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59日目 がんばっているように見える人たちには何が起こっているのか?
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がんばっているように見える人たちには、いったい何が起こっているのでしょうか?
私たちの知らない何を彼らは知っているのでしょうか?
思考でそこへ到達するのは難しいと思います。それはこれまでに書いてきたとおりです。
今いる場所でがんばるのは無理があります。思考の外側に立つ必要があります。
私たちの思考に任せてしまうと、がんばってそこへ到達しようとしてしまいます。
がんばっているように見える人たちは、楽しんでやっています。一方で、楽しんでいないケースもあります。それは盲目的にやっているケースです。
むしろ、ほとんどのケースは楽しんでいることを認識すらしておらず、たいていは盲目的なケースかもしれません。
「スゲー楽しい」と私たちが考えるような感じではなく、もっと静かな、生きる喜びのような状態でしょう。
そして、実はあまり考えていません。自動的に行動していると言い換えてもいいかも知れません。
不安や心配、問題を抱えていません。これは問題が起きないという意味ではなく、抱えていないということです。不安や心配も起きてこないということではなく、抱えこんではいないということです。
彼らに「どうしてがんばれるのですか?」と尋ねてみると、おそらくは自分自身でもよくわかっていないと思います。
本人たちはがんばっているという自覚はなく、普通にやっているだけだと思っています。
複雑に、難しくしてしまっているのは私たちです。
できる人から見たら、できない私たちは理解できないようです。
「どうしてできないの?」「楽しんでやればいいだけじゃん」とこんな感じです。
楽しんでやっていると書きましたが、まったく楽しんでいないケースもあります。
試験勉強や受験勉強がこれに該当します。場合によっては絵の練習やスポーツの練習もこれに該当します。
それでも、盲目的にやっているその状態を楽しんでいたりします。苦しいことが楽しいというマゾ的な状態です。もくもくと何かをやるという行為、それ自体が生きる喜びなのです。
登山に例えてみるとわかりやすいかも知れません。一歩一歩をもくもくと歩いています。これが楽しさや喜びなのですが、登山の楽しさを知らない人は、何が楽しいのかがわかりません。
楽しんでいるにせよ、盲目的にやっているにせよ、いずれも共通項があります。
それは思考が差し挟まれていないということです。
私たちは歩いて頂上へ登るよりも、ヘリコプターで頂上へ到達してしまう方が合理的で良いことだと考えてしまいます。
これがそもそもの元凶であり、思考の正体なのです。私たちの持つ、愚かな側面です。
私たちの「がんばろうとする」行為を例えてみると、一生懸命にヘリコプターを探し、効率よく頂上へ到達しようする行為です。それは私たちが、目指すべきではないものを目指してしまっていたということです。
思考は、
・到達するのは早ければいいと考える。
・結果が良ければいいと考える。
・儲かればいいと考える。
逆に考えると、
・上達が遅いのは良くない。
・結果が悪いのは良くない。
・損をしたくない。
こうした合理的な側面が思考にはあります。
私たちの生きる喜びというのは合理的な思考の外側にあります。
思考の内側にいては到達できるはずがありません。
私たちの目指すべきは、登山のような、一歩一歩をもくもくと歩く行為です。
本物の夢中になる状態というのは、心が鎮まった状態です。そこは思考の外側の領域です。
私たちの知らない何を彼らは知っているのでしょうか?
思考でそこへ到達するのは難しいと思います。それはこれまでに書いてきたとおりです。
今いる場所でがんばるのは無理があります。思考の外側に立つ必要があります。
私たちの思考に任せてしまうと、がんばってそこへ到達しようとしてしまいます。
がんばっているように見える人たちは、楽しんでやっています。一方で、楽しんでいないケースもあります。それは盲目的にやっているケースです。
むしろ、ほとんどのケースは楽しんでいることを認識すらしておらず、たいていは盲目的なケースかもしれません。
「スゲー楽しい」と私たちが考えるような感じではなく、もっと静かな、生きる喜びのような状態でしょう。
そして、実はあまり考えていません。自動的に行動していると言い換えてもいいかも知れません。
不安や心配、問題を抱えていません。これは問題が起きないという意味ではなく、抱えていないということです。不安や心配も起きてこないということではなく、抱えこんではいないということです。
彼らに「どうしてがんばれるのですか?」と尋ねてみると、おそらくは自分自身でもよくわかっていないと思います。
本人たちはがんばっているという自覚はなく、普通にやっているだけだと思っています。
複雑に、難しくしてしまっているのは私たちです。
できる人から見たら、できない私たちは理解できないようです。
「どうしてできないの?」「楽しんでやればいいだけじゃん」とこんな感じです。
楽しんでやっていると書きましたが、まったく楽しんでいないケースもあります。
試験勉強や受験勉強がこれに該当します。場合によっては絵の練習やスポーツの練習もこれに該当します。
それでも、盲目的にやっているその状態を楽しんでいたりします。苦しいことが楽しいというマゾ的な状態です。もくもくと何かをやるという行為、それ自体が生きる喜びなのです。
登山に例えてみるとわかりやすいかも知れません。一歩一歩をもくもくと歩いています。これが楽しさや喜びなのですが、登山の楽しさを知らない人は、何が楽しいのかがわかりません。
楽しんでいるにせよ、盲目的にやっているにせよ、いずれも共通項があります。
それは思考が差し挟まれていないということです。
私たちは歩いて頂上へ登るよりも、ヘリコプターで頂上へ到達してしまう方が合理的で良いことだと考えてしまいます。
これがそもそもの元凶であり、思考の正体なのです。私たちの持つ、愚かな側面です。
私たちの「がんばろうとする」行為を例えてみると、一生懸命にヘリコプターを探し、効率よく頂上へ到達しようする行為です。それは私たちが、目指すべきではないものを目指してしまっていたということです。
思考は、
・到達するのは早ければいいと考える。
・結果が良ければいいと考える。
・儲かればいいと考える。
逆に考えると、
・上達が遅いのは良くない。
・結果が悪いのは良くない。
・損をしたくない。
こうした合理的な側面が思考にはあります。
私たちの生きる喜びというのは合理的な思考の外側にあります。
思考の内側にいては到達できるはずがありません。
私たちの目指すべきは、登山のような、一歩一歩をもくもくと歩く行為です。
本物の夢中になる状態というのは、心が鎮まった状態です。そこは思考の外側の領域です。
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