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第二章 一文字玉枝
問題山積
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一文字社会長、一文字玉枝氏が遺体で発見。
身内での軋轢か。
息子の彰氏も数ヵ月前より行方が分からなくなっていることから、警察では一文字社内において経営方針を巡る対立があったかどうかの捜査を始めている──。
「厄介なことになった──」
真司が朝刊を放る。
ここは、東南東小島一般棟ロビーである。朝から血相を変えて訪ねてきた人事課長の佐々木と、頭を付き合わせて記事を見た。
記事によれば、発見場所は伊豆の海上。浮かんでいたものを漁師が発見し、通報されたことで発覚した。遺体は海に投げ込まれる前には死亡しており、全身はひどく損傷していたという。
会長、専務と相次いでその姿を消したいま、一文字社内は静かに混乱している。とくに社長の恒明は、本社在中の佐々木によれば憔悴しきって仕事どころではないという。
「まあ無理もねえ。奥さんと息子が相次いで消えたんだ、しかも息子はまだ行方不明ときた」
「もうヤバイッスよ。つぎは自分じゃないかって怯えちゃって──社員も気にしないようにはしているけど、経営陣がこんなじゃやっぱり不安定になってます」
「……常務が生きていたときは、こんなことなかったのにな」
「マジでみんな言ってます。倉田常務戻ってきてくれって」
と、言って佐々木は泣きそうにうなだれた。
自分の父の存在の偉大さに目眩がする。しかしもはや猶予もないだろう。
警察が動き始めた以上、この東南東小島に捜査が入ることも時間の問題だ。となれば眠る軍人たちをなんと説明すればよい。
「そろそろ潮時ってことかな……」
「なにがすか? 一族経営のこと?」
「あーうん。そう」
「いやほんと、早く常務に実権移しちゃえば良かったんですよ。でもまさか会長が殺されるなんて──いったい一文字はなにを隠してるんですかね」
「…………さあなぁ」
佐々木の目を見れずに、真司はふたたび新聞へ視線を落とす。新聞の日付を見た。
「七月──か。七月ってなぁ夏だよな」
「なにいってんすか。最近バリバリ暑いじゃないですか、夏でしょ」
「……だよなぁ」
──彼らの夏を、終わらせる。
とうとうその時がきたのかもしれない。
「とにかく自分、これから本社に戻って諸々対応しますんで。なにかあったら僕まで連絡ください」
「ああ」
携帯が震える。保坂ロイだ。
彼らは今日高千穂から帰ってくる。
見送るよ、と真司は立ち上がった。
※
「そうか、娘さんに会えたんだ」
高千穂土産の『地鶏炭火焼』をつまみながら、倉田が言った。
東南東小島にある彼の借家。訪ねたのは高千穂からもどったロイである。響とエマとは横浜で別れ、土産を届けるがてらこうして立ち寄ったのであったが──。
ちょっとちょっと、とロイがストップをかける。
「土産話よりもこっちの問題が先じゃあないですか。いったい成増さんはどうしちまったんです」
「さっき言ったろ。頭痛を起こして倒れたまま目が覚めねえんだ」
「だからその原因は? だいじょうぶなのかよ」
「これまで七十年近くねむってきた身体だ、目覚めて三ヶ月ちょいだろ。すこし疲れが出てきたのかもしれない」
「そんなもんかな──」
「それより、響さんだ。娘さんに会えてどうしたって」
と、なぜか倉田は熱心につづきをうながした。
ロイは成増の顔を覗き込んでから「ああ」とつぶやく。
「娘さんには会えたけど結局、墓はなくなってた。共同墓地がつぶされるってんで、継承者がいねえ響家の墓は公営の集合墓所に入れられたんだって」
「それで、家はあったのかい」
「場所自体は田﨑さんに連れていってもらったけど、もう違う人の家が建ってた」
「……響さん、ショック受けてた?」
「んー、いや。もともと幼いころの六年と、イタリアから戻ってから江田島に入るまでの一年間しか住んでなかったし。まあでもかつて奥さんが撫子さんといっしょに住んでたわけだし、思うところはあったみたいだけど」
「おまえそりゃ、言わねえだけだよ。きっとすごくショックだったはずだぜ。……」
