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第1章 かなしい蝶と煌炎の獅子
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局所的なにわか雨が上がり始める中、赤の国の王獣が地面に降り立った。その背からまず王が飛び降りてから、未だ気絶している少女を抱いた少年に手を差し出す。
差し出された手を見つめて動かない少年に、王が首を傾げた。
「降りるのに助けがいるかと思ったが、いらないか?」
「あ、いや、」
「ああ、さすがにその子供を抱えたままでは無理か。では、その子はグレンの背に乗せておけばいい。風霊が落ちないように支えてくれる」
だったら僕のことだって風霊に支えさせれば良いのでは、と思ったし、そもそも王の左腕は酷い状態だ。だらりと下げられたままの腕は、やはり骨が折れているのだろう。
「貴方の腕、酷い怪我ですし……」
「気にすることはないというのに。ほら、血も止まっているだろう?」
「いくら血が止まっていたって、痛いでしょう?」
何せ、左腕にある傷口は、そのほとんどが焼け爛れている状態なのだ。王が自らやったことではあるものの、傷の状態から察するに、少年が思っている以上の痛みがあるはずである。
「心配してくれるのか。やはりお前は優しいな」
「え、いや、」
やたらと嬉しそうに微笑んだ王に、少年が困惑する。この状況で王の心配をしない方がどうかしているだろうに。
「だが、大丈夫だ。そこまで柔ではない」
そう言った王が、差し出していた右腕を伸ばして少年の腰に回す。そのまま、王は片腕で軽々と少年を抱き上げてしまった。
「う、わっ、」
驚いて思わず王の肩にしがみついた少年に、王が笑う。
「安心しろ。落としはせんよ」
「いや、あの、そういう問題じゃ、」
「左腕は使っていないからな。問題ない」
だからそういう問題じゃない。そう思った少年だったが、何を言ったところでこの王はあれこれ理由をつけて少年を離しはしないだろう。仕方なく、王の腕の中で大人しくすることにする。
「……そういえば、あの、竜みたいなのとオーナーの人は、どうなったんですか……?」
「ああ。……撃退はしたが、逃がしてしまった。やはり厄介だな、あの空間魔導は」
つまり、倒しきれなかったということらしい。空間魔導が厄介だという発言から察するに、空間魔導で逃げおおせたのだろうか。魔導については魔法や魔術以上に明るくない少年だったが、あのデイガーという男の能力がとても高いようだということだけは判った。
「だが、あれだけならば、そこまで脅威的というほどでもないさ」
「はあ」
少年が間の抜けた返事しかできないのは、未だに状況をきちんと把握できていないからだ。
「……というか、貴方、そういえば、……国王陛下、なんですよね……」
激しい戦闘に巻き込まれたせいですっかり頭から飛んでいたが、そうだった。この目の前の赤い男は、あろうことかグランデル王国の国王陛下なのである。そんな人に多分二度も助けて貰った挙句、あまつさえ王獣の背中に乗るなど。
考えただけで不敬以外のなにものでもない。これが銀の国や青の国だったら、もしかすると首が飛んでいたかもしれないほどだ。いや、赤の国は温厚な国だと聞いているけれど、本当のところを知らない以上、やっぱり打ち首になる可能性はある。
さっと青ざめた少年に何を思ったのか、王は彼をそっと地面に降ろしてから、その黒紫の髪に唇を落とした。
「ひゃっ、な、なんですか……?」
「そう心配そうな顔をするものではない。お前のことは私が守る」
「は、はぁ……」
やっぱり別にそんな心配をしていたわけではないのだけれど。
しかし、あのときのような息が止まるほどの輝きこそないものの、改めて見ると、グランデル王は本当にきれいな人だと少年は思った。特に、この瞳が良い。炎を内包する金色の瞳は、こうして間近で見ているだけで蕩けてしまいそうだった。
少しだけ惚けかけた少年が、慌ててそっと視線を落とす。王の口のあたりを見ておけば、取り敢えず思考が疎かになることもないだろう。
とにかく、この王に自分を処罰する気はないらしい。そう思えたことで安心したのだろうか。忘れていた痛みが急に戻ってきて、少年は思わず自分の腿を見た。そして、自分の肉に深々と刺さるナイフに、また青褪める。王の命令による風の加護はまだ生きているのだろうけれど、それでもじくじくとした痛みと熱が感じられた。
「痛むか?」
「え、あ、……はい。でも、貴方に比べたら、全然」
「だが痛むのだろう」
そう言った王が、再び少年を抱き上げようとする。だが、少年は今度こそそれを固辞した。自分より大怪我を負っている国王陛下に、そこまでさせるわけにはいかない。いや、もう十分すぎるほど色々とさせてしまっているのだが。
そんなことをしていると、不意に王が少年に向けていた視線を空へと上げた。少年も釣られて王が向いた方へと目をやると、雷色の毛をした獣が空から滑り降りてくるのが見えた。
そのまま王と少年の近くに着地した獣の背から、淡い金髪の男と黒紫の髪の青年が飛び降りてこちらへとやって来る。
見知らぬ人物に思わず身体を固くした少年の頭を、王が宥めるように優しく撫でた。そして、向かって来る二人を見て口を開く。
「ご苦労だった、レクシィ、グレイ。お陰で街への危害を最小限に留めることができた」
そう、騎獣に乗ってやって来たのは、レクシリア宰相とグレイだった。
ひらりと手を振った王に深々と頭を下げてから、レクシリアがつかつかと歩み寄ってくる。しかし、グレイの方は動く様子がなく、彼は王の傍らの少年を見て何故か驚いた表情をしていた。
「……ち、ちよ、」
「ロステアール国王陛下!」
何かを言いかけたグレイだったが、レクシリアの強い声がそれを遮った。
