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第一章 帰ってきたアイツ
5話 先輩ってだれ
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────。
依然として問題は未解決である。
あくまで廃部にならない絶対条件は、『四名以上の部員を確保すること』。なんとか確保できた三人のほかにはたいした目星もないらしく、雅久を入部させたところで詰み状態なのは変わらない。
しかし雅久はすこし考える素振りをしたあと、
「ひとり宛てがある」
と言った。
いますぐ呼び出すのは難しいから明日コートへ来させる──と言い置いてさっさと帰ってしまった。その宛てが誰のことなのか皆目見当もつかない遥香だが、凛久と蓮の顔は冴えなかった。
いやあ、と蓮が頭を掻く。
「雅久の宛てって──あいつの友だちロクなのいなくね」
「そ、そんなことないだろ。ちょっと見た目は派手だし、みんなテニスやったことなさそうだけど運動神経はよさそうだし、…………運動神経よさそうだし!」
「それしかねーじゃん。つか普通に、協調性とかなさそう」
「あの中から誰か呼ぶのかな……オレいまから胃が痛くなってきた」
と、凛久は腹をおさえた。
ふたりの不安を吹き飛ばすほど、伊織は弾けるようにわらった。
「だいじょうぶ、そういう子ォらのコーチはうちが慣れとる」
「ほ、ホント?」
「うん。……せやな、うちも覚悟決めなあかんわ。すべてにおいて成り行きでこうなってしもたけど──勝負に勝ったらコーチやるって宣言してもうたし。どうせこれ以上失うものも何もないし。とりあえず職決めなあかんかったし。うん。……」
言うにつけだんだん遠い目になる伊織。
思えば、テニスコートに突然あらわれてからとんとん拍子に指導者候補と認定され、流れるように指導者として確定したこの女について、凛久と蓮はいまだよく知らない。知っていることといえばかつての大会で優勝する実力を持っていることくらいだ。
「さっきから、すごい桜爛テニス部のこと気にかけてくれてるみたいですけど、もしかして七浦コーチって桜爛出身なんすか」
と蓮が問う。
しかし伊織は「はあ?」と顔をゆがめた。
「んなわけないやん。そもそもうち、桜爛あんまり好きちゃうし」
「えっ。でも、じゃあどうしてコーチを引き受けてくれたんですか?」
凛久も不思議そうな顔をした。
母校でもなくわざわざ嫌いな学校のコーチに入る、という行動の動機が見えない。しかし伊織に矛盾はないようだった。憂いを帯びた視線は、レンガ造りの校舎──ではなくそのうしろの学生寮へと向けられる。
桜爛は、と過去を懐かしむようにぽつりと言った。
「嫌いやけどな。縁はあんねん」
「え?」
「桜爛は王者なんよ。時代が変われどそこは変わったらあかん。たとえ才徳学園がどれだけ強うなっても──桜爛には、いつまでも才徳にとって永遠のライバルでおってもらわなうちがイヤなんよ」
「さ、才徳学園って」
「いま全国連覇中の、神奈川の高校だろ。おれでも知ってる──え。七浦コーチって才徳の卒業生?」
凛久と蓮のことばで伊織がくるりとこちらに向き直った。やわらかい微笑が浮かぶが、瞳だけはすこし泣きそうな色をしている。
そういうことなんかなぁ、と独り言をつぶやいた。
「──王者桜爛を強くさせるんはうちの役目や、て。導かれたんかもしれんなぁ」
「導かれたって、だれに」
「……桜爛の女神に」
伊織はわらった。
その意味は凛久と蓮にはわからない。が、彼女のなかには確信があるようだった。しかしそんなシリアスムードもつかの間。一連の会話を聞いていた遥香がふいにエッと声をあげた。
「七浦さんって才徳ご出身なんですか?! 失礼ですけどいま何歳の代ですかっ」
「に、二十八の代やけど──」
「ああっやっぱり、だから先輩とお知り合いだったんですね!」
「えっ」
「そういえば先輩に連絡しなくっちゃ。……うふふ。七浦さんには今日の夜、飲みの席で指導者について改めてご相談しようとおもってたんですけど、うれしい誤算だったなあ。先輩には手厚くお礼を言っておかないと」
「ち、ちょっとまって。知り合いって、せやからその先輩ってだれ」
と、伊織が言うあいだにも、遥香は手早く電話発信をするものだから答えを聞きそびれてしまった。
