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第1章 かなしい蝶と煌炎の獅子
デート?
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コンコンと扉を叩く音に、若き店主は小さく溜息をついた。一日は始まったばかりだというのに、既に気が重い。
今日は店はお休みだ。そして、男との約束の日でもある。よって、今扉を叩いたのは間違いなくあの、ロストとかいう男だろう。
もう一度だけ溜息を吐き出した少年は、顔に笑みを貼り付けて扉を開けた。
「おはようございます。お早いですね」
「ああ、早くお前に会いたくてな」
「そうですか」
訳の判らない戯言は流しておくことにする。
しかし、朝から出かけるとは、一体どこに行く気なのだろう。余り遠いところは困ると言ったはずだが。
「それでは行こうか」
「あ、あの、行くって、どこへ行くんでしょうか」
「それを言ってしまってはサプライズ性が薄れてしまうではないか。なに、お前が嫌がるような場所には連れて行かんよ。安心してくれ」
別にサプライズ性なんて求めていないし、もっと言うと、出かける先が不明なまま連れ回されるのは心許なくてあまり好ましくなかったのだが、これは貰った染料へのお礼だ。可能な限り相手の機嫌を損ねないように振舞うべきだろう。
そう思って大人しく従った少年が連れてこられたのは、少年の店よりずっと都市の中心に近い場所にある、錬金術系統の店が多く立ち並んだ商店街だった。そういえば、この通りにある店の品物はどれも精巧な造りのものばかりで、少年はその美しい造形にちょっと心惹かれたりもしていたのだった。ただ、錬金術による生産品は魔術機構を持っているものばかりで、製作が非常に難しいため、高価な品が多い。そのため、店の方もそれに見合った高級な外装や内装をしている場合がほとんどだ。男に連れて来られたこの通りは特に、ギルガルド内でも貴族御用達と言われるような店が多く並ぶ場所で、とてもではないが少年が立ち入れるような雰囲気ではなかった。故に、一度店の中を見てみたいと思いつつも、みすぼらしい自分では足を踏み入れようという考えすら浮かばなかったのだ。
魔術にも錬金術にも詳しくない少年は、これ以上のことなど知る由もないが、錬金術とは、物と魔術を繋ぐ要となる技法である。現象を引き起こす魔術式を核とし、その式を形ある物に繋ぎとめる。その後様々な技術を駆使して、魔術師の手を離れた後も作動する品物を作るわけだが、魔術師の中でもこの段階、すなわち錬金魔術師にまで至れる者は決して多くない。更にここギルガルド王国以外の国では、魔法適正者が多いため魔術と錬金術があまり栄えていないことも相まって、錬金術商品は非常に高価なのである。
つまり、この商店街の店々は、広大なリアンジュナイル大陸でも数少ない錬金魔術師によって作られた品物を並べているのだ。
しかし、それを知っているのか知らないのかは判らないが、半歩前を歩く男に躊躇う様子はなく、少年は困惑してしまった。改めて見た男は、そりゃ体格や纏う風格のようなものはなんだかとてもすごそうに思えるけれども、服装は平民層の傭兵のもので、とてもではないが高級店に入るのに向いている格好だとは思えない。これではつまみ出されてしまうのがオチではないだろうか。
少年の心配はやはり的中したようで、取りあえず適当に眺めてみようかと言った男が立ち並ぶ店の一軒に入ったところで、警備員らしき男たち三人に囲まれてしまった。一緒にいる彼ほどではないが背が高く体格も良い大人に囲まれて、少年は思わず首を竦める。威圧感のある大人は苦手なのだ。
「お客様、何の御用でしょうか」
「お客様に対する態度ではないな。この子が怯える。やめてもらおうか」
少年を守るように背に隠した男が言うが、警備員たちは飽くまでも場違いな平民層を追い出す姿勢をやめようとはしなかった。
だが、こういう対応になるのも仕方がない。高級店というのは、商品の良し悪しは勿論のこと、貴族への商売である以上信頼で成り立っているところがある。そんな店にとって、窃盗や強盗は金銭以上の損失をもたらすことになるのだ。故に、店にふさわしくないだろう客を入口の時点で追い返すのは重要かつ妥当な判断である。
