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第3章 虚ろの淵より来たるもの

まだ知らぬ想い

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 結局、あれから日が暮れるまで色々な商店を覗いて歩いてしまった少年は、王宮へ帰ってから一服する間もなく夕食を食べることになった。といっても、少年のことを配慮してか、基本的には部屋で一人で食べることになっているので、気は楽である。
 隣の部屋にはアグルムがいるし、膝の上ではトカゲがころころと転がっているから、厳密には一人ではないような気もするが、気が休まるという意味では有難いことだった。
 少年が食事を終えてひと休みしていると、不意に部屋の扉を叩く音がした。
「はい」
 返事をして扉を開ければ、そこに居たのは、長い黒髪を軽く結い、清楚な服を身に纏った女性だった。特に美人という訳でもないありふれた顔立ちの女性だが、彼女が二十三人いる王妃のうちの一人であることを、少年は憶えていた。ほとんどの王妃の顔や名前は忘れてしまっていたが、目の前の彼女は出自がとても特殊だったため、強く記憶に残っていたのだ。
 黄の王が四番目に迎えた妃であるという彼女の名は、アメリア・ヒルデ・リィンセン。ロイツェンシュテッド帝国出身の、異例の王妃だ。
 長い黒髪を綺麗に結い上げたアメリアが、扉から顔を出した少年を見て微笑む。
「お休みのところ、申し訳ありません。けれど、今夜はとても星が綺麗だったので、よろしければご一緒にいかがかしらと思って。勿論、お嫌でしたら断ってくださいね」
 なるほど、ちょっとした星見のお誘いらしい。実はこれ以外にも、別の王妃からお茶会や散歩などの誘いを受けることはちょくちょくあった。黄の王の言いつけを律義に守っているらしい王妃たちは、こうして一人か、多くても二人だけで少年の元を尋ねるのだ。しかも、訪問があるのは一日置きである。どうやら、王妃たちは皆、少年に可能な限りの配慮をしてくれているらしかった。
 そしてその配慮に気づいている少年は、基本的には誘いを受けることにしていた。ここまで気を遣って貰っているのに断るのは、とても申し訳ない気がしたのだ。
「ええと、あの、……僕なんかがご一緒させて頂いても良いのでしたら……」
 控えめにそう答えた少年に、アメリアがふわりと笑う。
「そう言って頂けて嬉しいわ。それでは、暖かいコートをご用意しますね。夜のリィンスタットはとても冷えますから」
 王妃の言葉に、少年のストールからトカゲがひょっこりと顔を出した。そして、小さな炎をぽっと吐き出す。
「え、ええと、ティアくん……?」
「ふふふ、そうでした。キョウヤ様には炎獄蜥蜴バルグジートさんがいらっしゃいましたね。それでは、コートと一緒にキョウヤ様を温めてあげてください。よろしくお願いしますね」
 アメリアにそう言われ、トカゲがこくりと頷く。どうやら、自分がいるから寒い思いなどさせない、という主張だったらしい。
 アメリアが用意してくれたコートに袖を通してから、城の最上へ連れられた少年は、外へと繋がる扉を開けた瞬間、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
「すごい……」
 屋根がなく開けたそこには、視界いっぱいに広がる星空があったのだ。見たこともないくらい多くの星々が、夜空でちらちらと輝いている。空にたくさんの星があることは知っていたが、こんなにも多くの星を見たのは始めてだった。少年の住む金の国は、魔術道具による灯りが多いからか、強く光る星くらいしか見えないのだ。
 驚いて夜空を見上げる少年に、アメリアが微笑む。
「気に入って頂けましたか?」
「え、あ、は、はい。あの、……とても、綺麗です」
「ふふふ、良かった。リィンスタットは他国と比べると乾燥した国ですから、とても綺麗に星が見えるんです。クラリオ様からキョウヤ様は綺麗なものがお好きだって伺ったので、是非この夜空を見せなくてはって」
「あ、……ありがとう、ございます」
 そう礼を言えば、アメリアは一層嬉しそうに微笑んだ。
「今日は風が少ない日だったから、きっと星が綺麗に見えると思ったんです。それで、クラリオ様に少しだけ我侭を言ってしまったんですが、その甲斐がありました」
「我侭……?」
