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第五章
88話 組めてよかった
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才徳D1のふたりはクールダウンに出て、会場裏手の水道に頭を突っ込んでいる。
いや、本来ならばクールダウンなのだから軽いランニングをして戻るはずだったのだが、コートから離れて会場裏手に来るなり杉山が泣き崩れてしまったのである。無理もない。明前のプレーに問題はなかった。すべては自分のメンタル変調によるプレーの乱れが原因だったのだから。
そんなことないスよ、なんて。
下手なフォローをすればさらに傷つくだろうと判断した明前が、とりあえず水をかぶって頭冷やしましょうと提案し、今に至る。
暖かな気温とはいえ、風が吹けばひやりと冷える春先の空気に身震いし、明前はゆっくりと頭をあげた。
「冷えました?」
「ぶあーっくしょん!」
「おお、よく冷えたみたいッスね」
「かぶりすぎた──シャワー浴びたみたいになってもた……」
と、身を震わせる杉山であったが、おかげですっかり涙も引っ込んだらしく勢いよくタオルで頭を拭きあげる。
すみません、と明前が頭を下げた。
「さっきの試合、ちょっと自分の世界に入りすぎました」
「いやそんなんちゃうねん。オレのわるいとこが出てもうてん。せや、なにもお前まで水かぶらんでも良かったのに」
「はあ──なんかこのままだと、やっぱりちょっと気持ち的に次の試合まで引きずりそうだったんで」
「さよか」
ぐすっと杉山が鼻をすする。
で、と明前もタオルで頭を拭きながら杉山を見た。
「今回の引き金はなんだったんスか。前半までめちゃくちゃ調子良かったとおもいましたけど」
「うーん──なんでやろ。なんや、後半いくにつれて変にプレッシャー感じてもうた」
「…………」
一瞬の沈黙。
どこからか聞こえる小気味よいボールの音。音の方向には寂れたコートで互いに打ち合うふたつの影がある。はげしく打ち合うボールの応酬をぼうと眺める明前が、ぽつりとつぶやいた。
「さっきの試合、……たとえば俺じゃなくて蜂谷さんだったら負けなかったんじゃねーかって、おもうんスよね」
「は。なんで?」
「関東大会のときに蜂谷さんと組んでた譲さんのメンタル──傍から見ててもすげえ安定してたでしょ。俺はやっぱり、その、自分のペースでやっちまうことが多くて、これまでも譲さんのプレーに甘えていたことがけっこうあって」
「…………」
「蜂谷さんはつねに人を見てる。俺と正反対なんスよ。俺は譲さんと一年間ダブルスを組んできて、おかげさまで入部したてのころに比べるとずいぶん他人に気ィ回せるようになりました。ゲームメイクとかもおぼえたし、団体戦での心持ちも知って」
でも、と明前の顔が険しくゆがむ。
「俺の成長のためだからって、俺と組むことで譲さんにプレッシャーかけてたって気付いたんス。蜂谷さんと譲さんのダブルスを見たときに」
関東大会の試合──蜂谷と組んで出た杉山のプレーは非常に安定していた。それは明前だけでなく大神も認めており、今回の全国大会も、実は直前までこの組み合わせを崩さず進めようか、と大神が検討していたほど。
彼のなかで、とかく明前をシングルスプレイヤーとしてさらに育てたいという想いもあったのであろうが。
聞かれたんスよ、と明前が水道に身をもたれた。
「全国大会、シングルスとダブルスどっちでいきてえかって。大神さんに」
「えっそうなん」
「俺──ダブルスやりたいって言ったんです。とくにシード校から先。なるべく譲さんと組ませてくださいってお願いしたんスよ」
と照れくさそうにうつむく明前を見て、杉山はえらくおどろいた。関東大会でシングルスに励むこの後輩が、それこそ自分のペースでのびのび試合が出来ていると感じていたからである。元来マイペースな性格なのに、ダブルスで自分と組めばイヤでもペースを合わせねばなるまい。
それもあって、杉山は常々申し訳ないとおもっていたほどだった。の、だが。
「廉也じゃねーけど、俺だってこの一年ずっと譲さんのとなりに立たせてもらって、いろいろ学んで──マジで感謝してるんです。譲さんたちにとっちゃ最後の全国だし、俺にとっても団体最後のダブルスになるだろうから。それなら、やっぱりアンタと組みたいとおもうじゃないッスか」
