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第二夜
第12話 巫女姿の少女
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「神隠し?」
景一が顔をあげた。
前をゆくのは、長い足をさばいて道をすすむ藤宮恭太郎である。彼はいまうわごとのように「カミカクシ」という単語を発した。あまりに唐突だったので景一は歩を速めて彼のとなりに肩を並べる。
「なんだい、急に」
「ここの祭は時に神隠しが発生するそうだよ。まあ、祭にかぎらずいまも三人が隠されちまったわけだけれど」
「どこから仕入れたネタだ」
「ん」
とんとん、と自身の左耳を指し示す。
耳で聞いたということか。景一はぴゅう、と口笛を吹いた。初めて顔を合わせてからいままで、この青年には毎度おどろかされる。彼の異常聴覚についてもそうだが、なにより聞こえる情報に対する取捨選択精度がすさまじい。幼いころより耳に入る情報の精査をしてきた賜物だろうが、彼のかしこさを認めずにはいられない。
めずらしくアンニュイな顔をしていた恭太郎だが、こちらの心情が聞こえたかフッと口角をあげた。
「これでもいちおう文化史学科所属なのでね。友人から神隠しなんて民俗学的な単語を聞いたら、気にならざるを得ないのさ」
「ああ──そういやそうだった。しかし、そう。神隠しね。……」
いやな単語だ。
神隠し、と聞くと胸がざわつく。ある種のトラウマというやつか、むかしの記憶がフラッシュバックする。森のなか。背後に迫る足音。倒れ伏す少女──消えた友人夫婦。
黒須景一の来歴は複雑である。
実家はわが国において、世が世ならば財閥御三家と呼ばれただろうほどの起業資産家であり、現在は景一の祖父が当代を務めている。とはいえ景一は分家の長男ゆえ次期当代は本家の従姉が継ぐ予定となっており、堅苦しいお家継承などとは無関係を気取っている。
そんな彼には、ふたりの幼馴染がいた。
ひとりは浅利博臣──将臣の父である。ゆえに実家嫌いの景一は現在博臣の家である宝泉寺に身を寄せているわけだ。
もうひとりが、霧崎秋良。この男こそ景一にとっての人生のすべてとも言える一花の実父である。
一花が古賀家の実子でないという事実を一花本人が知ったのは、先月の事件がきっかけだった。彼女は驚きこそすれ、これまで両親に感じていた違和感の正体を知ったことで安堵したようで、喜びすらした。ではそもそもなぜ彼女が古賀家の養子となったのか──その理由は十数年前にまでさかのぼる。
ある時、霧崎家族は旅行に出たきり行方不明となった。
ぱったりと音信不通となった霧崎親子を心配した景一は、彼らを探すべく方々を訪ね歩き、探しはじめてから数年後の森のなか、一花だけを発見した。本音を言えばそのまま一花とともに帰国してともに過ごしたかった景一だが、まだ霧崎夫妻の居所はわからない。
ゆえに、その際そばにいた友人の古賀に一花を託すと、景一はふたたび捜索の旅に出た。友人はそのまま一花を養子として引き取り、少女は古賀一花として新たな人生を歩むことになったのである。
──神隠し。
突如、親しい人間が消えてしまう恐怖を知った景一にとって、この言葉は好きじゃない。森のなかに倒れ伏す一花を見たときは口から心臓が飛び出るかとおもったほど。いまだ見つからない霧崎夫妻はいま、いったいどこにいるのか。生きているのか、或いは──。
いやな想像は、十数年経ったいまでも消えることはない。
景一は拳を握りしめた。
「いやだね。神様はなにを気に入って連れていっちまうんだか」
「連れていかれるのはタマフリサイで舞う幼巫女。巫女がコツゼンといなくなると、決まって山中からお囃子が聞こえてくる。禁足地である山中でいったいだれが神楽囃子を奏でているのか──と山中を覗いてみると、──」
「────覗いてみると?」
「──ムム。そういう話は僕じゃなくてイッカの専門なんだがなあ」
「おい焦らさず教えてくれよ」
といって肘で彼をつつくと、恭太郎はガラス玉のような大きな瞳をじとりとこちらに向けて、すこし不機嫌そうな声色で言った。
「山の奥から降りてきた死者が、お囃子に合わせて踊っていたんだとサ」
「な──」
「ライゴウサイ。死んだ人に会えるお祭り」
恭太郎ではない。
声は背後からだった。景一はおそるおそる振り返る。
そこに立っていたのは、巫女服の装いで顔に彩色半面をつけたひとりの少女だった。
