落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第十七章

94話 うつくしい親子

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 玉嵐という龍は、いくさ続きの大陸にて生まれた。度重なる人の死、欲望うごめくこの地気の穢れは、当時の日本に勝るとも劣らぬものだった。
 その気から生まれた玉嵐。彼は、生まれながらにして野良に相当するほどの穢れた気をもっていた。
 だからか、彼は生まれ落ちたそのときから人間など大きらいだった。幾日とつづく戦によって、森は焼かれ他の生きものが死んでゆく。
 反吐がでるような毎日。
 人を導く使命などくそくらえだと匙を投げ、玉嵐は人の世を傍観する日々を過ごしていた。それでも存在できていたのは、もともと龍文化の強い地であるため、なにをせずともそれなりに神格をもつことができたからだろうか。

 人の世では、ひとつの王朝が滅びた。
 そのころ、玉嵐は龍仲間によって日本の存在を知らされることになる。
 その地には、自然に神を見いだす風習があるという。この世の真理にもっとも近い民族だ、とも。
 初めは、単なる興味であった。
 これまで適当に納めていたちいさな地を捨て、玉嵐は風に乗って島国を目指した。空から日本を見下げてもっとも驚いたのは、この島の形が龍に似ていること。
 大陸に比べればずっとちいさな場所だけれど、しかし大陸の何倍もの神が住んでいる。玉嵐はその事実にもおどろかされた。
 どんな地なのだろう。

 ──ここならば、自分も変わるだろうか。

 玉嵐のなかにうっすらとあらわれた願望。
 龍としてこの世に生まれいでた以上、心のどこかで、使命をつとめたいと思うところがあったのかもしれない。
 ここにいれば変わる。
 玉嵐は日の本の国に降り立ったとき、そう確信した。

 ────。
 とある池に住み着いた。
 前任者は神格を持ち、神社にて祀られるほどに至ったため、おつとめを免除されることになったと聞く。
 ゆえにここら一帯はその龍の傘下、もはや池に龍は必要ないのだろう。ならば勝手に住まわせてもらおう──という、軽い気持ちだった。
 それほど広くはないが、とにかく空気が澄んでいた。綺麗すぎて逆に居心地がわるくなるほどに。
 しかし、この空気に慣れたそのときは、自分も変われたということだ、と玉嵐はおのれに言い聞かせ、この地で陰ながら人々の暮らしを見守ることにしたのである。
 数年経ったころ。
 池に、齢三つにも満たぬであろう少年が、母の手をとりやってきた。

 ──なんとうつくしい親子だろう。

 玉嵐は見とれた。
 その見た目ももちろんのことながら、なにより驚くべきは母親の内に光るたまの輝きであった。穢れひとつない光。よほど強力な巫女なのだろう。
 一方の子どももまた、それはそれはうつくしい少年であった。白銀色の肩まで伸びた髪に瑠璃色の瞳。凛と伸びたその背中は、およそ三つ子には見えぬ。
 この子どもが半龍であることは、すぐにわかった。
 聞いたことがある。
 神格をもったという前任の龍には、人のあいだにできた子がいると。
(これが。…………)
 なんと曇りなき宝石。
 玉嵐の胸が疼く。
 どうしようもなく沸き上がる。初めての感情だった。
 欲しい。
 欲しい。ほしい。
 この手に、ふたりとも。
(掻き抱いて──ドロドロにけがしてしまいたい)
 その感情が生まれてしまえば、つぎにくるのは、このふたつをどちらも手中にする龍への嫉妬であった。
 自身から邪気が立ちのぼる。
 池が濁る。草木がさわぐ。
 異変に気付いたか、母親は息子を抱き寄せてこちらを睨み付けた。
『水守──ようすがおかしいですから、神社へ戻りましょう。先にお戻り』
『ははうえは?』
『わたくしはすこし、浄めてからゆきますから』
『いけません。ならばみずもりも、ともにおります』
『水守──』
『むすこは、ははうえをまもるもの、と。ちちうえにおそわりました』
『…………』
 母親は困ったように笑んだ。

(嗚呼)
 嗚呼──嗚呼!
 玉嵐は池中にて笑いを堪えきれない。なんと出来た親子であろうか。ますます欲しい。
 一歩、母親が池に近づく。
 ちょっかい程度に仕掛けてみよう、と玉嵐は、母親に向けて池の水をふっかけた。
 しかしそれは、母親に届かず弾かれてしまった。
(まさか、この子ども。……)
 玉嵐が池中から子どもを見た。
 ミズモリ、と呼ばれた少年はじっと池を睨み付けたまま動かない。しかしその意識は母親にあった。
 この幼さで、母を結界で守っている。
 玉嵐はクッと口角をあげた。ならばこの子どもからやってしまえばよい。
 ──と、水を浮かせたところで、森の奥から足音が聞こえた。
 ひとつではない。
『千草、水守。ここにおったか』
『よかったあ。お帰りが遅いので何事かあったのかと探しに参った次第です!』
『大龍さま。白月丸』
『どうした。なにかされたか』
『いけのぬしが、ははうえにみずを』
 と、言いかけた水守を胸に抱いて、母親はゆっくりと首を横に振った。
『いいえ水守、さあお父上と白月丸が迎えに来てくださいました。帰りましょう』
『しかしははうえ』
『水守』
 と、母はピシャリといった。
 水守はふて腐れたようにちいさく、
『はい』
 とだけつぶやいた。
 このとき。
 何故この女が、主人の龍に対して報告をしなかったのかなど、玉嵐には検討もつかない。報告していれば玉嵐は間違いなく池から追い出され、最悪の場合はこの気を散らされていただろうに。
 息を潜め、女を見つめた。
 ──やはり欲しい。どうしようもなく。

『放っておけ。なにもせぬ』
 
 たしか、名を大龍といったか。
 彼は池を──おそらくはそこに潜む自分を──一瞥したのち、ゆっくりと踵を返した。
 まるで相手にせぬものと、言わんばかりに。
(大龍。…………おぼえた。おぼえたぞ)

 玉嵐のなかに、初めて目標なるものができた。
 ただひとつ。
 ──この妻子を不浄に堕とす。

 それだけ。
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