「み、明前──」
「でも俺、間違ってました。最後の全国だからこそ確実に勝てるオーダーにしなきゃいけなかったのに。譲さん、あのポイントッスよね。九ゲーム目浅倉さんのポーチ、センターにきたやつを俺が見送って譲さんがカバーしてくれたじゃないスか。でも、ネットだった」
「…………」
「たぶん俺じゃなく蜂谷さんなら、あれ取ってたんですよ。でもあの時の俺は──横峯さんの打球を見極めるのに必死で、見逃したんです。あのポイントからアンタの球が変わった」
ちょお待て、と杉山があわてて制止した。
しかし明前はタオルを頭にかけてうつむいたまま、その口は止まらない。
「あんなもん、浅倉さんのポーチが上手かったで終わらせりゃいい話なのに。アンタはなぜ取れなかったのかって、すぐ自分からドツボに嵌まりにいくんだ」
「す、すまんて──でも」
「俺がたぶん、ひとりで試合をしてたんス。ダブルスなのに。シングルスの気分でやってたんだ。……」
「明前!」
と、杉山が明前のタオルをぐいとひっぱる。
その反動で顔を上げた彼の顔を見て、杉山はまたまたおどろいた。泣いている。
いつもは、どちらかというとつまらなそうな表情のまま動かない彼が、悔しそうに眉をひそめて、泣いているのである。
「すんませんした──俺、譲さんからダブルスについてホントにたくさんのこと教わってきたのに。一番大事な場面で、一番大事なところが抜けちまってたんス」
「おま、そんな──泣かんでもええやん、たかが一ポイントのミスで!」
「さっきアンタのが泣いてたじゃねーっスか!」
「いや、オレのやらかしとお前のミスやったら雲泥の差があるやろ! オレらの後半の失点、ほとんどがオレのミスやってんで。これで才徳が終わったら切腹もんやわ。泣きたくもなるやろ」
「でもそのきっかけ作ったのは俺です。駄々捏ねて、いっしょに試合入らせてもらったのに──アンタを悩ませて、挙げ句泣かせたことが悔しくってしょうがねーんスよ。……」
「いや、そん、おま────お前にも涙腺とかあったんやなぁ……」
「人のことなんだとおもってんスかマジで」
明前はタオルで顔を押さえながら、杉山の肩を小突いた。
これまで、試合で負けたとしても悔しい顔をひとつと見せず、淡々とPDCAを回してきた彼がこれほど感情を剥き出しにするのが新鮮で、杉山はニコニコと小突かれた肩をさする。
つい数分前まで泣きじゃくっていたのが嘘のよう。対する明前はふたたび顔を冷やすべく、水道の蛇口をひねってちいさな噴水に顔をいれた。
「そーかそーか。つまりオレらは一年もペア組んでいながら、肝心なことを話し合うとらんかったわけやな」
「……は。なんのことスか」
「オレかて、ずっとお前に申し訳ないとおもいながらダブルス組んどってんで。きっとシングルスやりたいんやろなぁとか、オレと組むのイヤなんやろなぁとかネガティブなことばっか考えとってから。まあたしかに、ハチやとその辺はあんまり気にせえへんのも事実やねん。なんせハチの包容力は菩薩レベルやさかいな」
「は、はあ。……」
「ほんでもオレはお前に言わなあかんことがあったんや。お前もやで、オレに言わなあかんことがあったはずや」
明前の顔が曇った。
なにを──と言いかけた彼を制して、杉山がぐっと顔を寄せる。
「この一年、お前とダブルス組めてよかった」
「…………」
「お前は?」
「──や、だからそれはさっき言ったッスけど」
「もっかい言えや」
「キレないでくださいよ──だから、譲さんと組めてよかったとおもってます」
「うん、よし」
それでええねん、と杉山は上機嫌に立ち上がる。
「オレもお前もダブルス組むのたのしい、それでええねん。そこがお互いわかっとらんかっただけや。さっきの試合はちょっと不調やったけど──ここからぜったい大神が勝ちを獲ってくれるはずやから。また次の試合でやったろうや」
「はい。ッスね」
といって明前がほくそ笑み、ふたたび寂れたコートに視線を移す。
気がつけば熾烈なラリーは終わって静かなものである。それどころか先ほどまで打ち合っていたらしい人影がふたつ、フェンスのそばまで近付いてきてこちらをじっと覗き込んでいる。