 首を傾げた少年に、アメリアが悪戯っ子のような顔をして片目を閉じた。
「今の時間だけ、砂埃があまり上へ舞い上がらないようにしてください、って。空気に砂が混じってしまったら、折角の星空が台無しになってしまいますから」
「な、なるほど……」
 なんともスケールが大きい我侭だな、と思った少年は、取り敢えず微笑みを返しておいた。そんな少年を連れて、アメリアが用意されていた椅子に座る。招かれるままに少年もその隣に座れば、暫しの沈黙が二人の間に訪れた。ただ黙って星空を見上げるだけの時間が過ぎていったが、しかし意外と心地は悪くない。
(あ……、王妃様、指とか、寒くないのかな……)
 そう思った少年が、ちらりとアメリアの手元に目を向ける。少年の手は、その中に収まっているトカゲの体温で暖かいが、彼女にはそれがない。
 そんな少年の視線に気づいたのか、アメリアが彼へと顔を向ける。そして彼女は、少しの間だけ迷うような表情を見せたあと、そっと少年を窺うように口を開いた。
「キョウヤ様は、何もお訊きにならないのですね」
「え……?」
「私の、生まれ故郷のことです」
 その言葉に、少年の指先がぴくりと震えた。
「ロイツェンシュテッド帝国から来た女が王妃だなんて、と、思われませんでしたか?」
「…………いえ。……ただ、珍しいな、とは」
 嘘ではない。驚きはしたが、恐らくアメリアが懸念しているのだろう嫌悪感などはなかった。
 少年の答えに、何度か瞬きをしたアメリアは、再び星空へと視線を戻した。
「…………私、実は、十年ほど前まで、奴隷だったんです」
 その言葉に、少年は驚いて彼女を見た。だが、空を見る横顔に表情の変化はない。
 リアンジュナイル大陸には奴隷制度は存在しない。ならば、彼女の言う奴隷とは、ロイツェンシュテッド帝国における話なのだろう。
「とある下級貴族に仕える奴隷だったんですが、どうしても耐えられなくなって、逃げ出したんです」
 そう言ったアメリアは、自身の腹に手を当て、そっと撫でた。
「女の奴隷、という時点でお察しかと思いますが、男性を慰めることも仕事のひとつでした。けれど、奴隷に対する避妊なんて誰もしてくれません。だからといって、産む訳にもいきませんでした。私自身、不幸になることが目に見えている子を産みたいとは思いませんでしたし、何より、周囲が堕ろすことを強要してきました。膨れた腹では醜くて抱く気が起きないそうです。そうやって、孕んでは堕ろし、孕んでは堕ろし、……そんなことを繰り返していたら、気づいたときにはもう、二度と子を望めない身体になっていました」
 そう言ったアメリアが、そっと腹から手をどかして笑った。
「馬鹿ですよね。そうなって初めて、このままこんな生活を続けるなんて嫌だと思ったんです。それまでは、逃げても足掻いても無駄だと諦めていたのに」
「…………いえ」
 その先の言葉は続かなかったが、少年は本心からそれを否定しようとした。だって、彼女は行動したのだ。どんなに遅くとも、自らの意思で現実を変えようと足掻いた。それは、少年にはない強さだ。
「ふふふ、ありがとうございます。でも、何も考えないで逃げ出したものだから、とても大変だったんですよ。何度も死にかけて、なんとか逃げ続けて、交易船に侵入してようやくこの国まで来たのですが、それでも追っ手は追い縋ってきて、結局私は捕まってしまいました。奴隷一人くらい、逃げ続ければ諦めてくれるだろうと思っていたんですけれど、私の主は矜持の高い方だったんでしょうね。……そんなとき、馬鹿な私を助けてくださったのが、クラリオ様だったんです」
 アメリアが呼んだ王の名が、少年の知らない響きの音で紡がれた気がして、少年は何故だか不思議な気持ちになった。別に、変な訛りがあるだとか、そういうことではない。だが、何かが違う気がしたのだ。
「クラリオ様は、よそ者の私を助けてくれただけでなく、リィンスタットへの移住を認めた上で、まっとうな職まで与えてくださったんです。その後も定期的に私の元へ足を運んでくれて、色々と気に掛けて頂きました。そして私は、そんなクラリオ様に、恋をしたのです」
 そう言って、アメリアが目を閉じた。そしてそこで、少年はようやく気づく。
(……ああ、この人が王様を呼ぶ時の声は、あの人が僕を呼ぶときの声に、似ているんだ)
 甘いような優しいような、それでいてどうしてか悲しくなるような、不思議な音の響きは、まさにそうだ。全く違う二人の声が、どうしてこんなにも似ているのか。少年はまだ、その答えを知らない。
