レベル596の鍛冶見習い

寺尾友希(田崎幻望)

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番外編

鍛冶見習い番外編 ヌールの恋2

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前回のあらすじ・14歳のヌールはお使いの途中、昼日中の王都でアンデッドに追われることとなった。




 ――誰もいないはずの、味噌樽の中。
 背後は、味噌樽の底板しかないはずだった。
 恐る恐る振り返った視線の先。
 黒く腐食した底板から生えた、骨だけの腕。
 触れられた場所から、着物がチリチリと腐食していく。視界に遅れて、数万ものウジ虫に這い回られ、肉を食まれているかのおぞましい痛みが広がっていく。

「……っっっっ!」

 悲鳴も上げられずに転がり出たその先、見上げた先にはボロをまとった黄ばんだ骨、骨、骨――何百、いや、千よりも。風に揺れるように、下顎骨がカタタ、カタタ、と一斉に揺れた。
既に周りは骸の群れに囲まれて。
 じくじくと背中に広がる痛み。
 見えなくても分かる。おそらく、あの建物や心張り棒を蝕んだ黒い腐食が自分の背中に広がっていっているのだろう。
 なるほどこれは、もう助からない。
年貢の納め時というのはこういうことか。
 妙に冷静に、そう思った。
 私の前に立つ黒い魔法帽の骸骨が、すり切れたローブから、まるで『ちょうだい』でもするように骨だけの手のひらを差し出して来た。

――骸に望まれるようなものを、何か持っていただろうか?

 そう逡巡した一瞬の間に……ごうっ、という音と共に何かが飛来し、土煙を巻き上げながら、何体かの骸骨が吹っ飛んだ。
 えっ?と思う間もなく、固く太い腕に胴体を抱えられ、その持ち主ごと体が飛んだ。
 いや、多分『跳んだ』だとは思うのだが、それほど圧倒的な跳躍だった。
 あれよあれよという間に、私は柔らかで嫋やかな腕に引き渡され、固く太い腕の持ち主は再び骸骨の群れの中へと戻っていった。そして縦横無尽に骸骨達を切り飛ばす。

「無駄だ、ジェル! 不死の王に物理攻撃は効かない!」

 私を抱えた柔らかな腕の持ち主が叫び、私はギョッとその顔を見上げた。

「ヨーネ姉さま……」

「まったく、使いから帰ってこないと思えば、こんなところで腐ってるとは」

 心配をかけたのだろうが、文字通り背中から腐っていっているヌールに向ける言葉としてはダークに過ぎる。

「頼むよ、オムラ。これじゃ私の手には余る」

 瑠璃色に繊細な銀の装飾が施された全身鎧を着込んだ細身の騎士が、身を屈めて私の背に手を当てた。
 蝕むような痛みが、じわりと熱を持ち、むず痒くなる。
 治癒魔法? 神聖魔法?
 聖職者にも魔法使いにも見えないが、徐々に癒えていっているような感覚がする。

「姉さま、私より、あの人を助けないと」

 あの骸骨たちには、触れただけで腐ってしまう。
 見つめる先で、大きな牛の角を頂いた大きな人が、舌打ちと共に腐食した大剣を放り棄てた。
 わらわらと寄りつく骸骨を体裁きだけで避け、壁に立てかけてあった棒手振の棒を大きな人が手に持ったところで、再び姉が声を張り上げる。

「不死の王相手に、そんなのじゃ近づく前に腐り落ちるぞ! 耐久度がある分、腐食するとはいってもノマドの剣のが大分マシだ!」

「つったってよ、これ一振りいくらすると思ってんだよ!?」

「ケチくさいこと言うな、勇者が!」

 勇者。
 茶色がかった金髪、空色の瞳。無精髭を生やして、金色の尾をたなびかせたこの人が?

「ジェル!」

 私の背に片手を当てたまま、細身の騎士が腰の剣を放った。
 それを空中で、はしっと掴んだ大きな人は、身をよじって再び骸骨たちの中心へと着地した。
 背中の傷が、熱くなる。
 治癒魔法は、相手の体力を消耗させる。
 ――もっと見ていたいのに。
 そう思いながらも、私の視界は徐々に白く塗りつぶされていった。

 気がついたとき、私は誰かのマントにくるまれ、姉の膝に抱えられていて、骸骨達はもうどこにも見えなかった。
 私の意識があったときにはいなかった、双子のリスのおばあちゃんに、大きなサイの獣人が増えていて、壊れた街の後片付けをする街の人たちもチラホラと戻ってきているようだった。

「どうすんだい、ジェル坊。借り物の神剣を壊しちまって。頼み込んでなんとか借しちゃあもらったが、神職に作った借りってなぁデカいよ」

 どうやら、自分の半分ほどもないリスのおばあちゃんに懇々と説教をされているらしい大きな牛の人の耳はペタンと下がり、あれほど雄々しく戦っていた背中はへにょりと丸まっている。
 情けないけれど、なんだか可愛い。
 見守っていると、大きな牛の人が、何かを思いついたようにパアッと顔を輝かせて両手を広げた。

