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29 そういうことかと鼻で笑うしかない

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 フィーネの肩を抱いたまま、アイオスがラウレナとの距離を詰めてくる。
 おかげで般若な妹とも顔を突き合わせることになりそうで、思わず数歩下がった。それをどう思ったのか、アイオスは宥めるような声を出す。

「先ほどの強がりはわかっている。だが大丈夫だ。私は気にしていないし、ラウレナのことも愛そう」

 ――それはただの愛人では。
 どう聞いても愛人として囲ってやる宣言でしかない気がするし、案の定フィーネの顔も引きつっている。その顔を見るに、やはり元婚約者の言葉は妹も初耳だったようだ。

「ア、アイオス様は、愛しているのは私だけだとおっしゃってくれましたわ」
「ああもちろん! 私が誰よりも愛しているのはフィーネだ。だが君も姉を心配していただろう? やっとラウレナと再会できたんだ、これが一番だとは思わないか? 私から君には手を出さないようにラウレナにはしっかりと言い聞かせるから、不安に思う必要はない」

 いや不安しかない。
 まったくもって愚策であるし、いい加減彼がなにを言っているのかわからなくなってきた。
 そしてアイオスの前で姉を心配してみせた手前、フィーネもそれ以上強く言えない様子で笑みを浮かべたまま表情が固まっている。

 その隙にアイオスがこちらへ手を伸ばしてきたのだが――彼とラウレナの間に太く逞しい腕で割入ってきたのは、ゲオルクであった。

「面倒な男だな。なぜわかりやすくハッキリ言わない!」
「……なに?」
「お前の目当てはラウレナの聖力だろう!?」

 ドーン! と腕を組んでゲオルクが言い放つ。
 アイオスはギョッとしたように目を剥いてから。首がもげそうな勢いでラウレナの方を向いた。グリンと突然回る美形の顔はそれはもう怖かった。

「ラウレナ。あれだけ口外してはいけないと、言ったはずだよね?」
「……っ」

 穏やかな口調ではあるが、その声色には間違いなく責めるような色が含まれていたし、彼の綺麗な青色の瞳は冷たく据わっていた。つい怯んでしまったラウレナの頭に、ゲオルクの大きな手が乗せられる。
 じんわりとした温かさに、強張った身体からすっかり力が抜けていく。

「気にするな。聖力はラウレナの力だ。この男のものではない」
「う、うん……っ」

 有無を言わせぬ力強い声に、うっかり目が潤んでしまった。

「……聖力? お姉様が……?」

 そんな中、一人だけ事情を知らないフィーネが驚愕したようにラウレナを見る。
 だがそれもそうだろう。妹にとっては初耳のはずだ。
 自分より下であるはずの姉に希少な聖力など、微塵も考えたことなどないに違いない。

「そうだ。この男は散々ラウレナの聖力を使っていたのだろう? だからこそ今窮地なんだ。違うか?」
「な――っ」

 ゲオルクが呆れたように言えば、アイオスは顔を赤くして眉を吊り上げた。

「ラウレナ……っ!」
「いや、言っておくがラウレナはなにも言っていないぞ」

 睨みつけてくる瞳に怯んだら、庇うようにゲオルクの背中の後ろへ追いやられた。それでも射抜かんばかりにこちらを凝視しているだろう視線を痛いほど感じる。

「ウルベスクへの道中で寄ったインクロリア領の小さな村でな、怪我をしたカーバンクルを見た」
「なんだと――!?」

 ゲオルクの言葉にアイオスは異常なまでに反応を示す。

「あのカーバンクルを襲ったの……お前か、もしくはお前が指示した騎士じゃないか?」
「え!? まさか!?」

 思わぬ指摘に驚いたが、思い返せば確かにあの森にはなぜか騎士がうろついていたし、彼らはなにかを探していたようだった。

「……でも、どうして?」

 元婚約者と森で出会った番のカーバンクルが、ラウレナの中ではまだ繋がらない。首を傾げてアイオスを見れば、彼は忌々しそうに顔を歪めていた。
 もしかしなくともゲオルクの言葉は的を射ているようだ。

「この国の騎士団長令息は期待の次期団長候補だと聞いていたが……それは、ラウレナがいたからこそだろう?」
「え? 私?」
「色々と自覚がないようだけどな、どれだけ怪我をしても瞬く間に治癒できるというのが、騎士のような身体を張って戦う者たちにとっていかに大きな強みとなるか想像してみろ。それはラウレナが思っている以上だぞ」
「確かに、そうだとは思うけれど……」