「悪いが、私とこの子はれっきとした客だ」
そう言って男が懐から出した紙を警備員たちに見せると、途端に警備員の顔色が青ざめる。
「た、大変失礼致しました。ロンター公縁のお方でしたか」
言葉と共に深々と下げられた頭に、少年は何が起こったのか全く理解ができなかった。
(ロンター公って誰だろう)
まあどこかの貴族か何かなのだろう。そして、この男はその貴族の知り合いか何かなのだろう。なるほど、それならまあ。滲み出る気品のようなものの理由にもなるし、納得がいく。貴族の知り合いがどうして傭兵をしているのかまでは判らないけれど。
困惑するも、男に促されて商品に目をやれば、美しい細工にため息が出てしまう。ゆっくり見れば良い、という男の言葉に甘えてひとつひとつを丁寧に見ていると、店員らしき女性から触っても構わないと言われ、びっくりして少し肩が跳ねてしまった。勿論、こんなに綺麗で高価な物に触れるなんて恐れ多いと固辞したが。
男は男で、こういう類の物はすぐ壊してしまうからと遠慮をしていたのだが、品物に夢中の少年の耳には入っていないようだった。
その後も商店街内の色々な店を見て回ったが、追い出されかけたのは最初の一軒のときだけだった。恐らく、ロンター公とやらの関係者が来ているという話が伝わったのだろう。どこに入ってもやたらと歓迎されてしまって、少年にとっては、それはそれで肩身が狭い思いだった。しかし並ぶ商品たちは、その肩身の狭さを忘れさせてしまうほどに美しく、結局二人はすべての店に足を運んでしまい、最後の店を出るころにはすっかり昼を回ってしまっていた。
それに気づいた途端、少年のお腹が控え目に鳴る。その小さな音が聞こえてしまったらしく、少し笑った男から遅めの昼食にしようかという提案を受け、頷いた。どこへ行くのかは知らないが、お腹が減っているのは事実だ。でも、できれば人があまり多くない場所がいいな、と思いつつ男に連れて来られたのは、これまた高級料亭だった。確かに人は多くない。しかし、これはこれでとても居心地が悪い。
最早値段を見るのも恐れ多くて、結局食事の間中視線を落としっぱなしだった少年だが、それでも男が頼んでくれた料理はどれも美味しかった。正直、緊張しすぎてあまり味を覚えていないが。
「次は、そうだな。少し買い物に付き合ってはくれんか?」
「買い物、ですか?」
「この後行く場所のことを考えると、買っておいた方が良いものがあるのだ」
「はあ。構いませんが」
一体どこに行く気なんだこいつは、と思いつつそう返せば、ありがとう、と微笑まれた。
そのまま男に連れられ、やってきたのは案の定貴族向けの服飾店だった。例によって例のごとく一度追い出されそうになったが、男の出した紙切れ一枚で店員の態度が一変する。段々それにも慣れてきた少年が、一体何を買いたいのだろうかと静かに店内を眺めていたところ、店員と何かを話している男の口からいきなり自分の名が出てきて、驚いて男の方を振り返った。
「キョウヤに似合う服や靴を一式頼む。上等なものを用意してやってくれ」
「え、あ、あの、」
「ああ、私からのプレゼントだ。デートにプレゼントは付き物だろう? 本当はテディベアが良いのだろうが、それはまた次の機会にしよう」
色々とツッコミどころは満載だったというのに、何故か少年の口から出た言葉は、
「……なんで、テディベア……?」
混乱しすぎて最もどうでも良い部分に言及してしまったが、混乱していたのだから仕方がない。
「うん? 贈り物と言えばテディベアなのだろう? 大きければ大きいほど喜ばれるそうだな」
「……はあ」
思えばここで明確に否定しなかったことが、未来永劫ちょっと困った事態を引き起こす結果になるのだが、それはもっと後の話である。
「では、キョウヤを頼んだぞ」
「あ、いや、だから、あの、」
