金色プライド

乃南羽緒

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第三章 学びの強化合宿

54話 真剣勝負への覚悟

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 サーブ先行は安藤から。初めのリターナーは蜂谷、蓮は左サイドのサービスライン上で腰低く構える。審判なしのセルフジャッジゆえ、開始コールはサーバーの安藤がいった。
(初手、リターン側の前衛が注意すべきは相手の前衛──)
 蓮はちらりと大崎を見る。
 彼は爛々と目を輝かせて蜂谷を見つめていた。あれはリターンがどれほどクロスにいっても、なるべくポーチに出らんとする顔だろう。
 わずかにからだの向きを大崎へ向ける。
 サーブが放たれる。センター。瞬間、蓮がわずかに左へずれる。蜂谷のリターンはするどくクロスへ入った。大崎の出足が遅れる。ボールは後衛安藤へ。
 彼もまたするどいストロークで返球した。ぴくりと前衛の大崎がセンターへ寄る。蜂谷はストレートコースへドライブショット。ポーチへ出る気満々であった大崎の横を抜け、ボールはアレーコートへ突き刺さる。安藤の伸ばしたラケットもわずかに届かず、ブレイクポイント0-15。
 蓮と蜂谷はカシャン、とラケットを合わせた。
「ナイスコースです」
「ありがとう。動きよかったよ」
 サイドが変わり、蓮リターン。
 するどいサーブも冷静に返し、クロスラリーがはじまった。大崎は先ほどの失敗を苦慮してか、ストレートケアに意識が寄っている。
(いける)
 すこしセンター寄りにボールを送る。蜂谷の足がピクリと動く。安藤の返球もまたわずかにセンターへ寄ったところを、蜂谷がすかさずポーチに出た。
 するどいボレーは大崎の足元へ。
 体勢を崩しながらも拾った球は、ふわりと浮いた。ケア、とさけぶ安藤の声もむなしく、蜂谷は前に詰めて大崎とは逆サイドのアレーコートへスマッシュを叩きつけた。
 そのフォームの美しさたるや。蓮はおもわず見惚れた。
「な、ナイッショーっす」
「あのセンターボール、いいコースだったな。大崎くんの動き読んだ?」
「はい。賭けでしたけど──」
「そうそう。いいね、ダブルスは賭けてなんぼだ」
「賭けでもいいんすか」
「キミの賭け方は正しいから。それで楽しければいいんだよ、ダブルスなんて。よし、じゃんじゃんいこう」
 と、蜂谷はめずらしく茶目っ気を含んでわらった。
 それから順調にポイントをとり、一ゲーム目は蜂谷・蓮ペアがブレイク。つづく二ゲーム目は蓮のサービスゲームである。コートチェンジをする間際、蓮は気がついた。
 対する大崎と安藤が、真剣な目でこちらを睨みつけながら何ごとかを話している。おそらくつぎのゲームでの立ち回りを確認しているのだろう。その表情を見た瞬間、蓮の胸中にはさらに靄が立ち込めた。
「1-0」
 つぶやき、トスをあげる。
 ゆるく入ったサーブを安藤がクロスへリターン。蓮の腕がちりりとひりついて、返球はネットにかかった。
「すんません」
「ジャスト惜しい。ワンボール」
「……0-15」
 つぶやく。
 サーブはふたたびゆるく入った。大崎は力任せにリターン。蓮はフォロースルーを意識して振り抜く。ボールはセンターコース甘め。すかさず安藤がポーチに出た。ボールは蜂谷の足もとへ。体勢を崩して蜂谷はそのままクロス前へドロップボレー。大崎が駆ける。すばらしい脚力でボールは生かされた。相手はそのまま並行陣へ。蓮はふたりのセンターを狙ってストロークを放つが、ふたたび腕がひりついてうまく振り抜けず。チャンスボールを前に安藤が前へ詰め、ハイボレー。
 さすがの蜂谷もこれはとれず、すごいなと息をあげた。
「すみません、チャンボ渡しちゃいました」
「俺のドロップも甘かったな。なんにせよいまのポイントは、大崎くんの脚力と安藤くんの詰めがすばらしかった。つぎはとろう」
「はい」
 蓮の胸に焦燥が走る。
 この焦燥はゲームが終わるそのときまでぬぐい切れず、ゲームカウントこそ4-2で勝利したものの、失点はほぼ自分のミスという蓮にとって惨憺たる結果に終わった。
 試合後のフィードバックとして安藤・大崎ペアが蜂谷のもとへゆく。先にフィードバックをうけた蓮は、ふたりが近付いてくるのを見るや「顔洗ってきます」と蜂谷に声をかけ、そそくさとコートから立ち去った。

