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最終章 伝説の最果てで蝶が舞う

囚われの少年 2

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「…………え……?」
 思わず零した少年の唇を、ウロの指先がなぞる。
「やっぱり知らなかった? そりゃあそうだよねぇ。あの王様、まるで君にぞっこんみたいだもんねぇ。でも、違うよ。彼が一番に愛しているのは君じゃない。彼が一番に愛しているのは、間違いなく彼自身だ」
 少年の唇に触れていた指を離したウロが、ころころと笑う。
「うん、そうなんだよ。ロステアール・クレウ・グランダが何よりも深く愛しているのは、自分自身なんだ。彼が誰よりも守りたいのも、誰よりも大切にしているのも、全部自分自身なんだ。そして性質が悪いことに、本人にはその自覚が全くない。彼自身も、君のことを一番に愛し、一番守りたい大切な存在だと思っている。だからこそ、君も騙されてしまうんだよね」
 ウロの言葉を聞きながら、少年は僅かに戸惑うような怯えるような表情を見せたが、それは一瞬のことだった。すぐに落ち着きを取り戻した少年が、ウロの仮面を見る。
「でも、あの人は僕のこと、好きだって言ってくれました。……あの言葉は、絶対に嘘じゃない」
 揺らぐことのない確信を思わせる声だ。そんな彼に、ウロはやはり楽しそうに笑う。
「君も君で、頑固な子だね。可哀相になってくるほどの防衛本能だけど、今回はそれが功を奏したってやつなんだろうなぁ。……うん。君の言う通り、赤の王様が君のことを愛しているのは事実だよ。そしてそれは、あの王様が他者に向ける感情としては、間違いなく最上のものだ」
 その言葉を受けて、僅かにほっとしたような素振りを見せた少年に、でも、とウロが言葉を続ける。
「でも、それがなんだって言うんだい? 確かに他者に向けられるものとしては最上のものだろうけど、でもそれは、彼が彼自身に向けるそれとは比べ物にもならないほどに陳腐なものさ。思い出してごらんよ。あのとき、僕が君を攫おうとしたとき、あの王様は何をしようとした?」
 言われ、少年は反射的に記憶を漁る。
「……貴方が、現れて、それで、あの人が、一瞬、すごく綺麗に輝いて……」
 その直後、あの王はウロに胸を貫かれたのだ。
 だが、少年がそれを口にする前に、ウロがぱちぱちと拍手をした。
「うんうん、よく覚えてたねぇ。偉い偉い。そう、あの王様は確かにきらきら光ったよね。そして僕がそれを止めた。……じゃあ、僕が止めなかったら、何が起こっていたと思う?」
 そう尋ねてきたウロに、少年は何も返せない。ただ黙った仮面を見返せば、ウロは小さく笑った。
「あのとき王様はね、僕という圧倒的な強者から自分を守るために、己が出せる最高火力を以て僕を迎撃しようとしていたんだ。だから僕が止めなかったら、少なくとも黄色の国は跡形もなく吹っ飛んでいたよ」
 その言葉に、少年が目を見開く。
「信じられない? でもこれは事実だ。だってあの王様にとって一番大切なのは、国でも民でも君でもなく、自分自身なんだから。自分が助かるんだったら、君を含むその他がいくら犠牲になろうと、彼は気にしない。尤も、彼程度に殺されるほど僕は弱くないから、あそこで王様が爆発していたら、国ひとつ以上を巻き込んだ愚かで迷惑な自爆で終わっていたんだけど。なんかさ、本能が生きようともがいた結果死に急ぐことになってるあたり、彼もなかなか難儀な生き物だよねぇ。……でも、これで判ったろ? 王様が一番愛してるのは君じゃない。王様が君に向ける愛なんて、全然大したことない。だって彼は、自分のために平気で君を捨てられるんだから」
 ただ黙って話を聞いていた少年は、ウロの言葉をゆっくりと反芻してから、おずおずと口を開いた。
「…………でも、僕が犠牲になって、あの人が救われるなら、それは多分、良いことだと思います」
 戸惑うような表情のまま発されたその声は、しかし思いの外しっかりとしている。
 期待した反応とは違うそれに、ウロは小さく首を傾げた。