 だが、アメリアの話を聞き、その声に触れる中で、浮かび上がった疑問があった。それは、少年がどこかでアメリアと自分を重ねてしまうところがあったからなのかもしれないし、ただの思い付きなのかもしれない。けれど、どうしてか、少年はその疑問を胸の内に留めておくことができなかった。
 そうして、ぽつりと言葉が滑り落ちる。
「……寂しくは、ないんですか……?」
 ほとんど無意識に零れ落ちたその言葉に、アメリアが目を開け、少年へと顔を向けた。そして、その顔に優しい微笑みが浮かぶ。
「どうして、私が寂しいと?」
 その声に怒りや悲しみなどの良くない感情はない。だが、少年の言葉を疑問に思っているようでもなかった。寧ろ、少年をあやすような雰囲気さえ感じさせる音だ。
 彼女の問いかけに一瞬怯んだ少年は、だがその雰囲気に背を押され、そっと言葉を続ける。
「王妃様、は、あの、……とても、リィンスタット王陛下のことを、愛していらっしゃるようでした、から、……その、」
 その先を口にして良いのだろうか、と言い淀んだ少年が、アメリアの顔を窺う。だが、彼女はやはり、優しく微笑んでいるだけだった。
 その顔が、あまりにも優しかったからだろうか。少年の唇から、続く言葉が自然と落ちる。
「……自分だけじゃないの、って、……寂しい、かな、って……」
 そうだ。深く愛した人にとって、自分が唯一ではないということは、とても寂しいことなのではないかと、そう思ったのだ。
 だがその問いに、アメリアは静かに首を横に振った。
「キョウヤ様の仰ることは判ります。けれど、私は寂しいとは思わないんです。だって、クラリオ様にとって私は、確かに唯一であり、一番なんですから」
「……王妃様が、他の王妃様よりも愛されている、ということですか……?」
 当然の答えに、しかしアメリアはまたもやそれを否定する。
「ふふふ、ちょっと理解しにくい話でしょうけれど、私も他の王妃様も、皆、あの方にとっての唯一であり、一番なんですよ。だから、私たちが誰かを羨むことはないんです」
 そう言ってアメリアは笑ったが、少年には理解できない。それを承知しているのか、アメリアは再び口を開いた。
「クラリオ様は、私たちを等しく、一番に、心の底から愛してくださっています。私たちはそれで満足なのです。そしてクラリオ様は、全ての王妃が等しく一番であるという状況では幸せになれない人を、自分の妻にはなさいません」
 全ての王妃を平等に最愛とする、など。そんなことが可能なのか、と思った少年だったが、アメリアがそれを疑っている様子はない。本当に、全ての王妃を心の底から一番に愛しているのだと。彼女の表情が、そう語っている。
「間違いなく唯一で一番だけれど、多くのうちの一人ではある、という状況を僅かも憂いることなく、同時に、この状況でなければ絶対に幸せになれない女性。それが、クラリオ様が妻として迎えるための条件だそうです。この王宮にいる王妃は、皆その条件を満たしているんですよ」
「……あの、それって……、」
 この状況でなければ絶対に幸せになれない女性。その条件を満たすことができる人となると、つまり。
 少年の言わんとしていることを悟ったのか、アメリアが頷く。
「クラリオ様の妻は皆、私のように何がしかの事情を持っています。だからこそ、似たような立場のキョウヤ様を気に掛けてしまうんです」
 鬱陶しかったらごめんなさいね、と続けたアメリアに、少年が首を横に振る。
「キョウヤ様も、グランデル王陛下とお付き合いされていたら判るかと思いますが、国王陛下というのは、とても難しい立場の方です。愛する人を幸せにするために婚姻を結ぶ方もいれば、愛する人を幸せにするために婚姻を結ばない方もいらっしゃるでしょう。……民か王妃か、という選択を迫られた際に、国王は迷いなく王妃を捨てなければなりませんから」
 愛情とは人により様々な形で示されるものなのだ、と言う王妃に、少年は生まれて初めてその事実を知った。これまで、愛情のなんたるかを少年に教えてくれる人などいなかったのだ。
 ならば、この国の国王と王妃の関係も、またひとつの愛情の形なのだろう。国王はすべての王妃を幸せにするために、すべての王妃を一番に愛する。そして、王妃はそれをこそ幸福だと思う。きっとそこには、少年のような部外者には到底理解できないようなものがあるのだ。けれど、
(…………やっぱり、僕は、)
