落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

文字の大きさ
上 下
57 / 132
第十章

56話 心はともに

しおりを挟む
「お父さん──」
 なぜここに、ということばは呑み込んだ。
 大龍のうしろからオオカミの銀月丸がゆっくりと顔を出したからだ。
「銀月丸ッ」
 水緒はとたんに安堵した顔で、オオカミの首にかじりつく。ピリついていた鎌鼬の空気も、ふたりの出現によってかすかに和らいだ。
「水緒さまご無事で」
「うん……」
 人型に変化した銀月丸が水緒の肩を抱く。
 その手のあたたかさで心に余裕ができたのだろう、なんとも言えぬ悔しさが込み上げてきて、水緒はぐっとなみだをこらえた。
 過保護な父親だ、とダキニがわらう。
「言っとくけどアタシはまだなんもしちゃいないよ。現し世の理について、ちっとばかし教えてやっただけ」
「──彼らは、まだ肉体を失う時ではなかった。あわれな」
 と、大龍が地面を見下ろした。
 その視線の先には、先ほどみんなでつくった動物たちの墓がある。
「玉嵐とかいう鼠がおらぬな。……さしずめ、神社の手薄を狙うて水守に近づくつもりか」
「分かっていながら、こんなところで油売っていいのかい。玉嵐は水守を野良にしようと本気だよ。……どうにもアンタら親子ってのは、よくも悪くも目立っちまうから、方々から執着されるみたいだねェ」
「なに?」
「おのが撒いた種だよ。しっかり摘み取りな」
 といって、ダキニは腰かける白狐をポンと叩いた。するとたちまち風が吹いて空を舞う。
 待ちやがれ、と鎌鼬三兄弟はすかさず立ち上がったけれど、ダキニは「アンタたちもだよ、覚悟しな」とつめたい声で言い放つや空の彼方に消えていく。
「…………」
 残された一行はしばらく唖然として、空を見上げたまま動くことができなかった。

 ※
「寄合からの帰り道で通りがかりました」
 大龍さまに乗せてもろうて、と銀月丸が苦笑する。
 寄合の開催場所──つまり天津国は、九州のほうにあるらしい。そこから銀月丸を背に乗せて、ひとっ飛びで帰ってくるというのだから、さすがは龍といったところか。
 水緒、と大龍が淡い瑠璃色の瞳で見下ろした。
「欠片はとったのか」
「うん。浄化したよ」
「左様か、──」
「あそこってお父さんの思い出の土地なんでしょ。龍ヶ窪、まだ水がなみなみあったよ。見に行ったら?」
「寄合の帰りにたまに寄っているから、いらぬよ」
「そっか」
 じゃあ帰ろっか、と水緒が鎌鼬を見る。
 しかし三兄弟は浮かない顔をしたまま動かない。
「どうしたの」水緒の胸がざわつく。
 お嬢、と答えたのは蒼玉だった。いつにも増して真剣な顔をしている。
「俺たちはこの飛騨にふたたび戻ろうと思う。いつまでも神社に世話になるわけにもいくめえ」
「え──」
「ああ。ダキニの姐者に煽られて、また動物たちが殺されちゃかなわんからな。オレらが守ったらないかん」
 とうなずいた紅玉はわずかに微笑んだ。
「……だ、だけど、ダキニがまた誰かに助言して、いのちを狙われちゃうかもしれないよッ」
 と、水緒が懇願しても彼らの意志はゆるがない。蒼玉の口角がわずかにあがる。
「そうなりゃそのとき、またどうするか考える。俺たちだって伊達に数百年と生きてきたわけじゃねえんだ」
「お嬢、本来われら飛騨の鎌鼬はつるまねえ主義なんでさァ。……だけどそれを曲げてでも龍族に協力してよかったと、いまは思ってます。生涯のうちに、おのれのいのちを惜しむ友が一時できたんだ。これ以上のことはありやせん」
「進んで死ぬ気はねえが、たとえこの先でダキニにいのち奪われたとしても……もはや悔いはねえて。お嬢らのおかげや」
「…………」
 水緒は、絶句した。
 なんと言ったら彼らのいのちを守れるのか、その言葉がなにひとつ出てこなかったからである。
 いやだ。そんなのはイヤだ。イヤだけど──。だけど自分には彼らを護る術もない。水緒の瞳から一筋涙がこぼれ落ちた。

