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第一章 練習試合
23話 桜爛プライド
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車で二十分のところにある私立白泉大附属高等学校。コート数は三面と少ないものの、テニス部員たちのかけ声や小気味よい打音が活気のよい雰囲気を出している。
なぜここに連れてこられたのか──。
橋本秀真はいまだに分かっていない。なぜなら道中の車内はアトラクション状態で、質問どころではなかったから。車から降り立つなりふたたび凛久に腕を握られた。まだ逃げるとおもわれているらしい。
離せ、と鬱陶しいので振り払う。
「逃げない?」
「こんなとこまで連れてきていまさらなに言ってんだッ。逃げようにも退路がねえじゃねえか」
もっともなツッコミである。
この雰囲気は知っている。ちらとコーチの女を見ると、彼女はなにかを寄越してきた。
赤と黒を基調としたテニスウェアである。
「……これ」
「桜爛テニス部のユニフォームや。今日下ろし立てやから綺麗やで!」
「おいマジで──」
秀真は眩暈がした。
いったいなぜこんな横暴な真似が出来るのか──と、自分のふだんのおこないも棚にあげて考える。とはいえさすがの彼女も、これが非常識であるという認識はあったようで。
ごめんごめん、と苦笑した。
「説明するって。もう分かってはるみたいやけど、今日ここ白泉大附と練習試合することになってん。けど、向こうが五人以上連れてきてくれ言うたんやんか。うち部員が四人やろ。どないしよかなぁ悩んでたら、なんと部員のみんながキミ、橋本クンの名前を出してやな」
「…………」
「それで、そういえば入部希望や言うてたしちょうどええかあ思て」
「言ってねえよッ。よくねえよ!」
秀真はさけんだ。
中学二年のジュニア大会、準々決勝で当たった高宮雅久とのシングルス試合にて味わった屈辱。こんな泥を食むような思いをするくらいならテニスなど二度としてやるものか、とラケットを投げ捨てた。あの日の苦い記憶が肚のうちからふつふつとよみがえり、秀真は桜爛のユニフォームを凛久へ投げ返す。
「さっき言ったはずだ。俺はもうテニスをやる気はねーって」
「え、でも……オレたちと、だろ?」
「おなじことだッ。俺は──テニスを捨てたんだよ!」
という秀真の怒号に、凛久はうつむいて黙りこくった。
ようやくビビったかと口の端をひきつらせ、興奮であがった息をととのえる。しかしつぎの瞬間、凛久が猛然と秀真のふところにつっこんで桜爛ユニフォームを押しつけた。
ウソつけ、と。
こんどは凛久がさけんだ。
「オレ、もうテニスなんかやめてやるって言ってホントに辞められたヤツ見たことねーよッ」
「なっ」
「好きなくせにッ。ホントはいますぐにでもコートに立ちてーくせに!」
「て、てめえ勝手なこと──」
「だってお前強いじゃん!」
「……ッ」
「オレ、ジュニア大会でお前が上位にいたの知ってるんだぞ。初心者のオレなんかよりよっぽど実力あるんだろッ。なにが不満だよ。雅久になんか恨みがあるのならテニスで見返してやりゃーいいじゃんかよ。そんな度胸もねーくせに、オレみたいな弱者いじめてよろこんでんじゃねーよ!」
と。
たちまち瞳に涙を浮かべた凛久は、蓮の背中に隠れた。
──べつによろこんでねーよ、とか。なんでジュニア大会の順位知ってるんだよ、とか。言いたいこと聞きたいことなどたくさんあったけれど、秀真の喉は絞られて声が出なかった。
「…………、……」
傍から見ると茫然と立ち尽くすその背中が、バシッとはたかれる。
振り向いた。そこにいたのは新名竜太と──高宮雅久。彼らはすでに桜爛ユニフォームを着てラケットを携えている。雅久が蓮をにらみつけた。
「やっと来たか。おせーよ」
「ホントだよ。コーチの運転だし、車内の橋本がぎゃーぎゃー喚いて気が散って、どっか事故ったんじゃねーかと心配してたんだ。おれら」
と新名はなれなれしく秀真の肩に手をまわす。
いやいや、と蓮はなぜか得意げに首をふった。
「あなどるなかれ。こう見えて七浦コーチはゴールド免許だそうだ」
「えーッ。日本警察の交通安全課はいったいなにを取り締まってるんだ?」
「日本警察の生安少年課に自分も取り締まってもらいや。人をバカにしくさってほんま」
「あ、おい凛久テメー」雅久が蓮のうしろを覗き込む。「おまえなに泣かされてんだよ。だれだ、橋本か?」