 ラウレナにとっては幼少期から身近にあった、ありがたくも当たり前の力である。
 しかし、ゲオルクの言葉からはラウレナが考えていた以上の重みを感じた。

「俺の国では、聖女や聖人は教皇と並ぶと言っただろう? それはただ単に傷を治せるからだけではない」
「と、いうと?」
「聖力には治癒だけではない、身体能力の上昇などなにかしらの効力も付く。それを祝福とも呼んでいたな。だからこそ教皇と並ぶほど崇められるんだ」
「と、いうことはつまり?」

 なにひとつ実感のないラウレナではあったが、言われてみれば幼少期の扱いの割には健やかに育ったと思う。それがその祝福とやらのおかげなのかもしれない。

 それよりもゲオルクってばこんな難しい話もできるのね。などとそっちの方が気になった。
 正直、考えるよりも先に大剣を振り回す姿しか知らない側からすればなかなか新鮮である。
 なんて思っていた矢先。

「だから、この男が騎士としてまともにやれていたのはラウレナの聖力という小狡い能力を独占していたからだ!」
「こ、小狡い……っ!?」
(仮にも聖女と呼ばれる能力ではないの!?)

 ビシィッとアイオスを指差して言い放ったゲオルク。だがその言い方は嬉しくない。

「ラウレナが消えて焦っただろう。なんてったってこのままでは安泰だったはずの団長の座が危ういのだから。それで目をつけたのがあの村で言い伝えられてたカーバンクルだ」
「あの守り神様の話? どうして?」
「ラウレナの聖力の代わりに、カーバンクルの赤い宝石を狙ったんだろう?」
「あ、身を守ってくれるとかいうあの話!?」

 思い出して問えば、ゲオルクが大きく頷く。
 確かカーバンクルの赤い宝石には『富と名声が手に入る』以外にも『どんな魔術も跳ね返す』だとか『身を守ってくれる』なんて伝承があった。

 とはいえ、そんなの実証されたわけでもない眉唾な話だ。

「そんなことのために、彼らを傷つけたの……!?」

 小さな洞窟の奥で震えていたカーバンクル。
 肉の抉れた傷を思い返すと怒りしか湧いてこない。
 しかも、ゲオルクに脚を切り落とされる寸前であったというのに! あのときはなかなか焦った。

 そして片割れはワイバーンに化けてまで、必死に足を怪我した子を守っていた。事情を知れば、あれはなんとも痛ましい光景であったのだ。

 だがそうやって考えれば、村の訴えに役人が動いてくれなかったのも、騎士団がうろついていたのも、ラウレナを探していた騎士団もすべてがスッキリする。
 全部がアイオスの保身による私利私欲のためだったというのだろうか。
 
 ラウレナは怒りに震えるが、アイオスは慌てたように進み出る。肩を抱いていたはずのフィーネを放って。

「聞いてくれ、ラウレナ……! この男の話はでたらめだ、俺は、ただ君を愛しているんだ……!」

 切羽詰まった瞳で、彼は真っすぐとラウレナを見つめて言い切った。
 家を出た直後であれば、まだこの言葉に心から喜べたかもしれない。思い直してくれたのだと歓喜に心を震わせて、涙を流して彼の胸に飛び込んだかもしれない。

「いなくなって、いつも支えていてくれた君の存在がどれほど大切なものだったか思い知ったんだ……愛しているよ、ラウレナ。また傍で俺を見守ってはくれないだろうか」
 
 愛している。

「あんなに尽くしてあなたを思っていたときには、一度として言ってくれなかったのにね」

 自分で思った以上に低い声が出た。
 鼻で笑ってしまう。

「ラ、ラウレナ……?」

 ゲオルクの後ろからジトリと元婚約者を見据える目は、大層冷たかっただろう。アイオスが怯んだように口元を引きつらせた。

「ゲオルク! 屈みなさい!」
「は――!?」

 初めて、これまでにないほど強い意思を持って命令を下す。
 そうしたらベシャ! どころかズゥン! と巨体が地面に沈んだ。おかげで開けた視界には、唖然とした顔を晒して口を開けるアイオスがよく見える。

 これは狙いを定めやすい。

 躊躇なく手を振りかぶったラウレナは、それを思いっきり振り下ろした。
 直後、パァーン! と劈くような乾いた音が鳴り、じんじんと熱を帯びていく手のひら。

 力の限り平手打ちをかましてやった。
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