「あのとき」

 ふいに大龍がつぶやく。
「捨て置かなんだことは、正しかったようだな」
 そして微笑した。
 あのとき──とは、つまり彼らがまだ幼き頃。ダキニによって寄合でつるし上げを食らったときのことであろう。
 他族ながら、と大龍がつづける。
「わが子のためとこれほど龍族に尽くすとは健気な子らよ。ならばわしも、龍王として慈悲を向けんわけにもゆかぬな」
 といって大龍は、おのが両手を天に向ける。
 飛騨の上空に雲が立ち込めた。
 やがて、パラパラと涙のようにわずかな水滴が地にふりそそぐ。鎌鼬衆は不思議そうに大龍を見つめた。が、まもなく空気の匂いがわずかに変わったことに気が付く。
 大龍は、ゆっくりと木々を見回した。
「この恵みを受けた木々たちが、この世にひと柱でも残るうちは──ここ飛騨の山神の加護を受けるだろう」
「だ、大龍さま……!」
「よもやそのいのち、龍王大龍があずかった。無謀に捨てるはゆるさんぞ」
「────」
 蒼玉は、胸が詰まってもはやなにも言えなかった。代わりにずいと前に出てきたのが、ふたりの弟たち。
 ふたりは膝をつき、
「かたじけのうございます」
 と、めずらしくも紅玉が深くふかく頭を垂れ、翠玉は大龍にむけて恭しくなにかを差し出した。
「……この翠玉が調合した薬にて、かならずや龍族の争いのなか、お役にたちましょう」
 釉薬の色がきらきらと美しい壺である。
 翠玉がこれまでいじっていた薬壺よりもすこし小さく、かつずっしりとした重みがある。
「────水緒」
 大龍がいった。
 うん、とその壺を受けとる。すると翠玉はうれしそうににっこりとわらった。
「お嬢と若さまが、どうぞ安穏な日々にもどられることを、願っておりまさァ」
「…………」
 水緒はぐっとくちびるを噛む。そしてたまらず翠玉を抱きしめた。寂しさからか涙があふれて、あふれて、止まらなかった。
 翠玉もその腕のぬくもりを感じ入るように瞳を閉じて、ゆっくりと身を離す。
 続いて紅玉。
「修行は怠らんようにの」
 と、意地わるくわらって水緒の頭を二度、撫でてやった。
 最後は蒼玉へ。
「…………ありがとう」
「こちらこそ、また会える日を楽しみに」
「……また会える?」
「会えるとも。われら鎌鼬三兄弟、どれほど身は遠くとも心は常に龍とともにある。忘れるな」
「…………」
 うん、という一言が、喉が詰まって出なかった。けれど蒼玉はしっかりと受け取ったようだ。
 ようやく互いに身を離して水緒の背をポンと押した。
「さ、はように帰らんと。神社が玉嵐に荒らされてしまうかもしれんぞ」
「うん──あっ、そうだ日向の鎌鼬。瑠璃たちはどうするの?」
 すっかり忘れていた。
 しかし翠玉は首を横に振って、懐から薬草を取り出す。
「妹の具合を見る限り──もう少し薬を飲ませてやる必要がありそうで。面倒ですが、こちらで引き受けまさァ。お陰さまで越後の水と草がとれたんで良い薬が作れそうです」
「そっか……」
 ちらと瑠璃を見る。
 彼女はひどく憔悴した顔をしていた。もはやなにを言う気力もなさそうだ。水緒は懐から『大龍神社の御守り』を取り出して玻璃の手に握らせた。
「これ、うちの神社の御守り! 病気平癒ってわけじゃないけど、運気上昇に勝運招来ってことだから、きっと治るよ。なんたってお父さんにお祈りした御守りだからねっ」
「…………」
 瑠璃は、なにを言うこともなかった。
 けれどその双眸からは涙があふれ、彼女の気持ちを一挙に物語っていた。
 水緒、と大龍が呼ぶ。
 いつの間にか、白銀のたてがみをなびかせる龍のすがたになっている。水緒はその背に乗って、鎌鼬を見下ろした。

「また会おうねーッ。きっとだよ!」

 さけんだ。
 鎌鼬衆は大きく手を振り、水緒や銀月丸、そして大龍の姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと空を見上げていた。

 こうして四つめの欠片は浄化され、鎌鼬とは別れを告げた。残す欠片はあとひとつ。
 ──張られていた緊張がとけたのだろう。
 翠玉にもらった薬壺をしっかりと胸に抱いたまま、水緒は飛び立ってまもなく、大龍のたてがみにくるまれて眠りについた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

お姉さまに挑むなんて、あなた正気でいらっしゃるの?

中崎実
ファンタジー
若き伯爵家当主リオネーラには、異母妹が二人いる。 殊にかわいがっている末妹で気鋭の若手画家・リファと、市中で生きるしっかり者のサーラだ。 入り婿だったのに母を裏切って庶子を作った父や、母の死後に父の正妻に収まった継母とは仲良くする気もないが、妹たちとはうまくやっている。 そんな日々の中、暗愚な父が連れてきた自称「婚約者」が突然、『婚約破棄』を申し出てきたが…… ※第2章の投稿開始後にタイトル変更の予定です ※カクヨムにも同タイトル作品を掲載しています(アルファポリスでの公開は数時間~半日ほど早めです)

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...