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第3.5章 小話3

各国壁ドン事情 萌木の国編

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 壁ドン、なる言葉に、萌木の王はふむと顎に手を当てて考えた。
 音の響きからして、壁が、ドン、と衝撃を与えるなり与えられるなりするのだろう。
「そんなにも民の間で流行っているのかい?」
 傍らにいる臣下にそう問えば、臣下はこくりと頷いた。
「ええ、そのようでございます」
 王は現在、視察の真っ最中である。今年の作物の様子を自分の目で確認するため、臣下を連れて王宮を出た萌木の王は、その途中でどこからか聞こえてきた“壁ドン”という単語を耳に留めたのだった。
「出所は黄の国だそうです。黄の国の書物が、今やリアンジュナイル中に広がりまして」
「なるほどね。萌木も例外ではなく、その書物が流行っていると」
「仰るとおりです」
 私の娘、息子も好んでいるようなのですよ、と微笑む臣下に、物語を楽しむのは心が豊かになって良いね、と萌木の王も微笑みを返した。
 確かこの臣下の子は、少年少女と言って差し支えのない年齢の筈だ。その年代の子も楽しめる話、となれば、そこまで小難しい話という訳でもないだろう。
「君のお子さんたちも、壁ドンが好きなのかい?」
「そうですね、特に娘は憧れているようです」
 子供が憧れを抱くものであるらしい。またひとつ情報を得たが、未だ全容は見えてこない。
 なんなんだろうなぁ、壁ドン。頭の片隅に留め置きながら、王は農家の説明を聞いた。穏やかな気候の萌木は、今日も気持ちの良い天気だ。適度な雨と日照によって、今年も作物の実りは色好いものであるようだった。まったくもって喜ばしいことである。
「穀物の育ちも順調です」
「ああ、それなら今年の豊穣祭も盛大に開けそうだね」
「何よりでございます」
「本当にね。これも、恵みを下さる神々と、何よりも働いてくれている君たち民のお陰だ。ありがとう」
「ジールワイス王陛下。勿体無きお言葉、ありがとうございます」
 そうやって農家と会話をしていた王は、ふと視線を感じてそちらに目を向けた。ぱち、と目が合ったのは木の影に隠れるようにしている数人の子供だ。ひそひそと言葉を交わしていた彼らは、萌木の王が自分たちを見たのに驚いたらしく、中途半端に幹から身を乗り出した体勢で固まった。
「こら! お前たち! そんなところに隠れてこそこそ何をしているんだ! 陛下に失礼だろう!」
 遅れて子供たちに気づいた農家の男が怒鳴るように声を上げると、子供たちは全員肩を跳ねさせて、蜘蛛の子が散るように駆け出していった。待ちなさい、と言われて止まる子はひとりもいない。
「まったく……。ああ、大変失礼致しました、ジールワイス王陛下」
「いいや、気にすることはないよ。王がここまで近くにいるのも、子供たちには物珍しいのだろうさ」
 恐縮する男に笑いかければ、深々とその頭が下がった。
 その後、農家の主と別れた王は、案内なしに色々と見て回ることにした。
 柔らかな風が、作物の緑や青々とした草木の心地良い香りを運んでくる。萌木の王は書類仕事を苦に思うタイプではないが、緑の国とはまた違う自国の風の清らかさを全身で感じるのは好きだった。
 気持ちの良い風と、作物の彩りに、子供たちが遊ぶ声も聞こえてきて。まさに平和という言葉がぴったりだ。
「……おや?」
「どうなさいました?」
 思わず呟いた王の視線の先にいたのは、先程覗き見をしていた子供たちだった。開けた公園のような場所で、追いかけっこをしている子供、向かい合って何事かしている子供、それを見ている子供とがいて、随分楽しそうな様子だ。
 そういえば、とそこで萌木の王は壁ドンのことを思い出した。遊んでいる子らは、王の供をする臣下の子供と大体同年代くらいである。となれば、彼らもまた、壁ドンが好きなのだろうか。
「陛下?」
「いや、少しね」
 そう言った萌木の王は、子供たちの元へ足を進めていった。子供らは遊びに夢中になっていて、近づいてくる自国の王の存在には気づかない。追いかけっこをしている子は見たままだが、では向き合って遊んでいる子供たちは何をしているのかと様子を窺うと、どうやら独楽回しをして遊んでいるらしかった。といっても、使っているのは既製品の独楽ではない。具現魔法が盛んな萌木らしく、各々が魔法で形成した独楽を使い、勝敗を争っているようだ。
 懐かしいな、と萌木の王は目を細めた。遠い昔に、似たようなことを兄弟たちとやった記憶がある。独楽で遊ぶ子供たちとは違い、当時の王と兄弟が魔法で作り出したのはミニチュアサイズの生物だったが、やっていることは同じようなものだ。兄を打倒するため、魔法を研鑽した日々は良い思い出である。
 そこで唐突に、萌木の王は気づいた。
「ああ、成程」
 ぽん、と手を打った王に、臣下が不思議そうな視線を向ける。一方の子供たちは、王の納得したような声を聞いて、ようやく王がいることに気づいたようだ。王様だ、と口々に驚く声を上げ、わらわらと寄って来た子供たちに向かって微笑みを浮かべた王は、次いで臣下の方を振り返った。
「ようやく判ったよ。そういうことだったんだね」
「は、はい?」
「ほら、壁ドンだよ」
「は、あの、壁ドンが、如何されたのでしょうか?」
 なんのことやらさっぱりな様子の臣下が尋ねたが、萌木の王はそれには返答せず、自分たちや子供たちから少し離れた場所をすっと指差した。
「陛下……?」
「――易々たる造形ファレ・ファツィル
 王が魔法の名を唱えると同時に、湧き出た水が流れ出して草木の下にある土を巻きこみ、王の示した場所に集まって行った。そしてそれは見る見るうちに、大きな二つの物体へと変化する。
 
