片翼のエール

乃南羽緒

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第四章

67話 見ぃつけた

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 一色徳英S3、師岡桃也もろおかとうや
 天城の関東大会二戦目の相手は、青峰学院の和泉小太郎にわずか二ゲームを許すのみで勝鬨をあげたという。
 何より和泉を苦しめたのは、サーブと同時に前に出る師岡の速攻プレーだった。ドロップショット、ボレー、ショートクロスと様々な技を駆使して和泉をネット前に誘導し、返ってきた球を弾丸のごとき速さで叩き込む。そうしてサービスゲームを死守しながら、リターンゲームでも同様の隙をつくって攻め立ててブレイク。
 なにより前後にボールが動くためラリーが出来ないことが、和泉にとっての大きな痛手だった。彼が得意とするのは、ラリー中に球への回転を使い分けて相手の動きを揺さぶるプレーだからである。
 蜂谷と天城は頭を突き合わせて、傾向と対策についての最終確認をおこなった。
「天城のテクニック、コントロール、ほかすべてのステータスを見ても間違いなく劣らない。ここは自信を持っていい」
「はい」
「相手が前後にボールを落としてくるのなら、天城のフットワークとスタミナでそれを取りつづければいいだけの話だ。怖がるほどじゃないな」
「前に落とされたボールを返すとき、隙を作らないためにはどうすればいいでしょうか──」
 蜂谷の手元には、テニス用の戦術ボードがある。オレンジのマグネットを前後に移動させながら、蜂谷は説明をつづけた。
「相手のポジショニングをよく見るに限る。ネット際ならいっそロブで逃げてもいい。相手がココにいたならあえてぶつけてみるのもありだな」
「ぶつける、ですか」
「でも天城には──例のボレーがあるんじゃないのか。七浦さんにずいぶん教え込まれてたヤツ」
「あ、でもあれはまだ百パーセント出来るって自信が」
「そんなの試合に入れば、どんな打球だって百パーセント決めきるのは至難の技だ。積極的にトライしてみるべきだよ、大丈夫」
 と蜂谷がにっこりわらう。
 すると天城の背後からドン、と肩に衝撃が起きた。伊織が乗っかってきたのだ。
「い、伊織先輩」
「ええか、あまりん。……」
 伊織は背後からおもむろに天城の右手首をつかむ。しばらく上下左右にストレッチをさせて手首をやわらかく整え、最後にぎゅっと両の手で包み込んだ。
「あのボレーはな、気負ってたら出えへんねん。ふつーにテニスしとってその瞬間に「ココや」ちゅうタイミングがかならず来るから。手首柔らかくしてそのときを待っとけばええんよ」
「タイミング──」
「だいじょうぶ。七浦印の必殺技やねんから、自信持ちや」
「はい!」
 ようやく。
 天城の顔にいつもの笑みがもどった。ラケットバッグを肩にかけ、彼は足取り軽くコートへ踏み入れる。が、ベンチコーチのためともに立ち入りかけた大神の足が止まった。
 運営側によれば、まもなく決着がつくであろうとなりのコートが空き次第、D2試合も同時進行でおこなうというのである。
 どちらに入るべきか──と。
 大神は、天城とD2のふたりを見比べた。ふつうに考えれば経験値の浅い天城の方へ入りそうなものだが、どうも天城は近くで大神が見ていることで緊張する傾向にある。
 ゆえに大神はいま、自分が入って天城が実力を出し切れないことを懸念している。
「天城」
 呼び止めた。
 ハイ、と彼はあわてて振り返る。
「──いま俺は、S3とD2どちらのベンチコーチに入ろうかと悩んでる。おまえどうしてほしい?」
「えっ。……」
「俺としてはおまえの試合を見てやりてえんだけどな。ただおまえが、それだと緊張しちまうってんなら俺はD2に入る。どうしたい」
「お、俺は──」
 天城の頬がわずかに紅潮する。
 やがて前のめりに大神へ詰め寄り、深く頭を下げた。
「見ててほしいです。大神部長に」
「いいんだな?」
「さっきのような試合はもう見せません。ホントの自分の試合、見ててください」
「よく言った」
 大神はにやりとわらった。
 D2ペアは却って気が楽なようで、大神より簡単なアドバイスを受けると、まもなくゲームセットを告げたとなりのコートへと向かう。おなじタイミングでコートに入ってきた一色徳英の選手──S3師岡と、D2ペアである菊池麻也、安達良樹。
 ここに、準決勝S3ならびにD2試合が幕を開ける。

