クラとフクの異世界畜産有限会社 ~アフリカに行ったら銅像が立つと言われた雨男が異世界に行ったら~

寺尾友希(田崎幻望)

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異世界畜産01・魔獣と出会い

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 小さい頃、女の人を助けたことがある。
 白い着物を着たその人は、小さな蛇を抱いて泣いていた。


 ――――――……

「いやぁぁぁっっ、怖い!
 怖いよぉぉおおおっっっっ!!!」

「いい?フクちゃん。
 僕がおとりになるから。
 その間に、フクちゃんは逃げて」

 両手で包み込むようにフクちゃんの赤い頬っぺたに触り、じっと瞳を覗き込みながら、穏やかに僕は告げた。
 
「へっ?
 ダメだよ、クラちゃん。
 クラちゃんは、フクちゃんが守るんだから!」
 
 大粒の涙をポロポロとこぼして、鼻水まで垂らしているフクちゃんのいつも通りの言葉に、こんな時だというのに僕は苦笑する。
 うん、大丈夫。
 フクちゃんだけは、何としても守らなきゃ。
 守ってあげる、今までそんな言葉をたくさんもらってきた。
 でも、僕は十八歳の男子高校生で、フクちゃんはまだ六歳の幼稚園児だ。
 こんなときに守るのは、僕のはずだ。

「あの魔獣が、僕を追いかけ始めたら、フクちゃんはカトムさんたちのとこに逃げて。
 それで、なんとか人里まで送ってもらうんだよ?」

 魔獣。
 僕とフクちゃんは日本人なのに。
 この世界――……何て名前なのかは分からないけれど、今いるこの世界には、魔獣と呼ばれる生き物がいる。
 フクちゃんの悲鳴に反応して、岩陰に隠れていたこちらをチラリと見たのは、二トンダンプほどもある猪の魔獣だった。
 護衛に雇った冒険者パーティ、カトムさん、アリーさん、ストレチアさんと戦っていたはずだけれど、今ではすっかりこっちに向き直り、鼻息も荒く前足で地面をひっかいている。
 こっちに向かって突進してくる一歩手前だ。
 カトムさんたちも気づいて、なんとか意識をそらそうとしてくれているけれど、他にも狼の群れに囲まれていて、上手くそらせずにいる。
 そもそも、猪と狼たちとで牽制しあっていたから、カトムさんたちも何とかなっていたみたいだったから、猪がこっちに来ちゃったら、カトムさんたちも危ないかもしれない。
 ここ、『無限の荒野』にいる魔獣は、今までの魔獣とは大違いだった。
 なんでそんな危ない場所に、幼稚園児のフクちゃんを連れて来ているのか?
 それは、僕たちの目的が、この荒野を越えた先にあるからだ。

「クラちゃんがオトリになるん?
 だ、ダメだよ、クラちゃんはまるっきし走るの遅いんだから!
 そんなら、フクちゃんがオトリになるし!」

 おじいちゃん子のフクちゃんは、僕より群馬方言がきつい。
 焦るとますます紋次郎伯父さんみたいな話し方になって、僕は思わず泣き笑いを浮かべる。
 紋次郎伯父さん。百合姉。
 フクちゃんだけは、僕が責任を持って帰そうと思ってたんだけど……ちょっと無理かも。

「さすがに、全力で走ればフクちゃんよりは早いよ。
 できれば、竜の神様に会いたかったけど……今は、生き残ることだけを考えて」

 僕は、小さな角が二本生えたフクちゃんの頭をぐりぐりと撫でた。
 耳は、根元に薄っすらウロコの見える緑がかったシカ耳。
 お尻には、ウロコの生えた長い尻尾もあったりする。
 その姿は、今は見えないけれど、僕と同じだ。
 この世界には、いわゆる普通の人間はいなくて、誰もが動物の特徴を備えた獣人だった。
 召喚された僕らも、『相応しい』姿に変換されたらしい。
 『龍神の加護』を持つとされる僕たちは、『無限の荒野』を越えた先におわすという、竜の神を目指していた。
 日本に帰りたい、という願いを聞いてもらうために。
 かつて、戦乱の世を平定したい、という願いを叶えたという神に会うために。

