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15 大抵のことは些細なこと

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 人は誰しも魔力を持っている。
 だがそれを魔術として活用できるのは、魔術を学び技術を磨いた魔術師と呼ばれる者たちだけである。

 だから人は魔道具を使うのだ。
 ゲオルクの隷属の首輪も魔道具だ。

 これらは魔術を扱う技術を持たない者でも、ただ魔力を流すだけで魔術と同等の効果を得ることができる。
 そのぶん値は張るため誰しもが持てるものではないのだが、需要は高い。

 だが稀に、魔術とは全く異なる力を発揮する者がいる。

 身体に流れる魔力は同じであるはずなのに、それを人または動植物の身体に流し込むと別のものへ変換される。ようだと考えられている……が、とにかく詳細はいまだ解明されていない。
 その力は魔術では決してできない現象を起こせるのだ。

 解明されていないからこそ、人々はこのように呼ぶ――。


「き、奇跡だ……!」

 ラウラがかざした手のひらから溢れた光がおさまると、信じられない光景を前に狩人の青年が呟く。
 深手を負っていたカーバンクルの脚は、すっかり傷が癒えていたのだ。

「……ラウラは聖力を持っていたのか」

 あのゲオルクでさえ呆然としたように呟く。
 彼の言葉どおり、魔術では不可能である治癒を可能とする力は聖力と呼ばれる。

「できれば内密にお願いします」

 手を合わせて懇願すれば、なんともいえない顔をするゲオルクとは反対に青年は感極まった様子で「わかりました」と叫び、頭を下げた。
 とにもかくにも、森の守り神であるカーバンクルが治癒されたという事実が彼にとっては重要なのだろう。

 二匹の番も最初は戸惑ったように呆然としていたが、次第になにがおきたのか理解したらしい。キュウと可愛らしい鳴き声を数度あげて、ラウラにすりすりと身体を擦りつけてくる。
 魔獣だなんてどうでもよく思えるほど可愛い。

「その力、なぜ内密になんだ?」

 ゲオルクだけは不満そうだ。

「今は亡き母の言いつけなんです。信用できる人にしか言ってはいけないと」
「……そうか」

 すでに語った家族との不仲を思い出してくれたのか、渋々と言った様子で口を噤む。
 まあ、ゲオルクにはそのうち話すタイミングもあるだろう。

 と、ふと彼の腕に目をやると、右肘から手首まで皮膚が焼け爛れたようになっていて驚いた。そんな素振りなど見せなかったが、おそらくワイバーンの火にやられたのだ。

「ゲオルクも痛そうだわ。腕を見せて」

 そう言って手を伸ばしたが、彼は首を横に振る。

「これくらい大したことないだろう。わざわざその力を使うまでもないぞ」
「え、でも……」

 驚いた。
 まさか断られるだなんて微塵も思っていなかったから。
 この力を知ったら、頼られるのが当たり前だと思ってたのだ。

「それよりも……」

 すっかりこの話は終わったとばかりに、周囲を見回したゲオルクの言葉が途切れたかと思えば、彼は突然「シッ!」と口元に人差し指を立てて森の奥を見る。
 倣ってラウラと青年も身をかがめてそちらに視線を向けたら、先には人影があった。
 チラリと見えたその服装に、ラウラの身体に緊張が走る。

「――っ!」

 思わず息を呑んだら、こわばるラウラの様子にゲオルクが視線を向けたのが気配でわかった。
 森の奥には濃い赤と黒色の制服に、刺繍の入った黒い羽織をまとった男性が二人いる。

「あの身なりは騎士だな」
「そうですね。こんなところで何をしているんでしょうか」

 ゲオルクと青年の会話がどこか遠くに感じる。
 ラウラの全神経はすべて視線の先の騎士に向いていた。

『いたか?』
『いや、手負いで遠くに行っているはずは――』
『早く見付けないと……に、怒鳴られるぞ』

 風に流れる会話を聞くに、どうやらなにかを探しているらしい。
 そして、騎士服で思い出した人物ではなかったことにひどく安堵していると、二匹の番が心配するようにラウラの身体にもたれかかった。

 かと思えば、彼らの額の赤い宝石が淡い光を放ちだす。

 ぽわんと温かいものに包まれたような感覚。思わずよろめけば、足元の小枝を踏んでしまいパキンと大きな音が鳴った。
 同時に二人の騎士が振り向いた。

「――っ!」

 こちらを見据える二対の瞳にドクンと大きく心臓が跳ねたのだが……。

『なんだ? なにかいたか?』
『いや、なにも見えない』
『気のせいか。それより早く行くぞ。どうやらワイバーンがいるらしい』
『さすがにその近くにはいないだろう』

 明らかにこちらを見ているはずなのに、彼らは何事もなかったかのように会話を続けながら森のさらに奥へと行ってしまった。

「……え、どういうこと?」
「こいつらのおかげだろう」

 呆然とするラウラの横で、ゲオルクが足元の二匹を指す。

「カーバンクル?」
「ああ。こいつらは幻影で身を守るともいわれているが、どうやら本当らしいな。向こうからは見えていなかったようだ」
「すごい、さすが守り神様……!」