「そうだ、ノマドに作ってもらやぁいい! アイツなら何とかなんだろ!」

 その頭を、スパァァンッとリスのおばあちゃんがハリセンでどつく。

「その全部他に丸投げするクセ、いい加減におしってんだよ!」

 ぷしゅぅっ、と撃沈しかけた牛の人が、私が目を覚ましたのに気付いたらしく、急いで体を起こして走り寄って来てくれた。

「おう、どうだ具合は?」

 有難うございます、もう何でもないです、と言いかけたところで、私を抱えた姉が先に口を開いた。

「オムラに浄化してもらって、腐食は止まったし、傷は塞がったけど、ケロイド状に傷は残りそうだってさ。全く、ジェルが遅いから」

 せっかく助けてくれたのに、そんなこと言っちゃあ、と焦りながらも言葉が上手く出てこず、ただおろおろとするばかりの私に、ジェルと呼ばれた牛の人は肩を落としへにょりと眉尻を下げた。

「そうか、女の子なのに悪かったな。やはり俺は、スピードが課題だな」

「いえっ、き、気にしないでください。助けてくれて、有難うございます」

 何とかそれだけを絞り出すと、それでもジェルさんは安心したように表情を和らげた。
 それから、私が気を失ってもしっかりと抱え続けていた風呂敷包みに目を止めた。

「そういや、それには何が入ってたんだ? 奴ら、やけに君を追いかけていたようだが」

 思い当たるものは特にない。
 私は風呂敷を開いて、中身を見せた。

「これは……絵の具か?」

「高価な瑠璃の顔料とは聞いてますが、そこまで特殊なものではないと……」

 首を傾げる私たちに、姉がもう一つの包みを指差した。

「むしろ、そっちじゃないのか?」

 それは、父が恩人宅の仏壇に、と言付けた抹香の包みだった。
 主に葬儀の焼香に使われるもので、お盆やお彼岸に使うこともある。もうすぐお盆だからと包みに加えたのだろう。

「これは……そうか」

 ジェルさんは少しだけ悲しそうに眉を寄せると、私の手を取った。

「これを、俺に売ってくれないか?」

「えっと、でもそれは、父から預かったもので」

 あの父の顔が浮かび、咄嗟に断ろうとした私の口の前に、姉の白い手が差し出される。

「私が許可するから。父さんに何か言われたらそう言えばいいよ」

 黙って頷く私の頭をくしゃくしゃと撫でると、ジェルさんは自分の肩当てを外し、その中に抹香をバサリと空けた。
 そこに、懐から取り出した火打ち石で火の粉を飛ばすと、抹香から、細く白い煙が立ち上った。
 足下に置いた肩当ての前、パンッと柏手のように手を合わせると、ジェルさんは微かに頭を下げ、目を瞑ったようだった。

「あんたらが、ただ、弔って欲しかっただけだったなら――悪かった」

 不死者の王アンデッドとはいえ、死人は死人――……元は、人だ。
 ただ逃げ回っていた私は、考えもしなかった。
 私の持っていた、抹香の匂いを追いかけていたの?
 これが……これが、王都を救った勇者の姿だろうか。
 僅かに後悔を滲ませ、黙祷を捧げる背中。それでも彼は、再び同じような場面に遭遇したならば、おそらくためらわず剣を振るうのだろう。何百、何千のアンデッドをなぎ倒し、その中心でおびえる、ただ一人を救うために。
 すとん、と納得出来た。
 そうだ、確かに自分は父の子だ。
 欲しい。
 この人が欲しい。
 フツフツと、渇望がわき上がってくる。
 自分の何を犠牲にしても、周りの何を犠牲にしても。誰にどんな後ろ指を指されようと、この人に近づきたい。
 今まで、何に対しても淡泊で、父に似ていると言われてもピンと来なかった。自分の中に、これほどまでのドロドロとした熱情が存在するとは思いもしなかった。
 激情と共に、冷静にソロバンを弾く自分も存在する。
 これは、茨の道だ。
 ほんの小娘に過ぎない私にも分かっていた。
 現勇者は、国の第一王子だ。庶民の小娘の手の届く相手ではない。不可能に近い。それでも欲しい。ならば。
 策を、練らなくては。
 体中が活性化する。
 私はこのとき、人生で最大最高速に脳が稼働していく音を聞いた。
 




猫小話・牛舎に居る三毛猫のモッチーは今年初産。段ボール箱の中に三匹の子猫を産み、内一匹は次の日死亡。そこにモッチーの母猫ミーミーが同居し、三匹の子猫を出産。さらにミーミーの弟猫チャー三代目が同居し、大人猫三匹で五匹の子猫を育てている……。(猫は普通、母親共同で子育てしないし、雄猫は子猫を殺すことが多いので母猫は物凄く警戒するはず)
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