アスタラビスタ

リンス

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1話 part2

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「大丈夫? しっかりして!」

 目の前が何も見えない。男二人に肩を抱えられつつ歩こうとするが、動悸が早くなっていく一方で、身体に力が入らない。

「もう少しで横になれるから、頑張って」

 年上の男が心配そうに声をかけてくる。夕日が差し込んでいた非常階段とは対称的な、暗いマンションの廊下をよろよろと歩いた。どこかも分からない部屋を目指して耐える。

 気持ちが悪い。苦しい。動悸が止まらない。身体が痙攣する。

「清水。頼む、鍵出してくれ」

 夕日の色の髪をした若い男が年上の男に頼む。

「待ってて。今出すから」

 私を抱えたまま、清水と呼ばれた年上の男は、自分のポケットの中を探る。やがて、「あった」と言って、キーホルダーも何もついていない鍵を取り出し、古びたドアの鍵穴に差し込んだ。

 メリメリっとドアが開き、やがて金属の擦れる嫌な音がする。

「清水。靴脱がせてやってくれ」

 若い男が私を抱え直し、少し力の入った声で言った。私は自分で靴を脱ごうと試みたが、足は震えるだけで思い通りに動かなかった。「任せて」と言って、年上の男は屈んで私の靴を脱がせた。そのまま玄関に放り投げ、揃えることもしなかった。

「そこに横になっていいから。ゆっくりね」

 年上の男が若い男に「俺やるから」と小声で言い、私を一人で抱えてソファーへ運んだ。

「すいません。ごめんなさい」と言おうとしても、声が出ない。なんて様だろう。なんて無礼なのだろう。早く帰りたい。人に迷惑をかけるくらいなら、家で一人苦しんでいる方がよかった。

 私はソファーに座り、そのまま上半身を倒した。ソファーという支えてくれる場所を見つけた私の身体は、余計な力が抜けて楽になったはずなのに、動悸は早くなる一方だった。まるで、全身が心臓になってしまったかのように、鼓動が私の身体を強く揺らした。

「足も伸ばしな。仰向けになった方が楽だよ」

 座ったままの体勢だった私の足を、年上の男はゆっくりとソファーの上に持ち上げた。それに合わせて私は身体を仰向けにする。

「おい、大丈夫かよ……」

 声が聞こえる方へ視線をゆっくり動かすと、茶髪の若い男がいた。不安そうな顔で私を覗き込んでいる。夕日の光のような髪色は跡形もなく消えていた。





 茶色の髪が夕日に透けて、今まで明るく見えていただけなのかもしれない。私が一時的に見た幻覚だったのだろうか。

「圭、水持ってきて」

 年上の男が若い男に頼んだ。「了解」と答え、若い男は鞄やら資料やらが散らかる床を蹴飛ばすように走って行った。

 駄目だ。酷い眩暈がする。耐えられないほどの吐き気がする。気がどうにかなってしまうのではないかと思うほど……。

「雅臣。これ、もしかして憑依された後遺症じゃない?」

 不安そうに私を見ていた年上の男が、小さく呟いた。





 すると、聞いたことのない男の声が聞こえてきた。

「いや、たぶん違う」

 顔を玄関の方へ向けると、夕日の光のような、あのオレンジ色の髪をした男が立っていた。髪色は非常階段で見た、細身の若い男と一緒だったが、顔は違った。背が高く、私を冷めた目で見ている。

 ゆっくりとソファーへと近づいてきて、私の顔を覗き込んだ。

「混乱するな。落ち着け」

 怪訝そうな顔で言われ、私は自分の胸を押さえる。

 混乱しないようにしている。落ち着こうとしている。なのに、勝手に心臓が暴走するのだ。いくら静止させようとしても、この心臓は私の言うことを聞かない。

「そ、そうだ。薬が」

 私は自分のショートパンツのポケットへと手を入れ、薬を探した。こういう時のために、いつも薬を持ち歩いている。今日もちゃんと入れていたはずだ。

「あ、あれ?」

 薬はなかった。探しても探しても、狭いジーンズのポケットに薬は入っていなかった。ふと思い出す。今日は大学の授業が一限しかなかった。短い時間であれば発作に陥ることもないだろうと、今日はポケットに薬を入れていなかったのだ。

 まずい。顔面が麻痺していく。心臓がさらに強く、脈を打つ。頼みの綱も切れてしまった。もうこの症状を止めることはできない。私には止められない。何もかも、すべてに見放されたこの感覚は、私が常に恐れているもの。大きな不安が私を襲ってくる。

「お前、もしかして……」

 明るい髪色の男が私を見て呟いた。
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