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31 稀代の聖女とその狂犬(終)
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港を発つ船に飛び乗ることができた二人は、甲板から遠くなっていく岸辺を眺めていた。
「ふふふっ。見てゲオルク、まだなにか喚いているわ」
見つめる先では――ラウレナとゲオルクを追ってきたのだろう元婚約者と妹たち一団がなにやらこちらを指差して騒いでいる。
しまいには内輪もめのように言い争いが始まったようで、妹は愛らしく健気な女性という設定をすっかり脱ぎ捨てたらしい。凄い勢いで元婚約者に食ってかかっている。
なかなか見ごたえのある光景が港で繰り広げられていた。
「アイオスが情けないくらい押されているわよ!」
このままでは騒動になってしまいそうだが、いざ距離を置いて眺めていると、それらすべてが別世界の出来事のようにすら感じられてしまうから不思議であった。気分はまさに文字通り、対岸の火事である。
お腹を抱えていまだに肩を震わすラウレナを見て、ゲオルクはなぜか満足そうに腕を組んだ。
「思う存分笑っておくといいぞ。もう見ることはできない奴らだからな」
「ああ……そういえばそうね! ならあと少しじっくり見ておこうかしら」
元婚約者の今後やら侯爵家と騎士団のこれからとか、ましてや妹のことなど、もうラウレナには関係がないのだ。
それよりも、国を出たこれからの未来にラウレナの心は躍っている。
家を飛び出した直後なんて、自分がこんな心境で隣国へ向かえるだなんて思っていなかったというのに、人生とはなんて不思議だろうか。
このままでは殺される。という絶望の中、藁にもすがる思いであの路地裏の店の扉をくぐった。
それが今や、こんなに清々しい気持ちで母の国を目指せるなんて。
――という思いに、胸を高鳴らせるラウレナだったのだが。
甲板の手すりに肘を着いたら、不意に横から手が伸びてきた。なにかと思えば、その手は胸元で揺れる小さなミントグリーンの宝石を摘まむ。
ゲオルクがまじまじと母親の形見であるネックレスを覗き込んでいた。
「ラウレナの母親の母国だが……」
「え?」
「おそらくすでに消滅してる」
「ええ!?」
膨らませていた期待の中に突然ぶっ込まれた内容は、無防備であったラウレナにとんでもない衝撃をもたらした。
「ど、どういうこと!?」
「この宝石、見覚えがあるなぁと思っていたが、間違いない。俺の国の名産だ」
「ぅええっ? それって、ゲオルクが将軍をしていて、戦争に負けて地図から消えたっていう、あの?」
「あの」
「え、え、えええ!? そんなまさかぁ!?」
もはやゲオルクが口を開けば開くほど混乱の渦に叩き落とされる。
少しばかり待ってほしいと目を白黒させるが、そんな気遣いなどこの男にあるわけがなかった。
「地図の端にあったような国だが、この宝石は唯一の名産ともいえるもので希少品だ。この大きさでもかなりの品物だぞ。ラウレナの母は相当の人物だったのだな」
「お母さまの母国での立場まではわからないけれど……あのお父様が結婚を決めるほどだから、それなりの地位はあったと思うわ」
縁を結ぶことに大きな利益が無ければ、あの父親が相手に選ぶわけがないのだから。もしかしたら、この宝石による利益も結婚に含まれているのかもしれない。可能性は高い。
そこだけは自信をもって言えるというのも悲しいものではあるが。
「なるほどな。とはいえ、その国も十年以上前に地図から消えているわけだが……実際はその何年も前から国内でも争いが絶えなくてなぁ。内情はかなり荒れていた」
「――っ、だからお母様は、あれほど心身ともに参ってしまっていたのかしら……!?」
記憶の中の母は、とても儚い人であった。
いつも物憂げな顔をしてベッドで過ごしていたのだ。
「母国が酷く荒れていれば例えどんなに地位を持っていたとしても役には立たないだろうからなぁ。とくれば、野心の塊だとかいう父親に見捨てられてもおかしくはないだろうし、不調もそれが原因じゃないか? ……まあ、知らんがな」
