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第3.5章 小話3

銀の王と先代黒の王

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何故か知人に頼まれたので書いた先代の黒の王の話。その知人にはとても気に入られました。何故だ。
本編には掠りもしないほど無関係です。



(1)本編から四十年前くらい。銀の王は三十代後半。


 その日の円卓会議の終了が宣言され、諸王が帰路につくために神の塔の出口へと向かう中、即位して間もない銀の王、エルズディ・レード・タリエンデは、怒気も露わに黒の王の元へ歩を進めた。そして、未だに席に座したまま立とうとしない彼の後頭部目掛けて、渾身の拳を振り下ろす。
 が、その拳が黒の王の短い黒髪を掠めようとしたところで、素早く伸びて来た黒の王のがっしりとした右手に止められた。
「物騒な奴だなぁ。いきなり何だってんだよ」
 ふあぁ、と大あくびをしながらそう言った黒の王を見て、銀の王のこめかみに青筋が走る。
「いきなりなものか! 大切な会議だというのに、お主は居眠りばかりしおって! 今日の会議の内容は頭に入ってい、」
「んあ? あれー、もしかしてもう会議終わったのか? なんだよ、じゃあ帰るわ俺」
 銀の王の怒声を無視した黒の王が、椅子から立ち上がって伸びをする。
「話を聞け!」
 先程よりも苛烈さを増したその声に、黒の王は銀の王へ視線をやった。
「なんだよ吠えるなよ。うるせーぞ」
「会議中の大半を寝て過ごすなと怒っておるのだ!」
「なんでお前に怒られなきゃなんねーんだよ。そりゃ歳は同じかもしんねぇけど、一応俺の方が先輩だかんな? 先達は崇めるもんだぞー」
 黒の王の言う通り、彼は既に二十年以上玉座に座っている古参の王だ。
 黒の国は諜報と暗殺を担う性質上、王の代替わりのスパンがとても早い。大抵の場合、王の即位は早くて二十代前半で、遅くても三十代で王になるものが多い。その中でも当代の黒の王は天才だと言われており、十五のときには先代の黒の王の実力を越えて玉座に収まった逸材である。
 確かにそれだけ聞けば、即位したばかりの銀の王が叱責できるような相手ではないのだが。
「先達だと言うのならば、崇める気が起きる振舞いをせよ! 痴れ者が!」
 天才とされる黒の王がその天才っぷりを発揮するのは肉体労働のときのみで、政となるとお世辞にも優れているとは言い難かった。円卓会議への遅刻、欠席は日常茶飯事で、今回のようにたまに出席したところで、会議中は基本的に居眠りをしている始末である。黒の王の背後に控えている臣下が必死に会議内容を記録しているため、国全体としてはうまく回っているようだが、こと政治において王が大した役に立っていないことは明白であった。
 堅物で真面目な銀の王は、その適当さが許せないのだ。
 他の王たちは皆慣れたのか諦めたのか、黒の王を注意することがない。だからと言って銀の王も、新参である身で会議を中断してまで黒の王を叱責することはできない。よって、会議後のこの時間を使って、怠惰な王の姿勢を正そうとしているのだ。
 しかし、怒られている当人はどこ吹く風である。臣下の方は必死に謝って頭を下げてくるが、それをさせたいのは臣下ではなく黒の王本人だ。
「崇める気が起きる振舞いって言われてもなぁ。あー、ほら、あれだ。俺天才だろ? だから崇めろ。以上」
「王としての責務を果たせといっておるのだ!」
 どかんと落ちた雷に、まだ残っていた数人の王は、あいつらまたやっているな、という顔をした。当代の銀の王が即位してから今回で四回目の円卓会議だが、そのどれもでこのようなやり取りがなされている。最初は仲裁していた王もいたが、一向に改善されない関係に仲裁する気が失せたのか、今では完全に放置されていた。
 やや細身ながらも鍛え抜かれた身体を持つ、苛烈で武勇に優れた銀の王と、比較的大柄で恵まれた体格を持つ割に、信じられないほど静かに速く動く黒の王。
 並んで立つとあまり親和性を感じさせない見た目の二人は、その中身もあまり親和性がなかった。尤も、代々厳格な性質の銀の王と、代々奔放な性質の黒の王とでは、歴史的に見ても親和性があった試しがないのだが。
「毎度毎度俺に説教して。飽きないねぇ、お前も」
「お主がその性根を入れ替えるまで飽きるものか!」
 憤慨する銀の王に、黒の王がぶはっと噴き出す。
「お前それ、一生俺に説教する気かよー」
 腹を抱えて笑い出した黒の王を見て、銀の王の眉が更に吊り上がる。だが、黒の王は全く気にしていないようだった。
「ひー、笑った笑った。お前王なんて辞めて芸人にでもなった方が良いんじゃねぇのか? その真面目腐った顔から放たれる素っ頓狂な発言、きっと大ウケするぞ~?」
 そう言った黒の王に向かって、今度こそ堪忍袋の緒が切れたらしい銀の王が風霊魔法を放った。比較的遠慮のないその一撃を、軽く横に跳んだだけで回避してみせた黒の王が、ケタケタと笑う。
「外れだ外れ。天才の俺様に一撃与えようなんて、千年早ぇ」
 その発言が更に銀の王の神経を逆撫でするのだが、深く息を吐き出して平静を取り戻した銀の王は、黒の王を睨みつけるだけに留めた。黒の王の言う通り、今の銀の王では彼に一撃を見舞うことなどできないと知っているのだ。