「そう大声を出さずとも聞こえている。ほら、キョウヤが怯えてしまっているだろうに。大丈夫だぞ、キョウヤ。少しばかり小言がうるさい男ではあるが、怖がることはない」
「は、はぁ」
大声は苦手なので少しばかりびくっとしてしまったが、王が言うほど怯えていたわけではない。
「なんですかこの腕は! 何故グランデル国王ともあろうお方が火傷など負うのです!」
「いやあ、まあ、色々とあってな」
「大切なお身体だということをもっとご自覚くださいませ!」
「判った判った。判ったから、会ってそうそう説教をするな」
困った顔をして見せた王に、レクシリアが一瞬眉を吊り上げた。尤も、すぐにその表情は元の温和そうなものに戻ったが。
「畏れながらお説教を続けさせて頂きます、陛下。我ら臣下一同、陛下のご命令とあれば、いついかなる時もどのような場所へでも、必ず馳せ参じましょう。しかしながら、それにしても此度のこの招集は、些か急が過ぎるのではないでしょうか? この時期に、王陛下はおろか宰相までもが国を留守にするなど、前代未聞、……ではないあたりがグランデル王国が他国から笑われる所以である訳ですが、」
ごほん、と咳払いをした宰相が、王を睨む。
「とにかく、お願いですからもう少しお早目のご連絡をお心がけください。お陰様で、」
「留守を任せる準備に二日。ここまで来るのに一日、と言ったところか。さすがはレクシィ、私が期待した通りの仕事をこなしてくれるな」
にこりと笑った王に、レクシリアがぐっと言葉を詰まらせて視線を彷徨わせる。
「ちょっとアナタ、またそうやって簡単に誑かされるんですから。大好きで大好きでたまらない王陛下に褒められて嬉しいのは判りましたから、説教くらい最後までやり通したらいかがです?」
「判っています。それから、別に大好きではありません」
呆れたようなグレイの言葉にレクシリアが反論したが、グレイは残念なものを見る目で宰相を見返したのだった。
「というか国王陛下」
レクシリアから国王に視線を移したグレイが、ちらりと少年を見る。探るような視線に居心地の悪さを感じた少年は、しかしグレイの見た目に内心でとても驚いた。
「そちらの方は、どなたです? 随分オレに似ていらっしゃる気がしますが」
グレイの言葉の通り、少年とグレイは、年齢こそ違うものの、兄弟かと見紛うほどに似通っていたのだ。
「まさかそいつもエトランジェなんじゃ」
「いいや、違うな。この子はキョウヤ・アマガヤ。正真正銘この世界で生まれた子だ。お前と違ってな。まあ後できちんと説明してやるから待て。なんとはなくだが、予想はついている」
きっぱりと言い切った王に、しかしグレイは眉を寄せた。
「……天ヶ谷って、やっぱり同じじゃあないですか」
「あ、あの、どういうことですか……?」
おずおずと尋ねる少年に、王が答える。
「そこのお前によく似た男の名は、グレイ・アマガヤ。色々あって別の次元からやってきた異邦者なのだ。ついでに紹介すると、あちらの金髪の美形は、レクシリア・グラ・ロンターと言ってな。グランデル王国の宰相にして、ロンター家の当主でもある、私の従兄弟だ」
王の言葉に、レクシリアが軽く会釈する。
「はじめまして。レクシリア・グラ・ロンターと申します。この度は我が国の陛下が大層ご迷惑をおかけしたそうで、大変申し訳ありません」
「え、いえ、そんな」
「おお、そうだ、レクシィ」
「……そのレクシィという呼び方は女性名を彷彿とさせるので止めてください、と何度もお願い申し上げているはずですが」
「元々お前の名前は女性名だろうに。そんなことはどうでも良いから、キョウヤのこの怪我を治してやってくれんか。知っての通り、私は回復魔法が使えんのだ」
その台詞に、レクシリアが盛大な溜息を吐くのとグレイが叫ぶのが、同時だった。
「テメェ! ふざけんのも大概にしやがれポンコツ!」
「一国の王にポンコツはないだろう」
「うるせェ! テメェなんぞポンコツで十分だこの馬鹿王! テメェが考えなしにぶっ放した極限魔法の処理するためにリーアさんがどんだけ危険なことしたと思ってんだ! この人の魔力もうほとんどスッカラカンなんだぞ! そんな状態でよくも魔力消費の激しい回復魔法使えだなんて言えたもんだな!」
グレイの叫びに、しかし王はきょとんと首を傾げた。
「危険と言うが、お前が魔術で管理をしていたのだろう? ならば危険などないだろうに」
「~~っ、このっ……!」
こういうところが厄介なのだ、この王は。この、完全にグレイを信用しきっているからこそ出した指示だという態度が、心底腹立たしい。その信用が、王の正当な評価の元に成り立っているものであるというのも、悔しいところである。そして、それを正しく理解しているからこそ。王が言うのならばそれが真理であると知っているからこそ。魔術師として真に優れていると認められることを喜ばざるを得ない自分に、腹が立って仕方がない。
天ヶ谷グレイは一切の欲目なしに至極優秀な魔術師であるからこそ此度の一件を任せたのだ、と。他でもないこの王にそう言われてしまえば、引き下がらざるを得ないのだ。
しかし、自分のことは良いにしても、レクシリアの件はまた話が別である。
「リーアさんの魔力が底をつきかけてるのは事実なんだから、これ以上無茶させるわけには、」
「グレイ」
ぽん、と、グレイの肩にレクシリアの手が乗せられた。そのままぐいっと身体を引かれ、グレイが一歩下がるのと入れ替わるようにレクシリアが前へ出る。
「倒れるから頼む」
小さな声で囁かれ、グレイは一瞬言葉詰まらせた後、盛大にため息を吐き出した。
「ほんっとうにしょうがない人ですね……」
呆れたような声を聞き流して、レクシリアは少年の前に膝をついた。
「まずはそのナイフを抜かなければなりません。どうなさいますか?」
見上げてきた宰相の顔が美しくて、少年は思わずじっと彼を見てしまった。