「ここまで話しておいて!?」
面白いくらいにガクンと肩が落ちた。
もっともらしく語っておいて、最後に投げないでほしい。
「だって会ったこともない相手だぞ? 実際のところなど知らん」
「いえ、そうだろうけれど……」
「それで、目指す母国はおそらくないわけだがラウレナはどうするんだ?」
隣国行の船には乗ったものの、これから目指すはずだった行先がすでに消滅している。
いきなり旅路が暗礁に乗り上げてしまった。
――けれど。
「それでも、目指すわ」
母の母国を見たい。
それは、家を飛び出したラウレナが唯一持っていた明確な目的だった。
「国がなくても、その現実を見たい。国があったというその場所に立ちたい。まずはそれを達成してからなの」
新しい人生を、胸を張って歩むのは。
「ゲオルクの奴隷契約もなんとかしましょう」
「なんとかとは?」
「当然、契約解除のことよ」
自分で言っておきながら少しばかり胸が痛んだが、ギュッと目をつむってやり過ごす。
国を出るまでは護衛として奴隷が必要であったが、隣国に着いてしまえば不要だ。
これ以上ゲオルクをラウレナに縛り付ける必要はないのだ。
と、思っていたのだが。
「いや、別にこのままで構わんぞ?」
「……え? どうして?」
キョトンとした顔でゲオルクはそんなことを言った。なんなら不思議そうに首を傾げながら。
「現状なにも不自由はないだろう?」
「いいえ!? だって、奴隷よ? そんな――」
言いかけて、ふとよぎる。
奴隷であるはずの彼がしでかすあれやこれ。それやこれ。
出会ってからこれまでの行動を思い返して、ラウレナは同じように首を傾げてしまった。
(不自由……して、いたかしら? あれ、していない?)
むしろ振り回されていたのは私では? とまで思える気がする。
おやおや? と混乱するラウレナの横で、ゲオルクがポンと手を叩いた。
「ああ、ひとつあったな。不自由なこと」
「そうなの? なにかしら?」
「性奴隷の契約はラウレナが満足すると俺もおさまってしまうだろう。最近それでは物足りない」
突然の暴露に、一瞬、時が止まった。
「物足り……え? は? えええええ!?」
言われたことを理解するほど、顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。
「待って! こんなところで何を言うの!?」
「いやな、そろそろだいぶしんどいから――もごぉっ」
「うわあああんっ!」
慌てて飛び上がり、その口を塞いだ。無駄にキョロキョロと周囲を窺ってしまったが、幸い甲板に人影はない。
そんなことをしている間に、首筋を撫でるように髪を掬われる。
「うひぃああっ!」
ぞくぞくっと身体が震えた。
慌てて首を抑えて下から睨みつけたが、ゲオルクは小憎らしい笑みを浮かべるだけだ。
髪はだめだ。今やラウレナの髪はいらぬ性癖を開発されてしまったのだ。そしてゲオルクもきっとそれに気付いている。
現に、首まで真っ赤にしたラウレナを前にして気のせいでなければ満足そうだ。
「だが身体が悦んでるのは直で伝わってくるから、それはいいな」
「待って、今なにか伝わってるの!?」
「知りたいか?」
ブンブンと頭を振っていたら、顔を挟むように両手を添えられた。
「自信を持てよ? ラウレナは可愛いぞ。俺は好きだ」
「は――――」
突然のトドメに腰が抜けた。
「もうやだー! 絶対に契約解除してやるわぁ!」
「ははははは!」
すっかり立てなくなったラウレナを前にしてゲオルクが笑う。
広大な海原に、豪快な笑い声が響き渡った。
のちに『稀代の聖女とその狂犬』とよばれる二人の旅路は、今ようやく始まったばかりである。
─────────
これで完結となります。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
「ふふふっ。見てゲオルク、まだなにか喚いているわ」
見つめる先では――ラウレナとゲオルクを追ってきたのだろう元婚約者と妹たち一団がなにやらこちらを指差して騒いでいる。