 もはやカーバンクルがなにをしても崇め祭る青年は置いておいて。ラウラが「ありがとう」と言えば、またキュウと可愛い鳴き声がした。
 やはり可愛い。癒し系である。ついつい目尻が下がる。

 すると、二匹がもう一度ラウラの足元にすり寄った。
 再び光る宝石と、温かい感覚が身体を巡る。
 それを見てゲオルクが「おぉ」と感嘆の声をこぼした。

「すごいじゃないか。カーバンクルの加護など滅多にもらえるものではないぞ!」
「加護?」
「いいことがあるといいな」

 よくわからないが、二匹がなにかをしてくれたようだ。

「傷を治したお礼といったところか」
「そんな、たいしたことはしていないのに……でもありがとう、嬉しいわ」

 お礼を言って頭を撫でたら、二匹の鼻先が嬉しそうにひくひくと動いた。

「この子たちは、森にかえした方がいいわよね?」
「もちろんです。先ほどの騎士の方々は気になりますが……村へ連れ帰るわけにもいきませんし」

 畏れ多いですと青年は恐縮している。
 確かに森の守り神を連れて戻るわけにはいくまい。

 ラウラたちはそのまま「気をつけるのよ」とカーバンクルの番を見送った。
 激レアとも言われているほどの魔獣だ。警戒心も高まっているだろうし、幻影も使えるとなればもう彼らが姿を見せることもないだろう。

「ま、これで森に住みついた魔獣も解決か?」
「はい。本当にありがとうございました」
「なら早く戻りましょう」

 ペコペコと頭を下げる青年とともに二人は村へ引き返すことにした。


 青年を先頭にして後ろにゲオルク、やはりその肩に担がれるラウラと続いていると――不意にゲオルクがラウラの耳元に口を寄せる。

「元婚約者は、もしかして騎士か?」
「ふおおおおっ!?」

 突然のことに雄叫びをあげてしまった。
 どうしました!? と驚く青年に首を振ってから、戸惑いつつもゲオルクを見やる。

「ど、どうして……?」
「どうしてもなにも、あれだけわかりやすく緊張していればそう思うだろう。さっきのどちらかか?」
「……どちらでもなかったわ」

 やはり、この察しのよさは癇にさわる。

「それより、ゲオルクはとても魔獣に詳しいのね」

 気になっていたし、話題も変えたかったので思い切って聞いてみることにした。
 魔獣に関する知識もだが、野営もかなり手慣れていた。これらは奴隷として得たものではないはずだ。

「まあ昔はそれ専門みたいなものだったしなぁ。俺のいた国は魔獣が多かったんだ」
「冒険者かなにかだったの?」
「いや、ちゃんと組織に属していたぞ。魔獣を退治しまくっていたら強いからとスカウトされてな。一応部下もいた」
「ゲオルクが、指揮を……?」

 できるのかしら? という疑問が湧いた。
 だが同時に答えが示される。

「とはいえ、やることは変わらなかったからな! 俺はとにかく敵を倒しまくってた」
「それは……」

 部下の方、大変だったわね。と心の中で労わらざるをえなかった。

「でも、そのやり方では周囲から色々と言われたでしょう?」
「まあな。確かにああしろこうしろと煩かったが、俺を活かす方法は俺が一番よく知っている。俺を利用しようという思惑が透けてる奴らの話なんて聞くだけ無駄だ」

 はっはっはっと笑うゲオルクの言葉は、ラウラにとって大きな衝撃を与えるものだった。
 揺るがぬ自信を持ち笑顔を浮かべる姿は、どこまでも眩しく、自由であったのだ。

「そんなことをしていたら国が戦争に負けてな。捕虜になって流れに流れて奴隷としてラウラに買われたわけだ。いやぁ、人生とは面白いものだな」

 この彼にとっては、奴隷という縛りすら些細なことなのかもしれない。

「奴隷にまでなってしまって、大変ではなかったの?」
「そんな大したことはなかったぞ。それにどうあろうとも俺は俺だ」

 さすがは鋼の精神と肉体だ。どう考えても大したことありまくりだろうに。
 常人では潰れても仕方のない境遇のはずが、彼はなんてことないように言い、笑う。

「自分のことしか考えていない奴らのために、どうしておのれを曲げねばならない。そんな義理はないだろう?」
「そんな義理はない……?」

「だって、楽しくないではないか」

 当然のように言ってのけるゲオルクの言葉を聞いていると、なんだかラウラも笑えてきた。

「そうね、楽しくないわね」
「だろう?」

 どうしたことか、久しく感じたことのない清々しさが胸を撫でた気がした。
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