プレゼントなんて貰う訳には、という言葉を告げる前に、にっこり微笑んだ男は店を出て行ってしまった。そして、その背を追うべきかどうか迷う暇もなく、店員によって店の奥へと案内されてしまう。他人の前で肌を見せるなんて死ぬほど嫌だと身構えた少年だったが、案内された場所は個室だった。個室と言っても高そうなテーブルやらソファやらが置かれていて、どちらかというと接客室のようにも見えるが、入口に更衣室と書いてあったからそういうことなのだろう。つまり、店員が持ってくる服をここで着ればいいらしい。それすらもあまり好ましいことではなかったが、今更どうこうする訳にもいかず、少年は指示されるままに高そうな服を着たり脱いだりする羽目になったのだった。
結局着せ替え人形のような扱いが終わりを告げたのは、五度目の衣装を着終わったときで、少年はその頃にはもうすっかり疲弊していた。こんな高そうな服を着ていて、居心地が良いわけがない。分不相応ここに極まれり、だ。そんな内心を察することもない、よくお似合いですよ、という社交辞令を聞き流していると、ノックの音がして例の男が入ってきた。
「お帰りなさいませ、お客様。ちょうどお連れ様のお召し物が決まったところでございます」
「ああ、ありがとう。……とても似合っているよ、キョウヤ」
柔く微笑んできた男だったが、少年はその格好に少しだけ驚いてしまった。
それこそ、時々街で見かけることがある、とても高貴な方と同じような服装だ。勿論、多分今の自分もそういう格好をしているのだろうが、先ほど自分を鏡で見たときとは全然違う。鏡に映った自分はどこからどう見ても服に着られているようにしか見えなかったが、この人は違う。これだけの衣装を、見事に着こなしてしまっているのだ。そして驚いたことに、普段の傭兵の格好よりも、この服装の方がずっと似合っている。容姿があやふやだというのにそう感じさせるのは、やはり男が醸し出している雰囲気が原因なのだろうか。
「……あの、その服……」
「うん? ああ、これか。私の物ではないぞ。少し離れたところに衣装貸屋があってな。そこで借りてきた。このような衣装を持っていても使わぬから邪魔になるだけなのだが、だからと言っていつもの格好で行くわけにもいかない。という訳で、貸衣装が丁度良かったのだ」
「ああ、なるほど」
つまり、自分のこれも借り物ということなのだろう。それだって相当なお金がかかると思うけれど。と思ったところで、男が少しおかしそうに笑った。
「プレゼントだと言っただろう。お前のそれは私が買い取るよ」
「え、あの、そこまでしてもらう理由が、」
「愛する相手に贈り物がしたいというこの気持ち、どうか無下にしてくれるな」
訳の判らないことをほざく男に手を取られて、指先にキスをされる。
(ひえっ)
ぞわっと悪寒が走って、少年は反射的に手をぱっと引いてしまった。慌てて薄ら笑いを浮かべて誤魔化しておくが、今すぐにでも手を洗いたい気分だ。気持ち悪い。
「ははは、キョウヤは初心だな。だがそういうところも愛らしい」
「あ、あはは、そうですか」
適当に返せば、傍に居た店員までお二人は仲良しですわね、などと言い出して、少年は頭が痛くなってきた。
「ああ、そうだ。お前の着替えが終わるまでに時間があったから、ついでに近くの店を見ていたのだが、こんなものを見つけてな」
そう言って男が部屋の外に声を掛けると、銀色のトレーを持った店員が新しく入ってきた。そのまま店員は、少年に向かってトレーを差し出す。
何事かと思ってトレーを見ると、そこには見事な意匠で飾られた眼帯が数個並んでいた。小粒の宝石が埋め込まれたものや、とても薄いレースが編み込まれたものなど、様々である。どれもこれも美しいものばかりだったが、少年が一際惹かれたのは、並ぶ眼帯の中ではとても控えめな、黒い革細工の眼帯だった。漆黒よりも幾分か柔らかな黒の表面には、黄色味がかった灰色の糸で蝶の刺繍が施されている。分野は違うものの、同じ職人として判る。これは、ひと針ひと針丁寧に糸を刺して作られたものだ。大きめの刺繍がひとつだけ、という眼帯のデザイン自体はとてもシンプルであったが、施されている刺繍はそんな言葉では片づけられないほどの芸術性を感じさせてくれた。
「……綺麗」
だから、不意にその言葉がついて出てしまった。真珠色の染料を見たときのような蕩ける感情ではなく、これは一人の職人として抱いた、純粋な尊敬の念だ。これほどのものを縫い付けるためには、どれだけの研鑽を積まねばならないのだろうか。