しまいには内輪もめのように言い争いが始まったようで、妹は愛らしく健気な女性という設定をすっかり脱ぎ捨てたらしい。凄い勢いで元婚約者に食ってかかっている。
なかなか見ごたえのある光景が港で繰り広げられていた。
「アイオスが情けないくらい押されているわよ!」
このままでは騒動になってしまいそうだが、いざ距離を置いて眺めていると、それらすべてが別世界の出来事のようにすら感じられてしまうから不思議であった。気分はまさに文字通り、対岸の火事である。
お腹を抱えていまだに肩を震わすラウレナを見て、ゲオルクはなぜか満足そうに腕を組んだ。
「思う存分笑っておくといいぞ。もう見ることはできない奴らだからな」
「ああ……そういえばそうね! ならあと少しじっくり見ておこうかしら」
元婚約者の今後やら侯爵家と騎士団のこれからとか、ましてや妹のことなど、もうラウレナには関係がないのだ。
それよりも、国を出たこれからの未来にラウレナの心は躍っている。
家を飛び出した直後なんて、自分がこんな心境で隣国へ向かえるだなんて思っていなかったというのに、人生とはなんて不思議だろうか。
このままでは殺される。という絶望の中、藁にもすがる思いであの路地裏の店の扉をくぐった。
それが今や、こんなに清々しい気持ちで母の国を目指せるなんて。
――という思いに、胸を高鳴らせるラウレナだったのだが。
甲板の手すりに肘を着いたら、不意に横から手が伸びてきた。なにかと思えば、その手は胸元で揺れる小さなミントグリーンの宝石を摘まむ。
ゲオルクがまじまじと母親の形見であるネックレスを覗き込んでいた。
「ラウレナの母親の母国だが……」
「え?」
「おそらくすでに消滅してる」
「ええ!?」
膨らませていた期待の中に突然ぶっ込まれた内容は、無防備であったラウレナにとんでもない衝撃をもたらした。
「ど、どういうこと!?」
「この宝石、見覚えがあるなぁと思っていたが、間違いない。俺の国の名産だ」
「ぅええっ? それって、ゲオルクが将軍をしていて、戦争に負けて地図から消えたっていう、あの?」
「あの」
「え、え、えええ!? そんなまさかぁ!?」
もはやゲオルクが口を開けば開くほど混乱の渦に叩き落とされる。
少しばかり待ってほしいと目を白黒させるが、そんな気遣いなどこの男にあるわけがなかった。
「地図の端にあったような国だが、この宝石は唯一の名産ともいえるもので希少品だ。この大きさでもかなりの品物だぞ。ラウレナの母は相当の人物だったのだな」
「お母さまの母国での立場まではわからないけれど……あのお父様が結婚を決めるほどだから、それなりの地位はあったと思うわ」
縁を結ぶことに大きな利益が無ければ、あの父親が相手に選ぶわけがないのだから。もしかしたら、この宝石による利益も結婚に含まれているのかもしれない。可能性は高い。
そこだけは自信をもって言えるというのも悲しいものではあるが。
「なるほどな。とはいえ、その国も十年以上前に地図から消えているわけだが……実際はその何年も前から国内でも争いが絶えなくてなぁ。内情はかなり荒れていた」
「――っ、だからお母様は、あれほど心身ともに参ってしまっていたのかしら……!?」
記憶の中の母は、とても儚い人であった。
いつも物憂げな顔をしてベッドで過ごしていたのだ。
「母国が酷く荒れていれば例えどんなに地位を持っていたとしても役には立たないだろうからなぁ。とくれば、野心の塊だとかいう父親に見捨てられてもおかしくはないだろうし、不調もそれが原因じゃないか? ……まあ、知らんがな」
「ここまで話しておいて!?」
面白いくらいにガクンと肩が落ちた。
もっともらしく語っておいて、最後に投げないでほしい。
「だって会ったこともない相手だぞ? 実際のところなど知らん」
「いえ、そうだろうけれど……」
「それで、目指す母国はおそらくないわけだがラウレナはどうするんだ?」
隣国行の船には乗ったものの、これから目指すはずだった行先がすでに消滅している。
いきなり旅路が暗礁に乗り上げてしまった。
――けれど。
