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第一夜
第4話 うわさの真髄
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定食屋『ざくろ』では、おもに浅利将臣に度肝を抜かれた。
迷いなくカツカレーを頼む藤宮と一花の横で、彼は肉じゃが定食と食後にサバ味噌定食を頼んだのである。その注文に対しておどろかない店主にもまた驚きだが、ぺろりとしっかり平らげた浅利に対しては、泰全とともにおもわず「おお」という感嘆の声をあげた。
食事中は他愛ない会話が中心だったが、我々が地方村出身の幼なじみという話になると、浅利は地理について言及してきた。
「あの辺りもすこし都心を離れると、まだまだ農村部だよなぁ。衛星写真を見るとほとんど緑だしね」
「そんなもんだから、東京に出てきた時は異世界に来たかとおもったよ。そりゃネットではいろいろ見てたけど、コンテンツなんていくらでも加工できるし──」
「たしかに。実際に目で見るのとじゃあ、現実味がね」
「そうそう。でもほんとうに、大学でつよしと再会したのもマジに偶然だったから。オレけっこう嬉しかったよ」
と、泰全は顔をこちらに向けてにっこりわらう。これまで会話に乗り切れていなかった私への配慮だろうか。相変わらず、周りをよく見るいい男だ。私はその笑みにつられて微笑した。
それは私も願ってもないことだった。まして白泉はそこそこのレベルであるから──。当時それなりにワルぶっていた自分たちを思い出すと、この大学に揃って入学出来たことは奇跡に近い。
「だったら今年の夏は、その祭に行こう!」
藤宮が、言った。
あまりに唐突に。
私と泰全はエッ、という顔で藤宮を見る。
まず、「だったら」という枕詞がどこに掛けられたのかも分からない。おまけに彼が言った「その祭」というのがどの祭のことなのかも分からない。まさか、あの村でおこなわれていた祭のことだろうか。しかし、ゼミで彼らと顔を合わせてから今まで、あの村での祭の話などひとつも口にしてはいない。
怪訝な顔の私たちに気付いた浅利が、ああ、と思い至ったような顔で藤宮を見た。
「その村の祭か?」
「そうッ。ダロ?」藤宮がぐるりとこちらを見る。
「え? いや、──待て。何の話だ」
「たしかにうちの村には祭があったけど、オレらその話してないよな?」
と、泰全も困惑気味である。
しかし浅利は特段おどろいたようすもなく、すこし面倒くさそうに藤宮を見つめた。
「おまえなあ」
「いいだろ。なんだか妙に懐かしがってるようだし」
「そういう問題じゃなく──まあいいや。えっと、並木くん」
「ん?」
「とりあえずその祭のこと、教えてくれるか?」
「────」
私と泰全は目を見合わせて閉口した。
仕方なく、私たちは村祭りについての説明をした。
説明はおもに私がした。
ひと通りの話を聞き終えた浅利はなるほど、とうなずく。
「そのタマフリサイというのは──鎮魂祭と書くんだろうね。古語読みだと鎮魂をタマフリと読む」
「よく知ってるな、そんなこと」
「いちおう宗教従事者だから。あとその、オムスビカグラっていうのは単純に御結びか、緒結びか──どういう意味を持つ神事かにもよるけれど、その演舞の話を聞くかぎりじゃ緒を結ぶ方だろうな。『緒』というのは古来より命の意で使われていたから、命を結ぶ神楽、つまり人のつながり、命のつながりを生む祈願のための神事なのかもしれない。興味深いな」
「そ、な、名前だけでそんなことまで?」
「名前は重要さ。とくに昔の人たちは言霊として大事にして、響きや字に祈りを込めた。そこから読み取れるものもたくさんある」
「泰全、知ってたか」
「知るわけないだろ。オレ、小学校以来あの祭行ってないんだぜ」
「だよな。──」
私は感嘆の意を込めてため息をついた。
いまだに藤宮が祭について知っていたワケは分からないが、彼らはすっかりその祭に興味を持ったらしい。なかでも、終始私たちの頭上あたりを眺める一花は「なるほど、なるほど」と、感慨深げにつぶやいているのが印象的だった。