(たまに、腕がうまくうごかない)
 別荘の裏庭に備えつけられた蛇口をひねって、顔を洗う。
 テニスを始めた当初は気にならなかった。なにせ初めのころはボールを打つこと自体がやっとだったのだから。けれどそれなりにボールが打てるようになり、試合でも勝利が増えてきたいまになって、蓮の腕はたまにおかしくなる。
 痛みもないし、ふだんの練習ではまったくならないから病院には行っていない。きっと気持ちの問題なんだろうともおもう。けれどくわしいことは、正直自分でもわからない。
(もしいまの試合負けてたら──蜂谷さんに恥かかせてたかもしれないのに)
 なんて。
 柄にもなくすこし落ち込む蓮の背中が叩かれた。
 ふり向くとあのおだやかな笑みを浮かべた蜂谷が立っている。彼のまわりの空気は静かだ──と肩の力が抜けた。
「は、ちやコーチ」
「テニス、九月から始めたんだって? そのわりにずいぶん打てるね」
「七浦コーチにしばかれてますから」
「ははは、そういやふだんのコーチは七浦さんだったか。あの人スパルタだもんな」
「あの、さっきの試合。ミスばっかりですみませんでした。言い訳みたいで言いたくないんですけど、ストロークのときたまに腕がこう、うまく動かなくて」
「痛い?」
「いえ。怪我とかじゃないとおもいます。たぶん、メンタルの問題っていうか」
「ああ。うんうん」
「わ、わかります?」
「わかるよ。俺もむかしは散々だった」
 といって、蜂谷は困ったようにわらった。
 高校生当時の彼には妙なクセがあったという。それが、対戦相手のレベルに合わせておのれの実力が変化するというもの。強い相手ならばそのクセがいいように働いて、いつもの練習以上の実力を発揮することも少なくなかった。が、反対に自分より劣る相手との試合では、なぜかいつも打てるようなショットが打てなくなる。うまくコントロールができなくなる──など、それはそれは厄介なクセであったという。
「蜂谷さんが?」
「いやいや俺なんて、才徳メンバーのなかじゃ凡人だったから。あいつらのレベルについていくことに必死だったよ。ほら、見ててわかるとおもうけど化け物ぞろいだろ。変幻自在のプレーって言えば聞こえはいいけど、ホントに厄介だったんだ」
「…………」
「そのクセは二年生のさいごの方までずっと引きずることになったんだけど。でもある人が教えてくれた。ようは器用貧乏なんだって」
「器用貧乏──俺も、その器用貧乏なんですか」
「キミの場合はちょっとちがうな。いまから俺がいうこと、まちがってたら遠慮なく言ってな。キミ、あんまり試合に本気じゃないだろ」
「!」
 蓮の瞳がすこし揺れる。
 べつに怒ってるんじゃない、と蜂谷は念を押すように言った。
「相田くんがテニスに対して真剣なのは見ててわかる。でも、こと試合になると──勝ちに対して貪欲じゃない方なのかなとおもったんだ。初対面で、俺はキミが器用な子だとおもった。なにをやらせても優等生タイプというか、……それこそ器用貧乏というか、ね」
「そんな、ことは」
「キミの人としての性格はまだよく知らないけれども、何ごとも器用にこなせる子っていうのはすべからく、物事に対して本気になるのが苦手な子が多いようにおもう。相田くんはどう?」
 という蜂谷のことばに、蓮の胸中にかかる靄がうごめいた、気がした。
 むかしからそうだった気がする。自分ががんばろうとおもった物事は、たいしてがんばらなくともそれなりには出来た。後からはじめた自分の方がうまくなって、友人からやっかまれたことだって少なくない。性格上、そんなことで憂鬱になるタイプではなかったから気にしていなかった。けれど──。
 蓮はうつむく。
「凛久が──前に、自分の実力がまわりに対して伸び悩んでるって気にしてて」
「うん」
「あいつは他人をやっかむとかそういう感情は知らなくて、ただできない自分を責めるタイプなんです。凛久はだれよりも真面目にやってるし、周りからみたらアイツだってめきめき実力伸ばしてるんですけど、すぐ落ち込むから」
「そういえば、相田くんのテニスをはじめるきっかけを聞いたよ。それも凛久くんのために入ったんだってな」
「……はい。でもいまは自分なりにテニスと向き合って、テニスがたのしいもんだっていうのは、実感してるんです。もっとうまくなりたいとも思うし。でも、試合中にふと相手が勝ちたいって顔してるの見ると、急にこう──ざわつくっていうか」
「『自分より真剣にテニスやってる相手に対して、自分が勝っていいのか』って?」
「…………」
 図星、なのだろう。
 決して驕りではない。自分がすごいヤツとおもったことは一度もない。けれど、幼少時代にさんざんやっかまれて、そのつど相手を立てていたクセが、こんなところで発揮されているのかもしれない、と蓮はおもった。
 スポーツマンには致命的だなあ、と蜂谷はクスクスわらう。
「でもまあ、真剣勝負に負けるのは泥を食わされるような気分だからな。試合に挑むのなら、そんな思いを相手にさせる覚悟を持って臨まなければならない。それはたしかだ」
「……覚悟」
「勝負は相手のためにするものじゃない。キミが手を抜いたところで相手がその試合から得られるものはなにも変わらない。勝っても負けても残るのはいくつかの課題と、真剣に勝負へ臨んだ自分への充足感だけだ」
 それにカン違いしちゃいけない、と蜂谷は声を低くして言った。
「キミだって周りと比較にならないくらい、真剣にやってる。そんなこと気にする必要はないんだ」
 と、蓮の肩へ手を添えて。
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