「こ、子ども──?」
「でも呼ばれた人草じゃなくちゃ、ライゴウサイには会えないの」
「呼ばれる? きみ、この村の子なのかい。お名前は?」
「────カオリ」
「カオリちゃん、っていうのか。お兄さんは景一といいます。こっちのお兄ちゃんは恭太郎くんっていうんだ。よろしくな」
「キョウタロウ──キョウちゃん?」
といって、少女は面の下から覗く口元に薄っすらと笑みを浮かべる。妙に含んだ言い方が気になって、景一がちらと恭太郎を見る。見て、おどろいた。
「────」
彼の表情がひどく強ばっている。
いつも浮かぶ自信に満ちた笑みはどこにもなく、目の前の少女に戸惑ったようすである。景一はおもわずその肩に手を置いた。すると恭太郎はいきおいよくこちらを見て、フ、とちいさく息を吐く。
「大丈夫か」
「──なにが?」
「なにがって、いまえらい顔していたぜ」
「僕が偉いのはいつものことだ」
「そ、いや──ううん」
想定外の返しに言いよどむ。
するとしばし沈黙していたミカが、チリリンという音とともに少女が村の奥を指さした。音の正体は彼女の手首に赤い紐とともに巻かれた鈴である。
「あの子たちはライゴウサイに呼ばれたの。あっちにいる」
「それはイッカのことか?」
おもわず食いつく。
少女はほんのりと口元に笑みを浮かべたまま首をかしげた。
「さあ。でも、キョウちゃんたちのことさがしてる」
「イッカに会ったの?」
「おいで。案内したげる」
少女はちりちりと鈴の音を鳴らしながら小股に走り出した。速度はそれほどないはずだが不思議なことにあとを追えども決して追いつけない距離感を保ったまま、彼女は奥へ、奥へと進んでいく。
進むにつれて積年の運動不足ゆえか、徐々に息を上げていく景一がつぶやいた。
「どこに行くつもりだろう──恭太郎、あの子からなにか聞いたかい」
「────いや」
「めずらしいな、君が人心の声を聞かないなんて」
「聞かないんじゃない。聞こえないんだ」
「へえ?」
「将臣ともちょっとちがう。あの子の中は──まるで空っ風が吹いているようだ」
うわごとのようにつぶやいた恭太郎。
その意味は図りかねたが、なんとなく終着点に見える結論を察した景一は「そうか」とだけ相槌を打つと、その後はただ黙々と足をうごかして少女の背中を追いつづけた。
たどり着いたのは目を瞠るほどの旧い屋敷であった。
景一が顔をあげた。
前をゆくのは、長い足をさばいて道をすすむ藤宮恭太郎である。彼はいまうわごとのように「カミカクシ」という単語を発した。あまりに唐突だったので景一は歩を速めて彼のとなりに肩を並べる。
「なんだい、急に」
「ここの祭は時に神隠しが発生するそうだよ。まあ、祭にかぎらずいまも三人が隠されちまったわけだけれど」
「どこから仕入れたネタだ」
「ん」
とんとん、と自身の左耳を指し示す。
耳で聞いたということか。景一はぴゅう、と口笛を吹いた。初めて顔を合わせてからいままで、この青年には毎度おどろかされる。彼の異常聴覚についてもそうだが、なにより聞こえる情報に対する取捨選択精度がすさまじい。幼いころより耳に入る情報の精査をしてきた賜物だろうが、彼のかしこさを認めずにはいられない。
めずらしくアンニュイな顔をしていた恭太郎だが、こちらの心情が聞こえたかフッと口角をあげた。
「これでもいちおう文化史学科所属なのでね。友人から神隠しなんて民俗学的な単語を聞いたら、気にならざるを得ないのさ」
「ああ──そういやそうだった。しかし、そう。神隠しね。……」
いやな単語だ。
神隠し、と聞くと胸がざわつく。ある種のトラウマというやつか、むかしの記憶がフラッシュバックする。森のなか。背後に迫る足音。倒れ伏す少女──消えた友人夫婦。
黒須景一の来歴は複雑である。
実家はわが国において、世が世ならば財閥御三家と呼ばれただろうほどの起業資産家であり、現在は景一の祖父が当代を務めている。とはいえ景一は分家の長男ゆえ次期当代は本家の従姉が継ぐ予定となっており、堅苦しいお家継承などとは無関係を気取っている。
そんな彼には、ふたりの幼馴染がいた。
ひとりは浅利博臣──将臣の父である。ゆえに実家嫌いの景一は現在博臣の家である宝泉寺に身を寄せているわけだ。
もうひとりが、霧崎秋良。この男こそ景一にとっての人生のすべてとも言える一花の実父である。
