金色プライド

乃南羽緒

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第三章 関東大会観戦

74話 余談:高宮兄弟の受難③

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 祖父母家の門前にひとりの女が立っている。
 顔立ちこそきれいだがすこしやつれており、その腕や脚は骨と皮のみ──細い。肌寒いなか、おのが身をさすってきょろりと辺りを見回す。すこしして、彼女の視界に黒塗りセダンがゆっくりと近づいてきた。
 女──高宮双子の母親がとっさに車をにらみつけると、車はまもなく停車する。
 運転手はサングラスのため顔がよく見えない。どうやら車から降りるつもりもないらしい。代わりに助手席に座る若い女がドアを開けた。こちらもサングラスをかけている。しばらく、双子母と助手席にいた女──伊織のあいだに、バチバチと火花が散った。
 どうも、と。
 さきに口をひらいたのは伊織である。
「桜爛テニス部コーチの、七浦伊織と申します」
「…………桜爛、テニス部」
「高宮双子のお母さまでらっしゃいますよね。凛久と雅久、私の教え子なんです」
「雅久? まあ!」
 母親はパッと顔をあげた。
 いつのまにか、黒塗りセダンの後部座席から双子が降りている。バン、と荒々しくドアを閉める雅久とは対照的に、凛久は存在感をなくすためか音を立てずにドアを閉めた。
 雅久を見るや、母親はおおげさに息を荒げて近づく。
「雅久! どこいってたの遅かったじゃない、今日は午前だけの練習だってあなたのおばあちゃまから聞いててお母さんずっと待ってたのよ、どこか寄り道をしていたの? どうして人様の車に乗って帰ってきて……なにかあったのねえ雅久」
「うるせえな。ガキじゃねーんだからいちいち心配してくんなよ。コーチに送ってもらっただけだ」
「もうお母さんに心配かけさせないでただでさえあなたテニス部に入ったって私にひと言も言わなかったじゃない、おばあちゃまに聞いてびっくりしたんだからッでもよかったやっぱり雅久には才能があるんだものこのままテニス辞めちゃったらどうしようかってお母さん心配で心配で──」
 双子の母は、一方的にまくしたてて雅久をべたべたとさわる。
 挨拶をした伊織など眼中にもなく、ましておなじ我が子であるはずの凛久など背景とおなじ。彼女の視界にはいま、雅久しか映っていないらしい。雅久は心底気味わるそうに腕をふり払って後ずさる。その際、先ほど轢かれた足が痛み、ぐらりと伊織にもたれかかった。「やべ」と雅久がつぶやく。
 瞬間、母親の目が据わった。
「ちょっと雅久その足どうしたの怪我したの、包帯巻いてるじゃないだからコーチに送ってもらったのね、やだあなたテニスするなら足だって大事に──」
「チッ、またはじまった……」
「ちょっと凛久!!!!」
 とつぜん、鉾先は凛久に向けられた。
 つい今の今まで存在すら認知しているようには見えなかったのに、いま母親は鬼のように目を吊り上げて、車の陰で息をひそめていた凛久をまっすぐに見つめている。
 はい、と凛久はか細く返事をした。
「いったいなんべん言ったらわかるのよッ。雅久が怪我しないようにサポートするのがあなたの役目でしょなんのために雅久のそばにいさせてやってるとおもってるの、アナタにできることなんてそのくらいなんだからもっとしっかり守ってあげなくちゃダメじゃないの!」
「ご、ごめんなさい」
 凛久が頭を下げる。
 オイ、とすかさず雅久が母親の胸ぐらをつかんだ。
「ふざけんなよババアッ。俺のケガと凛久はなんの関係もねーよ、いちいち凛久に突っかかってんじゃねえッ。テメーもわるくねえのにいちいち謝んな、凛久!」
「雅久!」
 あわてて伊織が制止のために手を伸ばすも、母親はうれしそうに目を見ひらいて雅久の顔を見つめている。一年ぶりに見る我が子に見とれているのだろうか。伊織はゾッとして、おもわず手をひっこめた。
 ダメじゃない、と、こんどは猫なで声で母親はつぶやいた。
「雅久、お母さんあなたのためをおもって言ってるのよあなたには才能があるんだから自分のことをもっと大事にしなくちゃ、あのね、お母さんむかしはなんにも出来ない子でね、それでとっても苦労した人生だったの──」
 説教に混ざる、母の自語り。
 耳に胼胝たこ。いったい何千回聞かされただろうか、母の過去。
 高校入学してから家を離れ、しばらく聞いていなかったこの話だが、雅久も凛久も一言一句違わず暗唱できることだろう。それから滔々とつづく母親の苦労話を前に、あれほど勇んでいた伊織もすっかり消沈した。
 それとおなじくして、うしろから駆けくる音がした。蓮だった。母親に詰め寄られる雅久に憐れみの表情を浮かべてから、伊織に近づく。
「コーチ、これどういう状況?」
「こっちが聞きたい……」
「あれ。母親とコーチがレスバするって聞いたから野次馬に来たんだけど、負けちゃったんすか?」
「いや、そもそも不戦敗の気分やわ」
「あー、おなじ土俵にすら乗ってくれないっすよね。そもそも雅久のことば以外聞く耳持たないし。いや、雅久のことばだって──」
 蓮は鼻をならした。
 いい加減にしろよ、という雅久の言葉もから回る。
 暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがい、沼に杭──。あげればキリがないが、とにかくそういうことである。
 この母親に、雅久の暴言は届かない。
 しかしこのままでいいわけもない。
「あのう!」
 伊織が割って入ってみた。
 するとようやく母親は口を止めて、ゆっくりと伊織を見た。すこしおどろいた目をしている。「まだいたの」とでも言いたげに。
「あらええっと……桜爛テニス部のコーチさん? でしたかしら」
「ええ。七浦です」
「まあどうも雅久のこと送っていただいたみたいでお世話様でした、あとはわたくしが雅久のケガを見ますからどうぞお引き取りいただいてけっこうですよどうもご苦労様でした」
「いやいやいやいや。えっとね高宮さん、ちょっとお話を」
「凛久!」
 母親の声が尖る。
 蓮のうしろに隠れていた凛久の肩がピャッと跳ねた。
「なにしてるの愚図ッ、雅久の荷物もってはやく家のなかに持っていきなさいよお兄ちゃん怪我してるんだからッ」
「あ、ご、めんなさい」
「ホントに愚鈍な子ね、言われなきゃ分からないんだから……むかしの自分を見てるみたいでいやんなる、ほら雅久おうち入んなさいな」
 と、踵を返す母親。抵抗するのも疲れた雅久。車のなかからラケットバッグを取り出して駆け寄る凛久──。