まじまじと眼帯を見て呟いた少年に、男が笑みを深くして、蝶の眼帯を手に取る。
「それでは、これを買い取らせて貰おう。すまないが、これで支払いを頼む。それから、残りの商品は返しておいてくれ」
余った金は好きに使ってくれて構わないから、と金の入った布袋を店員の手に持たせた男に、少年が慌てて声を掛ける。
「あ、あの、」
「これが一番の気に入りなのだろう?」
「え、は、はあ」
「ではこれもプレゼントだ」
にこり。
微笑まれ、少年はますます困惑してしまう。
高い食事を与えられて、服を買われて、そして眼帯までも贈られてしまう。本当に、この男は一体何がしたいのだろう。
「あの、ですから、こんなに色々と頂いてしまう訳にはいかないです。そもそも、僕は先日頂いた染料のお礼にご一緒している訳ですし、だというのに更に何かを貰うというのはおかしいのではないかと」
「私がそれで喜ぶのだ。この上ない礼ではないか」
「……はあ」
絶対に間違っている気がするが、多分これは問答をしたところで暖簾に腕押しなパターンだ。そう判断し、少年はそれ以上このことについて余計なことは言うまいと決めた。なんだか貢がせているような罪悪感は燻るが、それを言ったところで、私が喜ぶから、のひとことで済まされてしまうだろう。
内心でため息をついた少年であったが、一方の男は相変わらずにこにこした表情で、折角だからその眼帯もつけてくれとせがんで来る。外で眼帯を外すのは着替え以上に嫌だったが、半ば無理矢理とはいえ買って貰った義理があるし、一応ここは個室で、眼帯を外している間に自分を見る者もいない。結局、少年は渋々ながら頷いてしまった。
嬉々とした表情で店員を連れて部屋の外へ出て行った男の背中が扉の向こうへ消えたのを確認してから、改めて渡された眼帯を見る。艶消しがされている、とても上質な革だ。刺繍に使われている糸もきっと高価なものなのだろう。裏面は裏面で、今まで触ったことのない優しい手触りと極上の柔らかさを持つ布があてられていた。
自分の右目を覆うボロ切れのような眼帯をそっと取って、すぐに蝶の眼帯を当ててみる。ああ、思った通り。瞼に触れる布の感触は優しく、それでいてしっかりと目を包み、安心感を与えてくれる。今まで少年が使っていた物では決して得られない感覚だ。高価な品というのは、これほどまでに良い物なのか。
ベルトの部分だって、今までの安布でできたものと違ってしっかりしており、硬めの金具も相まってか、何かあったときに外れてしまうかもしれないという不安をほとんど感じないで済むほどだった。
刺繍を指で辿りながら、安堵しきった息を吐くと、扉を叩く音がした。聞こえた声掛けに、男が入室の許可を取っているのだと悟る。
「どうぞ」
応えた声が普段よりも少しだけ柔らかくなったのは、今までにない安心感をもたらしてくれた男に対する感謝だったのかもしれない。きっと、少年にその自覚はなかったけれど。
今日は店はお休みだ。そして、男との約束の日でもある。よって、今扉を叩いたのは間違いなくあの、ロストとかいう男だろう。
もう一度だけ溜息を吐き出した少年は、顔に笑みを貼り付けて扉を開けた。
「おはようございます。お早いですね」
「ああ、早くお前に会いたくてな」
「そうですか」
訳の判らない戯言は流しておくことにする。
しかし、朝から出かけるとは、一体どこに行く気なのだろう。余り遠いところは困ると言ったはずだが。
「それでは行こうか」
「あ、あの、行くって、どこへ行くんでしょうか」
「それを言ってしまってはサプライズ性が薄れてしまうではないか。なに、お前が嫌がるような場所には連れて行かんよ。安心してくれ」
別にサプライズ性なんて求めていないし、もっと言うと、出かける先が不明なまま連れ回されるのは心許なくてあまり好ましくなかったのだが、これは貰った染料へのお礼だ。可能な限り相手の機嫌を損ねないように振舞うべきだろう。
