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04 ご主人様は置いてきぼり

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 薄暗い裏路地に面していた店から追い立てられ、一気に大通りまで走った。
 全力で駆けた息苦しさに、深くかぶっていたフードを取り去ってゼェゼェと息を整える。

「もう、なにかしらあの店主!」

 と、涙目の顔を上げて周囲を見回し、気付く。
 ここは王都から離れているとはいえ、大きな街だ。人通りはそれなり。その真ん中に飛び出した女性を道行く人々がこれでもかと凝視している。

「…………?」

 首を傾げれば、なんだか遠巻きに距離を置かれている気すらする。
 見た目は肩で切り揃えられたダークブラウンの髪と、同じ色の瞳。目立たないありふれた色味のはずだ。

 どうしたことかと思ったところで、ぬっ、となにやら影が差す。
 見上げて、改めて「ひぃっ」と声を呑んだ。

 逆光を受けて後ろに立っていたのは、つい今しがた手に入れた厳つく逞しい身体をした男。薄汚れた身なりだが、その薄手の衣服のおかげで彼の隆起する筋肉が余計に目についてしまう。
 そしてボサボサで艶のない橙色の髪の隙間から、目力強い赤い瞳を覗かせている姿は、今にも暴れ出しそうな獣そのものであろう。

 なのに両手には頑丈な鉄の手枷がはめられているし、加えて口元には猿轡。
 いやはやしかし、冷静になって見てみるととんでもない恰好である。

 その猿轡の隙間から、ハアハアと荒い吐息だけが漏れ聞こえる。
 そして極めつけは赤い魔石が煌めく、隷属の首輪。

 相手の姿を足先から頭まで眺めて視線を周囲に戻すと、目が合う先から肩を跳ねさせた人々がザザッと避けるように一歩下がった。
 ここで、やっと自分の状況を理解する。

「…………ち、違うんですううぅぅーーっ!」

 どこからどう見てもとんだ変態奴隷主でしかなかったのである。
 あまりのいたたまれなさに奴隷の腕を掴むと、再び路地裏に駆け戻った。

「やだぁもおぉ! 目立たないようにしていたのに、どうしてこんなことにいぃっ!」

 これでもかと変態的な意味で大注目を浴びてしまったことにベソをかきながら、店主に押し付けられた鍵で奴隷の手枷を外し放り投げた。ゴンッと重量を感じる音が背後で鳴る。予想以上に重々しい手枷であった。

(どれだけ厳重に押し込められていたのかしら……)

 おそろしさ半分呆れ半分で猿轡も外してやれば、男は両手で顔を押さえ「はああぁぁー……っ!」と唸るような声をあげながら新鮮な空気――とはいえ、路地裏のジメついた空気ではあるのだが――を噛み締めるように深呼吸をした。

 だが、これで彼を抑えつけるものはなにもなくなった。と気が付き、ハッと無意識に隷属の指輪を握り込むように手を握る。胸の奥からどくどくと心臓が震えるような鼓動を感じる。

(隷属の魔道具があれば大丈夫……! とにかく命は保障されているはず……!)

 いきなり頭を潰されるなんてことはないはず。店主だって傷つけることはないって言っていたわ! と、自分自身へ言い聞かせるように必死に祈った。ついっとこめかみを汗が伝う。

 ――なんて、身構えていたというのに。

「いやぁー、ご主人様! 買ってくれて助かった!」
「…………へぇ!?」

 先ほどまでの野性味あふれる獰猛さはどこへやら。
 そこには腰が抜けるほど快活な笑みを浮かべる奴隷――奴隷? と首を傾げてしまいそうな堂々たる男が目の前にいた。

「狭い檻に押し込められて、どうにかなってしまうかと思ったぞ! やはり外はいいな! 空気が清々しい!」

 はっはっは! と逞しい両腕をグルグルと回しながら豪快に笑う男は、なにかを思い出したように腹を撫でる。

「それにしても腹が減ったな。なにか食わないか?」

 問われて、しばしポカンとした顔を晒したまま我に返った。

「え、ええええーーっ!?」
「久しぶりに肉がいいなぁ」

 驚く主人をよそに、狭い路地裏に奴隷の腹の虫が大きく鳴り響いた。


 *****


「ええと、ひとまず……あー、先にあなたのお名前を伺ってもいいかしら」

 厳つい男と二人でこそこそと路地裏の隅に腰を下ろし、さて呼びかけようとしたものの――ここで相手の名前すら知らなかったことに思い至ったのだ。

「ゲオルクだ。さて、俺のご主人様の名はなんという」

 彼は胡坐をかきなんとも尊大な態度で名乗った。
 しかもドライフルーツを不満そうに頬張る口元がモゴモゴとしている。肉なら後で食べさせてやると説得しての妥協案だ。せっかく非常食にととっておいたものなのだから、もっと大事に食べてほしい。

