金色プライド

乃南羽緒

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第三章 関東大会観戦

71話 誓い

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 全国選抜高校テニス大会のなかでも鬼門と言われる関東大会、決勝戦はその異名にふさわしく、高レベルに拮抗した白熱試合となった。
 S1、S3、D1を才徳学園が制し、S2、D2で勝利した綾南高校。S3に関してはタイブレークまで競ったなかでのセットカウント3-2で、才徳学園が関東大会優勝の栄光を掴んだのである。
 団体戦すべての行程が終了し、帰り支度をする選手たち。エレノア、倉持の両顧問は、互いの生徒へねぎらいのことばをかけた。
 その光景を背に、熱戦を目にした興奮冷めやらぬなか、桜爛大附の生徒たちは蜂谷に別れを告げて会場をあとにする。昂りの余韻に浸る一方、その心の内にはある種の絶望がただよう。
 眼前で繰り広げられた高レベルな試合。
 強化合宿での、コーチ陣たちとの試合に勝るとも劣らぬ内容だった。そう、桜爛の選手たちは実際に合宿で体験している。あのレベルの強さを。
 しかしそれとこれとは話がちがうのである。
 合宿ならばよかった。大会に、プロやコーチ陣が出場するわけではないのだから。
(でも)
 と、凛久が細く息を吐く。
(コーチたちとそう変わらないあのレベルが──本チャンの大会で出てくるなんて、そんなの)
 勝てっこないじゃないか、と。
 凛久は叫びだしたいのを必死にこらえている。

「強かったな」

 ぽつりと蓮が言った。
 沈黙を破るには強烈なひと言だった。みな、それを言うのが後ろめたく感じていたから。即座に反応したのは新名である。
「マジ──あそこまで強くならねえと、全国王者に返り咲けねえのかって絶望したわ。ショージキ」
「自信失くすな~」
 めずらしい蓮の弱音に、なに言ってんだ、とこれまためずらしく雅久が叱咤する。
「俺たちの第一目標は都大会優勝だ。関東じゃねえ。さいわいに才徳も綾南も神奈川だから、都大会じゃお目見えしねーよ」
「それはそうだけど──ベスト4の愛染学園は東京だろ。準決じゃあけっこう才徳といい勝負してたぜ」
「でも才徳に負けた。才徳より弱いなら、俺ら桜爛にも勝機はあるだろ」
「マジで言ってる──?」
 と、戸惑う凛久。
 それに対して秀真はソイツのいう通りだ、とまたまためずらしく雅久に同調した。
「都大会優勝ラインは決して高い壁じゃない。黛が愛染の選手についてもまとめたらしいから、それで対策を立ててもいい。都大会までまだ四ヶ月ある、悲嘆に暮れる時期じゃねえよ」
「実力派のキミらは言うことがちがうねえ」
 新名がにがにがしくつぶやく。
 一連のやり取りをすこしうしろから見守るは、遥香と琴子。初心者あがりの三人は才徳の試合を見てすっかり士気が下がったようだが、意外にも遥香と琴子はそうでもなかった。
 まったくテニスができないふたりからすれば、今日の才徳選手の試合も、強化合宿で見せた桜爛選手のテニスも、レベルはそれほど変わらない。
 一歩さがった位置で見るふたりだからこそ、彼らの長所もよく見えている。
 なに言ってるんですか、と琴子は声を荒げた。
「たった五日間の強化合宿であれだけレベルアップした皆さんですよッ。都大会まであと四ヶ月もあるんですから、ここからの追い上げだって可能です!」
「ま、黛──」
「そうだよ。おまけにこっちには心強い最強コーチ陣たちがバックアップしてくれるんだから、都大会までにはもっと強くなれる!」
 と、遥香も元気よくガッツポーズ。
 まったく呑気なもんだ、と苦笑する新名と蓮であったが、先ほどまでの重苦しい緊張感はだいぶ和らいだ。
「せやな、まずは都大会や」
 伊織もずずいと前に出た。
「関東なんて先の話してもしゃーなし。とにかくまずは都大会、明日からの練習はメンタル強化にも力いれてくさかいな。大会の雰囲気に気圧されんよう、すべてのステータス鍛えていくよ」
「はいっ」
 こうして。
 関東大会観戦は、たしかな目標レベルを生徒たちに明示して幕を下ろした。あとはその目標値へどう導いてやるか──コーチの手腕が問われるときだ、と伊織は兜の緒を締める心境に至っている。