(綺麗な人だな……)
ぽやっとした表情で見つめてくる少年に、レクシリアがにこりと微笑む。
「私の顔に何かついていますか?」
「え、あ、いえ、なんでもないです。すみません……」
「別に何も悪いことなどないのですから、謝らないでください。それよりも、そのナイフはどうなさいますか?」
「あの、どう、とは……?」
首を傾げた少年の疑問に、王が答える。
「自分でナイフを抜くか、誰かに抜かせるか、という話だ」
王の言葉に、少年がまた青褪める。確かに、抜かないで回復魔法を使えば、肉がナイフを巻き込んだ状態で治癒してしまうのだろう。だが、だからといってこれを抜くというのは、なかなか勇気のいる話だった。
「……じ、自分で、やります」
ものすごく嫌だったけれど、それでも他人にされるよりは自分でする方がまだ良いと思った。
「では、ご準備を。ナイフが抜け次第、回復魔法をかけます」
「……はい」
そう返事をした少年だったが、いざ抜こうと思うとやはり勇気が出ない。ナイフの柄に指をかけたは良いが、その手は震えるばかりで一向に動く様子はなかった。
「大丈夫だ、キョウヤ」
少年を後ろから抱き込むようにして、王がナイフを握る少年の手に己の手を重ねた。急に触れた体温に驚いた少年が過剰なほどに身体を跳ねさせたが、王に気にした様子はない。
王をちらりと見たレクシリアは、少年の傷口に手を翳した。
「風霊、水霊。可能な限りこの子の痛みを和らげてあげてください」
レクシリアがそう言うと、ずきんずきんとした鈍い痛みがすっと消えた。どうやらこの宰相は、回復魔法に精通しているらしい。
「ゆっくりで良いから、引き抜くぞ。なに、レクシィの魔法がかかっている今ならば、そうそう痛むことはない」
そう言った王が、少年の手を包んだままそっと腕を動かす。驚いたことに、王の言葉通りほとんど痛みは感じなかったが、傷口を塞ぐものがなくなれば、当然血液が溢れて出くる。思った以上に流れ出るそれに少年が顔を強張らせると、やはり王が宥めるように、大丈夫だと言ってくれた。
一方のレクシリアの処置は迅速かつ的確だった。ナイフを抜いている途中で詠唱をはじめ、完全に抜け切るタイミングを見計らって魔法を発動させる。
「“癒しの雫”」
詠唱を終えると同時に、怪我を負っている少年の腿と王の左腕に細やかな光の粒が降り注ぐ。そして、光の粒が肌に染み込むように消えたそばから、驚異的な速度で組織が再生されていった。粒が完全に消えるころには、少年の傷は跡形もなく完治していて、少年は驚いて自分の脚をまじまじと見た。
と、目の前の美丈夫の身体がぐらりと傾いた。そのまま後ろへ倒れ込みそうになったレクシリアを、グレイが心得ていたように支える。
「お、もっ……!」
上背がある上に体格も良いレクシリアを支えるのは、どちらかというと細身のグレイには少々荷が重かったようだ。
「やはり昏倒してしまったか」
「やはりじゃねェんだよクソポンコツ野郎。……で? そっちのお方は完治したようですが、王陛下の腕の調子はいかがですか?」
言われ、王がすっかり綺麗になった左腕を軽く動かしてみる。
「……表面上は完治しているように見えるが、万全ではないな。痛みもまだそこそこ残っている。まあ、レクシィの残存魔力を考えれば、十分すぎるほどだ」
「そりゃ、この人ですから。……でもだからといってこの人に迷惑ばっか掛けてんじゃねェぞ」
低くなった声に、しかし王は朗らかに笑っただけであった。
そんなやり取りを見ていた少年の方は、傷が治ったというのに、相変わらず青い顔をしている。それはそうだろう。庶民の自分を治して一国の宰相が倒れるなど、畏れ多いにもほどがある。
「あ、あの、すみません。宰相様にこのようなことをして頂いてしまうなんて……、本当に、申し訳ありません」
「なに、お前が気にすることはない。どうせ使った魔力のほとんどは私の腕の治癒のためのものだ」
「テメェが言わないでくださいませんかロステアール国王陛下?」
「そう突っかかるものではないぞ。一国の王を何だと思っているのだお前は」
「ポンコツ」
即答したグレイに、王はやれやれと苦笑した。少年は貴族と触れ合ったことなどないので全く判らなかったが、どこの国の王と臣下もこのような、なんというか、砕けた関係なのだろうか。
(多分違う気がする……)
「取りあえず、レクシィはライガに乗せてしまおうか」
「あっ、テメ!」
グレイが止める間もなく、王がグレイの腕からレクシリアを奪って担ぎ上げる。さすがの王も片腕では無理だったようだが、それでもこの体格の成人男性を難なく抱え上げられるところは流石である。そのまま王がライデンにレクシリアを乗せると、王を押しのけるようにしてグレイがライデンの横に立った。そんな様子に、王が呆れたような顔をしてみせる。
「お前は本当にレクシィが大好きだなぁ」
「うるせェ、悪いか」
「誰も悪いとは言っていないだろうに。なあ、キョウヤ?」
「は、はい?」
振り返った王に急に話題を振られ、少年は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「おい、そこの大層頭がイカれていらっしゃる国王陛下の言うことなんて真に受けることねェぞ。放っとけ放っとけ」
「え、あ、いや、」
「口が悪い奴ですまないな。性格がひねくれているだけで、悪気はないのだ。許してやって欲しい」
「聞こえてますよ王サマ? ……というか陛下、アレはどうされたんです? 見たところお持ちではないようなんですが」
片眉を上げたグレイに、王が思い出したような顔をする。
「ああ、そうだった。敵の本拠地への突入時に全て風霊に任せたのだった」
「ハァ? どういうことです?」