そう思って大人しく従った少年が連れてこられたのは、少年の店よりずっと都市の中心に近い場所にある、錬金術系統の店が多く立ち並んだ商店街だった。そういえば、この通りにある店の品物はどれも精巧な造りのものばかりで、少年はその美しい造形にちょっと心惹かれたりもしていたのだった。ただ、錬金術による生産品は魔術機構を持っているものばかりで、製作が非常に難しいため、高価な品が多い。そのため、店の方もそれに見合った高級な外装や内装をしている場合がほとんどだ。男に連れて来られたこの通りは特に、ギルガルド内でも貴族御用達と言われるような店が多く並ぶ場所で、とてもではないが少年が立ち入れるような雰囲気ではなかった。故に、一度店の中を見てみたいと思いつつも、みすぼらしい自分では足を踏み入れようという考えすら浮かばなかったのだ。
魔術にも錬金術にも詳しくない少年は、これ以上のことなど知る由もないが、錬金術とは、物と魔術を繋ぐ要となる技法である。現象を引き起こす魔術式を核とし、その式を形ある物に繋ぎとめる。その後様々な技術を駆使して、魔術師の手を離れた後も作動する品物を作るわけだが、魔術師の中でもこの段階、すなわち錬金魔術師にまで至れる者は決して多くない。更にここギルガルド王国以外の国では、魔法適正者が多いため魔術と錬金術があまり栄えていないことも相まって、錬金術商品は非常に高価なのである。
つまり、この商店街の店々は、広大なリアンジュナイル大陸でも数少ない錬金魔術師によって作られた品物を並べているのだ。
しかし、それを知っているのか知らないのかは判らないが、半歩前を歩く男に躊躇う様子はなく、少年は困惑してしまった。改めて見た男は、そりゃ体格や纏う風格のようなものはなんだかとてもすごそうに思えるけれども、服装は平民層の傭兵のもので、とてもではないが高級店に入るのに向いている格好だとは思えない。これではつまみ出されてしまうのがオチではないだろうか。
少年の心配はやはり的中したようで、取りあえず適当に眺めてみようかと言った男が立ち並ぶ店の一軒に入ったところで、警備員らしき男たち三人に囲まれてしまった。一緒にいる彼ほどではないが背が高く体格も良い大人に囲まれて、少年は思わず首を竦める。威圧感のある大人は苦手なのだ。
「お客様、何の御用でしょうか」
「お客様に対する態度ではないな。この子が怯える。やめてもらおうか」
少年を守るように背に隠した男が言うが、警備員たちは飽くまでも場違いな平民層を追い出す姿勢をやめようとはしなかった。
だが、こういう対応になるのも仕方がない。高級店というのは、商品の良し悪しは勿論のこと、貴族への商売である以上信頼で成り立っているところがある。そんな店にとって、窃盗や強盗は金銭以上の損失をもたらすことになるのだ。故に、店にふさわしくないだろう客を入口の時点で追い返すのは重要かつ妥当な判断である。
「悪いが、私とこの子はれっきとした客だ」
そう言って男が懐から出した紙を警備員たちに見せると、途端に警備員の顔色が青ざめる。
「た、大変失礼致しました。ロンター公縁のお方でしたか」
言葉と共に深々と下げられた頭に、少年は何が起こったのか全く理解ができなかった。
(ロンター公って誰だろう)
まあどこかの貴族か何かなのだろう。そして、この男はその貴族の知り合いか何かなのだろう。なるほど、それならまあ。滲み出る気品のようなものの理由にもなるし、納得がいく。貴族の知り合いがどうして傭兵をしているのかまでは判らないけれど。
困惑するも、男に促されて商品に目をやれば、美しい細工にため息が出てしまう。ゆっくり見れば良い、という男の言葉に甘えてひとつひとつを丁寧に見ていると、店員らしき女性から触っても構わないと言われ、びっくりして少し肩が跳ねてしまった。勿論、こんなに綺麗で高価な物に触れるなんて恐れ多いと固辞したが。
男は男で、こういう類の物はすぐ壊してしまうからと遠慮をしていたのだが、品物に夢中の少年の耳には入っていないようだった。
その後も商店街内の色々な店を見て回ったが、追い出されかけたのは最初の一軒のときだけだった。恐らく、ロンター公とやらの関係者が来ているという話が伝わったのだろう。どこに入ってもやたらと歓迎されてしまって、少年にとっては、それはそれで肩身が狭い思いだった。しかし並ぶ商品たちは、その肩身の狭さを忘れさせてしまうほどに美しく、結局二人はすべての店に足を運んでしまい、最後の店を出るころにはすっかり昼を回ってしまっていた。