「クラちゃん、クラちゃんも一緒じゃなきゃ嫌だよ」

「大丈夫、猪はきっと、走っている僕に付いてくるから。
 フクちゃんはその間に逃げて」

 本当なら、僕がフクちゃんを担いで逃げられれば一番いいんだろうけれど。
 まだ幼稚園児とはいえ、ちょっとふくよかなフクちゃんの体重は20㎏弱。
 化成肥料一袋分ある。
 男子高校生にしては非力な僕が担いで走ったとしても、百メートルもいかないうちにフラフラになるのは目に見えているし、まして足元は整備されたグラウンドでもアスファルトでもなく、獣道ですらない荒野だ。
 草木はあまりないけれど、岩はゴロゴロしているし、あちこちに茨だってある。
 とてもじゃないけど、あのオバケ猪から逃げ切れるとは思えない。

「クラちゃん、置いてっちゃやだぁ」

 しがみついてくるふくちゃんを、べりっと引っぺがす。
 ふくちゃんの顔があった辺りが、涙と鼻水でべっちょりと濡れている。
 だって、ふくちゃんは、僕の姪っ子で。
 百合姉に、僕が任されたんだから。
 僕が、守らないと。

「ぼ、僕も怖いけど。
 ふくちゃんは、大丈夫」

 何が大丈夫なのか、自分でも分からなかったけれど。
 大丈夫、大丈夫、と言いながらそろりと立ち上がる。
 猪の魔獣が、こっちへ向かって突進してくる。
 フクちゃんを突き飛ばし、あえて目立つように岩陰から飛び出すと、反対側へ向かって全力で走る。

「こっちだよ! 
 こっちに来るんだ!」

 猪突猛進なんて言葉があるけれど、この魔獣は直進以外も出来たようだ。
 緩やかなカーブを描きながら、僕の後を追いかけてくる。
 十数秒、十秒でもいいから時間を稼がないと――……
 フクちゃんが、カトムさんたちのところへたどり着く時間。
 背中に、風圧を感じた。
 追いつかれる!
 ぎいぃ、っと足を踏ん張って、大きな岩の前で無理やり横へ飛んだ。
 どがっ!っと音を立てて、僕のすぐ背後まで迫っていた猪が、そのまま岩へ突っ込み、岩を吹っ飛ばした。
 急な方向転換に体中がきしんだけれど、どうにか成功したみたいで胸をなでおろす。
 これで、少しは時間が稼げ――……
 砂煙の向こうで、岩をものともせずに走り抜けた猪が、ぶるるっと頭を振ると、こっちへ向き直ったのが見えた。
 前足が地面をひっかく。
 マズい。
 慌てて見回すと、少し向こうに、緑色のうにょうにょ蠢く何かが見えた。
 あれって、植物系の魔獣?
 猪は確か、草食に近い雑食だったはず。
 あっちに誘導したら、僕より植物のほうが美味しそう、とか思ってくれないかな。
 それが無理でも、魔獣同士を戦わせて、その隙に逃げることが出来るかもしれない。
 なんにせよ、僕に考えてる時間はない。
 猪の魔獣に背を向けて、僕は緑色を目指して一目散に駆け出した。
 猪も駆け出した気がしたけれど、振り向いている余裕はない。
 近づいてみると、緑色のうにょうにょは、鮮やかなピンク色の花を咲かせたトゲだらけの植物だった。
 植物だけあって移動は出来ないのか、根っこは地面に埋まっていて、トゲの生えた触手だけをうにょうにょと動かしている。
 あの触手に捕まったら、マズい気がする。
 僕に、さっきの岩のように猪の魔獣をあの植物へ突っ込ませることが出来るだろうか?
 細かい計画を考えてる間なんてない。
 首筋に鼻息が吹きかけられている気さえする。
 重くなった足を叱咤し、必死に体を前にけり上げ――……足がもつれて、べしゃっと転んだ。

『ぶぎぃぃっっっ!!!』

 とっさに頭をかばった僕の上を勢い余った猪が飛び越え、そのまま植物の魔獣へと突っ込んだ。
 植物の魔獣は意外と強かったみたいで、トゲトゲの触手に絡みつかれた猪の足が、ジタバタと宙をもがく。
 
「凄い、怪獣大戦争だ……」

 頭をかばったうつぶせのまま顔を上げて見ている僕の目前で、半分根っこが浮いて抜けそうになっている植物の魔獣と、地に着いた足を踏ん張って何とか引き抜こうとしている猪の魔獣が物凄い迫力で力比べをしている。
 この隙に何とか逃げ出したいところだけど、盛大に擦りむいた足は生まれたての子牛のようにカタカタ震えて力が入らない。
 緊張と恐怖で頭のどこかがショートしたのか、疲れも痛みも感じないけど……感覚もない。