「そこに見えるバーの地下に複数の空間と繋がるゲートがあったのだが、生憎お前から貰った腕輪ではキョウヤがいる空間しか判らなくてな。仕方がないので、すべての空間へ行けるようにゲートを空間ごと破壊し、アレは風霊に虱潰しに探して貰ったのだ」
「……相変わらず無茶苦茶だな、アンタ」
どこかで風霊が持っているのではないだろうか、と言った王が風霊の名を呼べば、風が布袋を運んできた。それを受け取って中身を確かめた王が、ひとつ頷く。
「これだこれだ」
「これだこれだって、そもそもの目的はそれを取り戻すことだったと思うんですが」
「結果的に戻ったのだから、そう固いことを言うな。ああ、そういえば、あの腕輪なのだがな」
「はい。オレが王陛下専用に冠位錬金魔術師の腕によりをかけてお作りした特別製の腕輪がいかがなさいましたか?」
既に王の次の言葉の予測がついているらしいグレイが、お手本のような微笑みを浮かべた。
「そう怒るな。いや、大層役に立ったぞ。お陰でキョウヤの居場所を知るのに労を掛けずにすんだ。空間を隔ててもなお作用するとは、さすがは冠位を戴く錬金魔術師といったところか。だがまあ、すまん。壊れた」
しれっと言われた最後の言葉に、グレイがにっこりと笑みを深める。
「今、なんと?」
「いや、だからな。ゲートを破壊するのに火霊魔法を使った訳なのだが、どうやらその拍子に壊れてしまったようなのだ。使い勝手はなかなか悪くないのだが、やはりどうにも脆い。もう少し耐久力を持たせられんものか?」
一切悪びれる様子なく、寧ろ図々しく要求まで突き付けてきた王に、グレイが肩を震わせて、そして、
「テメェの火霊適性が馬鹿高ェのが悪ィんだろうが! あれを身に着けてるときは常に魔力の調整を心掛けろってあれほど言ったのにもう忘れたのか馬鹿! 調整下手の癖に威力だけは桁外れなアンタのために、耐久度を限りなく上げた品だぞ!? それを魔法一発放っただけでぶっ壊すって、オレの苦労をなんだと思ってんだテメェ!」
「だからすまんと言っているだろうに」
やはり悪びれない王に、グレイがいよいよ眉を吊り上げる。
(も、もしかして、僕が貰った指輪と何か関係があるのかな……)
そう思った少年が、控えめに王の服の裾を掴む。本当にそっと触れたはずだったのだが、きちんと気づいてくれた王は、少年を見て柔らかく微笑んだ。
「どうした? キョウヤ」
「あ、あの、僕が貴方に貰った、指輪……」
おずおずと言われた言葉に、王が少年の頭を撫でた。
「ああ、確かにあの指輪もグレイが錬金魔術で作ったものだ。私が持っていた腕輪と対になっていてな。腕輪に魔力を籠めれば、指輪のある距離と方角がある程度判るという優れものなのだ」
「あの、腕輪は壊れてしまったのかもしれないんですが、指輪なら、多分、まだ、ちゃんと平気だと思います」
そう言った少年が、ポケットから指輪を取り出してグレイに差し出す。その行動に少しだけ面食らったらしいグレイは、まじまじと少年を見つめてから、指輪を受け取った。
「……ありがとな」
「え、いえ、僕の方こそ、その指輪のお陰でロストさ、陛下に、助けて頂けたみたいなので。あの、ありがとうございます」
「良いよ、気にすんな」
控えめに頭を下げて礼を言う少年に、グレイはすっかり毒気を抜かれてしまったらしい。
「キョウヤ、別に今まで通りロストと呼んでくれて構わないのだぞ? 陛下などと他人行儀なことを言わずに」
「僕、別にそんなに貴方のお名前を呼んだことはないと思うんですが……。…………それに、」
そこで、少年は一度口を閉じた。次の言葉を続けるかどうか迷ったのだ。
「それに?」
「……それに、貴方はとてもきれいだから、あの、ロスト、というのは、なんだか似合わない気がします」
少年の言葉に、グレイが僅かに目を見開く。同時に、王が破顔して少年を抱き上げた。
「ひゃっ」
小さな悲鳴を上げた少年を両腕に抱き、王はグレイも聞いたことがない酷く甘ったるい声を紡いだ。
「ああ、私もお前を愛しているよ」
そう言って王は、少年の唇に自分のそれを重ね合わせた。それは王からすればごく自然で当然の行為だったのだが、少年にとっては全くそんなことはない理解不能の行動だったので、彼はピシリと固まってしまった。ついでにそれを見ていたグレイも固まっていた。
一方の王は、幸せいっぱいの表情で少年の唇を啄んでいたのだが、我に返ったグレイに思い切り後頭部を引っぱたかれて、眉を寄せて振り返る。
「いきなり何をする」
「そりゃこっちのセリフだ。何してんだアンタは。グランデル国王が嫌がる少年を無理やりどうこうとか、そんな噂が流れてみろ。国の恥だ。ひいてはリーアさんの恥だ。アンタが恥かくのは勝手だが、リーアさんを巻き込むな」
「別にキョウヤは嫌がっていないだろうに。なあ、キョウヤ?」
「あ、あ、」
顔を赤くしたり青くしたりと忙しい少年を見て、グレイが呆れた顔をする。
「どう見ても嫌がってんだろうが。読心術は、陛下の得意中の得意技でしょう?」
「混乱してしまっているだけだ。かわいいだろう?」
「……何言ってんだアンタ」
そもそも、私もお前を愛しているって、どういうことだ。も、ってなんだ。文脈がおかしい。
そう思ったグレイだったが、この王とまともに会話をしていると疲れるだけなので、これについて追及することは諦めた。疲れるし、面倒だし、興味もない。レクシリア宰相をはじめとしたグランデル国民は興味を持ちそうだけれど。
そんなことを考えながらグレイがふと顔を上げると、夜空に何かがいるのが見えて、彼は目を凝らした。暗くて判りにくいが、それはどうやら暗い色の騎獣で、こちらに向かって来ているようだった。
徐々に近づいてくるそれは、鋭く大きな牙を持つ逞しい騎獣だった。大きさは、ライデンより少し小さいくらいだろうか。騎獣鎧に描かれている国章を見れば、それがギルガルド王国軍の騎獣であることが判った。
「ギルヴィス王が来たか」