「うるさいな、泣いてねーよっ」
「てか揃ったんならはやく行こーぜ、むこうで谷セン待たせてんだって」
秀真の肩にまわった新名の腕にぐっと力がこもる。
「おい──ちょ」
「おまえもユニもらったろ。むこうに更衣室あるからはやく着替えてこい」
「っとまておま」戸惑う秀真。
うるせえ、と雅久がそれをさえぎった。
「こんなとこでモタモタして桜爛テニス部は程度が低い、なんて言われたらムカつくだろうが。いいから三人ははやく着替えて集合しろ。橋本には俺のラケットとシューズも仕方ねえから貸してやる」
「て、てめえ高宮雅久ッ」
とうとう秀真の声が出た。
そのいきおいに口をつぐむ桜爛テニス部一同。秀真は凛々しい眉をしかめて、雅久に指を突きつけた。
「てめえいったいどういうつもりで、俺にこんなことッ」
百歩譲ってテニスをやるのはいい。
とはいえ秀真自身、テニス自体がご無沙汰である。なによりここ数週間と喧嘩を売りつづけた自分が、なぜ雅久とおなじチームメイトとして、試合に参加しなければならないのか──。
疑問と憤懣がせめぎあう脳内。そのモヤモヤが一気に吹き飛んだのは、つぎに言い放たれた雅久のひと言がきっかけだった。
「だっておまえ、テニスうめーだろ」
と。
は、と声を洩らす秀真をじろりと見て、雅久はふんぞり返った。
「桜爛テニス部が初心者だらけの雑魚ばっか、なんて言われたらムカつくだろうが。おめーも桜爛の生徒ならちったぁ桜爛プライドってもんがあるだろ」
「お、桜爛プライド?」
「いまがどうあれ、かつてヤロウどもが目指した桜爛テニス部──ナメられたままでいいわけねえんだよ。ここで俺らが一発、桜爛の威厳ってのを見せてやろうじゃねーか」
「だからお前らが、勝手に見せりゃいいだろ」
「初心者のコイツらに期待できるわけねーだろ。俺と、お前でだよ」
「…………」
秀真は絶句した。
この高宮雅久という男、時代遅れのヤンキーみたいなことを言って闘志を燃やしている。しかもその目は真剣そのもの。それに対し、反論しようにもことばが見つからない秀真。一方でずいぶんと実力を軽んじられた新名や蓮、凛久は眉をつりあげて「言ったなこのやろう」と雅久につっかかる。
そのとき、
「うわあ」
感嘆の声が聞こえた。
一同の視線がぐるりと声の方へ向けられる。同時に、七浦伊織がワッと跳びはねて駆けだした。
「忽那クン!」
あらわれたのはどうやら、白泉大附高校顧問らしい。
なぜここに連れてこられたのか──。
橋本秀真はいまだに分かっていない。なぜなら道中の車内はアトラクション状態で、質問どころではなかったから。車から降り立つなりふたたび凛久に腕を握られた。まだ逃げるとおもわれているらしい。
離せ、と鬱陶しいので振り払う。
「逃げない?」
「こんなとこまで連れてきていまさらなに言ってんだッ。逃げようにも退路がねえじゃねえか」
もっともなツッコミである。
この雰囲気は知っている。ちらとコーチの女を見ると、彼女はなにかを寄越してきた。
赤と黒を基調としたテニスウェアである。
「……これ」
「桜爛テニス部のユニフォームや。今日下ろし立てやから綺麗やで!」
「おいマジで──」
秀真は眩暈がした。
いったいなぜこんな横暴な真似が出来るのか──と、自分のふだんのおこないも棚にあげて考える。とはいえさすがの彼女も、これが非常識であるという認識はあったようで。
ごめんごめん、と苦笑した。
「説明するって。もう分かってはるみたいやけど、今日ここ白泉大附と練習試合することになってん。けど、向こうが五人以上連れてきてくれ言うたんやんか。うち部員が四人やろ。どないしよかなぁ悩んでたら、なんと部員のみんながキミ、橋本クンの名前を出してやな」
「…………」
「それで、そういえば入部希望や言うてたしちょうどええかあ思て」
「言ってねえよッ。よくねえよ!」
秀真はさけんだ。
中学二年のジュニア大会、準々決勝で当たった高宮雅久とのシングルス試合にて味わった屈辱。こんな泥を食むような思いをするくらいならテニスなど二度としてやるものか、とラケットを投げ捨てた。あの日の苦い記憶が肚のうちからふつふつとよみがえり、秀真は桜爛のユニフォームを凛久へ投げ返す。
「さっき言ったはずだ。俺はもうテニスをやる気はねーって」
「え、でも……オレたちと、だろ?」
「おなじことだッ。俺は──テニスを捨てたんだよ!」
という秀真の怒号に、凛久はうつむいて黙りこくった。