三コールほどして、電話がつながった。
「あっもしもし谷です。いまお電話だいじょうぶですか? ありがとうございます。あの、お昼に話した件なんですど──先輩の紹介してくださる予定だったご友人の方がとってもお優しくてですね。はいッ。今日飲みの席で話す予定だったのにわざわざ桜爛まで足を運んでくださって、なんとその場で引き受けてくださって! え? やだなあ先輩ったら、ご友人のことそんなわるく言っちゃいけませんよ」
遥香は興奮を隠しきれていない。
電話の奥で、困惑した声がわずかに漏れ聞こえる。遥香がにっこりと伊織に笑みを向け、会話を共有できるようにとスピーカー音声へ切り替えた。すっかり伊織と『先輩』が知り合いであるとカン違いしているのだ。
でもほんとうに、と遥香がスピーカーに顔を近づけてつづけた。
「倉持先輩のお墨付きのとおり、七浦さんってば優しいしテニス強いしで──桜爛のコーチに最適な方でした!」
と。
その瞬間、電話口の奥がシンと静まり返る。同時に伊織も硬直した。
しばらくの沈黙を経て、スピーカー越しに遥香の名を呼んだ声はわずかにふるえていた。
『いまなんてった。桜爛のコーチがだれになったって──?』
「なにをとぼけて……七浦さんでしょ。七浦伊織さん。才徳で同級生だったんでしょう?」
うれしさ満開にわらう遥香と対照的に、伊織の顔がますますこわばる。電話口からも漂いくる張りつめた空気。凛久と蓮はその空気感を察したか顔を見合わせて身を縮こませる。
『七浦伊織──七浦伊織だと』
声は、さけんだ。
ここにきて遥香もようやく様子がおかしいことに気がついたか、あれっという視線を伊織に向ける。おどろいた。先ほどまでパリッと決まっていたはずの彼女の顔が、まるで親に怒られたちいさな子どものように涙をこらえていたからである。
「な、七浦さん?」
『なにっ。おい谷、そこにいんのか。伊織が!」
「えっ、は、はい。あの、七浦さん」
気を利かせたか、スピーカー音声をオフにした遥香が伊織へ携帯を渡す。
受け取る伊織の手はこわばり、わずかにふるえていたが、電話を耳に当てた瞬間に聞こえた、
『伊織、伊織か?』
という電話口の声を聞くなり、全身から一気に力が抜けて伊織はその場に座り込んでしまった。
「く────倉持クン~~~~~~~」
という泣き声つきで。
依然として問題は未解決である。
あくまで廃部にならない絶対条件は、『四名以上の部員を確保すること』。なんとか確保できた三人のほかにはたいした目星もないらしく、雅久を入部させたところで詰み状態なのは変わらない。
しかし雅久はすこし考える素振りをしたあと、
「ひとり宛てがある」
と言った。
いますぐ呼び出すのは難しいから明日コートへ来させる──と言い置いてさっさと帰ってしまった。その宛てが誰のことなのか皆目見当もつかない遥香だが、凛久と蓮の顔は冴えなかった。
いやあ、と蓮が頭を掻く。
「雅久の宛てって──あいつの友だちロクなのいなくね」
「そ、そんなことないだろ。ちょっと見た目は派手だし、みんなテニスやったことなさそうだけど運動神経はよさそうだし、…………運動神経よさそうだし!」
「それしかねーじゃん。つか普通に、協調性とかなさそう」
「あの中から誰か呼ぶのかな……オレいまから胃が痛くなってきた」
と、凛久は腹をおさえた。
ふたりの不安を吹き飛ばすほど、伊織は弾けるようにわらった。
「だいじょうぶ、そういう子ォらのコーチはうちが慣れとる」
「ほ、ホント?」
「うん。……せやな、うちも覚悟決めなあかんわ。すべてにおいて成り行きでこうなってしもたけど──勝負に勝ったらコーチやるって宣言してもうたし。どうせこれ以上失うものも何もないし。とりあえず職決めなあかんかったし。うん。……」
言うにつけだんだん遠い目になる伊織。
思えば、テニスコートに突然あらわれてからとんとん拍子に指導者候補と認定され、流れるように指導者として確定したこの女について、凛久と蓮はいまだよく知らない。知っていることといえばかつての大会で優勝する実力を持っていることくらいだ。
「さっきから、すごい桜爛テニス部のこと気にかけてくれてるみたいですけど、もしかして七浦コーチって桜爛出身なんすか」
と蓮が問う。
しかし伊織は「はあ?」と顔をゆがめた。
「んなわけないやん。そもそもうち、桜爛あんまり好きちゃうし」