「……そういえば」
 ふと、銀の王が言葉を落とす。
「次代は見つかったのか。歴史的に見て、そろそろ時期であろう」
 唐突な問いに一度瞬きをした黒の王は、次いで頭を掻いた。
「うんにゃ。それがまだなんだよな」
「だがお主、もうすぐ四十になろう」
「だからこっちも焦ってるんだわ。最近じゃ毎日部下に黒剣山こっけんざんを張らせてるんだが、それらしい情報は入ってこねぇ。ったく、どうなってんだか」
 溜息を吐き出した黒の王に、銀の王が目を細める。
 黒の国の王は、白の国の王に並ぶ特殊性を持っている。他の十国とは違ってそこに血筋はなく、王家というものも存在しない。ただ、時が来れば、黒剣山こっけんざんという黒の国で最も過酷な山の中に、次代の王となる子供が現れる。出現時の子供の年齢は、概ね五歳前後。その子供を見つけ次第、黒の国は次代の王の育成を始めるのだ。
 基本的には王が健在であるうちに次代が出現するが、不測の事態により王が早死にした際は、それと入れ替わるようにして山に子供が現れる。その場合、その子供が育つまでは玉座は空席になり、また、そのような条件で即位した王の治世は短いことがほとんどだった。
「補充の問題なんじゃないかと俺は思ってるんだが、どうなんだろうなぁ」
「補充?」
「黒の王にふさわしい人材が見つからねーから、次を用意するのに難航してるんじゃねぇかって話よ。うちは肉体労働だからな。だけど、そろそろこっちの肉体も衰え始める頃なんだから、できれば早めに次を用意して貰いてぇもんだ」
 そう言って肩を竦めた黒の王に、銀の王はそうだなと言って頷いた。
「次代が見つかったとしても、育成に十年はかかろう。仮に今この瞬間に次代が見つかったところで、ここから十年はお主が王だ。……黒の王が五十を超えてもなお王であったという記録は、見たことがない」
「だろぉ? 歴史上初の前例にはなりたくねぇもんだ。ま、俺は天才だからそういう運命なのかも知れねぇけど」
 まあ天才の宿命なら仕方ねーわな、と言って笑った黒の王に、銀の王は少し迷いを見せたあと、口を開いた。
「実は既に次代は現れていて、お主らが発見する前に下山して何処かへ行ってしまった、という可能性はないのか」
「あー、そりゃ有り得ねぇな」
 銀の王の問いをあっさり否定した黒の王が、親指で自身の胸を指す。
「それに関しちゃ俺が証人だ。あの山、下りられねぇんだよ。いや、下りられねぇというか、もうすぐ山の麓ってところまで来ると、自動的に頂上付近に戻されちまうんだよな。何度やってもそうなんだ。俺ぁ当時、百回くらい試したところで諦めた。そっからはまぁ、ひたすら山で生き抜いたわな。草木や川があって、獣も魔物もいたから、食うには困らなかったし」
「……お主、何年そこにいた」
「お、話が早ぇな。まあ当時の俺が何歳だったのか知らねぇから正確なところは判らねぇんだが、三、四年は居ただろうなぁ。物心ついたのが三歳くらいだと仮定した上で、当時の身体の状態から推定した年齢から逆算すると、って話だが、まあそこまで外れてはいねぇだろうよ。仮に赤ん坊のときから山ん中にいたとすると、それこそ五年くらいは山籠もりさせられてたんじゃねぇかな」
「……最低三年、長くて五年もの間、黒の国はお主の存在に気がつかなかったと?」
 銀の王の言葉に、黒の王が頷く。
「そうなんだよな。基本的に週に一回はあの山を監視してる筈なのに、俺は見つからなかった。……多分だが、俺はあのとき、黒剣山こっけんざんだけど黒剣山こっけんざんじゃない場所に居たんじゃないかね。きっとあの山は次代の王が土台を作るための場所なんだ。だから、土台が完成するまでは結界かなんかで外界から隔離されてて、土台が完成し次第、黒の国の人間が次代を見つけることができるようになる。そして、見つけて貰って初めて、次代は山を下りることができる。と、そう考えりゃあ、一応辻褄は合う。なにせあそこ、気ぃ抜いたら死にそうな環境だったからなぁ。存在の消し方やら敵の仕留め方やらの基本は、大体あそこで培ったようなもんだわ。いや、冗談抜きで何度死ぬかと思ったことか」
 わはははは、と黒の王は笑ったが、銀の王はとても笑う気にはなれなかった。
「ふん、お主のような頭の軽い男が、よく死ななかったものだ」
「そりゃあお前、俺は天才だからな。……しかしまあ、ありゃあ恐らく死ぬときは死ぬんだろうなぁ。だから、そういう意味でも不作なのかもしんねーな」
「……次代は黒剣山こっけんざんに送られたが、生き延びることができなかった、か」
 銀の王の呟きに、黒の王が頷く。
「もしかすると、もう何人か次代はあの山に来てるのかもしれねぇ。だけど、そのどれもが、土台の完成に至るまでに息絶えた。だから俺たちも見つけることができない。……なんてな。こんなのは推測でしかねーから、実際は人材探しの時点で難航してるだけかもしんねぇけど」
 なんにせよ、いい加減そろそろ次代も見つかる頃合いだろうよ、と言って黒の王は笑い、銀の王も頷きを返した。さすがにこの先何年も次代が見つからないなどということはないだろうと、二人ともそう思ったのだ。
 だが、その予想は大きく外れることになる。