ようやくビビったかと口の端をひきつらせ、興奮であがった息をととのえる。しかしつぎの瞬間、凛久が猛然と秀真のふところにつっこんで桜爛ユニフォームを押しつけた。
ウソつけ、と。
こんどは凛久がさけんだ。
「オレ、もうテニスなんかやめてやるって言ってホントに辞められたヤツ見たことねーよッ」
「なっ」
「好きなくせにッ。ホントはいますぐにでもコートに立ちてーくせに!」
「て、てめえ勝手なこと──」
「だってお前強いじゃん!」
「……ッ」
「オレ、ジュニア大会でお前が上位にいたの知ってるんだぞ。初心者のオレなんかよりよっぽど実力あるんだろッ。なにが不満だよ。雅久になんか恨みがあるのならテニスで見返してやりゃーいいじゃんかよ。そんな度胸もねーくせに、オレみたいな弱者いじめてよろこんでんじゃねーよ!」
と。
たちまち瞳に涙を浮かべた凛久は、蓮の背中に隠れた。
──べつによろこんでねーよ、とか。なんでジュニア大会の順位知ってるんだよ、とか。言いたいこと聞きたいことなどたくさんあったけれど、秀真の喉は絞られて声が出なかった。
「…………、……」
傍から見ると茫然と立ち尽くすその背中が、バシッとはたかれる。
振り向いた。そこにいたのは新名竜太と──高宮雅久。彼らはすでに桜爛ユニフォームを着てラケットを携えている。雅久が蓮をにらみつけた。
「やっと来たか。おせーよ」
「ホントだよ。コーチの運転だし、車内の橋本がぎゃーぎゃー喚いて気が散って、どっか事故ったんじゃねーかと心配してたんだ。おれら」
と新名はなれなれしく秀真の肩に手をまわす。
いやいや、と蓮はなぜか得意げに首をふった。
「あなどるなかれ。こう見えて七浦コーチはゴールド免許だそうだ」
「えーッ。日本警察の交通安全課はいったいなにを取り締まってるんだ?」
「日本警察の生安少年課に自分も取り締まってもらいや。人をバカにしくさってほんま」
「あ、おい凛久テメー」雅久が蓮のうしろを覗き込む。「おまえなに泣かされてんだよ。だれだ、橋本か?」
「うるさいな、泣いてねーよっ」
「てか揃ったんならはやく行こーぜ、むこうで谷セン待たせてんだって」
秀真の肩にまわった新名の腕にぐっと力がこもる。
「おい──ちょ」
「おまえもユニもらったろ。むこうに更衣室あるからはやく着替えてこい」
「っとまておま」戸惑う秀真。
うるせえ、と雅久がそれをさえぎった。
「こんなとこでモタモタして桜爛テニス部は程度が低い、なんて言われたらムカつくだろうが。いいから三人ははやく着替えて集合しろ。橋本には俺のラケットとシューズも仕方ねえから貸してやる」
「て、てめえ高宮雅久ッ」
とうとう秀真の声が出た。
そのいきおいに口をつぐむ桜爛テニス部一同。秀真は凛々しい眉をしかめて、雅久に指を突きつけた。
「てめえいったいどういうつもりで、俺にこんなことッ」
百歩譲ってテニスをやるのはいい。
とはいえ秀真自身、テニス自体がご無沙汰である。なによりここ数週間と喧嘩を売りつづけた自分が、なぜ雅久とおなじチームメイトとして、試合に参加しなければならないのか──。
疑問と憤懣がせめぎあう脳内。そのモヤモヤが一気に吹き飛んだのは、つぎに言い放たれた雅久のひと言がきっかけだった。
「だっておまえ、テニスうめーだろ」
と。
は、と声を洩らす秀真をじろりと見て、雅久はふんぞり返った。
「桜爛テニス部が初心者だらけの雑魚ばっか、なんて言われたらムカつくだろうが。おめーも桜爛の生徒ならちったぁ桜爛プライドってもんがあるだろ」
「お、桜爛プライド?」
「いまがどうあれ、かつてヤロウどもが目指した桜爛テニス部──ナメられたままでいいわけねえんだよ。ここで俺らが一発、桜爛の威厳ってのを見せてやろうじゃねーか」
「だからお前らが、勝手に見せりゃいいだろ」
「初心者のコイツらに期待できるわけねーだろ。俺と、お前でだよ」
「…………」
秀真は絶句した。
この高宮雅久という男、時代遅れのヤンキーみたいなことを言って闘志を燃やしている。しかもその目は真剣そのもの。それに対し、反論しようにもことばが見つからない秀真。一方でずいぶんと実力を軽んじられた新名や蓮、凛久は眉をつりあげて「言ったなこのやろう」と雅久につっかかる。
そのとき、
「うわあ」
感嘆の声が聞こえた。
一同の視線がぐるりと声の方へ向けられる。同時に、七浦伊織がワッと跳びはねて駆けだした。
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