浅利が語りはじめてからすっかり黙っていた藤宮はというと、ひと通りの話が終わったところでふいに顔をあげた。
「つよしくんにダイゼンくん」
「た、タイゼンだってば──」
「その子はまだ見つからないのか」
「────」
私たちの時間は、ここで静止した。
この男の言葉はいつでも唐突だ。そして的確でもある。
じっとこちらを見つめる深緑色をしたビー玉のような瞳には、いったいなにが映っているのか。まるで私自身の心の底を覗かれているような気がして、背筋がゾッとした。
『ざくろ』のなかにただよう重苦しい沈黙。
頼みの綱である浅利は、きびしい顔をして藤宮を見つめていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ戻らないと。ここにいる全員、このあとおなじ必修授業だろう」
「あ──ああ。もうそんな時間か」
「あの先生、出席カードタイプだけど厳しいもんな」
と、泰全も苦笑して立ち上がる。
それにつられて藤宮と一花も立ち上がったが、彼らの表情はいまだかつてないほど昏くけわしいものになっていた。しかしそのわけを問う勇気も、私にはなかった。
支払いを済ませ、浅利と泰全につづいて店を出る間際。
背後の藤宮がひっそりと顔を寄せて、
「呼んでいるってよ」
と言った。
おもわず振り返ると、彼は一花に左耳を傾けながら私をじっと見下ろしている。
「────え?」
「いや、呼ばれてるのはキミじゃなくってあっちかな……」
そのまま彼の視線は泰全へとスライドする。
呼んでいる?
あっち?
いったい──なんのことだ?
立ちすくむ私の横を通り過ぎて、藤宮が店を出る。そのうしろにつづいて店を出ようとした一花が私の背中をばしりと叩いた。
「ダイジョーブよ。アナタのこと怒ってるわけじゃないから。……」
「怒っ──」
だれが?
藤宮が?
分からない。
分からない──。
私は一花に背中を押される形で、ずるずると店を出た。
奇人変人が集う文学部文化史学科──私はこの時、その真髄をうっすらと覗き見た気がしたわけだが、あとを思えばこんなものは些細な序の口であり、時が経つにつれてまざまざと思い知らされることになる。
迷いなくカツカレーを頼む藤宮と一花の横で、彼は肉じゃが定食と食後にサバ味噌定食を頼んだのである。その注文に対しておどろかない店主にもまた驚きだが、ぺろりとしっかり平らげた浅利に対しては、泰全とともにおもわず「おお」という感嘆の声をあげた。
食事中は他愛ない会話が中心だったが、我々が地方村出身の幼なじみという話になると、浅利は地理について言及してきた。
「あの辺りもすこし都心を離れると、まだまだ農村部だよなぁ。衛星写真を見るとほとんど緑だしね」
「そんなもんだから、東京に出てきた時は異世界に来たかとおもったよ。そりゃネットではいろいろ見てたけど、コンテンツなんていくらでも加工できるし──」
「たしかに。実際に目で見るのとじゃあ、現実味がね」
「そうそう。でもほんとうに、大学でつよしと再会したのもマジに偶然だったから。オレけっこう嬉しかったよ」
と、泰全は顔をこちらに向けてにっこりわらう。これまで会話に乗り切れていなかった私への配慮だろうか。相変わらず、周りをよく見るいい男だ。私はその笑みにつられて微笑した。
それは私も願ってもないことだった。まして白泉はそこそこのレベルであるから──。当時それなりにワルぶっていた自分たちを思い出すと、この大学に揃って入学出来たことは奇跡に近い。
「だったら今年の夏は、その祭に行こう!」
藤宮が、言った。
あまりに唐突に。
私と泰全はエッ、という顔で藤宮を見る。
まず、「だったら」という枕詞がどこに掛けられたのかも分からない。おまけに彼が言った「その祭」というのがどの祭のことなのかも分からない。まさか、あの村でおこなわれていた祭のことだろうか。しかし、ゼミで彼らと顔を合わせてから今まで、あの村での祭の話などひとつも口にしてはいない。
怪訝な顔の私たちに気付いた浅利が、ああ、と思い至ったような顔で藤宮を見た。
「その村の祭か?」
「そうッ。ダロ?」藤宮がぐるりとこちらを見る。
