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最終章 伝説の最果てで蝶が舞う

開戦 2

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 進軍からほどなくして見えて来た景色に、兵たちは表情を険しくした。黄の王より伝達はあったが、眼前に広がる敵兵の圧倒的な数が、この後に起こる戦の苛烈さを物語っているのだ。
 だが、その多勢を見て怯む者は誰もいない。それは自身の実力や誇りから来るものでもあり、円卓を統べる王たちへの絶対的な信頼から来るものでもあった。
 第二大隊の統括を任せられているグランデル王立中央騎士団の団長、ガルドゥニクスは、駆ける騎獣の脚を止めることなく、すぐ後ろに控える副団長のミハルトに向かって口を開いた。
「俺たちの担当する第二右翼に、ここからでも判るほど大型の魔物が複数体いるが、お前の目から見てどうだ?」
 ガルドゥニクスよりもミハルトの方が、敵の力量を含む索敵能力が高いが故の問いである。それを承知しているミハルトは、風霊による簡易的な探知魔法を使用した上で声を発した。
「向かって最も左に位置する大型の魔物は、比較的強力だと思われます。が、他は見た目だけですね。それよりも、中央の大型に隠れるようにして位置する小型の魔物が厄介かと」
「強いのか?」
 ガルドゥニクスの問いに、ミハルトが笑う。
「非常に強いですとも。恐らくですが、我々の戦闘範囲の中では、一、二を争う程に。……ですが、貴方が負ける相手ではありません」
 自信たっぷりに言い放った部下に、ガルドゥニクスは困ったように苦笑した。
「あまり買い被られてもなぁ」
「何を仰いますか。大隊長たるもの、もっと判りやすく傲慢なほどに自信を表に出してください。その方が隊の士気も上がるというものです。それに、貴方の背中を護るのはこの私なのですから、万に一つも有り得ないでしょう?」
 やはり言い切ったミハルトに、もう一度だけ苦笑したガルドゥニクスが、それでもしっかりと頷く。
「よし! 中央一帯は俺とミハルトを含む第一小隊が引き受けた! 第二小隊は左の大型の魔物を中心に展開しろ! 第三小隊は反対に、最も右に回って広範囲のカバーを頼む!」
 ガルドゥニクスが叫んだ指示を、小隊の伝令役が雷光鳥ユピを通して伝達する。
 第二大隊同様に全ての部隊が各々の方針を定め終え、各地の敵勢力との衝突まであと少しというところで、しかし突如として異変が起きた。
 隊を率いる大隊長の後方で、怒号と共に複数の魔法の発動があったのである。その異変に真っ先に反応したのは、全軍の指揮を担っている黄の王であった。
「全軍止まれ! 今のは何ごとだ!?」
 騎獣の脚を止めて叫んだ黄の王が、騒ぎのあった後方を振り返る。見る限りでは、魔法の暴発らしき何かがあったのは、援護の要となる救護部隊を配備している位置だ。
 黄の王の問いに、素早く後方と連絡を取った伝令役が叫ぶ。
「救護部隊の護衛に回っていた兵たちの一部が、救護部隊に魔法攻撃を行っているそうです! また、他の場所でも様子がおかしくなった兵が複数見られているとの情報が!」
「救護部隊への被害状況は!?」
「紫の兵の結界魔法により、ひとまず救護部隊は無事とのことです!」
 その報告に頷きを返した黄の王が、僅かだが顔を顰めた。
 いよいよ接敵するこのタイミングで、この騒ぎである。まず間違いなく帝国の仕業だ。定石であれば、ここで一度停止し、混乱を落ち着けてから進軍すべきだが、状況次第ではそれは無駄な時間や魔力を消耗する悪手にもなり得る。
(……軍の鎮圧に割く時間と魔力が勿体ない。ここは切り捨てて突き進むべきだ)
 数瞬の間で非情にも判断を下した黄の王が、それを伝えようと口を開く。だが、その口を塞ぐものがあった。
 薄紅の王の扇子である。
 僅かに目を見開いた黄の王には目もくれず、薄紅の王は形の良い眉を顰めて短く叫んだ。
