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第一夜
第3話 わらしもり
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「なんでオレが藤宮神那を知っとるかって聞きたいんやろ、顔に出るやっちゃ」
「さすがの洞察力だね刑事さん。話が早いや。で、どうして?」
「……おまえ、藤宮って聞いてなんも引っかからんのか」
と、茂樹は信じられないと言いたげに首を振る。
藤宮? それがどうした。それを聞いたところで──。
「────藤宮。ああ、そうか」
「そういうこと。新財閥御三家のトップ、藤宮家のご令嬢やがな。ま、せやからおまえが言うように気品があるんも至極当然っちゅうわけや」
「そうだったのか──こいつはいい、僕はますます彼女がすきになった!」
「やめとけって」
「どうして」
「おまえなんざ相手にされへんぞ、たぶん」
「どうして!」
「…………」
茂樹は顔を渋らせ、閉口する。
その理由について語るつもりはないようで、わざわざ聞きたくもない夏目もむっすりと口をつぐむ。しばしの沈黙がテーブルを包んだ。ハイカラ袴のウエイトレスが水のおかわりにやってきたが、夏目と茂樹は互いをにらみつけたまま動かなかった。女性にはあまねく愛想を振りまく夏目九重も、一目ぼれの前には形無しである。
しばらくして茂樹は頭をがしがしと掻いた。
むりやりつくった笑みを浮かべて、「まあまあ」と話題を変える。
「おまえの悩みごとに関しては──とりあえず、座敷わらしが分かっただけでも良かったやん。おまえも一端の小説家なんやったら、じっさい陸奥まで赴いて現場取材でもしたらどうや。こんなところで手ェこまねいたってしゃーないやん」
「……取材ねぇ」
わるくはない。
が、一人きりで陸奥の山深い道々を往くというのも侘しい。下唇を突き出して拗ねた顔をする。もはや四十も手前に差し迫る男がする顔でもないが、夏目は一人旅が苦手なのである。人里離れたところに自身がぽつねんと立つところを想像するだけでなんだか寂しくなってしまう。
旅は道連れ──いい言葉だ、と夏目はやがてにっこりわらった。
「シゲ。どう?」
「なにが」
「おまえも有給休暇くらいとらなきゃだめだよ。たしか法令で決められているのだったね」
「アホか、オレは行かへんぞ! それに有休ならもう三月にとったっちゅうねん」
「それは昨年度分だろう。今年度分はまた別途取らなきゃ」
「なんでフリーランスのくせにそういうところは詳しいんや……いや、とにかくオレは行かへんって。なんでわざわざ休みとって山登りせなあかんねん。なんやえらい山奥にあったやんか、あの家」
と、茂樹は身ぶるいした。
しかしこの程度の抵抗で詭弁を止めるわけもない。
夏目は立ち上がり、わざわざ対面に座る茂樹のとなりまで移動してその手をぎゅっと握る。この従弟はげんなりした顔を隠しもせず身を引いたが、気にしない。
「たのむよ……僕の記憶力じゃああそこがいったいどこの何だったのかだっておぼえちゃいないんだ。あの家がなんて名前だったかだって、もう記憶の彼方さ。おまえがいなくちゃ僕は陸奥の山林で遭難してしまう」
「大げさなこと言うない! オレかてはっきりとはおぼえとらんぞ。何十年前のことやと思てんねん。周囲の家に聞いたらええやん。あの座敷わらしの──」
「座敷わらし?」
と。
ふいに差し込まれた声がある。茂樹はアァ? と不機嫌な顔で夏目を睨み付けたが、とんだ濡れ衣であった。夏目はキョトンとした顔で茂樹の頭上あたりを見つめる。なぜならそこに、あどけなくも色気のある笑みを浮かべた少女が立っていたから。
ぐるりと茂樹が振り返る。
「いっ……イッカ!?」
「は~アい。ぐうぜ~ん」
「ぐ、偶然っておま──なんや、今日はひとりか?」
と、茂樹はイッカと呼ばれた少女のうしろを覗き込もうと首を伸ばした。夏目は少女をとっくりと見つめてから「イッカ?」と茂樹に目を移す。彼はなぜかバツのわるそうな顔でうなずいた。