「行かんでええ、凛久」

 伊織の手が凛久の腕をつかんでいた。
 おもわず足を止める弟と、それを見て足を止めた兄。母親はいら立ったようすで凛久を急かさんと口をひらいた。
「凛久!」
「凛久、行かんでええ。おばあちゃんたち帰ってくるまでうち来たらええわ。雅久もや。イヤなんやったら無理してついてかんでええ。うち来んさい」
「こ、コーチ」
「…………」
 雅久の判断ははやかった。
 背中を押してくる母の手を振りほどき、足を庇いながら伊織のもとへ駆ける。伊織はそれをやさしく抱き留めて、凛久と雅久の肩を労るようにポンとたたいた。
 また、母親の目がつり上がる。
 ヒッと喉をひきつらせる凛久の前に、庇うように蓮が立つ。雅久はすこし哀しそうな目で母親を睨みつける。
 ちょっと、と母親はさけんだ。
「あなた何様のつもりですかたかがコーチの分際で、うちの息子たちをどうする気なの、それ以上息子に近づいてみなさい警察呼びますよ!」
「なんぼでも呼んだらええがな。なんべんもなんべんも、自分の息子をナイフで傷つけよってから。りっぱな虐待や。警察呼んでくれはんのやったらこっちがお願いしたいくらいやで」
「なにいってるんですか、ナイフってなに、虐待ってなんのことよ? 私はいつだって子どもたちの為をおもって言ってるのッ、凛久は愚図なところが私に似てるからいまのうちから愚図は愚図なりの振る舞い方を知っておかなきゃならないし、将来雅久が大成したらきっと世間から双子で比べられちゃうだろうとおもったから私なりにしつけを」
「『あなたの為』とおもって動く人間が、その人のために動いてはるのを見たことがないです」
「な、」
 何ごとかを言いかけた母親から目をそむけ、伊織は双子の肩をまた叩く。
「凛久、雅久。うちが間違うとった。話し合いでなんとかしたるなんて可笑しな話やったわ。ごめんな」
「コーチ、……」
「あしたは白泉との練習試合やから、着替えだけ持ってきたらええわ。蓮、ふたりの準備手伝うてくれる?」
「あっ、ハイ。雅久はここにいろよ、足痛いんだろ。凛久いこうぜ」
「う、うん──」
 蓮に手を引かれて凛久は駆け出す。
 門前に立ちふさがる母親に肩をびくつかせたが、蓮が彼女を押し退けるようにして中に入ったので、接触はまぬがれた。母親は呆然とふたりの背中を見つめている。
「高宮さん」
 伊織がつぶやく。
 母親は焦点の合わぬ瞳をこちらに向けた。
「明日、桜爛高校でテニス部の練習試合があるんです。ぜひお越しください」
「え?」
「な、なに言ってんだよアンタ」
「雅久はいま文句なしに桜爛の柱です。それに凛久は、精神的支柱として先頭に立ってくれてます。部長として、ムードメーカーとして。そこをきちんと、その目で、見ていただきたい」
「……凛久がムードメーカー?」
「ええ。凛久おらずしていまの桜爛テニス部はありません。あの子から学ばされることも、ぎょうさんあります。それによほど雅久を心配なさってはるようですが、この子はすこし放って好きにさせた方が、よっぽど実力発揮できる子やとおもいますよ」
「…………」
「明日は一歩離れた目ェで、冷静に見てやってください。雅久はもちろん、凛久かてこの短期間でビックリするほど強なりましたから」
 伊織は、そして閉口した。
 まもなく着替えをバッグに詰めてもどってきた蓮と凛久を見た母親の目が、不幸を一身に背負ったようにゆがみ、涙をためてゆく。
 母がなにかを発する前に雅久がふたりを車に詰め、自身も乗り込む。
 雅久ッ、と母の金切り声がとぶ。
 運転席の大神はなにも言わずに、アクセルを踏んだ。

 しばらくして、後部座席から聞こえる三人の寝息。
 助手席からバックミラー越しにそれを確認した伊織が、右手で拳をつくる。
「大神」
「ん」
「さっきは久しぶりに、アンタ意外に泣かされそうなったで」
「…………」
「こんなに自分の大切なモン馬鹿にされたん初めてや。……」
 伊織の瞳になみだが浮かぶ。
 あァ、と右手でハンドルをあやつる大神はちらりと彼女に目をやって、
「──ひでー話だ」
 と、空いた左手を伊織の拳にそっと添えた。
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