爺のすがたがあった。今宵の式の最終チェックらしい。
 失礼します、と将臣が控えめに声をかけた。途端、親爺がパッとこちらに目を向ける。その目にわずかだが驚愕の念が宿った。袈裟を着ていることから、これほど年若な彼が導師を務めるのかとでもおもったのだろう。その逡巡を読み取ったかのごとく、将臣は丁寧に辞儀をした。
「此度の式では役僧を務めます。将臣しょうしんと申します」
「どうも、東京がらわざわざいらして」
 と、葬儀社の男は懐から名刺を取り出した。
 井佐原隆夫。見事に禿げ上がった頭をつるりと撫でて、人の好さそうな笑みを浮かべている。
「ここはだいぶ山を登りますがら、お疲れでしょう」
「いえ、僧職は意外と体力勝負なものですから平気です。それにぼくの祖父が相良家にお世話になったそうで──御恩返しの意味も込めて、今宵は精いっぱいの読経をさせていただきます」
「はあ、お若ェのにりっぱな坊さんだハァ。相良さんはねェ。あんまりほかの方と交流するってことは多くなかったみてえですが、こちらの使用人の方がとっても親身になってお世話なすってたそうでねえ」
「使用人? いてるんですか。っちゅうかそもそもまだ春江さんと冬陽さんくらいしか、ちゃんとした挨拶してへんな。ひとつひとつ部屋めぐるか」
「あのねえ森谷さん。こちらとしては、故人に引導をお渡しできればそれでよいのです。参列者全員の身元を知りたがるのは職業病ですよ」
「それもそうか。おもえば、葬式参列に来たんやったな」
「そうですよ。事件の聞き込みじゃないんだから」
 と、呆れたようにつぶやきながら、将臣がせっせと読経の場をととのえる。
 井佐原がおどろいたように森谷の顔を覗き込んできた。
「警察の方ですか」
「ハハハ。いまは、ただの参列者ですわ。──それより井佐原さん? 相良さんとはお付き合いがおありやったんですか。ずいぶん親しげな物言いやったから」
「こんな田舎じゃ、だいたいが顔見知りなものですよ。こむにてぃっていうんですか。狭いでしょう。やはははは!」
 ──コミュニティ、ね。
 森谷は内心でツッコんだ。いや、ツッコむところはそこだけではない。葬儀場で声を立ててわらう葬儀屋がいるものか。周囲に遺族がいなくてよかった、とちいさくため息をつく。
 荷物を運び終えてしまえばすっかり手伝いも何もなく、あとは将臣の動きをぼんやりと観察するにとどまる。何の気なしに祭壇を見る。白い布にくるまれた骨箱が、すでに故人が荼毘に付されたことを物語っている。となりには白木位牌と遺影がひとつ。齢八十を超えた老女とはおもえぬ眼光と威厳に、森谷は知らず背筋が伸びた。
「ミチ子さん、ええ顔しとるでしょう」
 井佐原が汗をぬぐいながら言った。
「え? ええ。えらい強そうでんな」
「ええ、ええ。ご先祖が築き上げたおうちの格っちゅうんですかね。そんなもんをたったひとり、守りつづけたお方ですわい。農地改革やらなんやらでずいぶん領地はぶんどられたそうですけんどもね、やっぱり座敷わらしさんのおかげかね。戦後も変わらず裕福じゃったですよう」
「座敷わらし。……」
 本当のところ。
 森谷はいまだ半信半疑ではある。世の中に人ならざるものが在ることは、これまでも一花や恭太郎を見てきたなかで少しは信じるようになった。が、座敷わらしというのはいったいなんなのだろう。博臣が語った座敷わらしの実態は、けっきょくのところ人間のエゴと苦境時代の産物にすぎなかった。
 神か、妖怪か、はたまた人間か──。
「井佐原さんは座敷わらしなんぞ、見たことあるんですか?」
「いんやァ。儂はどうにも、縁がねえんだかなんだかで、見たことはなかですよ。いるんじゃろうとはおもいますがね」
「はあ。ボクからしたら、どうもお伽噺の世界やと思うてしまいますわ。ハハ……」

「それが普通なんじゃないの?」
 
 と。
 突然、背後から声をかけられた。あわてて振り向くと襖の桟にもたれるように年増のけばけばしい女が立っている。この顔は先ほど見たばかりだ。春江や冬陽を責めるようなことばを繰り返していた、宏美だろう。
 歳の頃は五十路も間近といったところだろうに、その化粧はバブルの頃に流行った若者のソレそのままで、この山奥に鎮座する旧名士の家にも、さらには葬式の場にもそぐわない。彼女は真っ青なアイシャドウをてかてかと光らせた瞳を細めて、森谷の腕に彼女の腕を絡めてきた。
「さっきは御見苦しいところをごめんあそばせ。もおあんまり腹立っちゃったもんだからさ──アナタ、相良の家となんか交流あったの?」
「いやボクっちゅうか、ボクの親戚が世話になったそうで。なんや、あれよという間にここまで来てもうたって感じですかね」
「へえ……東京から来たんでしょ? やっぱ都会の男っていいわよねエ、アタシもむかしは東京でバリバリやってたんだけどサ。結婚を機にこんなクソ田舎戻って来ちゃって。それも離婚したからもういいんだけどオ」
「離婚されたんですか」
「ア。興味ある? 娘がひとりいるけど、もうすぐ独り立ちするしアタシはぜんぜんかまわないよ」
 構いまくりである。冗談じゃない、と言いたげに森谷は顔面蒼白で辞退した。背を向けて足元の導師布団をととのえる将臣から「クク」とかすかにわらう声が聞こえる。嗚呼、蹴りたい背中──。
「ム、娘さんはいっしょにいらしとるんで?」
「ええ。森のなかまで探検しに行ったんでしょ、きっと」
「そろそろ戻った方がええんちゃうかな。なあまークン!」
 あわてて将臣の背中にしがみつく森谷。
 そうですね、と将臣は部屋に掛けられた壁掛け時計を一瞥し、
「式は十八時からですが、みなさんもなんだかんだとご準備がおありでしょうから」
 と笑いをこらえた声で言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...