という倉田はひどく沈む。
いやだからって、とロイは変な顔をした。
「アンタがそんな落ち込むことないでしょ」
「あ、ああ。いやまあ、うん。いやそれにしてもすげえ話だな。その江田島の同期に会えたってのも奇跡のようだし──そこから娘さんに会うまでなんてとんとん拍子すぎて、まるで仕組まれてたかのようじゃねえか」
「うん。それはオレもおどろいたけど、……でもそういう偶然って、意外とだれかの恩返しからくるものなのかもしんねっすよ」
「恩返しィ?」
「いや、なんでもない」
といってロイは苦笑した。
田﨑が言っていた夢の話、響には心当たりがあるように見えた。帰りの飛行機でエマに問われた彼がつぶやいた「毬栗頭の部下がいたっけね」というひと言。もしかしたらその部下が上司のために気を利かせたのかもしれない。
けれどそれを倉田に言う必要もないだろう。
あとは、とロイは再度ベッドを覗き込む。
「一文字玉枝についてだよな」
「ああ──君も見たのか、新聞」
倉田がマグカップを手に立ち上がった。
ソファの角に皺の寄った新聞が捨てられている。ロイは手に取り、丁寧に皺を伸ばして広げた。
「飛行機のなかじゃ、どの乗客もこの話題で持ちきりだったよ。ったく、居心地わるいったらありゃしねえ」
「小此木がエマちゃんに言った言葉は本当だった、ってことか」
「──単独犯かどうかは疑問だけどね」
「どちらでもおなじことだ。……」
一文字玉枝が死んだ。
おまけに専務失踪が警察の知るところとなった以上、東南東小島へ捜査の手が伸びるのも時間の問題であろう。
どうすんです、とロイは眉をしかめる。
「旧棟だって例外じゃない、すべて知れたら大混乱が起きますよ。これまで倉田の親父さんが必死に隠してきたあとふたりの軍人も、母体に存在を知られちまう」
「分かってる。こうなりゃもう──くそ、成増さんに相談してえなあ!」
倉田はソファを叩いた。
それもあった、とロイがうなだれる。
「いまの一番の問題は成増さんだ。今度は温めたら起きるってわけでもなさそうだし」
「うん──とはいえ保険証もないのに病院なんざ連れていけねえしよ。今日一日待っても起きなかったら、全身ブッ叩いてでも起こしてみようかと」
「ええっ」
と、ロイが身を引いたときである。
「それは、勘弁してもらいたいところですね……」
声がした。
ベッドを背にした倉田が振り向くと、成増が身を起こして頭を擦っている。
「成増さん!」
「おはようございます。っていっても、もう夜でしょうか」
と、呑気な顔をして成増は周囲を見わたした。
猛然とした勢いで倉田がその肩を掴む。
「はァーッ。よかった、もういったいどうしちまったんだと焦りましたよ! 頭痛がして目が覚めねえ病気っつったら、もう脳梗塞とかそういうのしか考えらんなくって──」
「あはは、すみません。自分でもよく分からないんですが……あ。ロイくんがいるってことは、高千穂旅行からもどったんですね」
「あ、成増さんにもお土産買ってきてますよ」
「これはこれは。酒がすすみそうな炭火焼き鶏」
「それ食いながら、倉田さんからの相談を聞いてやってください。オレちょっと気分転換に出てきますから」
と。
立ち上がったロイの手が掴まれた。
掴むのは倉田であった。その表情は怒っているようでもあり、わらっているようでもあり。とかく不気味にこちらを睨み付けている。
なんだよ、と眉を下げる。
彼はねっとりした言い方で「キミィ」とつぶやいた。
「もう一個、俺たちに報告することなぁい?」
「な、なんのこと」
「分かってんだよなぁおいちゃん。お前ェがコソコソ旧棟もぐってようすを見に行ってること──」
「…………」
「彰、まだ生きてんだろ。どうにも勇気がでなくて、俺あそこに行けてねえんだ。でも──腐って死んじまう前に一度は顔を見てやりたいとおもってる。これから行くのなら、俺も連れてけ」
「行ってどうすんです」
「んなもん行ってからかんがえる」
ロイは閉口した。
旅行前に訪ねたとき、彼は小此木から感染させられたと告白した。つぎの腐敗がはじまればそのときが最期だとも。
会わせてやるべきなのかもしれない。