「まだ判りにくかった? うーん、じゃあ、もっと本質的な話をしようか。どうして王様が、君みたいな汚くて鈍くて生きている価値もないような子供を好きになったのか。簡単な話さ。君がその神の目エインストラの目で王様の魂を見て、それを綺麗だと言ったからだ。君の何気ないその一言が、あの生き物にとっては至上の福音だった。だから君のことを好きになった。ようはアレだよ。好きになってくれたから好きになったっていうのと一緒。王様にとって重要なのは君ではなく、君が自分を美しいと思っている事実だけなんだ。だからそうだね、例えば君が王様のことを美しいと思わなくなったら、王様も君を愛しているとは思わなくなるんだよ」
「…………それのどこが、いけないんですか?」
「うーん?」
 話が噛み合わないなぁ、と首を傾げるウロに、少年は言葉を続ける。
「だって、僕があの人のことを綺麗じゃないって思うことなんて、絶対にないです。あの人は、いつだって綺麗だから。それなら、あの人はずっと、僕のことを好きでいてくれるってことですよね?」
 少年の言葉に、ウロは少しだけ呆けたように沈黙した後、はぁと息を吐いた。
「うん、うん、そうなんだよね。それなんだよね。君もそう信じてやまないし、王様もそう。まあ、だからこそ成り立っている関係なんだよね。だって、君が彼を美しいと思わなくなる可能性を認識した瞬間、きっと王様は君のことを殺すだろうから」
「……そう、なんですか」
 あまり衝撃を受けた様子はない少年に、ウロが首を傾げる。
「もっとびっくりすると思ってたんだけど、あんまり驚かないね? 君が王様を美しいと思っている事実を永遠のものにするためなら、君が王様を美しいと思わなくなる前に、王様は迷わず君を殺すよ、っていう話をしてるんだけど、理解できてる?」
「え、……いえ、あの、……死ぬのは嫌ですけど、あんなに綺麗なあの人が綺麗じゃなくなるって、想像できないので、……だったら、僕が殺されることもないと思います」
 心の底から不思議そうにそう言った少年に、ウロは少しの間押し黙った後、今度こそ盛大な溜息を吐き出した。
「あーうん。知ってた知ってた。あの王様があの王様なら、君も君だったね。君たちは本当によく似ているよ。だからこそ、本当は噛み合うはずもないのに噛み合ってしまっている。愛してくれるから愛しているのは、何も王様だけじゃないものね。……君たち二人とも、結局のところ自分のことが一番好きなんだ」
 そう言ったウロが、ベッドから立ち上がる。そのまま少年に背を向けようとしたウロは、しかし思い出したように再び少年に目を向けた。
「あ、でもさ、君があの王様にとっての一番じゃないのに関してはどうなの? 基本的に、誰だって一番が良いものだと思うんだけど」
「…………例えば、あの人の一番が僕じゃなくて別の人だったら、多分、悲しかったんだと思いますけど……。……あの人の一番が自分で、僕が二番なら、僕にとっては一番と変わりないです」
 少年の回答に、ウロはわざとらしく肩を竦めた。
「僕、自分のことしか考えてない生き物を見るのは結構好きだけど、君たちはちょっと度が過ぎてて胸焼けするな。……まあいいや。君がこういったことでダメージを負わないことは確認できたし、何が有効なのかも察しがついた」
 そこで一度言葉を切ったウロが、少年を見つめる。少年は、仮面に隠されたその顔が、酷く歪んだ笑みを浮かべたような気がした。
「生物の底力を真に発揮させるのは、いつだって痛みと絶望だ。だから楽しみにしてて。君を上手に扱って、必ずドラゴンを転送して見せるから」
 そう言って少年の頬をひと撫でしてから、ウロは部屋を出て行った。残された少年は、未だ残るウロの感触に、思わず吐きそうになる。
 元々、得体が知れなくて、常に喉元に手を掛けられているような錯覚を覚える相手だったが、最後のあれは、これまでとは比べ物にならないほどの何かを少年に思わせた。
 悪意にだけは聡い少年には、あれが殺意でも嫌悪でも侮蔑でもないことが、よく判る。だからこそ、この上なく怖いのだ。
 あれはきっと、悪性の類のものではない。そう、悪意ではないのだ。一切の悪意なく、しかし少年が吐き気を催すほどの害の塊のような何かが向けられた。その事実が、恐ろしくて仕方がなかった。