「クラちゃーーーんっ」

 どこかでフクちゃんが叫んでいるのが聞こえた。
 ダメだよフクちゃん、そんな大声を出したら、またフクちゃんが魔獣に見つかっちゃう……

「フクちゃんっ、僕は大丈夫だから、逃げて――……」

 何とか体勢を変えて這って逃げようとしている僕へ、フクちゃんが叫ぶ。

「大丈夫じゃないよ、クラちゃん!
 猪が勝っちゃったよ、逃げて!」
 
 思わず背後を振り返ってしまった僕の前で、ゆらりっと猪の魔獣が立ち上がった。
 肩で息をしているものの、大したダメージを負っているようには見えない。
 植物の魔獣は根っこから土をボロボロとこぼしてひっくり返っていた。
 触手がまだ少しだけ動いていたけれど、もう戦うことは出来ないだろう。

「っ!!!」

 逃げようにも、腰が抜けて上手く立てない。
 お尻をついたまま後ずさった僕と、猪の魔獣の目が合った。
 お尻の下の、ザラザラした小石の感触がやけにリアルだった。
 ころ、殺されるっ!
 そう思って目をつぶった次の瞬間。

 ドガーーーーンンンッッッッ!!!

 背後から物凄い音が聞こえた。
 慌てて目を開き振り返った僕の視線の先で、もうもうたる土煙を立てて、2トンダンプよりも大きな猪の魔獣が吹っ飛んでいた。
 その下では、狼の魔獣も何頭かつぶれている。
 悲鳴すら上げる間もなく吹っ飛ばされた猪は、死んではいなそうだったけれど、前足がぴくぴくと痙攣して白目を向いて倒れていた。

「なーにしてるの?
 こんなとこで」

 今までの緊迫感にそぐわない、あきれたような若い女の人の声がした。
 アリーさんやストレチアさんでもない、聞いたことのない声だった。
 ビックリし過ぎて、ふくちゃんの涙も震えもピタリと止まった。
 あまりのことに呆然として、口が開きっぱなしになってハクハクしている僕の前に現れたのは。

「こんな『無限の荒野』の真ん中に、ちっちゃい子連れて。
 冒険者にも見えないし、何してるのよぉ?」

 くるくるとした栗色の巻き毛。
 頭の周りをくるっと編み込んだ髪型は、神話に出てくる女神のよう。
 乳白色の肌。
 さくらんぼ色の唇。
 くりっとした二重まぶたの瞳。
 可愛いこげ茶色の耳とちんまりしたしっぽ。
 十メートル以上もある巨大な魚を担ぎ上げた、僕よりふた回りも大きい、熊の獣人の女の人だった。



「あーっ、良かった、気が付いた!」

 目を開いた僕の視界いっぱいに、白っぽいふわふわとした毛が広がった。
 それが、抱きついて来たアリーさんの髪の毛だと気づくのには、数秒を必要とした。
 アリーさんは、僕たちを守ってくれてた冒険者の一人で、「盗賊」と呼ばれる職の女の人だ。アルパカの獣人だと言っていた。
 「盗賊」というのもいわゆるドロボーじゃなくて、冒険者の職種のひとつなんだそうだ。
 何があったのかさっぱり思い出せずに辺りを見回して、僕はびっくりした。
 和室に、障子。
 僕が寝ているのは、畳の上に敷かれた布団だ。
 隣の布団では、涙の跡をつけたふくちゃんが、僕にしがみつくように身を寄せて寝ていた。

「えっと……ここは?」

「あー、ごめんね、せっかく護衛に雇ってくれたのに、危ない目に合わせて。
 Bランク冒険者になれたから『無限の荒野』に挑戦しても、もう大丈夫だろって兄貴が言うのを鵜吞みにしちゃってたけど、スーアが言うように、時期尚早っていうか、考えなしだったかなー、って反省してる」

 一瞬、日本に戻れたのかと思ったけれど、目の前にいるアリーさんと、そのアリーさんが当たり前に口にする『冒険者』『無限の荒野』とかいう言葉が、それを否定する。
 『無限の荒野』というのは、僕たちが猪の魔獣に襲われた魔獣の現れる荒野のことだ。
 この世界には、『魔物の領域』と呼ばれるそんな場所が何か所かあるらしい。
 その『魔物の領域』以外には基本的に魔獣はおらず、地球と似たような生き物が暮らしていて、比較的平和だ。

「それは、僕が無理をお願いしちゃったんですから、言いっこなしってことで」

「あーんっ、クラちんマジでいい子!
 兄貴に爪の垢でも煎じて飲まぜたーいっ」

 再び抱きついてくるアリーさんに目を白黒させつつも、僕は気を失う前のことを思い出していた。
 そう、多分、僕は気を失ったんだろう。
 目の前で、大きな猪が吹っ飛んだところで、記憶がぷっつりと途切れている。
 慌てて、自分の体とふくちゃんの体を触って確認してみるけれど、大きなけがはどこにもなさそうだった。