わかった、とうなずいたときである。
ロイの携帯がふるえた。ディスプレイを見る。
「……エマ?」
どうやら、妹からの着信のようだった。
身内での軋轢か。
息子の彰氏も数ヵ月前より行方が分からなくなっていることから、警察では一文字社内において経営方針を巡る対立があったかどうかの捜査を始めている──。
「厄介なことになった──」
真司が朝刊を放る。
ここは、東南東小島一般棟ロビーである。朝から血相を変えて訪ねてきた人事課長の佐々木と、頭を付き合わせて記事を見た。
記事によれば、発見場所は伊豆の海上。浮かんでいたものを漁師が発見し、通報されたことで発覚した。遺体は海に投げ込まれる前には死亡しており、全身はひどく損傷していたという。
会長、専務と相次いでその姿を消したいま、一文字社内は静かに混乱している。とくに社長の恒明は、本社在中の佐々木によれば憔悴しきって仕事どころではないという。
「まあ無理もねえ。奥さんと息子が相次いで消えたんだ、しかも息子はまだ行方不明ときた」
「もうヤバイッスよ。つぎは自分じゃないかって怯えちゃって──社員も気にしないようにはしているけど、経営陣がこんなじゃやっぱり不安定になってます」
「……常務が生きていたときは、こんなことなかったのにな」
「マジでみんな言ってます。倉田常務戻ってきてくれって」
と、言って佐々木は泣きそうにうなだれた。
自分の父の存在の偉大さに目眩がする。しかしもはや猶予もないだろう。
警察が動き始めた以上、この東南東小島に捜査が入ることも時間の問題だ。となれば眠る軍人たちをなんと説明すればよい。
「そろそろ潮時ってことかな……」
「なにがすか? 一族経営のこと?」
「あーうん。そう」
「いやほんと、早く常務に実権移しちゃえば良かったんですよ。でもまさか会長が殺されるなんて──いったい一文字はなにを隠してるんですかね」
「…………さあなぁ」
佐々木の目を見れずに、真司はふたたび新聞へ視線を落とす。新聞の日付を見た。
「七月──か。七月ってなぁ夏だよな」
「なにいってんすか。最近バリバリ暑いじゃないですか、夏でしょ」
「……だよなぁ」
──彼らの夏を、終わらせる。
とうとうその時がきたのかもしれない。
「とにかく自分、これから本社に戻って諸々対応しますんで。なにかあったら僕まで連絡ください」
「ああ」
携帯が震える。保坂ロイだ。
彼らは今日高千穂から帰ってくる。
見送るよ、と真司は立ち上がった。
※
「そうか、娘さんに会えたんだ」
高千穂土産の『地鶏炭火焼』をつまみながら、倉田が言った。
東南東小島にある彼の借家。訪ねたのは高千穂からもどったロイである。響とエマとは横浜で別れ、土産を届けるがてらこうして立ち寄ったのであったが──。
ちょっとちょっと、とロイがストップをかける。
「土産話よりもこっちの問題が先じゃあないですか。いったい成増さんはどうしちまったんです」
「さっき言ったろ。頭痛を起こして倒れたまま目が覚めねえんだ」
「だからその原因は? だいじょうぶなのかよ」
「これまで七十年近くねむってきた身体だ、目覚めて三ヶ月ちょいだろ。すこし疲れが出てきたのかもしれない」
「そんなもんかな──」
「それより、響さんだ。娘さんに会えてどうしたって」
と、なぜか倉田は熱心につづきをうながした。
ロイは成増の顔を覗き込んでから「ああ」とつぶやく。
「娘さんには会えたけど結局、墓はなくなってた。共同墓地がつぶされるってんで、継承者がいねえ響家の墓は公営の集合墓所に入れられたんだって」
「それで、家はあったのかい」
「場所自体は田﨑さんに連れていってもらったけど、もう違う人の家が建ってた」
「……響さん、ショック受けてた?」
「んー、いや。もともと幼いころの六年と、イタリアから戻ってから江田島に入るまでの一年間しか住んでなかったし。まあでもかつて奥さんが撫子さんといっしょに住んでたわけだし、思うところはあったみたいだけど」
「おまえそりゃ、言わねえだけだよ。きっとすごくショックだったはずだぜ。……」
という倉田はひどく沈む。
いやだからって、とロイは変な顔をした。
「アンタがそんな落ち込むことないでしょ」