 壁だ。そこそこの大きさの、壁である。
 
 ごく普通の壁が二枚現れた、ならばまあ、別に良い。いや、良くはないし意図も不明だが、まあ良いことにする。だが王が作ったその壁には、明らかにおかしい部分があった。王以外の、その場にいる人間の目が、その異様な部分に釘付けになる。
 足である。
 二枚の壁は、それぞれが二本の人間の足のようなもので自立していたのだ。
 率直に言って気色悪い物体だが、なんでこんなものをと思った臣下が王を見やれば、王は何故だか満足そうな顔をしている。どうやら魔法が失敗して得体の知れないものが生み出された訳ではないらしい。いや、万が一にも王が魔法を失敗するようなことはないのだろうけれど、と臣下は思った。
 呆気に取られる臣下と子供たちを余所に、王は二つの壁を見据えて、ぱん、と手を叩いた。
 それを合図に、壁が互いに向かい、猛然と走り出した。ドシンドシンと地響きを立てて互いの距離を詰めた二つの壁は、結構な勢いのまま、盛大に正面衝突した。
 
 ドォン! ガッシャーン!
 
 前者は壁同士がぶつかった音で、後者はぶつかり合った壁二つが砕け散った音である。
 砕けた壁はその場でガラガラと崩れて瓦礫と化し、元気に動いていた足は完全に沈黙した。死んだのだろうか、と思わず思ってしまった臣下だったが、そもそも別に生き物ではない。飽くまでも、萌木の王の魔法によって具現化された実体のある幻のようなものだ。それを証拠に、動かなくなった瓦礫と残った足が、砂粒になってさらさらと崩れていく。王が魔法を解いたのだろう。具現魔法は具現化したものを維持する限り魔力を消耗するので、用が済んだら解除するのは当然のことだ。つまり、用が済んだと言うことなのだろうが……。
(何の用だったんだこれ……)
 思わず胸中でそう呟いた臣下をよそに、萌木の王は満足そうに微笑んだ。懐かしい日々が、つい目の前に舞い戻ってきたようだったのだ。
「これが壁ドンか。いや、面白いね。時代が変われど、子供たちの遊びはそんなに変化しないってことかなぁ」
 そう言いながら振り返った王は、臣下のなんとも言い難い表情を見て、不思議そうに目を瞬かせた。
「…………恐れながら申し上げます、陛下」
 彼の搾り出すような声には、様々な感情が入り乱れている。
「……本来の壁ドン、は、……全くの、別物にございます……」
「え?」
 王は完全に虚を突かれた、という顔をした。得た情報や自身の体験、子供たちの独楽遊びから導き出した正答を、正答ではないと臣下は言うのだ。
「……自分たちで具現化した壁をぶつけ合って、先に壊れた方が負けっていう遊びだろう? あ、もしかして、足ではなく車輪とかにするべきだったのかな? 確かに、そっちの方がかっこいいかもしれないねぇ」
「……いえ、そうではなく、…………壁をぶつける、という発想自体が、間違いでございます……」
 言葉を選ぼうとして選びきれず、結局直球でそう言った臣下に、萌木の王は目を見開いた。それから子供たちへと視線を移すと、誰もがぽかりと口を開け、現状を理解していないように見えた。
「そうか……。童心に返るのも悪くないかもしれないと思ったのだけど、違うのか……。……いやでも、やはりどんなときも、自分をもっと疑うべきだね……。教訓になったよ……」
 大きな音を聞きつけた周囲の住人たちが何事かと駆けつけて来るのを見ながら、王は困った顔をして笑った。

 ちなみに、王の壁の破壊力と豪快さを目の当たりにして虜になった子供たちを筆頭に、ミレニクター王国では暫く、壁(が互いに)ドン(する)が大いに流行ったという。
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