 次代の黒の王となるヨアン・ヴェルグが発見されたのは、ここから更に二十年後。黒の王が五十も後半になってからのことであった。








(2)本編から十五年前くらい。銀の王は六十歳ちょい。


 執務室にて今日予定していた書類を全て片付け終えた銀の王は、椅子の背もたれに背を預け、ふうと息をついた。凝り固まった肩をぐるりと回し、眉間を指で揉んでから、机の上にあるティーカップに手を伸ばす。
 口に含んだ茶はすっかり冷めてしまっていたが、乾いた喉にはその冷たさが心地よかった。
 さて、そろそろ風呂にでも入るか、と銀の王がそう思ったところで、突如部屋の窓が開いた。ここは八階だというのに何事かと思った銀の王が窓へと目を向ければ、そこにいたのは黒の王だった。
「よ!」
「…………来るなら来ると、事前に連絡せよ」
 許可を得る前に勝手に部屋に入って来た黒の王を、銀の王が睨む。しかし黒の王に堪えた様子はなかった。
「いやー、相変わらずこの国は寒ぃのなんのって。あ、どうせすぐ帰るから、茶ぁはいらねぇぞ。ちょっくら用事があって銀に来たんで、ついでにお前の顔を見て帰ろうかと思っただけなんだわ」
 そう言って笑った黒の王に顔を顰めた銀の王だったが、黒の王がこうして何の前触れもなく訪れてくるのはいつものことなので、ひとつ溜息をついただけで終わらせる。
「……次代はどうだ」
 五年前にようやく発見された次代の王のことを口にすると、黒の王の顔がぱぁっと明るくなった。歳をとってその顔には皺が刻まれているというのに、いつまで経っても子供のような表情を見せる、と銀の王は思った。
「あのクソガキな! いやぁありゃ俺以上の天才だぜ! 俺も大概天才だが、あいつはきっとその上を行くぞー。十歳前後だろう現段階で、大人顔負けの動きを見せやがる。まだまだ俺には敵わないが、もう五年もすりゃあ即位できるだろうよ。俺は晴れてお役御免ってやつだ。いやぁ長かったわー」
 うんうん、と頷く黒の王をじっと見つめた銀の王が、ぽつりと呟く。
「…………五年も、かかるのか」
「あん? そりゃあと五年は必要さ。さすがに十歳のガキに王を任せる訳にゃあいかねぇし、そもそも俺みてぇな老いぼれにも勝てねぇような奴を王にする訳にゃあいかんだろうが」
 頭かたかたのお前らしくもねぇ発言だなぁ、と言って笑った黒の王に、しかし銀の王は表情を崩さない。
「耐えられるのか」
「おお? 何の話だ?」
「茶化すな。答えよ」
「俺の年齢の話をしてるんだったら、そりゃもう大概衰え切ってるから大変だけどよ。でもまああと五年くらいなら、どうとでもなるってもんだ。これでもまだまだ国一番の諜報屋兼暗殺者だからな。全盛期にこそ劣りはするが、その分この天才的な頭脳の方が冴えわたっている訳で、」
「もうい!」
 調子よく言葉を並べていた黒の王は、銀の王の突然の怒声に口を噤んだ。そんな彼を、銀の王がねめつける。
「呆れるほどに良く回る舌だ。この私が気づかぬとでも思ったのか」
「いやいや、何の話だよ。素直に衰えは認めてるだろーが」
 そんなピリピリすんなよ、と言葉を続ける黒の王の肩を銀の王が掴む。そして銀の王は、そのまま力任せに黒の王を床へと引き倒した。
「いってぇ! 何すんだお前!」
「うるさい、黙れ」
 抗議する黒の王に、しかし抵抗する様子はない。そのことに内心でぎりりと歯噛みして、銀の王は乱暴に黒の王のズボンの裾を押し上げた。
 あ、という黒の王の間の抜けた声が聞こえた気がしたが、視界に入ったあまりの光景に、それは右から左へと抜けていく。