 もし、あの王が、自分を呼ぶ時の声で誰かを呼んだなら。愛している、と囁いたなら。
(……それは、いやだ)
 何故そう思うのかは判らない。だが、確かにそれを好ましいと思わない自分がいるのだ。あの声が誰かの名を呼ぶのなら、それは自分が良い。
 黙って目を伏せた少年に、アメリアが優しい眼差しを向ける。少年がそれを見ることはなかったが、迷子を導くような、それでいて何故か僅かな悲しみを滲ませた目だ。
 何度か躊躇うように口を開いては閉じたアメリアが、意を決して少年の名を呼ぶ。
「キョウヤ様、実は、貴方に隠していたことがあります」
「隠していたこと、ですか……?」
「はい。貴方にとって、とても大切なことです。この国に馴染むまでは、キョウヤ様の心の平穏のために黙っておこうということになっていたのですが、今の貴方を見たら、これ以上隠してはおけません」
 そう言ったアメリアが、真剣な目を少年に向け、静かに言葉を落とした。
「ギルディスティアフォンガルド王陛下の未来視により、グランデル王陛下の命が危ないことが判りました。詳しい話は、応接室でお待ちのクラリオ様から聞いてください。貴方から訊かれたらお答えするよう、話は通してあります」
 はっきりと告げられたその言葉に、少年が目を開く。そしてそのまま、考えるよりも先に彼は駆け出していた。縋るように抱えたトカゲが、懸命にその頭を掌に擦りつけてきたが、今ばかりはそれで心が安らぐことはなかった。
 ただ、あの王が無事であるのかだけが気がかりで仕方ない。
(違う。あの人がそんなに簡単に死ぬ筈がない。だってあの人はとても強いんだから。大丈夫、大丈夫……)
 そう自分に言い聞かせるが、走る脚を止めることはできない。とにかく、一刻も早く彼の王の無事を確認しなければ落ち着かなかった。
 無我夢中で応接室に向かっていた少年は気づかなかったが、王宮を駆ける部外者を誰も止めなかったのは、アメリアが手配してくれていたお陰だった。そうして目的の部屋に辿り着いた少年を扉の前で待っていたのは、黄の王本人だった。
「よー。その様子じゃ、アメリアちゃんからロステアール王のこと聞いちまったな?」
「あ、あの人は!? 無事なんですよね!?」
 普段の少年からは想像ができないほど取り乱しているその様子に、黄の王が目を細める。
「今のところ、死んだって話は聞いてねーよ。まあ全部話してやるから、取り敢えず部屋に入れ」
 促されて入室した少年は、王の勧めに従って絨毯の上に座った。一応安否の確認ができたことで少しだけ心が落ち着きはしたが、未だに不安は色濃く残っている。そんな彼に、黄の王が小さく息を吐いた。
「……隠してて悪かったな。アメリアちゃんから聞いただろうが、単刀直入に言うと、ロステアール王がやばい。なんでかは知らねぇが、物凄く厄介な敵に目をつけられたみたいだ」
「……でも、無事なんですよね? あの人は、今、どこに?」
 少年の問いに、黄の王はやや顔を顰めた。
「俺にも判らねぇ。というか、誰もロステアール王の行方は知らない」
「……どういう、ことですか?」
 硬い表情のままの少年に、黄の王は再び息を吐き出した。
「ギルヴィス王の未来視の内容と状況を照らし合わせた結果、ロステアール・クレウ・グランダって男の存在自体を無いものにするのが一番安泰だろうって話にまとまったんだ。そんで、ロステアール王はすぐにシェンジェアン、薄紅の国に向かった。そこでランファ王から最上級の幻惑魔法を掛けられて、後は知らねぇ。ランファ王なら、時間をかければ対象が本来の自分を忘れるくらい強力な目眩ましを掛けられるから、多分、全くの別人としてどっかで生きてる。ただ、対象が死ねば魔法が解けるように設定したらしいし、解ければランファ王には判るって話だから、そういう連絡がないってことは、生きてると判断して間違いない」
「…………それって、あの人が、ずっと、あの人ではない誰かになり続けるってことなんですか……?」
 やや震える声が、そう問いかける。それに対し、黄の王は首を横に振った。
「いや、帝国との一件が終わり次第、元に戻すさ。確かに魔法が強力すぎて、対象によっちゃ自我が吹っ飛ぶ可能性もないわけじゃないが、ロステアール王の精神力ならまず大丈夫だ。魔法が解けたら全部元通り。これで安心できるか?」
「…………い、え、安心、できません」
 小さな声ではあるが、はっきりとそう言った少年に、黄の王は片眉を上げた。この少年はあまり自己を主張するようなタイプではないと思ったのだが、それでも譲らない姿勢に少し驚いたのだ。
