片翼のエール

乃南羽緒

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第五章

91話 獅子王の壁

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 全国大会準決勝。
 才徳学園には馴染みの一番から五番コートにて、それぞれ五試合が同時に開始した。蜂谷の読みどおり、才徳D2は黒鋼の高橋夕たかはしゆう加藤清澄かとうきよすみ相手に序盤から猛攻を見せる。姫川のパワープレイと星丸の丁寧な先読みプレイが功を奏し、開始十分にしてゲームカウント3-0まで差をひらく。
 また、もうひとつのダブルスも才徳D1のコンビネーションプレーにより善戦する。黒鋼D1の小西勝巳こにしかつみ相良健介さがらけんすけに対し、飛天金剛戦の後半にはみられなかった杉山の積極的プレーと、明前の全体を見据えたゲームメイクが炸裂し、順調に連続ポイントを奪取した。
 ダブルス観戦をしていた松工の国見と長峰は、ほぼ勝利が確定した試合展開を前にすっかりハイテンションになっている。
 ──黒鋼戦で問題なのは、シングルス。
 千秋、と蓮十郎がつぶやいた。
「おまえさっき蜂谷くんにどんな指導をしてやったんだ?」
「べつに、たいしたことしてないよ。ラリーしただけ」
「ほう」
「ああいうタイプは言葉で指導するといらないところまで理解するだろ。だからあえて身体に実感させようとおもってさ」
 といってうっそりと微笑む千秋。
 目測どおり自分と蜂谷が似ているからか、ラリーをするなかで彼の考え方やクセが手に取るようにわかった。彼のかしこさもまた然り。そのかしこさゆえ、ラリーの終盤になってくると彼も千秋の考え方、意図を汲んだようだ。
 千秋は胸元に抱えた写真をちらと見た。
「こんなことして、愛織がいたら『才徳の回しもの』なんて怒られてたかな」
「はっは。それを言うなら俺だって、関東終わってからの二ヵ月は大神くんにずいぶん肩入れしちまったよ。まったく桜爛OBにはろくなのがいねえな」
 かかか、とわらった蓮十郎に、青峰学院の水沢が身を乗り出した。
「如月さんって桜爛大附出身だったんですか」
「水沢、おまえ知らねえのか。桜爛大附の常勝伝説を作りあげたのは如月プロだぞ」
 と、いつもなら一匹狼を気取る犬塚が食い気味で入ってくる。
 しかしこの発言で釣れたのは水沢だけではないようで、杏奈やふゆ子などの女子も食いついた。
「ええっ。伊織パパってプロになる前からそんなにすごかったんですか!」
「さすがプロになられる方は学生時代から伝説を作られるのですね。大神くんも才徳の伝説ですもの。きっと将来こんな風に立派なプロ選手になられるのだわ。……」
「いやいや。そもそも桜爛ってのは、俺が入る前まではあんまり揮わないチームだったんだ。俺が一年にしてメンバーをしごきあげて、卒業してからもしばらくは桜爛の底上げのためにコーチに入ってたことがあるんだよ。プロ入りしてアメリカに渡ってからはご無沙汰だったけどな」
「それからずっと全国大会常勝校だったってこと、ですか。やっぱりすごいなあ」
「なんだ水沢くん。君のところだって堤がコーチやってて全国常連だったんだろ、まあ今年は才徳が出張ってきたから落ちちまったけど」
「堤コーチのこと、ご存知なんですか?」
「全国でアイツとS1張ったもん。同年代なんだよ、アイツ」
 蓮十郎はクックッと肩を揺らした。
 おなじタイミングで、二番コートから声が響いた。黒鋼のS2黒田浩介から連続ポイントを奪取し、黒田サービスゲームをブレイクした倉持の雄叫びである。瞬間、杏奈の目がS2試合に釘付けになる。
 ゲームカウントは才徳リードの3-2。
 蜂谷の気がかりのとおり、各シングルスは一ゲーム目から厳しい闘いになることが予見された。