それに気づいた途端、少年のお腹が控え目に鳴る。その小さな音が聞こえてしまったらしく、少し笑った男から遅めの昼食にしようかという提案を受け、頷いた。どこへ行くのかは知らないが、お腹が減っているのは事実だ。でも、できれば人があまり多くない場所がいいな、と思いつつ男に連れて来られたのは、これまた高級料亭だった。確かに人は多くない。しかし、これはこれでとても居心地が悪い。
最早値段を見るのも恐れ多くて、結局食事の間中視線を落としっぱなしだった少年だが、それでも男が頼んでくれた料理はどれも美味しかった。正直、緊張しすぎてあまり味を覚えていないが。
「次は、そうだな。少し買い物に付き合ってはくれんか?」
「買い物、ですか?」
「この後行く場所のことを考えると、買っておいた方が良いものがあるのだ」
「はあ。構いませんが」
一体どこに行く気なんだこいつは、と思いつつそう返せば、ありがとう、と微笑まれた。
そのまま男に連れられ、やってきたのは案の定貴族向けの服飾店だった。例によって例のごとく一度追い出されそうになったが、男の出した紙切れ一枚で店員の態度が一変する。段々それにも慣れてきた少年が、一体何を買いたいのだろうかと静かに店内を眺めていたところ、店員と何かを話している男の口からいきなり自分の名が出てきて、驚いて男の方を振り返った。
「キョウヤに似合う服や靴を一式頼む。上等なものを用意してやってくれ」
「え、あ、あの、」
「ああ、私からのプレゼントだ。デートにプレゼントは付き物だろう? 本当はテディベアが良いのだろうが、それはまた次の機会にしよう」
色々とツッコミどころは満載だったというのに、何故か少年の口から出た言葉は、
「……なんで、テディベア……?」
混乱しすぎて最もどうでも良い部分に言及してしまったが、混乱していたのだから仕方がない。
「うん? 贈り物と言えばテディベアなのだろう? 大きければ大きいほど喜ばれるそうだな」
「……はあ」
思えばここで明確に否定しなかったことが、未来永劫ちょっと困った事態を引き起こす結果になるのだが、それはもっと後の話である。
「では、キョウヤを頼んだぞ」
「あ、いや、だから、あの、」
プレゼントなんて貰う訳には、という言葉を告げる前に、にっこり微笑んだ男は店を出て行ってしまった。そして、その背を追うべきかどうか迷う暇もなく、店員によって店の奥へと案内されてしまう。他人の前で肌を見せるなんて死ぬほど嫌だと身構えた少年だったが、案内された場所は個室だった。個室と言っても高そうなテーブルやらソファやらが置かれていて、どちらかというと接客室のようにも見えるが、入口に更衣室と書いてあったからそういうことなのだろう。つまり、店員が持ってくる服をここで着ればいいらしい。それすらもあまり好ましいことではなかったが、今更どうこうする訳にもいかず、少年は指示されるままに高そうな服を着たり脱いだりする羽目になったのだった。
結局着せ替え人形のような扱いが終わりを告げたのは、五度目の衣装を着終わったときで、少年はその頃にはもうすっかり疲弊していた。こんな高そうな服を着ていて、居心地が良いわけがない。分不相応ここに極まれり、だ。そんな内心を察することもない、よくお似合いですよ、という社交辞令を聞き流していると、ノックの音がして例の男が入ってきた。
「お帰りなさいませ、お客様。ちょうどお連れ様のお召し物が決まったところでございます」
「ああ、ありがとう。……とても似合っているよ、キョウヤ」
柔く微笑んできた男だったが、少年はその格好に少しだけ驚いてしまった。
それこそ、時々街で見かけることがある、とても高貴な方と同じような服装だ。勿論、多分今の自分もそういう格好をしているのだろうが、先ほど自分を鏡で見たときとは全然違う。鏡に映った自分はどこからどう見ても服に着られているようにしか見えなかったが、この人は違う。これだけの衣装を、見事に着こなしてしまっているのだ。そして驚いたことに、普段の傭兵の格好よりも、この服装の方がずっと似合っている。容姿があやふやだというのにそう感じさせるのは、やはり男が醸し出している雰囲気が原因なのだろうか。
「……あの、その服……」