「あ、ああ。いやまあ、うん。いやそれにしてもすげえ話だな。その江田島の同期に会えたってのも奇跡のようだし──そこから娘さんに会うまでなんてとんとん拍子すぎて、まるで仕組まれてたかのようじゃねえか」
「うん。それはオレもおどろいたけど、……でもそういう偶然って、意外とだれかの恩返しからくるものなのかもしんねっすよ」
「恩返しィ?」
「いや、なんでもない」
といってロイは苦笑した。
田﨑が言っていた夢の話、響には心当たりがあるように見えた。帰りの飛行機でエマに問われた彼がつぶやいた「毬栗頭の部下がいたっけね」というひと言。もしかしたらその部下が上司のために気を利かせたのかもしれない。
けれどそれを倉田に言う必要もないだろう。
あとは、とロイは再度ベッドを覗き込む。
「一文字玉枝についてだよな」
「ああ──君も見たのか、新聞」
倉田がマグカップを手に立ち上がった。
ソファの角に皺の寄った新聞が捨てられている。ロイは手に取り、丁寧に皺を伸ばして広げた。
「飛行機のなかじゃ、どの乗客もこの話題で持ちきりだったよ。ったく、居心地わるいったらありゃしねえ」
「小此木がエマちゃんに言った言葉は本当だった、ってことか」
「──単独犯かどうかは疑問だけどね」
「どちらでもおなじことだ。……」
一文字玉枝が死んだ。
おまけに専務失踪が警察の知るところとなった以上、東南東小島へ捜査の手が伸びるのも時間の問題であろう。
どうすんです、とロイは眉をしかめる。
「旧棟だって例外じゃない、すべて知れたら大混乱が起きますよ。これまで倉田の親父さんが必死に隠してきたあとふたりの軍人も、母体に存在を知られちまう」
「分かってる。こうなりゃもう──くそ、成増さんに相談してえなあ!」
倉田はソファを叩いた。
それもあった、とロイがうなだれる。
「いまの一番の問題は成増さんだ。今度は温めたら起きるってわけでもなさそうだし」
「うん──とはいえ保険証もないのに病院なんざ連れていけねえしよ。今日一日待っても起きなかったら、全身ブッ叩いてでも起こしてみようかと」
「ええっ」
と、ロイが身を引いたときである。
「それは、勘弁してもらいたいところですね……」
声がした。
ベッドを背にした倉田が振り向くと、成増が身を起こして頭を擦っている。
「成増さん!」
「おはようございます。っていっても、もう夜でしょうか」
と、呑気な顔をして成増は周囲を見わたした。
猛然とした勢いで倉田がその肩を掴む。
「はァーッ。よかった、もういったいどうしちまったんだと焦りましたよ! 頭痛がして目が覚めねえ病気っつったら、もう脳梗塞とかそういうのしか考えらんなくって──」
「あはは、すみません。自分でもよく分からないんですが……あ。ロイくんがいるってことは、高千穂旅行からもどったんですね」
「あ、成増さんにもお土産買ってきてますよ」
「これはこれは。酒がすすみそうな炭火焼き鶏」
「それ食いながら、倉田さんからの相談を聞いてやってください。オレちょっと気分転換に出てきますから」
と。
立ち上がったロイの手が掴まれた。
掴むのは倉田であった。その表情は怒っているようでもあり、わらっているようでもあり。とかく不気味にこちらを睨み付けている。
なんだよ、と眉を下げる。
彼はねっとりした言い方で「キミィ」とつぶやいた。
「もう一個、俺たちに報告することなぁい?」
「な、なんのこと」
「分かってんだよなぁおいちゃん。お前ェがコソコソ旧棟もぐってようすを見に行ってること──」
「…………」
「彰、まだ生きてんだろ。どうにも勇気がでなくて、俺あそこに行けてねえんだ。でも──腐って死んじまう前に一度は顔を見てやりたいとおもってる。これから行くのなら、俺も連れてけ」
「行ってどうすんです」
「んなもん行ってからかんがえる」
ロイは閉口した。
旅行前に訪ねたとき、彼は小此木から感染させられたと告白した。つぎの腐敗がはじまればそのときが最期だとも。
会わせてやるべきなのかもしれない。
わかった、とうなずいたときである。
ロイの携帯がふるえた。ディスプレイを見る。
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