 どうやら奴隷商人の店で見せた気性の荒さは、単に狭いところに閉じ込められていたことによるストレスだそうだ。あと空腹。
 あっけらかんとそんなことを告げられて、胡坐をかく奴隷とは対照的にご主人様であるはずの女性は身体を小さくして座り込んでいる。

「私はラウ――ラウラよ。名前で呼んでくれていいし、敬称は不要だわ」

 この厳ついうえに態度の大きな奴隷に「ご主人様!」などと呼ばれても落ちつかないし、街中でやられたら恥ずかしい。

「……それは命令か?」
「そうよ」

 一瞬、男は何事か考えるように宙を見たが、命令であるならばと納得したのか頷いた。内容がどうあれ主従関係を結んだ以上主人である方の要求が優先される。

「わかったラウラ。それで、俺が言うのもなんだが……なんで俺みたいな奴隷など買ったんだ?」

 本当に『それをお前が言うのか?』である。

「詳しくはあとで話すけれど、急ぎ護衛が欲しかったの」
「ほう、護衛」
「そう。だから、とにかく強い奴隷をと希望したらあなたを紹介されたわ。強さだけなら一番だと」

 正直に伝えたら、ゲオルクはフフンとまんざらでもなさそうな顔で頷いている。
 まあ、逆に、他は問題だらけとでも言いたげな店主の態度ではあったのだが。そこはあえて言う必要もないので口をつぐんだ。

「ふはははは! あの肉団子も見る目だけはあるじゃないか。護衛、つまり敵を斬り捨てていけばいいのだな! わかりやすくていい! 俺に任せておけ!」

 そんなラウラの心情など欠片も気付いていないのだろう。
 はっはっは! とやはり豪快に笑う。なんとも偉そうな奴隷である。
 どっかり座る男と、片やこぢんまりと身を縮こまらせる女。一見どちらが主人であるかわからない絵面だ。

「そしてつまり、護衛ということは、斬るべき相手がいるということだな!?」
「ええ、おそらく私を追って――」
「ではさっそく剣が欲しいな!」
「え?」

 事情を説明するべきだろうと顔を引き締めたラウラであったが、ゲオルクの関心はそんなところにはなかったようだ。
 突然の要求に目が点になる。

「以前使っていた物は取り上げられてしまったんだ! さすがに俺に素手で戦えなどとは言わないだろう!? さあ行くぞ!」
「ええ!?」
「あとは肉だ! いい加減肉を食わせろっ!」
「ちょっとゲオルクっ!?」

 伸ばした手も虚しく、勢いよく立ち上がった男は厳つい巨体に似合わず嵐のように路地裏を後にした。

 呆気にとられたままその背中を見送ると、直後大通りの方から「身体が軽いぞおぉっ!」「俺は自由だあぁっ!」「食い物屋はどこにあるっ!?」という走り抜ける獣の雄叫びにも似た声と、「ひいっ!」「きゃあっ!」「うわぁっ!」なんていくつもの悲鳴が聞こえるのは――決して気のせいではないだろう。気のせいと思いたいのは山々だが。

「……あの人、奴隷なのよね?」

 残されたラウラは一人呟く。

 あんなに重たい手枷をつけて猿轡までしていたら、確かに解き放たれた今身体は軽いだろうが、一応奴隷なんだから自由ではないし、食い物屋は最後だ。先に剣じゃないのか。剣を買ってくれと言ったのは自分だろうに。
 しかも。

「ご主人様を置いていくのはどうかと思うけどぉ……!?」

 ツッこみたいことが多すぎるが、とにかく買った奴隷が豪快すぎる。
 ラウラはなんだかまた泣きたくなった。
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