「それでも、目指すわ」
母の母国を見たい。
それは、家を飛び出したラウレナが唯一持っていた明確な目的だった。
「国がなくても、その現実を見たい。国があったというその場所に立ちたい。まずはそれを達成してからなの」
新しい人生を、胸を張って歩むのは。
「ゲオルクの奴隷契約もなんとかしましょう」
「なんとかとは?」
「当然、契約解除のことよ」
自分で言っておきながら少しばかり胸が痛んだが、ギュッと目をつむってやり過ごす。
国を出るまでは護衛として奴隷が必要であったが、隣国に着いてしまえば不要だ。
これ以上ゲオルクをラウレナに縛り付ける必要はないのだ。
と、思っていたのだが。
「いや、別にこのままで構わんぞ?」
「……え? どうして?」
キョトンとした顔でゲオルクはそんなことを言った。なんなら不思議そうに首を傾げながら。
「現状なにも不自由はないだろう?」
「いいえ!? だって、奴隷よ? そんな――」
言いかけて、ふとよぎる。
奴隷であるはずの彼がしでかすあれやこれ。それやこれ。
出会ってからこれまでの行動を思い返して、ラウレナは同じように首を傾げてしまった。
(不自由……して、いたかしら? あれ、していない?)
むしろ振り回されていたのは私では? とまで思える気がする。
おやおや? と混乱するラウレナの横で、ゲオルクがポンと手を叩いた。
「ああ、ひとつあったな。不自由なこと」
「そうなの? なにかしら?」
「性奴隷の契約はラウレナが満足すると俺もおさまってしまうだろう。最近それでは物足りない」
突然の暴露に、一瞬、時が止まった。
「物足り……え? は? えええええ!?」
言われたことを理解するほど、顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。
「待って! こんなところで何を言うの!?」
「いやな、そろそろだいぶしんどいから――もごぉっ」
「うわあああんっ!」
慌てて飛び上がり、その口を塞いだ。無駄にキョロキョロと周囲を窺ってしまったが、幸い甲板に人影はない。
そんなことをしている間に、首筋を撫でるように髪を掬われる。
「うひぃああっ!」
ぞくぞくっと身体が震えた。
慌てて首を抑えて下から睨みつけたが、ゲオルクは小憎らしい笑みを浮かべるだけだ。
髪はだめだ。今やラウレナの髪はいらぬ性癖を開発されてしまったのだ。そしてゲオルクもきっとそれに気付いている。
現に、首まで真っ赤にしたラウレナを前にして気のせいでなければ満足そうだ。
「だが身体が悦んでるのは直で伝わってくるから、それはいいな」
「待って、今なにか伝わってるの!?」
「知りたいか?」
ブンブンと頭を振っていたら、顔を挟むように両手を添えられた。
「自信を持てよ? ラウレナは可愛いぞ。俺は好きだ」
「は――――」
突然のトドメに腰が抜けた。
「もうやだー! 絶対に契約解除してやるわぁ!」
「ははははは!」
すっかり立てなくなったラウレナを前にしてゲオルクが笑う。
広大な海原に、豪快な笑い声が響き渡った。
のちに『稀代の聖女とその狂犬』とよばれる二人の旅路は、今ようやく始まったばかりである。
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2人のそれからの話も出来れば読みたいです。楽しいお話ありがとうございました😃
感想ありがとうございます。
元婚約者と妹、けちょんけちょんにさせていただきましたw
しかしこういったシーンはあまり書いたことがなく苦手で、四苦八苦しながら書き進めたので楽しんでいただけて嬉しいです~。
それからの話は今のところ予定は真っ白なのですが、いつかまたなにか書けたらいいなぁとは思っております(笑)
完結お疲れ様でした!
俺たちの冒険はこれからだエンドが残念な位面白かったです^_^
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番外編、今のところ予定は真っ白なのですがいつかまたなにか書けたらいいなぁとは思っております(笑)