「“真実の幻フェ・スペグロ”」
 その瞬間、広がりつつあった兵たちの騒ぎが、荒れ波が凪ぐように一気に収束した。収束と共に、乱れていた隊列が徐々にだが整い始めるのを確認した黄の王が、薄紅の王を見てぱちぱちと瞬きをする。
 そんな視線にも目をくれない彼女は、その長い艶やかな髪を片手でさらりと払った。
「妾に喧嘩を売るなんて、百万年早いわぁ」
 普段よりも遥かに棘を感じさせるその声に、黄の王は再度後方を確認してから、薄紅の王に視線を戻した。
「……幻惑系統の魔導、っすか?」
「ええ、そうね。それも、それなりに高等なものなんじゃないのかしら。尤も、妾の足元にも及ばないけれど」
「……ランファ殿が解呪してくれたんすね?」
「解呪とは少し違うわぁ。解呪だと今回の分を対処するだけで終わってしまうもの。再度魔導を発動されたら、その都度対応しなくちゃいけないじゃない。妾、面倒事は嫌いなの」
「ってことは……?」
 黄の王の問いに、薄紅の王はちらりと彼を見て、柔く微笑んだ。
「征伐部隊全軍に真実だけを映す・・・・・・・幻惑魔法を掛けたわ。妾の幻惑魔法の上を行く幻惑魔導なんて存在しないのだから、これでもう安心できるはずよ」
 その返答に、黄の王が思わず目を剥く。
「ちょっ、全軍ってランファ殿それは、」
 薄紅の王が提示した敵兵へ掛けられる幻惑魔法の効果範囲は、一万人だったはずだ。だが、彼女はその幻惑魔法を味方である五万の兵全てに施したという。さすがにそれは無茶のしすぎではないかと思った黄の王に、しかし薄紅の王は疲労の欠片さえ見せず、微笑みを浮かべたままだ。
「言わんとしていることは判るけれど、別に大したことじゃあないわぁ。そうではないものをそうと見せる幻よりも、そうであるものをそうと見せる幻の方が遥かに簡単なの。それに、敵の幻惑魔導がどういう基準でどういう対象に掛けられるのか判らない以上、五万人全てに幻惑魔法を施すのが最良手ではなくて?」
 言われ、黄の王が言葉を飲み込む。僅か一瞬だけ間を開けた彼は、しかしそのまま肩を竦めて見せた。
「さっすがランファ殿。じゃあ、幻惑系統の魔導に関しちゃあガンガン頼らせて貰いますね」
「当然よ。まあその分、幻惑魔法で敵兵を混乱させるという当初の案は却下させて貰うことになるけれど」
「いや、こっちの被害を抑えられるだけで十分すぎるほどです。残りは俺らに任せてくださいって」
「そうねぇ。せいぜい馬車馬の如く働きなさいな」
 その返答を受け、すぐさま薄紅の王の魔法による効果を全軍へと伝達させ出した黄の王が、同時に停止していた軍の移動を再開させる。
 再び動き始めた征伐軍を見て、薄紅の王は隣にいた黒の王の耳をぐいっと引っ張った。
「いたたたた、何?」
 怪訝そうな顔をした黒の王を無視して、薄紅の王が黄の王に向かって声を掛ける。
「それじゃあ、妾はヴェールゴール王と一緒に、適当に敵軍を攪乱させてもらうわぁ。と言っても、ノルマの二十五万をこなせるかどうかはヴェールゴール王次第だけれど」
 そう言って向けられた視線に、黒の王が少しだけむすっとした表情を浮かべる。
「できる範囲でそれなりに頑張るよ」
「それなりじゃあ困るのだわ。今までで一番真面目に働いてちょうだい」
「ええ……まあ……うん……」
 嫌そうに言った黒の王の頭を扇子でぺちりと叩いてから、薄紅の王は再び黄の王に顔を向けた。
「それじゃあ、後は任せたわぁ」
「はいはーい! 若き天才国王のクラリオくんにお任せください!」
 軽い調子をそう言った黄の王に呆れた表情を浮かべつつ、それでも優雅に頷きを返した薄紅の王が、騎獣を駆って前線中央から離脱する。
 今後の細かい動きは黄の王も知らないが、黒の王と共にうまく身を隠しつつ、相手に悟られることなく徐々に敵勢力を削っていってくれることだろう。
 さて、と内心で呟いた黄の王が、正面に聳える巨大な外壁を睨む。目下の懸念材料は、あの外壁だ。