 S3試合、黒鋼の大友塁おおともるいと対する蜂谷司郎。彼にしては異様な立ち上がりの速さと積極的プレーで、一ゲーム目から大友とはげしいラリーの応酬が繰り広げた。飛天金剛戦とはあまりにも人が変わったそのプレーに、観客席から見る馬場園、水沢、犬塚も息をのむ。
 おそらくはこの蜂谷こそが、だれのプレーもコピーしない彼の本当のテニスなのである。
「才徳のS3ってあんなに強かったか?」
「俺たち、だいぶナメられてたのかもね。……」
 犬塚のことばに、水沢はぐっと拳を握りしめた。
 一方のS2戦は、黒田と倉持の一歩も引かぬ猛攻対決であった。試合運びが冷静な分、飛天金剛戦同様こちらも黒田がわずかに優勢のようである。とはいえ倉持のテニスは、試合後半から彼の強さが見えてくるため、黒田優勢の一言で片付けるのは早計であろう。
 ──そして。
 一番コートにておこなわれるS1試合、フェンスの外では祈るように指を組んで一心に見つめる伊織がひとり。コートからは黒鋼の獅子王と才徳大神の息を吐く声とボールの打音だけが響いてくる。
(大神──)
 その試合は一ポイント目から、ほかと一線を画す展開を魅せた。獅子王サーバーからはじまった一ゲーム目。低いトスから間を置かずに放たれたクイックサーブは外角に入り、強いスピンによって外へと跳ねた。
 スプリットステップとともにテイクバック、リターンはクロスへ。しかし獅子王はサーブ&ボレーのプレースタイルによって前に詰めていた。大神のクロスボールは獅子王のドロップボレーによってネット前へ沈む。リターン後に素早くコート中央へもどった大神だが、そのドロップへ対応するには相手サーブが外角すぎた。
 ボール一個分届かず、先制をとられたのである。
 大神が試合で先制をとられることは珍しくない。彼の得意プレーは、その尋常ではないスタミナとコントロールによって相手を揺さぶり、消耗させる持久戦。
 一ゲーム目をほぼストレートに近い形で落としたとて、絶望に陥るはまだ早い。が、大神サービスの二ゲーム目──ここでも獅子王のショットが牙を向く。
 返球をベースラインに集中させる大神のショットにより、得意の前衛プレーを抑えられた獅子王は、大神のショットに隙をつくるため、コントロールを重視したプレーに切り替えた。前後左右にボールを振り、なおも返す大神のボールがすこしでも浮くとすぐさま前に詰めてスマッシュ。
 あの大神謙吾が、自身のサービスゲームにも関わらずおもしろいほどに翻弄されている。
(やっぱり強い──)
 伊織はぐっと唇を噛みしめた。
 想像以上の実力を前に、卒倒しそうだった。大神のサービスゲームも早々にブレイクされ、ゲームカウントは黒鋼リードの2-0。このままいけばどの試合よりも早くストレートで負けかねない。
(大神!)
 おもわずうつむく伊織の前、フェンス越しにボールがころがる。そこに近付くテニスシューズが視界に入った。
 ハッと顔を上げると、ボールを拾いにきた大神とフェンス越しに目が合った。
「…………」
 彼はラケットでボールを手繰りよせようとして、手を止める。それからわざとボールの元まで歩いてくるや、身を屈めた。
 おかげで伊織から大神の顔がよく見えた。
 いつもの余裕な笑みはない。が、決して焦燥の情もない。
「…………」
 その顔を見るや、なぜか伊織の瞳からぽろりと涙が一粒こぼれた。突如として胸に広がった安心感からだった。
 あわてて涙をぬぐう。
 が、大神は見ていたらしい。
「ふっ」
 とちいさく噴き出すように声を漏らして、ボールを拾い上げる。それから特段なにを言うこともなく、彼は踵を返してもどっていった。
 しかし伊織も見ていた。大神の笑顔を。その顔に絶望の色はない。彼はまだ、負ける気などさらさらないらしい。
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