 ※
 見ぃつけた、と。
 首筋近くでひびいた声を聞くや、伊織の背筋はゾッと凍り付いた。振り返らずとも分かる。伊織にとってこの世で最大かつ唯一の天敵ともいえる男──如月千秋の声だ。
 伊織が反応を示すよりもはやくに千秋は口をひらいた。
「このあいだ親父から八ッ橋受け取ったよ、ありがとう。愛妹からの土産とおもったら三倍はうまかったなぁ。でもおまえ愛織から桜爛メンバーに向けた伝言聞いてない? 聞いてるよな? なのにアイツらまだ聞いてないって言ってたよ。高二にもなっておつかいもまともにできないの? 八ッ橋はくれたのに」
「あーもうアカンわ。杉やん殺虫剤買うてきて、さっきから耳元で害虫がぶんぶんうるさくてかなわん」
 と、耳元を手で払う。
 嫌悪感丸出しの声色としぐさに、なぜか話を振られてしまった杉山は千秋と伊織を見比べてあたふたと慌てる。そんな露骨に失礼なこと言ったらさすがの彼も怒るのではないか──と心配してのことだが、千秋の顔に浮かぶにこやかな笑みは虫けら扱いをされた程度では崩れない。
 それどころか、なぜか才徳陣営のなかに青峰学院高校や松澤工業高校の選手たちまでもが混ざって応援するのを見て、千秋もその場に腰をおろした。
 すかさず伊織が眉をつりあげてその背中に蹴りをいれる。
「オイなに座っとんねん。ソコおまえの席ちゃうねん! ていうか席ねーから!」
「いいじゃん別に。桜爛の試合はもう決勝戦までないし、それなら妹のチームを応援してやるのも兄のつとめってものだろ。あー僕ってやさしい」
「ハッ。なにをそれらしい理屈捏ねて──愛織がいてへんからつまらんだけのくせに」
「……その愛織からの伝言はなんだって?」
「なんでおまえに言わなあかんねん。おまえに対しての伝言ちゃうわ」
「久しぶりに『高い高い』してやろっか」
「『かならず勝つように』ってそれだけや」
「なんだ、シンプルだな~」
「ホンマ嫌い──コイツマジで嫌い──」
 伊織は下唇をギリリと噛みしめる。
 が、しばらくして周囲が異様にシンと静まり返っていることに気がついた。才徳メンバーは現在おこなわれる二試合に夢中だから──というより気にかけると面倒くさそうなので見ないフリをしている──であるが、さきほどまで雑談をしていた青峰学院や松工メンバーたちはみな口をつぐみ、おどろいた表情で伊織と千秋を見比べる。
 まもなく松工D1の村雨翠は「ぴゃあ」と奇声を発して地面にころがった。その一声をきっかけに、現役選手たちは一斉に如月千秋へとつめかけた。
「お、桜爛の如月さんですよね。インターハイの試合見てましたッ」
「如月さんのストローク、迫力がすごくて尊敬してます。打ち方にコツとかありますかッ?」
 など、など。
 馬場園や国見は頬を紅潮させてそう問いかける始末。
 千秋はにっこりわらって「どうもどうも」と一人ひとりの握手に応じるや、その隙に距離をとろうと試みた伊織の首根っこを掴んでむりやり肩を抱き寄せた。
「ねえいまの聞いてた? 僕ってけっこう有名なんだな」
「ええいくっつくな気持ち悪ィ!」
「あ、みんな。コイツ、僕の妹その二。素直じゃない性格だから友だちが少ないんだよ、どうぞ仲良くしてやってね」
「テメーよかよっぽどいてるっちゅーねんこのサイコパスヤロー! ……痛っ」
 ふいに伊織が後頭部を抑えた。
 はげしい疼痛が瞬間的に襲いくる。割れそうなほどの痛みにおもわず異母兄の肩に顔を埋めたが、ひとつまばたきをするや痛みは嘘のように引いていた。一瞬の恐怖に混乱していると伊織の頬に水滴が当たる感覚がした。雨か?
 空を見上げる。朝からの曇天模様は変わらずだが、しかし雨が降り出したようすはない。
 どうした、と千秋がキョトンとした顔で伊織の顔を覗き込む。
「お、──おまえの顔見たらあたま痛なってん。もーッ、身体まで拒絶反応出しはじめた!」
「わっはっはっは。うわS3、いまのリターン良かったねえ」
 という千秋のことばとおなじタイミングで、才徳陣営から一気に拍手が沸き起こる。
 師岡の速いサーブに対して怯むことなくしっかりと体重を乗せてリターン。打球はベースラインへ伸び、跳ねた。師岡の足は球に追いつくも、ラケットがワンボール分届かない。このリターンエースによってブレイクし、天城リードのゲームカウント1-0。
 一試合目の彼は見る影もない。
 千秋を押しのけ、すっかり復活した伊織は高らかにわらった。
「きたきた、目ェ覚めてきたやん。それでこその天城創一あまりんや!」

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