「だって、あの人が、死んでしまうかもしれないんでしょう……?」
 吐き出された言葉が、無様に揺れる。
 赤の王は強い。それは確固たる事実だ。その赤の王の命を脅かす脅威となると、果たして円卓の連合国だけで対処できるものなのだろうか。その疑念が、少年の不安を駆り立てるのだ。
「……あの人、すら、敵わないような相手、なんて、……なら、……あの人、は……」
 嫌な想像は少年を蝕み、声だけでなく、身体まで震え始める。
 死は終わりだ。死んでしまえば、何もかもがそこで断絶する。あの美しい赤の王だって、死んだらそうなってしまうのだ。そしてそうなれば、あの声で少年を呼ぶ者は、もう二度と現れはしないだろう。
 それは、こわい。
 ひ、と狭まる喉が引き攣った音を立てる。その苦しさから逃れたくて、少年は無意識のうちに喉に爪を立てた。それを制するようにトカゲが少年の手を叩いたが、今の少年はそれに気づくことすらできない。
 その有様に、黄の王が眉をひそめる。そして、僅かに考える素振りを見せたあと、彼は少々乱暴に少年の肩を掴んだ。
 急な接触にびくんと少年は身体を跳ねさせ、けれど確かに王に目を向けた。その僅かな隙を逃さず、王は少年に言葉を差し向ける。
「『何も心配することはない。大丈夫だ』、だと」
 赤の王からの伝言だ。そう付け加えられた言葉に、恐慌状態だった少年は、今度ははっきりと目の前にいる男を認識して瞳に映した。
「あのひと、からの……?」
 小さく言葉を繰り返した少年に、黄の王がしっかりと頷く。
「……あのひと、が……」
 伝言の中身を何度も咀嚼しているうちに、少年は自身の呼吸が少し楽になっていることに気がつく。まだ震えの残る手をそっと喉から外し、何度か大きく深呼吸すれば、より楽になるのを感じた。
(……だいじょうぶ、って、あのひとが……)
 柔く微笑む赤の王の、美しい目を思い出す。この世の何よりも美しい王が、言葉を違えたことがあっただろうか。
 そうだ。この世で最も信じ難い、自身に向けられる愛すら、彼の王は少年に信じさせてみせたのだ。そんな彼が、大丈夫だと言葉を残した。
(……なら、きっと、……大丈夫、だよね、貴方……)
 不安が拭いきれた訳では無い。何せ赤の王を狙っているのは、赤の王すら殺すと予知された相手なのだ。だが少年にとっては、まだ見ぬ先の話よりも、赤の王の確かな言葉の方がずっと重い。
 赤の王の言葉を思い、また深く呼吸をする。何度かそれを繰り返すと、震えこそ僅かに残るものの、彼の呼吸は平常と変わらぬものに戻っていった。その様子を見て、黄の王もようやく少年の肩から手を離す。
 暫らくの間、気持ちを落ち着けるように絨毯の上に目を落としていた少年だったが、不意にこの場にいるのが自分だけではないことを思い出し、顔を上げる。そして自分を見つめている黄の王に気づき、慌てて頭を下げた。
「あっ、あの、申し訳、ございません……!」
「いんや、別に謝ることねーよ。それより、ちゃんと落ち着けたようで何よりだ。取り敢えず、今日は風呂入ってさっさと寝ちまいな。色々あったから、疲れてるだろ?」
 そう言って王は笑った王にもう一度謝罪をしてから、少年は彼の提案を受け入れることにした。確かに、様々なことが一気に起こり、体力的にも精神的にも大変な一日ではあったので、ゆっくり休む必要を感じたのだ。
 果たして落ち着いて眠れるかどうかは少し不安だったが、きっとトカゲが傍にいてくれるから、なんだかんだ言っても眠ることくらいはできるだろう。そう判断した少年は、改めて謝罪と礼を残してから部屋を出て行った。
 そんな少年にひらひらと手を振ってから、黄の王がやれやれと息をつく。そして、部屋にある大きな窓へと向かい、そこを開け放った。
「居るんだろ? 出てこいよ」
 冷たい空気が満ちる外に向かってそう言えば、雷を纏って淡く輝くリァンが空を翔けて来た。窓からリァンを迎え入れた王が、くつろぐように絨毯に身を伏せた獣を振り返る。
「どーせ全部聞いてたんだろ? で、どうだった?」
 王の言葉に、リァンが彼を見た。そんな獣に、王が肩を竦めてみせる。
「結構な演技派だったろ?」
 そう言っておどけてみせた王に、王獣は何も言わず、目を伏せただけだった。
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