一花が古賀家の実子でないという事実を一花本人が知ったのは、先月の事件がきっかけだった。彼女は驚きこそすれ、これまで両親に感じていた違和感の正体を知ったことで安堵したようで、喜びすらした。ではそもそもなぜ彼女が古賀家の養子となったのか──その理由は十数年前にまでさかのぼる。
ある時、霧崎家族は旅行に出たきり行方不明となった。
ぱったりと音信不通となった霧崎親子を心配した景一は、彼らを探すべく方々を訪ね歩き、探しはじめてから数年後の森のなか、一花だけを発見した。本音を言えばそのまま一花とともに帰国してともに過ごしたかった景一だが、まだ霧崎夫妻の居所はわからない。
ゆえに、その際そばにいた友人の古賀に一花を託すと、景一はふたたび捜索の旅に出た。友人はそのまま一花を養子として引き取り、少女は古賀一花として新たな人生を歩むことになったのである。
──神隠し。
突如、親しい人間が消えてしまう恐怖を知った景一にとって、この言葉は好きじゃない。森のなかに倒れ伏す一花を見たときは口から心臓が飛び出るかとおもったほど。いまだ見つからない霧崎夫妻はいま、いったいどこにいるのか。生きているのか、或いは──。
いやな想像は、十数年経ったいまでも消えることはない。
景一は拳を握りしめた。
「いやだね。神様はなにを気に入って連れていっちまうんだか」
「連れていかれるのはタマフリサイで舞う幼巫女。巫女がコツゼンといなくなると、決まって山中からお囃子が聞こえてくる。禁足地である山中でいったいだれが神楽囃子を奏でているのか──と山中を覗いてみると、──」
「────覗いてみると?」
「──ムム。そういう話は僕じゃなくてイッカの専門なんだがなあ」
「おい焦らさず教えてくれよ」
といって肘で彼をつつくと、恭太郎はガラス玉のような大きな瞳をじとりとこちらに向けて、すこし不機嫌そうな声色で言った。
「山の奥から降りてきた死者が、お囃子に合わせて踊っていたんだとサ」
「な──」
「ライゴウサイ。死んだ人に会えるお祭り」
恭太郎ではない。
声は背後からだった。景一はおそるおそる振り返る。
そこに立っていたのは、巫女服の装いで顔に彩色半面をつけたひとりの少女だった。
「こ、子ども──?」
「でも呼ばれた人草じゃなくちゃ、ライゴウサイには会えないの」
「呼ばれる? きみ、この村の子なのかい。お名前は?」
「────カオリ」
「カオリちゃん、っていうのか。お兄さんは景一といいます。こっちのお兄ちゃんは恭太郎くんっていうんだ。よろしくな」
「キョウタロウ──キョウちゃん?」
といって、少女は面の下から覗く口元に薄っすらと笑みを浮かべる。妙に含んだ言い方が気になって、景一がちらと恭太郎を見る。見て、おどろいた。
「────」
彼の表情がひどく強ばっている。
いつも浮かぶ自信に満ちた笑みはどこにもなく、目の前の少女に戸惑ったようすである。景一はおもわずその肩に手を置いた。すると恭太郎はいきおいよくこちらを見て、フ、とちいさく息を吐く。
「大丈夫か」
「──なにが?」
「なにがって、いまえらい顔していたぜ」
「僕が偉いのはいつものことだ」
「そ、いや──ううん」
想定外の返しに言いよどむ。
するとしばし沈黙していたミカが、チリリンという音とともに少女が村の奥を指さした。音の正体は彼女の手首に赤い紐とともに巻かれた鈴である。
「あの子たちはライゴウサイに呼ばれたの。あっちにいる」
「それはイッカのことか?」
おもわず食いつく。
少女はほんのりと口元に笑みを浮かべたまま首をかしげた。
「さあ。でも、キョウちゃんたちのことさがしてる」
「イッカに会ったの?」
「おいで。案内したげる」
少女はちりちりと鈴の音を鳴らしながら小股に走り出した。速度はそれほどないはずだが不思議なことにあとを追えども決して追いつけない距離感を保ったまま、彼女は奥へ、奥へと進んでいく。
進むにつれて積年の運動不足ゆえか、徐々に息を上げていく景一がつぶやいた。
「どこに行くつもりだろう──恭太郎、あの子からなにか聞いたかい」
「────いや」
「めずらしいな、君が人心の声を聞かないなんて」
「聞かないんじゃない。聞こえないんだ」
「へえ?」
「将臣ともちょっとちがう。あの子の中は──まるで空っ風が吹いているようだ」
うわごとのようにつぶやいた恭太郎。
その意味は図りかねたが、なんとなく終着点に見える結論を察した景一は「そうか」とだけ相槌を打つと、その後はただ黙々と足をうごかして少女の背中を追いつづけた。
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