「アリーさん?
 僕、あんまりよく覚えてないんですが……どうなってるんですか?」

「ああ、クラちん、途中で倒れちゃったもんね。
 フクちゃん、泣きながらずっとクラちんの側に付いてたんだよ?
 泣きつかれて寝ちゃうまで大変だったんだから」

 僕から離れて、フクちゃんの赤いほっぺたをツンツンとつつくアリーさんの向こうに、畳んだ布団が三組と、カトムさんストレチアさんの荷物が置いてある。けれど、本人たちの姿は見えない。

「あの、カトムさんとストレチアさんは?」

「ああ、兄貴もスーアも無事だよ。
 今はね、絶賛お手伝い中。
 覚えてる?
 クラちんが追っかけられてた猪の魔獣……グレートボアっていうんだけど、それを殴り飛ばして助けてくれたのが、『剛腕のシャリテ』っていうAランク冒険者でね。
 ここは、そのシャリテちんちの実家。
 ちょうど里帰りする途中だったんだって」

「Aランク冒険者……凄い」

 アリーさんたち、Bランク冒険者だって冒険者の中のほんの一握りなんだけれど、Aランクともなると、国に数人しかおらず、依頼も選り好みするので、なかなか護衛任務になど雇われてくれないそうだ。
 僕が最初に訪れた、センチピードという国の冒険者ギルドでそう言われた。
 今、僕がいるのはデントコーン王国という国でセンチピード国よりだいぶ大きな国だそうだけれど、Aランク冒険者の評価はそんなに変わらないはずだ。

「あ、まあ、そう、ね。
 Aランク凄いよねー」

 視線を泳がせたアリーさんに、僕は失言を悟る。

「あっ、アリーさんたちBランク冒険者も凄いですよ!
 僕たち足手まといがいなかったら、十分、『無限の荒野』でも戦えていたと思います!」

「いや、そ……うじゃなくて、ね。
 まあ、そのうち分かることだから言っちゃうけど。
 そのシャリテちんのお母さんってのが――……」

 アリーさんが言いかけた言葉を遮って、スッと障子が開いた。

「ああ、やっぱり気が付いた?
 話し声がしたから、そうかなと思って」

 障子の鴨居に当たりそうな頭をかがめて、見たことのある大きな女の人が入ってきた。
 そうだ、確か、気を失う前に見た……ヒーローのような登場をした魚を担いでいた女の人。

「シャリテちん!
 おかげで、クラちんも大丈夫そうだよ!」

 ぱぁっと顔を輝かせて、アリーさんがシャリテと呼ばれた女の人に抱きつく。

「初めまして。
 あたしはシャリテ」

「僕は……三国 桜と言います。
 フクちゃんともども、助けてもらって、ありがとうございました」

 正座をして深々と頭を下げる僕の前に、シャリテさんはどっかりと座り込んだ。
 その後ろから、なぜか幼児くらいの大きさの二足歩行の八割れ猫がトテトテとやって来て、お盆に乗った緑茶を畳の上に置いてくれた。
 その手でどうやってお盆と湯呑を持ってたの?
 アリーさんは何も言わないけど……これって、普通?
 異世界じゃ、普通なの?

「んにっ」

 肉球のついた手でお茶をすすめられて、思わず手に取る。
 程よい暖かさと懐かしい匂いに、じわっと涙腺が緩みそうになる。

「ありがとう。
 前掛け、似合ってるね」

 僕の言葉に、八割れ猫は照れたように目を細めて笑った。
 猫の笑顔って、分かるもんなんだね。
 なんか癒される。

「で、あんな場所に子どもを連れてって、何があったっていうの?
 死にたいっていうならともかく、何か事情があったんでしょ?
 良かったら、話してみない?」

 僕がお茶を飲むのを待って、シャリテさんが首をかしげる。
 そのたくましすぎる姿を見て、僕は、これまであったことをぽつりぽつりと話し出した。


後書き・拙作「レベル596の鍛冶見習い」と被る部分もありますが、牛雑学を載せていきたいと思います。
まずは基本的なところから、徐々にマニアックなところへ。

牛雑学・乳牛といえど、お産をしないと乳は出ない。もちろん雄は乳を出さない。当然といえば当然なんだけれど、よく「えっ、そうなの!?」と言われます。
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