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 はじめての港街は潮の香りに満たされた大きく立派な街であった。
 ――が、勢いよく街中を駆け抜けるゲオルクに担がれたラウレナには、その景色を楽しむ余裕はない。

「このまま港まで行きましょう! グズグズして追い付かれたら面倒だわ」
「それでいいのか?」

 元婚約者から逃げるようにしてあの場を去ったラウレナだったが、そんな問いは愚問である。

「いいどころか気分爽快よ!」

 天に向かって両手を広げた。
 心は晴れやか。
 もう婚約者のご機嫌を窺うラウレナはどこにもいないのだ。

 港でゲオルクの肩から降ろされると、不意に頭をポンポンと軽く叩かれた。

「そうか良かったな! ここで少し休んでいろ。出航について聞いてくる」
「あ、ありがとう」

 なんだかいつもより優しい気がする。
 もしかしたら彼なりに気遣ってくれているのかもしれない。

 駆けて行った背中を見送って近くのベンチに腰かけた。
 視界いっぱいに広がる港にはたくさんの船が停泊しており、さすが港街といった風景である。右も左も青い海。
 船員と思われる人となにやら話し込むゲオルクを見ていると、ようやくここまで来たという実感でドキドキととめどなく胸が高鳴った。

 服の上から、胸元で揺れているだろうネックレスをギュッと握る。
 本当に母の生まれた国にも行けるかもしれない。ここを出て人に聞いて回れば、なにか知っている人に出会える可能性はあるのだから。
 ここから隣国に向かって、この国を出てからまずは――。

 顔を上げた、その瞬間。

「まあ、お姉様!」

 聞こえた声に、高鳴る鼓動が一瞬にして凍り付いた。
 まるですべての時が止まったかのようだった。

 まさか、いや、そんな……と、グルグルと渦巻く思考のままゆっくりを顔を動かせば、視界に一人の人物が映る。

 クルリとレースの日傘を回して顔を覗かせたのは、ふわふわとしたピンクゴールドの髪をなびかせる可憐な女性であった。
 長い睫毛が縁取る大きな若緑の瞳を見開いて、ラウレナを真っすぐと見つめている。

 ドッドッドッ。
 心臓の音がうるさいほど早鐘を打つ。

「……フィーネ、どうして……?」

 じわりと全身に嫌な汗が浮かんだ。
 まるで、幼女の憧れを詰め込んだ可愛らしい人形が具現化したかのような容姿。
 涼やかな見た目のラウレナとは、まるで正反対の愛らしさ。

 そう、これが例の妹である。

「探していたのよ。……会えてよかったわ」

 微笑んだ若緑の最奥は微塵も笑っていなかった。

 ぞわっとした感覚と同時に立ち上がるが、フィーネの後ろで護衛するように立っていた四人もの男が、ラウレナの動きに合わせて服の下に手を忍ばせた。
 その手の先に何があるかなど考えるまでもないというものだ。

(あわわわわ、どうしたらいいのかしら……っ!?)

 ざざっと、あっという間に取り囲まれてしまった。

 これまで散々刺客を差し向けてきた妹である。
 思い返せばそれを散々(ゲオルクが)返り討ちにしてここまで来た。

 となれば、ついに痺れを切らした本人が出てきてもおかしくない。この妹ならばおかしくないのだ。
 考えてみればラウレナが奴隷を買ったことなどとっくにインクロリア家に知られているし、これまでの足取りを辿ればどこへ向かっているのかすらも簡単に予測できるだろう。

 だから、それらを簡単に知ることができて見た目に似合わず実は短気で強引、なおかつ狡猾なこの妹ならば、この場で待ちかまえていたとしてもおかしくはない。
 浮かれてその可能性がすっかり抜けていた自分自身に歯ぎしりが鳴る。

 距離を詰めてくる男たちによって、ラウレナは追い立てられるように人気のない方へと後ずさっていった。大変まずい。
 そんな彼らの首元を見れば、よぉく見知った首輪に付いた赤い魔石が目に入った。

「お父様ったら回りくどいのよ。さっさとこうすればいいのに」

 男たちから少し離れ、後方に立つフィーネは明らかな嘲笑と隠し切れない喜びを口元に浮かべていた。
 なんの喜びかといえば、逃げ隠れていた姉をようやく追い詰め目の前で痛めつけられるからだろう。

 ラウレナを取り囲む彼らは、インクロリア侯爵家が所有する戦闘奴隷だ。
 貴族にとって、有益な奴隷を多く所有していることは一種の隠れたステータスのようなもの。公にはしないけれど、暗黙の了解というやつである。

 そしてラウレナの生家も例に漏れなく多くの奴隷を所有していた。
 だからこそ、ただの貴族令嬢があんな裏路地にひっそりと佇んでいた奴隷商人の店を知り得たのだ。あの店は父親の御用達であった。侯爵家が得意先とは、必死にもみもみと揉み手していた肉団子も見た目によらずなかなかの商売上手である。

 とまあ、そんな内情はさておき、これはピンチだ。

 戦闘奴隷は主人であるフィーネに命じられれば、なにがなんでもラウレナを殺すしかない。彼らとの話し合いは無駄なのだ。
 つまりここを切り抜けるには力技しかない。
 となれば、ラウレナは大きく息を吸い込んだ。

「ゲオルク!」

 そして力の限り叫ぶ。
 ――実際に危険があればラウラが俺に『守れ』と命じればいい。命を賭しても助けに行くからな!
 カーバンクルの森で言われた言葉。ならば今こそお願いしようではないか。

「私を守りなさいっ!」

 その瞬間、頭上に影が差した。
 上からのしかかるような強い気配に、全員が顔を上げる。

「もちろんだ」

 いつの間にか駆けてきたゲオルクが、男たちの後ろから大きく跳躍して大剣を振りかぶっていた。かと思えば、そのまま横薙ぎに振り切り、四人の男がすべて吹っ飛んだ。

 人の身体から聞こえたとは思えないひどく痛そうな音をさせながら、彼らはラウレナの視界から綺麗さっぱり消えてしまった。

「え、ええええぇぇっ!?」

 予想以上に一瞬の出来事で、呼んで命令しておきながら驚愕に叫ばずにはいられない。

「いやぁ、間に合った!」

 あんぐりと口を開けたラウレナの横で、着地したゲオルクはきらりと輝く汗をぬぐいながら快活な笑みを浮かべていた。

「え、ちょっ、全部吹っ飛……っ」

 指を差した先では、吹き飛び壁に激突した四人の男が折り重なっている。

「安心しろ、鞘はつけてある。死にはしない」
「そこじゃないのよぉ!」

 確かにそこも気にはなったが、そうではない。色々とそうではないのだ。
 だが、ゲオルクに対してのあれこれをいちいち気にしたところでこちらが持たない。ラウレナもツッこむことは諦めた。

「いいわ、とにかく助かっ――」

 ふと前に立つフィーネに視線を向けて、言葉に詰まる。
 ラウレナとゲオルクを見る妹の瞳は、見た目の愛らしさに似合わないほどの強い苛立ちを浮かべていた。
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