「うん? ああ、これか。私の物ではないぞ。少し離れたところに衣装貸屋があってな。そこで借りてきた。このような衣装を持っていても使わぬから邪魔になるだけなのだが、だからと言っていつもの格好で行くわけにもいかない。という訳で、貸衣装が丁度良かったのだ」
「ああ、なるほど」
つまり、自分のこれも借り物ということなのだろう。それだって相当なお金がかかると思うけれど。と思ったところで、男が少しおかしそうに笑った。
「プレゼントだと言っただろう。お前のそれは私が買い取るよ」
「え、あの、そこまでしてもらう理由が、」
「愛する相手に贈り物がしたいというこの気持ち、どうか無下にしてくれるな」
訳の判らないことをほざく男に手を取られて、指先にキスをされる。
(ひえっ)
ぞわっと悪寒が走って、少年は反射的に手をぱっと引いてしまった。慌てて薄ら笑いを浮かべて誤魔化しておくが、今すぐにでも手を洗いたい気分だ。気持ち悪い。
「ははは、キョウヤは初心だな。だがそういうところも愛らしい」
「あ、あはは、そうですか」
適当に返せば、傍に居た店員までお二人は仲良しですわね、などと言い出して、少年は頭が痛くなってきた。
「ああ、そうだ。お前の着替えが終わるまでに時間があったから、ついでに近くの店を見ていたのだが、こんなものを見つけてな」
そう言って男が部屋の外に声を掛けると、銀色のトレーを持った店員が新しく入ってきた。そのまま店員は、少年に向かってトレーを差し出す。
何事かと思ってトレーを見ると、そこには見事な意匠で飾られた眼帯が数個並んでいた。小粒の宝石が埋め込まれたものや、とても薄いレースが編み込まれたものなど、様々である。どれもこれも美しいものばかりだったが、少年が一際惹かれたのは、並ぶ眼帯の中ではとても控えめな、黒い革細工の眼帯だった。漆黒よりも幾分か柔らかな黒の表面には、黄色味がかった灰色の糸で蝶の刺繍が施されている。分野は違うものの、同じ職人として判る。これは、ひと針ひと針丁寧に糸を刺して作られたものだ。大きめの刺繍がひとつだけ、という眼帯のデザイン自体はとてもシンプルであったが、施されている刺繍はそんな言葉では片づけられないほどの芸術性を感じさせてくれた。
「……綺麗」
だから、不意にその言葉がついて出てしまった。真珠色の染料を見たときのような蕩ける感情ではなく、これは一人の職人として抱いた、純粋な尊敬の念だ。これほどのものを縫い付けるためには、どれだけの研鑽を積まねばならないのだろうか。
まじまじと眼帯を見て呟いた少年に、男が笑みを深くして、蝶の眼帯を手に取る。
「それでは、これを買い取らせて貰おう。すまないが、これで支払いを頼む。それから、残りの商品は返しておいてくれ」
余った金は好きに使ってくれて構わないから、と金の入った布袋を店員の手に持たせた男に、少年が慌てて声を掛ける。
「あ、あの、」
「これが一番の気に入りなのだろう?」
「え、は、はあ」
「ではこれもプレゼントだ」
にこり。
微笑まれ、少年はますます困惑してしまう。
高い食事を与えられて、服を買われて、そして眼帯までも贈られてしまう。本当に、この男は一体何がしたいのだろう。
「あの、ですから、こんなに色々と頂いてしまう訳にはいかないです。そもそも、僕は先日頂いた染料のお礼にご一緒している訳ですし、だというのに更に何かを貰うというのはおかしいのではないかと」
「私がそれで喜ぶのだ。この上ない礼ではないか」
「……はあ」
絶対に間違っている気がするが、多分これは問答をしたところで暖簾に腕押しなパターンだ。そう判断し、少年はそれ以上このことについて余計なことは言うまいと決めた。なんだか貢がせているような罪悪感は燻るが、それを言ったところで、私が喜ぶから、のひとことで済まされてしまうだろう。
内心でため息をついた少年であったが、一方の男は相変わらずにこにこした表情で、折角だからその眼帯もつけてくれとせがんで来る。外で眼帯を外すのは着替え以上に嫌だったが、半ば無理矢理とはいえ買って貰った義理があるし、一応ここは個室で、眼帯を外している間に自分を見る者もいない。結局、少年は渋々ながら頷いてしまった。