王の言葉に、グレイが頷く。
騎獣の背に乗っていたのは、王国軍の師団長と、ギルディスティアフォンガルド王国国王、ギルヴィス・ビルガ・フォンガルドだった。
差し出された手を見つめて動かない少年に、王が首を傾げた。
「降りるのに助けがいるかと思ったが、いらないか?」
「あ、いや、」
「ああ、さすがにその子供を抱えたままでは無理か。では、その子はグレンの背に乗せておけばいい。風霊が落ちないように支えてくれる」
だったら僕のことだって風霊に支えさせれば良いのでは、と思ったし、そもそも王の左腕は酷い状態だ。だらりと下げられたままの腕は、やはり骨が折れているのだろう。
「貴方の腕、酷い怪我ですし……」
「気にすることはないというのに。ほら、血も止まっているだろう?」
「いくら血が止まっていたって、痛いでしょう?」
何せ、左腕にある傷口は、そのほとんどが焼け爛れている状態なのだ。王が自らやったことではあるものの、傷の状態から察するに、少年が思っている以上の痛みがあるはずである。
「心配してくれるのか。やはりお前は優しいな」
「え、いや、」
やたらと嬉しそうに微笑んだ王に、少年が困惑する。この状況で王の心配をしない方がどうかしているだろうに。
「だが、大丈夫だ。そこまで柔ではない」
そう言った王が、差し出していた右腕を伸ばして少年の腰に回す。そのまま、王は片腕で軽々と少年を抱き上げてしまった。
「う、わっ、」
驚いて思わず王の肩にしがみついた少年に、王が笑う。
「安心しろ。落としはせんよ」
「いや、あの、そういう問題じゃ、」
「左腕は使っていないからな。問題ない」
だからそういう問題じゃない。そう思った少年だったが、何を言ったところでこの王はあれこれ理由をつけて少年を離しはしないだろう。仕方なく、王の腕の中で大人しくすることにする。
「……そういえば、あの、竜みたいなのとオーナーの人は、どうなったんですか……?」
「ああ。……撃退はしたが、逃がしてしまった。やはり厄介だな、あの空間魔導は」
つまり、倒しきれなかったということらしい。空間魔導が厄介だという発言から察するに、空間魔導で逃げおおせたのだろうか。魔導については魔法や魔術以上に明るくない少年だったが、あのデイガーという男の能力がとても高いようだということだけは判った。
「だが、あれだけならば、そこまで脅威的というほどでもないさ」
「はあ」
少年が間の抜けた返事しかできないのは、未だに状況をきちんと把握できていないからだ。
「……というか、貴方、そういえば、……国王陛下、なんですよね……」
激しい戦闘に巻き込まれたせいですっかり頭から飛んでいたが、そうだった。この目の前の赤い男は、あろうことかグランデル王国の国王陛下なのである。そんな人に多分二度も助けて貰った挙句、あまつさえ王獣の背中に乗るなど。
考えただけで不敬以外のなにものでもない。これが銀の国や青の国だったら、もしかすると首が飛んでいたかもしれないほどだ。いや、赤の国は温厚な国だと聞いているけれど、本当のところを知らない以上、やっぱり打ち首になる可能性はある。
さっと青ざめた少年に何を思ったのか、王は彼をそっと地面に降ろしてから、その黒紫の髪に唇を落とした。
「ひゃっ、な、なんですか……?」
「そう心配そうな顔をするものではない。お前のことは私が守る」
「は、はぁ……」
やっぱり別にそんな心配をしていたわけではないのだけれど。
しかし、あのときのような息が止まるほどの輝きこそないものの、改めて見ると、グランデル王は本当にきれいな人だと少年は思った。特に、この瞳が良い。炎を内包する金色の瞳は、こうして間近で見ているだけで蕩けてしまいそうだった。
少しだけ惚けかけた少年が、慌ててそっと視線を落とす。王の口のあたりを見ておけば、取り敢えず思考が疎かになることもないだろう。
とにかく、この王に自分を処罰する気はないらしい。そう思えたことで安心したのだろうか。忘れていた痛みが急に戻ってきて、少年は思わず自分の腿を見た。そして、自分の肉に深々と刺さるナイフに、また青褪める。王の命令による風の加護はまだ生きているのだろうけれど、それでもじくじくとした痛みと熱が感じられた。
「痛むか?」
「え、あ、……はい。でも、貴方に比べたら、全然」
「だが痛むのだろう」
そう言った王が、再び少年を抱き上げようとする。だが、少年は今度こそそれを固辞した。自分より大怪我を負っている国王陛下に、そこまでさせるわけにはいかない。いや、もう十分すぎるほど色々とさせてしまっているのだが。
そんなことをしていると、不意に王が少年に向けていた視線を空へと上げた。少年も釣られて王が向いた方へと目をやると、雷色の毛をした獣が空から滑り降りてくるのが見えた。
そのまま王と少年の近くに着地した獣の背から、淡い金髪の男と黒紫の髪の青年が飛び降りてこちらへとやって来る。
見知らぬ人物に思わず身体を固くした少年の頭を、王が宥めるように優しく撫でた。そして、向かって来る二人を見て口を開く。
「ご苦労だった、レクシィ、グレイ。お陰で街への危害を最小限に留めることができた」
そう、騎獣に乗ってやって来たのは、レクシリア宰相とグレイだった。
ひらりと手を振った王に深々と頭を下げてから、レクシリアがつかつかと歩み寄ってくる。しかし、グレイの方は動く様子がなく、彼は王の傍らの少年を見て何故か驚いた表情をしていた。
「……ち、ちよ、」
「ロステアール国王陛下!」
何かを言いかけたグレイだったが、レクシリアの強い声がそれを遮った。
「そう大声を出さずとも聞こえている。ほら、キョウヤが怯えてしまっているだろうに。大丈夫だぞ、キョウヤ。少しばかり小言がうるさい男ではあるが、怖がることはない」
「は、はぁ」
大声は苦手なので少しばかりびくっとしてしまったが、王が言うほど怯えていたわけではない。