「古賀一花──通称イッカや。ほらさっき言うた大学生のひとり」
「うん、そうだとおもった」
夏目はにっこりと一花を見た。
見たところたいした持ち物もない。店外の窓ガラス越しに森谷のすがたを見かけたので、とりあえず声をかけに来たということだった。夏目が自席にもどると、一花も遠慮もせずに茂樹のとなりに腰かけた。
「はーア。最近日増しにあったかくなるよね。まだゴールデンウィークも来てねーのにさ」
「あのなァイッカ。おまえ、前のときもそうやったけど──知り合い見かけたからって構わず相席すんのはどうかと思うで? 今日は相手がコイツやったから良かったけどもやな。これがおまえ、罷り間違うてデート中なんてことなったら、オレから大顰蹙やぞ」
「シゲさん、デートする相手なんかいんの?」
「いやいてへんけど! いまは、の話やんかそんなもん。一週間後にはいてるかもしらんし」
「ふうん。そんでこっちの人はだアれ」
と、一花はとろんと垂れた目を夏目に向けた。ふうん、の一言で流される従弟はお気の毒だが、夏目はすっかり、目の前の少女に興味が移っている。女の子として──というよりは、もっと別ベクトルであるが。
茂樹から紹介されるより前に、夏目は人好きする笑みを浮かべて、手を差し出した。
「夏目九重と言います。シゲの従兄なんだ」
「ここのえ? 名前?」
「こいつのペンネームや。小説家やねん」
「エーッ。すご、小説書いてんだア! あたし古賀一花っていいます。イッカって呼んでね」
物怖じしない娘だ、とおもった。
お近づきのしるしに──とメニューを渡す。好きなの奢ってあげるよ、と言うと一花は瞳を半月型に細めてわらった。
「ありがとオ。でも、いまお腹いっぱいだからだいじょうぶ」
「なんか食うてきたんか」
「さっきまで恭ちゃんちにいてねーっ。あそこでたらふくおやつ食べてきたの」
「へえ、天下の藤宮家が出すおやつ言うたら、さぞえらそうなもんなんやろなァ」
「藤宮家! 藤宮家に行ってきたの、イッカちゃん」
口を挟まずにはいられなかった。
つい先ほど判明した、愛しき人の苗字である。一花はすこしおどろいたように目を見開いてから、ウンとかわいらしくうなずいた。
夏目の想いを汲み取ってか、茂樹は一花の顔を覗き込む。
「いま、藤宮の家ってあの兄弟のなかじゃだれが住んではんの?」
「恭ちゃんと神楽ちゃん。あと、神那ちゃんがけっこう頻繁に帰ってくるわヨ。さっきもお客さんといっしょに帰ってきたから、恭ちゃんったら大喜びでね」
と、なにを思い出したかケタケタわらう一花をよそに、夏目の瞳にはぎらりと光が宿る。
「か、神那さん──いま藤宮の家にいるんだ?」
「ウン。あ、でもこれからお客さんといっしょに宝泉寺に行こうかって話してたからもういないとおもうけど。アハ、だから……座敷わらし」
何故か。
一花が話を戻す。突然の話題転換に、あわよくば神那とのエンカウントを狙う夏目も気を削がれ、閉口する。
そのお客さんね、と一花はくるりと瞳を天井に向けた。
「座敷わらしがいるおうちに生まれたんだって。ネ、あの和尚が好きそうな話でしょ」
「…………」
茂樹と夏目の視線がかち合う。
すぐさま、茂樹が一花の肩をつかんで問いかけた。
「その──お客はんって、女の人?」
「ウン。冬陽ちゃんっていう」
「ふ、……!」
おもわず席を立つ。
店内の客が視線を寄越す気配がする。しかしそんなものは気にならない。小気味良いディキシーランドジャズも、いまは耳を滑るほどに。一花は夏目に対して目を剥いている。
「どしたの」
「い、いや──」
「まてイッカ。その冬陽って子が、座敷わらしの家に住んどったって?」
「だからそう言ってんじゃん。どしたの、シゲさんまで」
一花の声も、もはや夏目の耳には残らない。ふと思い返される二十年以上前の記憶。
──家の当主となった女は「 」というお役目に就き、座敷わらしのお相手をするのです。
あれは当主の女の言葉だった。
「 」──。
あのとき彼女は、なんと言った?
