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第四夜

第26話 写真の中の真実

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「おかえり」
 と、博臣は将臣の背後に目を向けた。
 ここ数日は必ずといっていいほど一花がついてきたゆえ、その確認だろう。
「ただいま。一花なら、家に帰るって。どういう心境の変化か知らないけど、親を家から追い出すって意気込んでましたよ」
「そうか。──素麺あるぞ、食べるか」
「昼まだなの? ずいぶん遅かったんですね」
「朝から立て込んでたんだ。たったいま、落ち着いたところだった」
 ともに境内から母屋にあがる。
 中では、食卓で待ちぼうけを食らう母の姿があった。彼女はうつむき、手元の冊子に目を落としている。先に食卓へもどった父が彼女の肩をトンと叩いた。
「将臣、帰ってきた」
「あらやだ将臣ったら、早かったのねえ!」
「うん。──お客さんが来ていたんですか」
 言いながら、将臣は大学の荷物もそのままに、母の隣へ腰を下ろした。食卓に並ぶ三人分の食器と、そのうちの一人分が客用のものであることに気付いたためである。同時に、母が見る冊子がアルバムであることにも気が付いた。
「それアルバム?」
「うん。昔よくいっしょに写真撮ってた人が来たから懐かしくってねエ。将臣見たことあったっけ?」
「いや──どうかな。ないと思うけど」
 自分の記憶にないのなら、ないのだろう。
 アルバムの初めの方は将臣が生まれる前、博臣と司のツーショット写真で溢れていた。この頃はまだ博臣の父である先代住職が生存していたこともあり、博臣の頭は俗世人とおなじく髪がある。
 いまから二十年くらい前だろうか。両親のどちらも若々しい。いまでは悟ったような澄まし顔で日々を送るあの父も、昔はそれなりにヤンチャをしたものだと先代から聞いたことがある。なるほど、どうやらその片鱗はこのアルバムのなか端々に散りばめられている。
「これ、いくつの頃?」
 と将臣が指差す写真には、作務衣を着たツッパリがいた。いや、正確にはツーブロック✕オールバックという攻めた髪型の博臣なわけだが。司はその写真を見るなり、弾けるようにわらった。
「あはははっ。これ、まだ高校生じゃないかな。見た目こんなだけど昔から真面目だったのよ、成績良かったし。ねえお父さん」
「オレの昔はいいよ」
 定位置に座った父は心底嫌そうにつるりと剃りあがった頭を撫でる。将臣は、無視をした。
「母さんは、後輩でしたっけ」
「そう。高校のね──ああほら、これ」
 司がページを一枚めくる。
 宝泉寺をバックに数人の男女が並んだ写真であった。向かって右から、父の腕にしがみつく若き母と、将臣であろう幼児を抱く若き父。となりに幼女を抱いた若き夫婦が並び、両夫の肩に腕をまわして快活にわらう男がひとり──。
 将臣は彼らに見覚えがあった。
「懐かしいな──この人たち、かすかだけど覚えてるよ」
「エッ!?」
 と、母の声がひっくり返った。
 同時に父も珍妙な顔をする。
「え? なに──」
「おまえの記憶力もそこまで行くと人外だな。オレは初めて息子を脅威におもったぞ」
「大袈裟ですよ。だってこの人たち、よくここに来ていたでしょう。さすがに名前まではハッキリしないけれど、この人は母さんから“ケイイチさん”って呼ばれていた」
「────」
「こっちのご夫婦は──キリサキさん。それでこの子、女の子はいっかちゃんといったっけ」
 そう。朧げながら覚えている。
 宝泉寺の縁側に並んで座り、スイカを食べた。みなが少女のことを“いっか”と呼ぶので、将臣は彼女がいっかちゃんという名であることだけを、強く記憶していた。
 両親は困惑気味に顔を見合わせる。将臣はかまわずつづけた。
「高校で一花と会って、アイツが執拗にイッカと呼べって言ってきたけど、この子と混同するから嫌だったんだ。だからいまでも一花のことは一花と呼ぶんだけど──それで、いまこの人たちはどうしてるんです?」
「あ、あなたって子は……」
「嗚呼そうか──そうだな」
 博臣はうつむいた。
 両親から漂いくる不穏な空気を感じとり、将臣はいま一度写真に視線を落とす。若き夫婦に抱かれた少女。指をしゃぶり、安心しきったようすで母親の胸に頭をもたげてねむっている。
 この少女がどうしたというのか。
 いや、この少女は──。
「え?」
 将臣が視線を上げる。
 父も、母も、沈痛な面持ちで写真の夫婦へ目を落とす。やがて、口を開いたのは父だった。
「存在をおぼえていても、さすがに結びつけるのはむつかしかろうな。名字も違うのだから」
「名字が違うって──それは」
「お前にはそろそろ話さにゃならんと思っていた」
「────」
 父は居住まいを正し、将臣と真正面に向き直る。そしてつぶやいた。

「イッカちゃんは、この写真の子だ。あの子のほんとうの両親はここに写っている夫妻で──このふたりは十五年前に行方知れずとなっている」

 *
 大学からの帰路。
 勇気を出して、今日は自分の家に帰ると決めた一花は、将臣と別れたのち恭太郎とともに足取り重く古賀家への道を辿る。ほんとうは恭太郎にも頼るつもりはなかった。が、一花が抱える不安の音を聞いたのだろう。適当な理由を並べてまで、こうしてついてきてくれている。
 角を曲がれば家が見えるところに差し掛かったときである。恭太郎がハッと顔を上げて駆け出した。彼の長い脚はさっさと角を曲がって走ってゆく。一花はそのあとを追うべく、あわてて走り出した。
 恭太郎は角を曲がったすぐのところに立っていた。その視線はまっすぐ先を見据えている。つられて一花も、恭太郎の長躯から顔を覗かせた。
「あれ?」
 家の前に黒いセダンが停まっている。
 それからすぐ、家から一花の両親が逃げるように出てきた。そのすぐあとから長身の男も現れ、ふたりを無理やり後部座席へと押し込んでいる。何やら揉めているようだが、一花の耳ではよく聞こえない。
 後部座席のドアを閉めた男は優雅に助手席へ回り込むと、すぐにドアが閉じられた。閉じるか閉じないかというところで車は走り出し、みるみるうちにその車影は姿を消した。
「えっ。なに、なに。なんだったの恭ちゃん」
「────」
「ネエ。聞こえてたんでしょ、なんて言ってたの」
「イッカ」
「え?」
 ぐるりと恭太郎がこちらを向く。
 その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「迎えが来たぞ」
「?」
「もうじき、もうじきだよ。逃げるのやめたんだ、あのおっちゃん──」
 うわ言のようにつぶやく彼の言葉は、いまの一花には理解できようもない。
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