 老齢になっても未だ逞しい筋肉に覆われたその脚は、真っ黒に変色していたのだ。

 無言のままもう片方のズボンも捲れば、そちらの脚も同様に黒に染まっている。異常に浮き出た血管は、まるでその内部に何かが住み着いているかのようにぼこぼことうねり、醜悪と呼ぶに相応しい有様だ。
 じっとその光景を見た銀の王が、次いで顔を上げて黒の王を見やれば、彼は悪戯がバレた子供のような顔をして目を逸らした。
「……何だこれは」
「いや、なんつーかだなぁ、」
「いつからだ!」
 思わずといった風に出た大きな声に、黒の王が少しだけ目を丸くする。そして彼は視線を彷徨わせたあと、銀の王が見たことのない表情をして、銀色の髪にぽんと手を置いた。
「取りあえず、お前は落ち着け。大丈夫だから」
 大丈夫なものか、と飛び出そうになった言葉を、ぐっと堪える。それでも収まらない感情のままに黒の王を睨めば、黒の王は苦笑した。
「ああ、いや、まあ、そうだな。大丈夫ではねぇな。だけど、仕方ねぇんだよ。俺はまだ王だから」
 その言葉に、銀の王は思わず拳を強く握った。それを言われてしまったら、彼はもう許容するしかなくなってしまう。
 そんな銀の王にもう一度苦笑した黒の王が、自分の脚をそっと撫でた。
「次代のガキが見つかって一年後くらいだから、四年前くらいかねぇ。さすがの俺も歳には敵わないらしくて、どうにも身体の動きが鈍って来たんだな。だけど、俺には次代を鍛え上げるっていう役目が残ってる。途中段階までは他の連中に任せても良いんだが、もうすぐあいつは俺以外じゃあ相手にならないほどに強くなるだろう。そうなったときに、俺の持てる技術を全て継承するためには、俺は万全の頃の俺と比べても遜色ないくらいに動けないといけねぇ。……筋トレとかなぁ、増やしたんだけどなぁ。やっぱこう、衰える一方なんだよなぁ」
 そう言って黒の王は笑ったが、銀の王は笑う気になどなれなかった。
「でもな。俺は次代のために、常に越えるべき目標でいなきゃならねぇ。少なくとも、あいつが全盛期の俺に届くまでは、俺は黒における最強でなきゃならねぇ。それが、黒の王の役目だからな」
 判っている、と銀の王は思った。今回ばかりは、この忌々しい怠惰な王の言うことは間違いなく正しい。己に課された使命を全うしようとしているこの男は、間違いなく黒の王なのだ。
「あとはきっと、お前の想像通りさ。俺は今、半恒常的にヴェルを憑依させている。本憑依なんてさせたら速攻でぶっ倒れるから、いわばヴェルの足先を俺の脚にちょっと突っ込ませてるような状況ではあるけどな。で、これはその副作用だ。お察しの通り、この脚はもうほとんど死んでる。そりゃ、死の体現であるヴェルを長期間憑依させてるんだから、こうなって当然だ。寧ろ、よく脚だけで留めたもんだって褒めて貰いてぇくらいだわな」
 そう言ってふざけて見せた黒の王に、銀の王はやはり笑うことができなかった。
「今はまだ膝下ぐらいまでの侵食で留まってるが、あのガキが即位する頃にゃ、恐らく脚の付け根までどっぷりイカれちまってるだろうなぁ。腕の方はまだ使う機会が少ねぇからなんとかなってるが、残りの五年でガキの相手をすることを考えると、こっちも駄目になるかもしれねぇ」