嬉々とした表情で店員を連れて部屋の外へ出て行った男の背中が扉の向こうへ消えたのを確認してから、改めて渡された眼帯を見る。艶消しがされている、とても上質な革だ。刺繍に使われている糸もきっと高価なものなのだろう。裏面は裏面で、今まで触ったことのない優しい手触りと極上の柔らかさを持つ布があてられていた。
自分の右目を覆うボロ切れのような眼帯をそっと取って、すぐに蝶の眼帯を当ててみる。ああ、思った通り。瞼に触れる布の感触は優しく、それでいてしっかりと目を包み、安心感を与えてくれる。今まで少年が使っていた物では決して得られない感覚だ。高価な品というのは、これほどまでに良い物なのか。
ベルトの部分だって、今までの安布でできたものと違ってしっかりしており、硬めの金具も相まってか、何かあったときに外れてしまうかもしれないという不安をほとんど感じないで済むほどだった。
刺繍を指で辿りながら、安堵しきった息を吐くと、扉を叩く音がした。聞こえた声掛けに、男が入室の許可を取っているのだと悟る。
「どうぞ」
応えた声が普段よりも少しだけ柔らかくなったのは、今までにない安心感をもたらしてくれた男に対する感謝だったのかもしれない。きっと、少年にその自覚はなかったけれど。
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ユウキにオヨメサンにしてもらいたい
同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます
はじまりの恋
葉月めいこ
BL
生徒×教師/僕らの出逢いはきっと必然だった。
あの日くれた好きという言葉
それがすべてのはじまりだった
好きになるのに理由も時間もいらない
僕たちのはじまりとそれから
高校教師の西岡佐樹は
生徒の藤堂優哉に告白をされる。
突然のことに驚き戸惑う佐樹だが
藤堂の真っ直ぐな想いに
少しずつ心を動かされていく。
どうしてこんなに
彼のことが気になるのだろう。
いままでになかった想いが胸に広がる。
これは二人の出会いと日常
それからを描く純愛ストーリー
優しさばかりではない、切なく苦しい困難がたくさん待ち受けています。
二人は二人の選んだ道を信じて前に進んでいく。
※作中にて視点変更されるシーンが多々あります。
※素敵な表紙、挿絵イラストは朔羽ゆきさんに描いていただきました。
※挿絵「想い03」「邂逅10」「邂逅12」「夏日13」「夏日48」「別離01」「別離34」「始まり06」
異世界転移で、俺と僕とのほっこり溺愛スローライフ~間に挟まる・もふもふ神の言うこと聞いて珍道中~
戸森鈴子 tomori rinco
BL
主人公のアユムは料理や家事が好きな、地味な平凡男子だ。
そんな彼が突然、半年前に異世界に転移した。
そこで出逢った美青年エイシオに助けられ、同居生活をしている。
あまりにモテすぎ、トラブルばかりで、人間不信になっていたエイシオ。
自分に自信が全く無くて、自己肯定感の低いアユム。
エイシオは優しいアユムの料理や家事に癒やされ、アユムもエイシオの包容力で癒やされる。
お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!?
無自覚両片思いのほっこりBL。
前半~当て馬女の出現
後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話
予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。
サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。
アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。
完結保証!
このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。
※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。
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