一花がグッと背を反らしてつぶやいた。
「なンかね、わらし……もり? とかなんとか」
──わらしもり。
────童守。
嗚呼。
夏目は糸が切れた人形のごとく、カタンと席に落ち着いた。
そうかそれや、と茂樹はさけぶ。
「童守──わらしもりやがな。あの家、そう……相良や! 思い出したッ」
「エ? シゲさん知ってるの。冬陽ちゃん、相良って名乗ってたよ」
相良冬陽。
夏目は肚底から込み上がる高揚を隠しきれず、ゆっくりと左手で口元を隠した。
「……フフ。これは、そうか。愈々神のお導きではなかろうかね」
気味のわるい偶然を前に、茂樹は閉口した。
「さすがの洞察力だね刑事さん。話が早いや。で、どうして?」
「……おまえ、藤宮って聞いてなんも引っかからんのか」
と、茂樹は信じられないと言いたげに首を振る。
藤宮? それがどうした。それを聞いたところで──。
「────藤宮。ああ、そうか」
「そういうこと。新財閥御三家のトップ、藤宮家のご令嬢やがな。ま、せやからおまえが言うように気品があるんも至極当然っちゅうわけや」
「そうだったのか──こいつはいい、僕はますます彼女がすきになった!」
「やめとけって」
「どうして」
「おまえなんざ相手にされへんぞ、たぶん」
「どうして!」
「…………」
茂樹は顔を渋らせ、閉口する。
その理由について語るつもりはないようで、わざわざ聞きたくもない夏目もむっすりと口をつぐむ。しばしの沈黙がテーブルを包んだ。ハイカラ袴のウエイトレスが水のおかわりにやってきたが、夏目と茂樹は互いをにらみつけたまま動かなかった。女性にはあまねく愛想を振りまく夏目九重も、一目ぼれの前には形無しである。
しばらくして茂樹は頭をがしがしと掻いた。
むりやりつくった笑みを浮かべて、「まあまあ」と話題を変える。
「おまえの悩みごとに関しては──とりあえず、座敷わらしが分かっただけでも良かったやん。おまえも一端の小説家なんやったら、じっさい陸奥まで赴いて現場取材でもしたらどうや。こんなところで手ェこまねいたってしゃーないやん」
「……取材ねぇ」
わるくはない。
が、一人きりで陸奥の山深い道々を往くというのも侘しい。下唇を突き出して拗ねた顔をする。もはや四十も手前に差し迫る男がする顔でもないが、夏目は一人旅が苦手なのである。人里離れたところに自身がぽつねんと立つところを想像するだけでなんだか寂しくなってしまう。
旅は道連れ──いい言葉だ、と夏目はやがてにっこりわらった。
「シゲ。どう?」
「なにが」
「おまえも有給休暇くらいとらなきゃだめだよ。たしか法令で決められているのだったね」
「アホか、オレは行かへんぞ! それに有休ならもう三月にとったっちゅうねん」
「それは昨年度分だろう。今年度分はまた別途取らなきゃ」
「なんでフリーランスのくせにそういうところは詳しいんや……いや、とにかくオレは行かへんって。なんでわざわざ休みとって山登りせなあかんねん。なんやえらい山奥にあったやんか、あの家」
と、茂樹は身ぶるいした。
しかしこの程度の抵抗で詭弁を止めるわけもない。
夏目は立ち上がり、わざわざ対面に座る茂樹のとなりまで移動してその手をぎゅっと握る。この従弟はげんなりした顔を隠しもせず身を引いたが、気にしない。
「たのむよ……僕の記憶力じゃああそこがいったいどこの何だったのかだっておぼえちゃいないんだ。あの家がなんて名前だったかだって、もう記憶の彼方さ。おまえがいなくちゃ僕は陸奥の山林で遭難してしまう」
「大げさなこと言うない! オレかてはっきりとはおぼえとらんぞ。何十年前のことやと思てんねん。周囲の家に聞いたらええやん。あの座敷わらしの──」
「座敷わらし?」
と。
ふいに差し込まれた声がある。茂樹はアァ? と不機嫌な顔で夏目を睨み付けたが、とんだ濡れ衣であった。夏目はキョトンとした顔で茂樹の頭上あたりを見つめる。なぜならそこに、あどけなくも色気のある笑みを浮かべた少女が立っていたから。
ぐるりと茂樹が振り返る。
「いっ……イッカ!?」
「は~アい。ぐうぜ~ん」
「ぐ、偶然っておま──なんや、今日はひとりか?」
と、茂樹はイッカと呼ばれた少女のうしろを覗き込もうと首を伸ばした。夏目は少女をとっくりと見つめてから「イッカ?」と茂樹に目を移す。彼はなぜかバツのわるそうな顔でうなずいた。
「古賀一花──通称イッカや。ほらさっき言うた大学生のひとり」
「うん、そうだとおもった」
夏目はにっこりと一花を見た。