そう、なんだかとても見覚えのある──。
「えっ」
「は、ハチ?!」
蜂谷と如月千秋がそこにいた。
いや、本来ならばクールダウンなのだから軽いランニングをして戻るはずだったのだが、コートから離れて会場裏手に来るなり杉山が泣き崩れてしまったのである。無理もない。明前のプレーに問題はなかった。すべては自分のメンタル変調によるプレーの乱れが原因だったのだから。
そんなことないスよ、なんて。
下手なフォローをすればさらに傷つくだろうと判断した明前が、とりあえず水をかぶって頭冷やしましょうと提案し、今に至る。
暖かな気温とはいえ、風が吹けばひやりと冷える春先の空気に身震いし、明前はゆっくりと頭をあげた。
「冷えました?」
「ぶあーっくしょん!」
「おお、よく冷えたみたいッスね」
「かぶりすぎた──シャワー浴びたみたいになってもた……」
と、身を震わせる杉山であったが、おかげですっかり涙も引っ込んだらしく勢いよくタオルで頭を拭きあげる。
すみません、と明前が頭を下げた。
「さっきの試合、ちょっと自分の世界に入りすぎました」
「いやそんなんちゃうねん。オレのわるいとこが出てもうてん。せや、なにもお前まで水かぶらんでも良かったのに」
「はあ──なんかこのままだと、やっぱりちょっと気持ち的に次の試合まで引きずりそうだったんで」
「さよか」
ぐすっと杉山が鼻をすする。
で、と明前もタオルで頭を拭きながら杉山を見た。
「今回の引き金はなんだったんスか。前半までめちゃくちゃ調子良かったとおもいましたけど」
「うーん──なんでやろ。なんや、後半いくにつれて変にプレッシャー感じてもうた」
「…………」
一瞬の沈黙。
どこからか聞こえる小気味よいボールの音。音の方向には寂れたコートで互いに打ち合うふたつの影がある。はげしく打ち合うボールの応酬をぼうと眺める明前が、ぽつりとつぶやいた。
「さっきの試合、……たとえば俺じゃなくて蜂谷さんだったら負けなかったんじゃねーかって、おもうんスよね」
「は。なんで?」
「関東大会のときに蜂谷さんと組んでた譲さんのメンタル──傍から見ててもすげえ安定してたでしょ。俺はやっぱり、その、自分のペースでやっちまうことが多くて、これまでも譲さんのプレーに甘えていたことがけっこうあって」
「…………」
「蜂谷さんはつねに人を見てる。俺と正反対なんスよ。俺は譲さんと一年間ダブルスを組んできて、おかげさまで入部したてのころに比べるとずいぶん他人に気ィ回せるようになりました。ゲームメイクとかもおぼえたし、団体戦での心持ちも知って」
でも、と明前の顔が険しくゆがむ。
「俺の成長のためだからって、俺と組むことで譲さんにプレッシャーかけてたって気付いたんス。蜂谷さんと譲さんのダブルスを見たときに」
関東大会の試合──蜂谷と組んで出た杉山のプレーは非常に安定していた。それは明前だけでなく大神も認めており、今回の全国大会も、実は直前までこの組み合わせを崩さず進めようか、と大神が検討していたほど。
彼のなかで、とかく明前をシングルスプレイヤーとしてさらに育てたいという想いもあったのであろうが。
聞かれたんスよ、と明前が水道に身をもたれた。
「全国大会、シングルスとダブルスどっちでいきてえかって。大神さんに」
「えっそうなん」
「俺──ダブルスやりたいって言ったんです。とくにシード校から先。なるべく譲さんと組ませてくださいってお願いしたんスよ」
と照れくさそうにうつむく明前を見て、杉山はえらくおどろいた。関東大会でシングルスに励むこの後輩が、それこそ自分のペースでのびのび試合が出来ていると感じていたからである。元来マイペースな性格なのに、ダブルスで自分と組めばイヤでもペースを合わせねばなるまい。
それもあって、杉山は常々申し訳ないとおもっていたほどだった。の、だが。
「廉也じゃねーけど、俺だってこの一年ずっと譲さんのとなりに立たせてもらって、いろいろ学んで──マジで感謝してるんです。譲さんたちにとっちゃ最後の全国だし、俺にとっても団体最後のダブルスになるだろうから。それなら、やっぱりアンタと組みたいとおもうじゃないッスか」
「み、明前──」