 ※
 一月十四日。
 平日ながら、コーチ業をおやすみした伊織は墓参用の花束を一対、線香を二束携えて大阪のとある寺院墓地へとやってきた。
 母方の菩提寺である。
 水桶と柄杓を手に水を汲み、立派な黒御影の石でできた和型の墓石へ。

『七浦家先祖代々之墓』

 墓石裏面には、鬼籍に入った先祖の名が連ねられている。そのなかには伊織の母、香織や姉の愛織の名もある。
 すでに墓石前には大神がいた。花立に水と花を差し入れ、墓石を水で掃除している。伊織から線香の束を受けとると、火をつけて香炉へ添えた。
 ──今日は愛織の命日である。
 合掌礼拝。伊織はにんまりわらって目を閉じた。
「おかん、愛織。来たで」
 来た、という表現が正しいのかは分からない。そもそも母も姉も、骨こそここに埋めれど、その魂はおのれのそばにいる気がしてならない。それでも墓参りというのは、せわしない日々のなか、故人とまっすぐ想いを交わせるかけがえのない時間だと、伊織はおもう。
 大神もおなじ気持ちのようで、伊織の横で合掌し、まぶたを閉じたままうごかない。いったいなにを話しているんだろう──と伊織はすこしふしぎにおもった。
「いつも大神、この日に来てくれてたって聞いたよ。おとんから」
「ああ。──おまえの母親と姉貴に、おまえに会うにはどうしたもんか、とよく相談してた」
「んははっなんやそれ。アドバイスくれた?」
「……まあな」
 大神は意味深にわらった。
 エッ、とおもわず辺りを見回す伊織の腰に手を添えて、やさしく抱きよせる。
「おかげでこうして再会できたろ」
「それは──そうやけど。ねえホンマになんか聞こえたん? おかんも愛織も、なんて言うたん」
 こちらを見上げて、すこし寂しそうに聞いてきたので、大神はやさしく微笑んで首を横にふった。
「ことばじゃねえ。こういうのは」
「え?」
「ここに来るたびいつも勇気をもらってた。何度も、おまえのことなんかいっそ忘れちまおうかとおもった。とくに婚約の話を聞いてからはな。でもここに立って手を合わせるといつも此処に」
 拳でトン、とおのれの胸を叩く。
「おまえが居ることに気付かされて」
「…………」
「諦めるな、と──叱咤激励を受けた気になってた。勝手にな。だからつまり、俺にとっちゃ自分の本心と向き合える時間だったわけだ。こうやって手を合わせる、たった一分足らずの時間でも」
 大神は目を細めて墓石を見つめる。
 とはいえ、ここに足を運ぶ時点で忘れるつもりなんざなかったんだな、とひとり自嘲もした。でなければ大神にとっては『生前わずかに親しんだ程度の友人』への墓参りに、足しげく赴くわけもないのだから。
 よかった、と大神は伊織の頭にこてりと自身の頭をもたげる。なにが、と伊織はかすれた声で問う。
「またここに、おまえと来られて」
「────うん。おおきに」
 伊織のマフラーの下、胸元よりすこし上できらりと光るリングのネックレス。おなじネックレスが大神の胸元でも光っている。
 寄り添うふたりのあいだに流れる時間は、ひどく穏やかで、冬空の澄みきった空気が心を落ち着ける。
 伊織はむん、と伸びをひとつして、水桶を手にとった。
「これ片付けてくる。ここで待っとって!」
 軽い足取りで伊織が遠ざかる。
 そんな彼女の背中を見送って、
「香織さん、愛織」
 大神はゆっくりと墓前の前に片膝を立てて座った。
 キュ、とおのれのネックレスを握る。
 大神の目はまっすぐに墓石へ注がれた。

「貴女方が愛した伊織は──俺が生涯愛します。だから、」

 安心して任せてください、と。
 やさしく笑む大神を祝福するように、この冬空の下、一瞬だけ、暖かい風が頬を撫ぜた。
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