 世間話をするときと変わらぬ声で言う黒の王に、銀の王は何度か口を開きかけたが、結局声を出すことができなかった。
 かける言葉が、見つからなかったのだ。
 この奔放な王は、誰よりも速く駆ける男だった。なにものにも縛られず、思うがままに自由を謳歌する男だった。そしてきっと、そんな自分自身を何よりも尊び愛している男だった。
 そんな男が、その自由の象徴である両脚を失ってしまう。
 男は一人の人間である前に王だ。どんなに自由を愛そうとも、王である時点で自由などない。男が謳歌していた自由は仮初めの自由でしかなく、それを男自身も判っていただろう。だから、これは悲しむべきことではない。当然の帰結であり、悲しむ権利などない。
 だが、それでも、銀の王は男のことを悼まずにはいられなかった。それが王たるこの男に対する裏切りだと知っていて、それでもそれを止めることができなかった。
 今まで銀の王は、王に相応しい人物であろうと日々努め、王政に手を抜いたことは一度もないと自負している。同時に、何もかもに真摯でない黒の王を蔑んだことすらあった。だが、蓋を開けてみればどうだろうか。きっと目の前のこの男は、自分よりももっとずっと、王という生き物を全うしている。そのことがどうしようもなく悔しく、悲しく、そして誇らしかった。
 銀の王が即位して二十年余り。彼はこのとき初めて、王であるということがこれほどまでに残酷なことなのだと知ったのだ。
 ただ黙ったまま何も言わない銀の王に、黒の王は数度瞬きをしたあと、ふっと笑った。そしてそのまま、ぐいっと勢いをつけて身体を起こす。
 ごちんっ。
 そこそこ痛そうな音を立てて、黒の王の額が銀の王の額に直撃した。勢いのまま引っ繰り返って額を押さえた銀の王に、黒の王が腹を抱える。
「わはははは! 間抜け面め! お前やっぱ芸人の方が向いてるわ!」
「だ、誰が芸人か! 無礼もほどほどにせよ!」
 思わず叫んだ銀の王に、黒の王が笑顔のまま頷いた。
「そーそー、お前はそうやってプリプリ怒ってる方が調子出るわ。……だから、あんま気にすんな。俺はいつだって、俺が思うまま、好き勝手やってるだけだよ」
 その言葉に、銀の王が口を噤む。そんな彼を見た黒の王は、やはり楽し気な笑みを浮かべて言った。
「それに、次世代の成長を見守るってのも悪くねぇもんだ。お前はまだまだ現役貫きそうだし、うちのガキが王になったときはよろしく頼むぜ? 黒の王になるなら会議のすっぽかしと遅刻は欠かせねぇって、しっかり叩き込んどくからよ」
 そう言ってウィンクをした黒の王に、銀の王が反射的に叫ぶ。
「そういう余計なことを指南するのは止めよ虚けが!」
 そんな銀の王を見て、黒の王は再び大きな笑い声を上げた。
 自由奔放で怠惰な男は、その性質の割によく気が回るのだ。自分よりも長く玉座を守り続けて来た男のそういうところがまた気にくわない、と銀の王は思った。そして同時に、憐れみも裏切りも全てを許容してしまうその気質に、心からの尊敬の念を抱く。
 楽しそうに部屋に響く黒の王の笑い声を聞きながら、銀の王は、ようやく頬の筋肉が僅かに緩むのを感じた気がした。
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