「なんですかこの腕は! 何故グランデル国王ともあろうお方が火傷など負うのです!」
「いやあ、まあ、色々とあってな」
「大切なお身体だということをもっとご自覚くださいませ!」
「判った判った。判ったから、会ってそうそう説教をするな」
困った顔をして見せた王に、レクシリアが一瞬眉を吊り上げた。尤も、すぐにその表情は元の温和そうなものに戻ったが。
「畏れながらお説教を続けさせて頂きます、陛下。我ら臣下一同、陛下のご命令とあれば、いついかなる時もどのような場所へでも、必ず馳せ参じましょう。しかしながら、それにしても此度のこの招集は、些か急が過ぎるのではないでしょうか? この時期に、王陛下はおろか宰相までもが国を留守にするなど、前代未聞、……ではないあたりがグランデル王国が他国から笑われる所以である訳ですが、」
ごほん、と咳払いをした宰相が、王を睨む。
「とにかく、お願いですからもう少しお早目のご連絡をお心がけください。お陰様で、」
「留守を任せる準備に二日。ここまで来るのに一日、と言ったところか。さすがはレクシィ、私が期待した通りの仕事をこなしてくれるな」
にこりと笑った王に、レクシリアがぐっと言葉を詰まらせて視線を彷徨わせる。
「ちょっとアナタ、またそうやって簡単に誑かされるんですから。大好きで大好きでたまらない王陛下に褒められて嬉しいのは判りましたから、説教くらい最後までやり通したらいかがです?」
「判っています。それから、別に大好きではありません」
呆れたようなグレイの言葉にレクシリアが反論したが、グレイは残念なものを見る目で宰相を見返したのだった。
「というか国王陛下」
レクシリアから国王に視線を移したグレイが、ちらりと少年を見る。探るような視線に居心地の悪さを感じた少年は、しかしグレイの見た目に内心でとても驚いた。
「そちらの方は、どなたです? 随分オレに似ていらっしゃる気がしますが」
グレイの言葉の通り、少年とグレイは、年齢こそ違うものの、兄弟かと見紛うほどに似通っていたのだ。
「まさかそいつもエトランジェなんじゃ」
「いいや、違うな。この子はキョウヤ・アマガヤ。正真正銘この世界で生まれた子だ。お前と違ってな。まあ後できちんと説明してやるから待て。なんとはなくだが、予想はついている」
きっぱりと言い切った王に、しかしグレイは眉を寄せた。
「……天ヶ谷って、やっぱり同じじゃあないですか」
「あ、あの、どういうことですか……?」
おずおずと尋ねる少年に、王が答える。
「そこのお前によく似た男の名は、グレイ・アマガヤ。色々あって別の次元からやってきた異邦者なのだ。ついでに紹介すると、あちらの金髪の美形は、レクシリア・グラ・ロンターと言ってな。グランデル王国の宰相にして、ロンター家の当主でもある、私の従兄弟だ」
王の言葉に、レクシリアが軽く会釈する。
「はじめまして。レクシリア・グラ・ロンターと申します。この度は我が国の陛下が大層ご迷惑をおかけしたそうで、大変申し訳ありません」
「え、いえ、そんな」
「おお、そうだ、レクシィ」
「……そのレクシィという呼び方は女性名を彷彿とさせるので止めてください、と何度もお願い申し上げているはずですが」
「元々お前の名前は女性名だろうに。そんなことはどうでも良いから、キョウヤのこの怪我を治してやってくれんか。知っての通り、私は回復魔法が使えんのだ」
その台詞に、レクシリアが盛大な溜息を吐くのとグレイが叫ぶのが、同時だった。
「テメェ! ふざけんのも大概にしやがれポンコツ!」
「一国の王にポンコツはないだろう」
「うるせェ! テメェなんぞポンコツで十分だこの馬鹿王! テメェが考えなしにぶっ放した極限魔法の処理するためにリーアさんがどんだけ危険なことしたと思ってんだ! この人の魔力もうほとんどスッカラカンなんだぞ! そんな状態でよくも魔力消費の激しい回復魔法使えだなんて言えたもんだな!」
グレイの叫びに、しかし王はきょとんと首を傾げた。
「危険と言うが、お前が魔術で管理をしていたのだろう? ならば危険などないだろうに」
「~~っ、このっ……!」
こういうところが厄介なのだ、この王は。この、完全にグレイを信用しきっているからこそ出した指示だという態度が、心底腹立たしい。その信用が、王の正当な評価の元に成り立っているものであるというのも、悔しいところである。そして、それを正しく理解しているからこそ。王が言うのならばそれが真理であると知っているからこそ。魔術師として真に優れていると認められることを喜ばざるを得ない自分に、腹が立って仕方がない。
天ヶ谷グレイは一切の欲目なしに至極優秀な魔術師であるからこそ此度の一件を任せたのだ、と。他でもないこの王にそう言われてしまえば、引き下がらざるを得ないのだ。
しかし、自分のことは良いにしても、レクシリアの件はまた話が別である。
「リーアさんの魔力が底をつきかけてるのは事実なんだから、これ以上無茶させるわけには、」
「グレイ」
ぽん、と、グレイの肩にレクシリアの手が乗せられた。そのままぐいっと身体を引かれ、グレイが一歩下がるのと入れ替わるようにレクシリアが前へ出る。
「倒れるから頼む」
小さな声で囁かれ、グレイは一瞬言葉詰まらせた後、盛大にため息を吐き出した。
「ほんっとうにしょうがない人ですね……」
呆れたような声を聞き流して、レクシリアは少年の前に膝をついた。
「まずはそのナイフを抜かなければなりません。どうなさいますか?」
見上げてきた宰相の顔が美しくて、少年は思わずじっと彼を見てしまった。
(綺麗な人だな……)
ぽやっとした表情で見つめてくる少年に、レクシリアがにこりと微笑む。
「私の顔に何かついていますか?」
「え、あ、いえ、なんでもないです。すみません……」