「え? いや、──待て。何の話だ」
「たしかにうちの村には祭があったけど、オレらその話してないよな?」
と、泰全も困惑気味である。
しかし浅利は特段おどろいたようすもなく、すこし面倒くさそうに藤宮を見つめた。
「おまえなあ」
「いいだろ。なんだか妙に懐かしがってるようだし」
「そういう問題じゃなく──まあいいや。えっと、並木くん」
「ん?」
「とりあえずその祭のこと、教えてくれるか?」
「────」
私と泰全は目を見合わせて閉口した。
仕方なく、私たちは村祭りについての説明をした。
説明はおもに私がした。
ひと通りの話を聞き終えた浅利はなるほど、とうなずく。
「そのタマフリサイというのは──鎮魂祭と書くんだろうね。古語読みだと鎮魂をタマフリと読む」
「よく知ってるな、そんなこと」
「いちおう宗教従事者だから。あとその、オムスビカグラっていうのは単純に御結びか、緒結びか──どういう意味を持つ神事かにもよるけれど、その演舞の話を聞くかぎりじゃ緒を結ぶ方だろうな。『緒』というのは古来より命の意で使われていたから、命を結ぶ神楽、つまり人のつながり、命のつながりを生む祈願のための神事なのかもしれない。興味深いな」
「そ、な、名前だけでそんなことまで?」
「名前は重要さ。とくに昔の人たちは言霊として大事にして、響きや字に祈りを込めた。そこから読み取れるものもたくさんある」
「泰全、知ってたか」
「知るわけないだろ。オレ、小学校以来あの祭行ってないんだぜ」
「だよな。──」
私は感嘆の意を込めてため息をついた。
いまだに藤宮が祭について知っていたワケは分からないが、彼らはすっかりその祭に興味を持ったらしい。なかでも、終始私たちの頭上あたりを眺める一花は「なるほど、なるほど」と、感慨深げにつぶやいているのが印象的だった。
浅利が語りはじめてからすっかり黙っていた藤宮はというと、ひと通りの話が終わったところでふいに顔をあげた。
「つよしくんにダイゼンくん」
「た、タイゼンだってば──」
「その子はまだ見つからないのか」
「────」
私たちの時間は、ここで静止した。
この男の言葉はいつでも唐突だ。そして的確でもある。
じっとこちらを見つめる深緑色をしたビー玉のような瞳には、いったいなにが映っているのか。まるで私自身の心の底を覗かれているような気がして、背筋がゾッとした。
『ざくろ』のなかにただよう重苦しい沈黙。
頼みの綱である浅利は、きびしい顔をして藤宮を見つめていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ戻らないと。ここにいる全員、このあとおなじ必修授業だろう」
「あ──ああ。もうそんな時間か」
「あの先生、出席カードタイプだけど厳しいもんな」
と、泰全も苦笑して立ち上がる。
それにつられて藤宮と一花も立ち上がったが、彼らの表情はいまだかつてないほど昏くけわしいものになっていた。しかしそのわけを問う勇気も、私にはなかった。
支払いを済ませ、浅利と泰全につづいて店を出る間際。
背後の藤宮がひっそりと顔を寄せて、
「呼んでいるってよ」
と言った。
おもわず振り返ると、彼は一花に左耳を傾けながら私をじっと見下ろしている。
「────え?」
「いや、呼ばれてるのはキミじゃなくってあっちかな……」
そのまま彼の視線は泰全へとスライドする。
呼んでいる?
あっち?
いったい──なんのことだ?
立ちすくむ私の横を通り過ぎて、藤宮が店を出る。そのうしろにつづいて店を出ようとした一花が私の背中をばしりと叩いた。
「ダイジョーブよ。アナタのこと怒ってるわけじゃないから。……」
「怒っ──」
だれが?
藤宮が?
分からない。
分からない──。
私は一花に背中を押される形で、ずるずると店を出た。
奇人変人が集う文学部文化史学科──私はこの時、その真髄をうっすらと覗き見た気がしたわけだが、あとを思えばこんなものは些細な序の口であり、時が経つにつれてまざまざと思い知らされることになる。
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