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まだいる

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 幼馴染である同い年の男の子が勇者として覚醒したのは、十五歳のときだった。

 まさかと思った。
 こんな片田舎の村で生まれ育った人間に、勇者だなんてそんな大役が果たせるわけないと。

 魔王という厄災を倒す勇者。
 それは長い間幾度となく繰り返されてきた争い。
 小さな頃から聞かされてきた英雄譚の数々に、幼心は確かに躍った。だけどそれは、現実味のないおとぎ話のはずだったのに。

 その勇者という存在が、現実として目の前に現れる。
 人々の思いを一身に背負う今世の希望は、私の幼馴染である男の子だった。

 教会の偉い人たちに囲まれながら、大丈夫だと手を振って村を発つ背中を今でも鮮明に覚えている。
 勇者となった者は教会にて認められると魔王討伐の旅に出るらしい。
 毎日一緒にいた幼馴染は、もはや私の手など届かない存在に――。



 連日続いた雨がようやく止み、清々しく晴れた朝。
 私は両親の畑仕事を手伝い、のんびり着替えと朝食を済ませてからバスケットに荷物を詰めて家を出る。

 呆然として幼馴染の勇者を見送ったあの日から、早いものでもうすぐ二年が経とうとしていた。
 気付けば私ももうすぐ十七歳になる。

 気付けばあっという間だな、なんて感慨にふけっていると、ふと視界の端に人影が映って足を止めた。

「……あ」

 見やれば、村の入り口には、馬を繋いでいる背の高い男性とその彼より少し低めの男性が二人。
 二人とも紺色の制服に金色のボタンが良く映えている。シャツの襟は首元まできっちりと留まっていた。背が高く精悍な顔つきをした方は、四角い革の鞄を手に持っている。

 明らかに村人とは雰囲気の違う彼らは、街のお役人さんだ。
 鞄の男性は私に気付くと丁寧な所作で一礼した。それを見たもう一人もぺこりと倣うので、私も慌てて頭を下げてから彼らに駆け寄った。
 鞄の男性はよく見知った相手だったから。

「ルズさん、おはようございます。朝早くからすみません」

 無愛想ながら、低いがよく通る聞きやすい声と丁寧で穏やかな言葉遣い。
 この人は精悍な顔をニコリともさせないけれど、話してみると役人だからと驕るところがひとつもない。だから村の人たちはみんな彼に好意的だ。きっと仕事もできるに違いない。
 現に小難しい役職名を持っているらしいけれど、聞いてもよくわからなかったのでずっと『お役人さん』と呼ばせてもらっている。

「いいえ、こちらこそ遠くからありがとうございます。いつもごくろうさまです」

 こんな小さな村まで足を運んできてくれるのだから、労わらずにはいられない。

「今日はお二人でいらっしゃったのですね」

 お役人さんの後ろには、年若い青年が立っていた。見たところ私より若干年上くらいだと思う。
 覗き込むように身体を傾げたら不快そうに眉根を寄せられてしまったので、嫌々ここへ来たのだろう。けれどその気持ち、わかる。

「新人が配属されましたので、ごあいさつもかねて連れてまいりました」
「そうなんですね。新人さん、よろしくお願いします」
「…………どうも」

 第一印象は大事! と精一杯の笑顔を向けたら、たっぷりと間を置いての「どうも」が降って来た。
 おそらくこれは『どうしてこんな小娘に』の不満を込めてだろう。うんうん、わかる。その気持ちもよくわかるよ新人さん。申し訳ないね新人さん。同情の思いで心の中で何度も頷いた。

「それで、またご依頼がありまして……」
「なら、ちょうど良かったです。私も今から行くところだったので」

 手にしていたバスケットを掲げると、お役人さんは納得したように頷いた。並んで一緒に目的地へ向かう。
 新人さんは、いまだに不快感を隠さない顔でついてくるだけだったけれど。


 しばらく進めば、ごくごくありふれた田舎の一軒家に辿り着く。
 そしてそのまま玄関――には向かわず、ぐるりと裏手に回ると薄暗い裏庭の端に大きな物置のような小屋が建っている。

「は? ここか……?」

 訝しそうな新人さんの声を背中に受けながら、私は小屋の入口に向かった。
 ですよね。こんな鬱蒼とした物置小屋、戸惑いますよね。もはや何度目かもわからない同意の頷きを心の中で返しながら、私は数度扉をノックした。

「おはようニール。来たよー」

 声をかけるが反応はない。
 しん、と落ちる沈黙。

 だがよく耳をすませば、中からズリズリとした這いずるような物音がする。
 間違いなくこちらに向かって。

「な、なんだ……?」

 新人さんの戸惑うような声がした。
 その言葉と重なるように、ギギギと軋む音をさせながら、わずかに開いた立て付けの悪い扉。
 薄暗い隙間から漏れ聞こえてきたのは、掠れたようにしわがれた低い声だった。

「…………ぉはよう、ルズ」

 正直、干からびたカエルだってもっとマシな声を出すと思う。
 そして――ヌゥッと、苔みたいな色をしたボサボサ頭が扉の奥から現れた。

「――――っ!?」

 声にならない叫びが新人さんから聞こえた気がした。
 まあ確かに、一体なんの化け物が出て来たのかと思うだろうけれど。

「うっげぇ、眩し……」

 どうやら小屋に引きこもりすぎて、光に対する眼球の耐性が尽きたらしい。またかと、ついため息が出る。

「もうっ。はい、朝ご飯」

 手にしていたバスケットを持ち上げてやれば、とたんに『ゴギュルルルルルルル』と爆音が響いた。
 ニールの腹の虫はデカい。「そういえば腹へったなぁ」と、今にも眠気に負けそうな覇気の無い声とともに、のろのろと扉の隙間から姿を現した。

 その姿は期待に違わず陰鬱で薄汚れている。

 襟元がヨレヨレになるまで伸びきった黒いシャツ。親父さんのお古だという作業着のズボンは細身のニールにはサイズが合わず、ずるずると引きずりすぎて裾がほつれていた。というより、もはや削れている。
 そんなダルダルの服装に、寝ぐせが付きまくったままのボサボサとした見た目ただの苔でしかない深緑の髪の毛。目元なんてその伸び放題の苔にすっかり覆われて見えない。
 そして亡霊のようにまったくキレのない動きは薄気味悪い。

 指摘しようと思えば枚挙にいとまがないが、左耳にぶら下がっている大きな紫水晶のようなピアスだけが、暗澹としたシルエットの中で唯一キラリと輝いていた。

 見るからに不審者のニールは、この鬱蒼とした裏庭の小屋で一日の大半を過ごしている。

「今日はなに?」
「たまごサンドだよ。あとうちで採れた果物も」

 言えば、中を覗き込んでいたニールの雰囲気がほわっと和らいだ。
 たまごサンドは彼の大好物。どうやら喜んでいる様子に、思わず私の口元も緩むけれど……小屋の前に立つお役人さんたちに気が付いたニールは露骨に不機嫌さをあらわにした。

「……来てたの」
「おはようございます。朝から申し訳ございませんが、ご依頼がありまして」

 眉根を寄せるニールの態度もなんのその。お役人さんは涼しい顔で革の鞄から封筒を取り出した。

「どうかよろしくお願いします。勇者様」

 敬意を払うかのように足を揃えたお役人さんは、今まで以上に畏まった様子で恭しく頭を下げた。

 もはや私の手など届かない存在に――なるはずだった幼馴染の勇者は、いまだこうして村に引きこもっている。
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