「えっ。でも、じゃあどうしてコーチを引き受けてくれたんですか?」
凛久も不思議そうな顔をした。
母校でもなくわざわざ嫌いな学校のコーチに入る、という行動の動機が見えない。しかし伊織に矛盾はないようだった。憂いを帯びた視線は、レンガ造りの校舎──ではなくそのうしろの学生寮へと向けられる。
桜爛は、と過去を懐かしむようにぽつりと言った。
「嫌いやけどな。縁はあんねん」
「え?」
「桜爛は王者なんよ。時代が変われどそこは変わったらあかん。たとえ才徳学園がどれだけ強うなっても──桜爛には、いつまでも才徳にとって永遠のライバルでおってもらわなうちがイヤなんよ」
「さ、才徳学園って」
「いま全国連覇中の、神奈川の高校だろ。おれでも知ってる──え。七浦コーチって才徳の卒業生?」
凛久と蓮のことばで伊織がくるりとこちらに向き直った。やわらかい微笑が浮かぶが、瞳だけはすこし泣きそうな色をしている。
そういうことなんかなぁ、と独り言をつぶやいた。
「──王者桜爛を強くさせるんはうちの役目や、て。導かれたんかもしれんなぁ」
「導かれたって、だれに」
「……桜爛の女神に」
伊織はわらった。
その意味は凛久と蓮にはわからない。が、彼女のなかには確信があるようだった。しかしそんなシリアスムードもつかの間。一連の会話を聞いていた遥香がふいにエッと声をあげた。
「七浦さんって才徳ご出身なんですか?! 失礼ですけどいま何歳の代ですかっ」
「に、二十八の代やけど──」
「ああっやっぱり、だから先輩とお知り合いだったんですね!」
「えっ」
「そういえば先輩に連絡しなくっちゃ。……うふふ。七浦さんには今日の夜、飲みの席で指導者について改めてご相談しようとおもってたんですけど、うれしい誤算だったなあ。先輩には手厚くお礼を言っておかないと」
「ち、ちょっとまって。知り合いって、せやからその先輩ってだれ」
と、伊織が言うあいだにも、遥香は手早く電話発信をするものだから答えを聞きそびれてしまった。
三コールほどして、電話がつながった。
「あっもしもし谷です。いまお電話だいじょうぶですか? ありがとうございます。あの、お昼に話した件なんですど──先輩の紹介してくださる予定だったご友人の方がとってもお優しくてですね。はいッ。今日飲みの席で話す予定だったのにわざわざ桜爛まで足を運んでくださって、なんとその場で引き受けてくださって! え? やだなあ先輩ったら、ご友人のことそんなわるく言っちゃいけませんよ」
遥香は興奮を隠しきれていない。
電話の奥で、困惑した声がわずかに漏れ聞こえる。遥香がにっこりと伊織に笑みを向け、会話を共有できるようにとスピーカー音声へ切り替えた。すっかり伊織と『先輩』が知り合いであるとカン違いしているのだ。
でもほんとうに、と遥香がスピーカーに顔を近づけてつづけた。
「倉持先輩のお墨付きのとおり、七浦さんってば優しいしテニス強いしで──桜爛のコーチに最適な方でした!」
と。
その瞬間、電話口の奥がシンと静まり返る。同時に伊織も硬直した。
しばらくの沈黙を経て、スピーカー越しに遥香の名を呼んだ声はわずかにふるえていた。
『いまなんてった。桜爛のコーチがだれになったって──?』
「なにをとぼけて……七浦さんでしょ。七浦伊織さん。才徳で同級生だったんでしょう?」
うれしさ満開にわらう遥香と対照的に、伊織の顔がますますこわばる。電話口からも漂いくる張りつめた空気。凛久と蓮はその空気感を察したか顔を見合わせて身を縮こませる。
『七浦伊織──七浦伊織だと』
声は、さけんだ。
ここにきて遥香もようやく様子がおかしいことに気がついたか、あれっという視線を伊織に向ける。おどろいた。先ほどまでパリッと決まっていたはずの彼女の顔が、まるで親に怒られたちいさな子どものように涙をこらえていたからである。
「な、七浦さん?」
『なにっ。おい谷、そこにいんのか。伊織が!」
「えっ、は、はい。あの、七浦さん」
気を利かせたか、スピーカー音声をオフにした遥香が伊織へ携帯を渡す。
受け取る伊織の手はこわばり、わずかにふるえていたが、電話を耳に当てた瞬間に聞こえた、
『伊織、伊織か?』
という電話口の声を聞くなり、全身から一気に力が抜けて伊織はその場に座り込んでしまった。
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