見たところたいした持ち物もない。店外の窓ガラス越しに森谷のすがたを見かけたので、とりあえず声をかけに来たということだった。夏目が自席にもどると、一花も遠慮もせずに茂樹のとなりに腰かけた。
「はーア。最近日増しにあったかくなるよね。まだゴールデンウィークも来てねーのにさ」
「あのなァイッカ。おまえ、前のときもそうやったけど──知り合い見かけたからって構わず相席すんのはどうかと思うで? 今日は相手がコイツやったから良かったけどもやな。これがおまえ、罷り間違うてデート中なんてことなったら、オレから大顰蹙やぞ」
「シゲさん、デートする相手なんかいんの?」
「いやいてへんけど! いまは、の話やんかそんなもん。一週間後にはいてるかもしらんし」
「ふうん。そんでこっちの人はだアれ」
と、一花はとろんと垂れた目を夏目に向けた。ふうん、の一言で流される従弟はお気の毒だが、夏目はすっかり、目の前の少女に興味が移っている。女の子として──というよりは、もっと別ベクトルであるが。
茂樹から紹介されるより前に、夏目は人好きする笑みを浮かべて、手を差し出した。
「夏目九重と言います。シゲの従兄なんだ」
「ここのえ? 名前?」
「こいつのペンネームや。小説家やねん」
「エーッ。すご、小説書いてんだア! あたし古賀一花っていいます。イッカって呼んでね」
物怖じしない娘だ、とおもった。
お近づきのしるしに──とメニューを渡す。好きなの奢ってあげるよ、と言うと一花は瞳を半月型に細めてわらった。
「ありがとオ。でも、いまお腹いっぱいだからだいじょうぶ」
「なんか食うてきたんか」
「さっきまで恭ちゃんちにいてねーっ。あそこでたらふくおやつ食べてきたの」
「へえ、天下の藤宮家が出すおやつ言うたら、さぞえらそうなもんなんやろなァ」
「藤宮家! 藤宮家に行ってきたの、イッカちゃん」
口を挟まずにはいられなかった。
つい先ほど判明した、愛しき人の苗字である。一花はすこしおどろいたように目を見開いてから、ウンとかわいらしくうなずいた。
夏目の想いを汲み取ってか、茂樹は一花の顔を覗き込む。
「いま、藤宮の家ってあの兄弟のなかじゃだれが住んではんの?」
「恭ちゃんと神楽ちゃん。あと、神那ちゃんがけっこう頻繁に帰ってくるわヨ。さっきもお客さんといっしょに帰ってきたから、恭ちゃんったら大喜びでね」
と、なにを思い出したかケタケタわらう一花をよそに、夏目の瞳にはぎらりと光が宿る。
「か、神那さん──いま藤宮の家にいるんだ?」
「ウン。あ、でもこれからお客さんといっしょに宝泉寺に行こうかって話してたからもういないとおもうけど。アハ、だから……座敷わらし」
何故か。
一花が話を戻す。突然の話題転換に、あわよくば神那とのエンカウントを狙う夏目も気を削がれ、閉口する。
そのお客さんね、と一花はくるりと瞳を天井に向けた。
「座敷わらしがいるおうちに生まれたんだって。ネ、あの和尚が好きそうな話でしょ」
「…………」
茂樹と夏目の視線がかち合う。
すぐさま、茂樹が一花の肩をつかんで問いかけた。
「その──お客はんって、女の人?」
「ウン。冬陽ちゃんっていう」
「ふ、……!」
おもわず席を立つ。
店内の客が視線を寄越す気配がする。しかしそんなものは気にならない。小気味良いディキシーランドジャズも、いまは耳を滑るほどに。一花は夏目に対して目を剥いている。
「どしたの」
「い、いや──」
「まてイッカ。その冬陽って子が、座敷わらしの家に住んどったって?」
「だからそう言ってんじゃん。どしたの、シゲさんまで」
一花の声も、もはや夏目の耳には残らない。ふと思い返される二十年以上前の記憶。
──家の当主となった女は「 」というお役目に就き、座敷わらしのお相手をするのです。
あれは当主の女の言葉だった。
「 」──。
あのとき彼女は、なんと言った?
一花がグッと背を反らしてつぶやいた。
「なンかね、わらし……もり? とかなんとか」
──わらしもり。
────童守。
嗚呼。
夏目は糸が切れた人形のごとく、カタンと席に落ち着いた。
そうかそれや、と茂樹はさけぶ。
「童守──わらしもりやがな。あの家、そう……相良や! 思い出したッ」
「エ? シゲさん知ってるの。冬陽ちゃん、相良って名乗ってたよ」
相良冬陽。
夏目は肚底から込み上がる高揚を隠しきれず、ゆっくりと左手で口元を隠した。
「……フフ。これは、そうか。愈々神のお導きではなかろうかね」
気味のわるい偶然を前に、茂樹は閉口した。
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