 かたかたと震え出した少年の指先が、シーツを掻く。今自分の身に降りかかったことも、これから起こるのであろうことも、とてもではないが一人で抱えきれるとは思えなかった。
 だからだろう。だからこそ、少年はそれを思い出した。
「……そ、そうだ、ティアくん……」
 あのトカゲは、ずっと少年のストールの中に入っていたのだ。それなら、一緒に連れてこられている可能性がある。普段感じる僅かな重みがないので、ストールの中にはいないようだが、それでもトカゲはどこかにいる筈だ。
(だって、あの人から僕の護衛を命じられたんだから……)
 果たして、少年の考えは正しかった。
 少年が震える声でトカゲの名を呼んだ直後、どこから現れたのか、ベッドの隅からトカゲがひょっこり顔を出した。それを見た瞬間、少年の表情が僅かに緩む。
「ティ、ティアくん!」
 ばっとトカゲの方へ手を伸ばせば、てしてしと歩み寄ってきたトカゲが、すっぽりと掌に収まった。そして、少年を勇気づけるように鼻先を擦り付ける。赤い鱗から感じられる温かな熱に、少年は思わず泣きそうになってしまった。
「良かった、ティアくん。無事だったんだね」
 滑らかな鱗を撫でてそう言えば、トカゲはむんっと胸を張って頷いた。しかしすぐに、しょぼくれたように項垂れてしまう。唐突にしょんぼりしてしまったトカゲを見た少年は慌てたが、ふと思い至った可能性にトカゲの目を見た。
「……もしかして、隠れてたこと、気にしてる?」
 そう言うや否や、トカゲは一層しおしおと項垂れてしまったので、どうやら少年の考えは正しいようだ。
「ふふふ、気にしなくて良いんだよ。隠れててくれたお陰で、こうやってまた会えたんだから。見つかってたらきっと、離れ離れにされちゃってたよ」
 そう言ってトカゲを撫でれば、トカゲは謝るように頭を擦りつけてきた。
「……でも、隠れてたってことはやっぱり、ティアくんでもさっきの人には敵わない……?」
 大体の答えは予想できたが、念のためにそう問うと、トカゲはとんでもないことを言ってくれるなと言わんばかりに、ぶんぶんと首を縦に振った。
「やっぱりそうかぁ。……でも、じゃあ、これからどうしよう……」
 思わず少年が暗い顔ををすると、トカゲはきょとりきょとりと首を傾げたあと、ぺいっとベッドを跳び下りて走り、部屋の扉をぺちぺちと叩いた。そして、胸を張ってぼっぼっと炎を吐き出す。
「………………逃げる?」
 少年の言葉に、トカゲはこくこくと頷いた。
 でも逃げるなんてそんな、と思った少年は、しかし思い出す。この愛らしいトカゲは、その姿に似合わず、物凄く強いのだ。
「…………あの、さっきの仮面の人に見つからなければ、ティアくんなら、大丈夫、かな?」
 ぽつりと言えば、トカゲは一層胸を張って炎を噴き出した。任せろということだろう。
 どうするべきかと短く逡巡した少年は、次いでこくりと頷いた。
「……うん、そうだよね。ここでただぼーっとしてるだけなんて、駄目だよね」
 非力な少年は戦うことこそできないが、逃げるくらいなら努力してみる価値がある。
「手伝ってくれる? ティアくん」
 少年の問いに、トカゲが力強く頷く。そんな小さな彼の姿に勇気づけられて、少年はすぐさま脱出に向けて動き始めた。
(僕を使ってドラゴンを召喚するかもしれないっていうのは、ずっと危惧されてたことなんだから、リアンジュナイルの国々が僕を見捨てる可能性は低い。帝国に軍を向けているんだとしたら、まずはとにかくここを抜け出して、なんとかリアンジュナイルの人たちと合流することができれば)
 見えてきた希望に、少年はひとり頷いた。ここで頑張らなければ、いつ頑張るというのか。
(…………でも、)
 ふと浮かんだそれに、少年はトカゲを見る。
(……あの仮面の人が、隠れてるティアくんに気づかないなんてこと、あるのかな……?)
 そう思った少年だったが、早く行こうとトカゲに急かされ、浮かんだそれはまとまることなく霧散したのだった。
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