「でも俺、間違ってました。最後の全国だからこそ確実に勝てるオーダーにしなきゃいけなかったのに。譲さん、あのポイントッスよね。九ゲーム目浅倉さんのポーチ、センターにきたやつを俺が見送って譲さんがカバーしてくれたじゃないスか。でも、ネットだった」
「…………」
「たぶん俺じゃなく蜂谷さんなら、あれ取ってたんですよ。でもあの時の俺は──横峯さんの打球を見極めるのに必死で、見逃したんです。あのポイントからアンタの球が変わった」
ちょお待て、と杉山があわてて制止した。
しかし明前はタオルを頭にかけてうつむいたまま、その口は止まらない。
「あんなもん、浅倉さんのポーチが上手かったで終わらせりゃいい話なのに。アンタはなぜ取れなかったのかって、すぐ自分からドツボに嵌まりにいくんだ」
「す、すまんて──でも」
「俺がたぶん、ひとりで試合をしてたんス。ダブルスなのに。シングルスの気分でやってたんだ。……」
「明前!」
と、杉山が明前のタオルをぐいとひっぱる。
その反動で顔を上げた彼の顔を見て、杉山はまたまたおどろいた。泣いている。
いつもは、どちらかというとつまらなそうな表情のまま動かない彼が、悔しそうに眉をひそめて、泣いているのである。
「すんませんした──俺、譲さんからダブルスについてホントにたくさんのこと教わってきたのに。一番大事な場面で、一番大事なところが抜けちまってたんス」
「おま、そんな──泣かんでもええやん、たかが一ポイントのミスで!」
「さっきアンタのが泣いてたじゃねーっスか!」
「いや、オレのやらかしとお前のミスやったら雲泥の差があるやろ! オレらの後半の失点、ほとんどがオレのミスやってんで。これで才徳が終わったら切腹もんやわ。泣きたくもなるやろ」
「でもそのきっかけ作ったのは俺です。駄々捏ねて、いっしょに試合入らせてもらったのに──アンタを悩ませて、挙げ句泣かせたことが悔しくってしょうがねーんスよ。……」
「いや、そん、おま────お前にも涙腺とかあったんやなぁ……」
「人のことなんだとおもってんスかマジで」
明前はタオルで顔を押さえながら、杉山の肩を小突いた。
これまで、試合で負けたとしても悔しい顔をひとつと見せず、淡々とPDCAを回してきた彼がこれほど感情を剥き出しにするのが新鮮で、杉山はニコニコと小突かれた肩をさする。
つい数分前まで泣きじゃくっていたのが嘘のよう。対する明前はふたたび顔を冷やすべく、水道の蛇口をひねってちいさな噴水に顔をいれた。
「そーかそーか。つまりオレらは一年もペア組んでいながら、肝心なことを話し合うとらんかったわけやな」
「……は。なんのことスか」
「オレかて、ずっとお前に申し訳ないとおもいながらダブルス組んどってんで。きっとシングルスやりたいんやろなぁとか、オレと組むのイヤなんやろなぁとかネガティブなことばっか考えとってから。まあたしかに、ハチやとその辺はあんまり気にせえへんのも事実やねん。なんせハチの包容力は菩薩レベルやさかいな」
「は、はあ。……」
「ほんでもオレはお前に言わなあかんことがあったんや。お前もやで、オレに言わなあかんことがあったはずや」
明前の顔が曇った。
なにを──と言いかけた彼を制して、杉山がぐっと顔を寄せる。
「この一年、お前とダブルス組めてよかった」
「…………」
「お前は?」
「──や、だからそれはさっき言ったッスけど」
「もっかい言えや」
「キレないでくださいよ──だから、譲さんと組めてよかったとおもってます」
「うん、よし」
それでええねん、と杉山は上機嫌に立ち上がる。
「オレもお前もダブルス組むのたのしい、それでええねん。そこがお互いわかっとらんかっただけや。さっきの試合はちょっと不調やったけど──ここからぜったい大神が勝ちを獲ってくれるはずやから。また次の試合でやったろうや」
「はい。ッスね」
といって明前がほくそ笑み、ふたたび寂れたコートに視線を移す。
気がつけば熾烈なラリーは終わって静かなものである。それどころか先ほどまで打ち合っていたらしい人影がふたつ、フェンスのそばまで近付いてきてこちらをじっと覗き込んでいる。
そう、なんだかとても見覚えのある──。
「えっ」
「は、ハチ?!」
蜂谷と如月千秋がそこにいた。
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