「別に何も悪いことなどないのですから、謝らないでください。それよりも、そのナイフはどうなさいますか?」
「あの、どう、とは……?」
首を傾げた少年の疑問に、王が答える。
「自分でナイフを抜くか、誰かに抜かせるか、という話だ」
王の言葉に、少年がまた青褪める。確かに、抜かないで回復魔法を使えば、肉がナイフを巻き込んだ状態で治癒してしまうのだろう。だが、だからといってこれを抜くというのは、なかなか勇気のいる話だった。
「……じ、自分で、やります」
ものすごく嫌だったけれど、それでも他人にされるよりは自分でする方がまだ良いと思った。
「では、ご準備を。ナイフが抜け次第、回復魔法をかけます」
「……はい」
そう返事をした少年だったが、いざ抜こうと思うとやはり勇気が出ない。ナイフの柄に指をかけたは良いが、その手は震えるばかりで一向に動く様子はなかった。
「大丈夫だ、キョウヤ」
少年を後ろから抱き込むようにして、王がナイフを握る少年の手に己の手を重ねた。急に触れた体温に驚いた少年が過剰なほどに身体を跳ねさせたが、王に気にした様子はない。
王をちらりと見たレクシリアは、少年の傷口に手を翳した。
「風霊、水霊。可能な限りこの子の痛みを和らげてあげてください」
レクシリアがそう言うと、ずきんずきんとした鈍い痛みがすっと消えた。どうやらこの宰相は、回復魔法に精通しているらしい。
「ゆっくりで良いから、引き抜くぞ。なに、レクシィの魔法がかかっている今ならば、そうそう痛むことはない」
そう言った王が、少年の手を包んだままそっと腕を動かす。驚いたことに、王の言葉通りほとんど痛みは感じなかったが、傷口を塞ぐものがなくなれば、当然血液が溢れて出くる。思った以上に流れ出るそれに少年が顔を強張らせると、やはり王が宥めるように、大丈夫だと言ってくれた。
一方のレクシリアの処置は迅速かつ的確だった。ナイフを抜いている途中で詠唱をはじめ、完全に抜け切るタイミングを見計らって魔法を発動させる。
「“癒しの雫”」
詠唱を終えると同時に、怪我を負っている少年の腿と王の左腕に細やかな光の粒が降り注ぐ。そして、光の粒が肌に染み込むように消えたそばから、驚異的な速度で組織が再生されていった。粒が完全に消えるころには、少年の傷は跡形もなく完治していて、少年は驚いて自分の脚をまじまじと見た。
と、目の前の美丈夫の身体がぐらりと傾いた。そのまま後ろへ倒れ込みそうになったレクシリアを、グレイが心得ていたように支える。
「お、もっ……!」
上背がある上に体格も良いレクシリアを支えるのは、どちらかというと細身のグレイには少々荷が重かったようだ。
「やはり昏倒してしまったか」
「やはりじゃねェんだよクソポンコツ野郎。……で? そっちのお方は完治したようですが、王陛下の腕の調子はいかがですか?」
言われ、王がすっかり綺麗になった左腕を軽く動かしてみる。
「……表面上は完治しているように見えるが、万全ではないな。痛みもまだそこそこ残っている。まあ、レクシィの残存魔力を考えれば、十分すぎるほどだ」
「そりゃ、この人ですから。……でもだからといってこの人に迷惑ばっか掛けてんじゃねェぞ」
低くなった声に、しかし王は朗らかに笑っただけであった。
そんなやり取りを見ていた少年の方は、傷が治ったというのに、相変わらず青い顔をしている。それはそうだろう。庶民の自分を治して一国の宰相が倒れるなど、畏れ多いにもほどがある。
「あ、あの、すみません。宰相様にこのようなことをして頂いてしまうなんて……、本当に、申し訳ありません」
「なに、お前が気にすることはない。どうせ使った魔力のほとんどは私の腕の治癒のためのものだ」
「テメェが言わないでくださいませんかロステアール国王陛下?」
「そう突っかかるものではないぞ。一国の王を何だと思っているのだお前は」
「ポンコツ」
即答したグレイに、王はやれやれと苦笑した。少年は貴族と触れ合ったことなどないので全く判らなかったが、どこの国の王と臣下もこのような、なんというか、砕けた関係なのだろうか。
(多分違う気がする……)
「取りあえず、レクシィはライガに乗せてしまおうか」
「あっ、テメ!」
グレイが止める間もなく、王がグレイの腕からレクシリアを奪って担ぎ上げる。さすがの王も片腕では無理だったようだが、それでもこの体格の成人男性を難なく抱え上げられるところは流石である。そのまま王がライデンにレクシリアを乗せると、王を押しのけるようにしてグレイがライデンの横に立った。そんな様子に、王が呆れたような顔をしてみせる。
「お前は本当にレクシィが大好きだなぁ」
「うるせェ、悪いか」
「誰も悪いとは言っていないだろうに。なあ、キョウヤ?」
「は、はい?」
振り返った王に急に話題を振られ、少年は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「おい、そこの大層頭がイカれていらっしゃる国王陛下の言うことなんて真に受けることねェぞ。放っとけ放っとけ」
「え、あ、いや、」
「口が悪い奴ですまないな。性格がひねくれているだけで、悪気はないのだ。許してやって欲しい」
「聞こえてますよ王サマ? ……というか陛下、アレはどうされたんです? 見たところお持ちではないようなんですが」
片眉を上げたグレイに、王が思い出したような顔をする。
「ああ、そうだった。敵の本拠地への突入時に全て風霊に任せたのだった」
「ハァ? どういうことです?」
「そこに見えるバーの地下に複数の空間と繋がるゲートがあったのだが、生憎お前から貰った腕輪ではキョウヤがいる空間しか判らなくてな。仕方がないので、すべての空間へ行けるようにゲートを空間ごと破壊し、アレは風霊に虱潰しに探して貰ったのだ」
「……相変わらず無茶苦茶だな、アンタ」