(壁自体から攻撃性の生体反応が見られる、なんてのは聞いたこともねーな。……あれ、本当に壁なのか? もしくは、壁の内部に魔物でも埋め込んであるとか? ……突飛な考えだが、有り得ない話じゃあねーなぁ。少なくとも、それをできるだけの準備期間はあっただろうし……。……ま、なんにせよ、接近して確かめるしかねーか)
 思考した黄の王が、すぐさま伝令役に指示を出す。
「全部隊の前衛に紫の兵を持ってこさせろ。そんでもって、紫全員に一番強い結界魔法を発動できるように準備するよう伝えてくれ。俺の予想の中で最悪のケースの場合、目の前にうじゃうじゃいる敵兵やら魔物やらよりも、あの壁から来るかもしれねぇ攻撃の方が面倒そうだ」
「はっ!」
「予想通り壁から何がしかの攻撃が来た場合、そのままゴリ押せそうなら突き進んで良いけど、無理そうなら全軍すぐさま後方へ撤退しろ。撤退後、壁を相手取って問題なく戦える態勢が整った隊から再進軍だ。場合によっちゃあ、腕っぷしに自信がある奴だけ突っ込ませても良いぞ。その辺りは各部隊の大隊長や小隊長の判断に任せる。最悪死ななきゃ白が回復魔法でどうにかしてくれるだろうから、まずは死なないように無理だけはするなっつっとけ。……まあ、これ最悪のケースだから、こうならない可能性もあるんだけどな」
「しかと伝えます」
「あ、女の子の兵にはもっと優しく言えよ! 怪我したら俺が泣いちゃうからなって!」
 付け加えた黄の王に、伝令役が一層姿勢を正して口を開く。
「戦場において無駄な情報を共有する余裕はありませんので、却下させて頂きます」
「なんだと!? お前所属どこだ!? って青かよ! これだから北方国は!」
 叫んだ黄の王を、伝令役が若干蔑みが籠っているようにも感じられる目で見る。だが黄の王に対して何がしかの発言を返すことすら無駄だと判断したのか、彼はすぐに自分に課せられた伝達作業に戻るのだった。



 騎獣を駆って進む薄紅の王を斜め後ろから見ていた黒の王は、十二分に征伐軍から離れたあたりで、彼女に向かって口を開いた。
「ねえ」
 聞こえているであろうその声に、しかし薄紅の王は何の反応も示さない。だが、それを気にした様子もなく黒の王は言葉を続けた。
「魔法の多重使用ってかなりの負担でしょ? あんたが今使ってる魔法って結構高等なのもあると思うんだけど、本当に大丈夫なの?」
 黒の王の問いに、やはり薄紅の王は反応せず、振り返ることすらしない。
「限界近そうなら、これから俺に掛ける分をなしにして、俺は俺だけでなんとかしても、」
「お黙り」
 黒の王の言葉を遮って、薄紅の王がぴしゃりと言い放つ。そこでようやく黒の王の方を少しだけ振り返った彼女は、やや怒ったような表情を浮かべていた。
「良いこと? 国王である以上、限界なんてものは存在しないのよ。それに、妾ができると言ったのだから、できるに決まっているでしょう? 国王にできないことなどないの。もし仮に普通なら無理だと言うのなら、それこそ命でも何でも削り切れば良いのだわ。ヴェールゴール王だって曲がりなりにも一応王なのだから、それくらい判っているのではなくて?」
 少しだけキツい口調で言われた黒の王は、ぱちぱちと瞬きをしたあと、こくりと頷いた。
「うん、今のは俺が悪い。ごめん」
「判ったのなら良いのよ」
 ふん、と鼻を鳴らして前を向いた薄紅の王に、黒の王がほんの少しだけ笑みを浮かべる。
「俺、割とあんたのこと好きかもしれない」
 そう言った瞬間、その頭にすかさず扇が振り下ろされた。
「らしくないことを言わないで頂戴。迷惑だわ」
「あー、うん、ごめん」
 あまり反省の見られない声で謝った黒の王が、少し前を進む薄紅の王を見る。
「面倒だけど、もしもあんたが倒れたら俺がなんとかするよ」
 彼なりに言葉を選んだつもりの発言に、しかし薄紅の王は盛大に顔を顰めて振り返った。
「余計なお世話だわ!」
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