どこかで風霊が持っているのではないだろうか、と言った王が風霊の名を呼べば、風が布袋を運んできた。それを受け取って中身を確かめた王が、ひとつ頷く。
「これだこれだ」
「これだこれだって、そもそもの目的はそれを取り戻すことだったと思うんですが」
「結果的に戻ったのだから、そう固いことを言うな。ああ、そういえば、あの腕輪なのだがな」
「はい。オレが王陛下専用に冠位錬金魔術師の腕によりをかけてお作りした特別製の腕輪がいかがなさいましたか?」
既に王の次の言葉の予測がついているらしいグレイが、お手本のような微笑みを浮かべた。
「そう怒るな。いや、大層役に立ったぞ。お陰でキョウヤの居場所を知るのに労を掛けずにすんだ。空間を隔ててもなお作用するとは、さすがは冠位を戴く錬金魔術師といったところか。だがまあ、すまん。壊れた」
しれっと言われた最後の言葉に、グレイがにっこりと笑みを深める。
「今、なんと?」
「いや、だからな。ゲートを破壊するのに火霊魔法を使った訳なのだが、どうやらその拍子に壊れてしまったようなのだ。使い勝手はなかなか悪くないのだが、やはりどうにも脆い。もう少し耐久力を持たせられんものか?」
一切悪びれる様子なく、寧ろ図々しく要求まで突き付けてきた王に、グレイが肩を震わせて、そして、
「テメェの火霊適性が馬鹿高ェのが悪ィんだろうが! あれを身に着けてるときは常に魔力の調整を心掛けろってあれほど言ったのにもう忘れたのか馬鹿! 調整下手の癖に威力だけは桁外れなアンタのために、耐久度を限りなく上げた品だぞ!? それを魔法一発放っただけでぶっ壊すって、オレの苦労をなんだと思ってんだテメェ!」
「だからすまんと言っているだろうに」
やはり悪びれない王に、グレイがいよいよ眉を吊り上げる。
(も、もしかして、僕が貰った指輪と何か関係があるのかな……)
そう思った少年が、控えめに王の服の裾を掴む。本当にそっと触れたはずだったのだが、きちんと気づいてくれた王は、少年を見て柔らかく微笑んだ。
「どうした? キョウヤ」
「あ、あの、僕が貴方に貰った、指輪……」
おずおずと言われた言葉に、王が少年の頭を撫でた。
「ああ、確かにあの指輪もグレイが錬金魔術で作ったものだ。私が持っていた腕輪と対になっていてな。腕輪に魔力を籠めれば、指輪のある距離と方角がある程度判るという優れものなのだ」
「あの、腕輪は壊れてしまったのかもしれないんですが、指輪なら、多分、まだ、ちゃんと平気だと思います」
そう言った少年が、ポケットから指輪を取り出してグレイに差し出す。その行動に少しだけ面食らったらしいグレイは、まじまじと少年を見つめてから、指輪を受け取った。
「……ありがとな」
「え、いえ、僕の方こそ、その指輪のお陰でロストさ、陛下に、助けて頂けたみたいなので。あの、ありがとうございます」
「良いよ、気にすんな」
控えめに頭を下げて礼を言う少年に、グレイはすっかり毒気を抜かれてしまったらしい。
「キョウヤ、別に今まで通りロストと呼んでくれて構わないのだぞ? 陛下などと他人行儀なことを言わずに」
「僕、別にそんなに貴方のお名前を呼んだことはないと思うんですが……。…………それに、」
そこで、少年は一度口を閉じた。次の言葉を続けるかどうか迷ったのだ。
「それに?」
「……それに、貴方はとてもきれいだから、あの、ロスト、というのは、なんだか似合わない気がします」
少年の言葉に、グレイが僅かに目を見開く。同時に、王が破顔して少年を抱き上げた。
「ひゃっ」
小さな悲鳴を上げた少年を両腕に抱き、王はグレイも聞いたことがない酷く甘ったるい声を紡いだ。
「ああ、私もお前を愛しているよ」
そう言って王は、少年の唇に自分のそれを重ね合わせた。それは王からすればごく自然で当然の行為だったのだが、少年にとっては全くそんなことはない理解不能の行動だったので、彼はピシリと固まってしまった。ついでにそれを見ていたグレイも固まっていた。
一方の王は、幸せいっぱいの表情で少年の唇を啄んでいたのだが、我に返ったグレイに思い切り後頭部を引っぱたかれて、眉を寄せて振り返る。
「いきなり何をする」
「そりゃこっちのセリフだ。何してんだアンタは。グランデル国王が嫌がる少年を無理やりどうこうとか、そんな噂が流れてみろ。国の恥だ。ひいてはリーアさんの恥だ。アンタが恥かくのは勝手だが、リーアさんを巻き込むな」
「別にキョウヤは嫌がっていないだろうに。なあ、キョウヤ?」
「あ、あ、」
顔を赤くしたり青くしたりと忙しい少年を見て、グレイが呆れた顔をする。
「どう見ても嫌がってんだろうが。読心術は、陛下の得意中の得意技でしょう?」
「混乱してしまっているだけだ。かわいいだろう?」
「……何言ってんだアンタ」
そもそも、私もお前を愛しているって、どういうことだ。も、ってなんだ。文脈がおかしい。
そう思ったグレイだったが、この王とまともに会話をしていると疲れるだけなので、これについて追及することは諦めた。疲れるし、面倒だし、興味もない。レクシリア宰相をはじめとしたグランデル国民は興味を持ちそうだけれど。
そんなことを考えながらグレイがふと顔を上げると、夜空に何かがいるのが見えて、彼は目を凝らした。暗くて判りにくいが、それはどうやら暗い色の騎獣で、こちらに向かって来ているようだった。
徐々に近づいてくるそれは、鋭く大きな牙を持つ逞しい騎獣だった。大きさは、ライデンより少し小さいくらいだろうか。騎獣鎧に描かれている国章を見れば、それがギルガルド王国軍の騎獣であることが判った。
「ギルヴィス王が来たか」
王の言葉に、グレイが頷く。
騎獣の背に乗っていたのは、王国軍の師団長と、ギルディスティアフォンガルド王国国王、ギルヴィス・ビルガ・フォンガルドだった。
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