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第3章 虚ろの淵より来たるもの

リィンスタット王城

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 黄の王との邂逅からおよそ二日後、少年はようやく王都にやってきた。例によって門兵のチェックを受けた少年は、そのまま王宮へと案内されることとなった。そんなに多くはない荷物一式は王兵たちが運んでくれるということなので、この国に来てからずっとお世話になってきたモファロンとはここでお別れである。
 モファロンの返却その他の手続きも王宮で請け負うと言われた少年は、恐縮しつつもその申し出に甘えることにした。
 そうして案内された王宮は、高さがある赤の国や金の国の城とは違い、比較的低い階層からなる城だった。その代わり、敷地面積がやたらと広い。階数が多いのも大変だったが、これはこれで迷子になりそうだと少年は思った。
 まずは国王陛下にご挨拶をと言われた少年は、侍女に連れられ謁見室に入室することになった。豪奢な王宮内は歩くのも憚られるようで、存在しているだけで申し訳なさすら感じてしまうほどである。どうせまたそれなりに整った部屋に案内されることになるのだろうけれど、いっそ馬小屋にでも放り込まれた方が遥かに良いと少年は思った。
(あ、でも、それはそれで、中の騎獣に迷惑かもしれない……)
 とうとう獣にまで負い目を感じ始めた少年を、侍女が振り返る。そして深々とお辞儀をした彼女は、この扉の先が謁見室であることを告げた。
「あ、ありがとうございます……」
 嫌だなぁと思いつつ、開かれた扉を潜る。そんな彼を迎えたのは、あまり馴染みがない内装の部屋だった。
 椅子や机がない代わりに、上質な絨毯に覆われた床には沢山のクッションが直接置かれている。そしてその中心には、つい先日出会った国王が座っていた。
「よー、無事に来たな」
 軽い口調でそう言った王に対し、少年は深く頭を下げた。
「あの、先日は色々と、ありがとうございました。もうご存知かと思いますが、天ヶ谷鏡哉と申します。ギルディスティアフォンガルド王陛下のご提案で、暫くリィンスタット王国でお世話になることになりました。ご迷惑をお掛けしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
 出来得る限り丁寧にそう言った少年だったが、そんな彼に対して黄の王はひらひらと片手を振った。
「あー、そういう堅苦しいのはいらねぇって。そもそもそんなにお世話するつもりもねーしな」
 そう言ってから黄の王は、まあ座れと言って自分の隣のクッションをぽんぽんと叩いた。高貴な人間の隣に座るだなんてと思った少年ではあったが、まさか王自らの申し出を断る訳にもいかない。仕方なく、示されたクッションよりも少し離れた床に直接正座した少年に、王は少しだけ首を傾げたあと、まあ良いかと呟いた。
「金の国とか赤の国とかに慣れてると、うちの家屋は珍しいだろー」
「あ、いえ、道中の宿などで、一応見慣れはしました」
 リィンスタット王国では、椅子や机などを使用することが少ないらしく、少年が泊まった宿も基本的には絨毯に直接座るような部屋ばかりだった。どうやらその文化は、王宮でも例外ではないらしい。
「ソファとか机とかがある謁見室もあるにはあるんだけどなぁ。俺があんま慣れないからこっちにさせて貰ったわ。居心地悪かったら部屋移すけど?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
「そうか? じゃあこのまま本題に入るか。つっても、おおまかな事情についてはギルヴィス王から聞いてるだろうから、俺が話すのはこの国での話な」
 そう言った黄の王が、右手の指を三本立てて見せた。
「俺がお前にしてやることは、大きく三つ。衣食住の確保に、ちょっとした話し相手になること、あとは制限付きの護衛か。ま、そんくらいだな」
 衣食住は有難いことだが、話し相手は別に特に望んではいない。そんなことを思った少年だったが、勿論口にはしなかった。代わりに、ひとつ疑問に思ったことについて尋ねてみる。
「……あの、制限付きというのは……?」
「ああ、……最近どうも、うちの国の魔獣の動きが異常なくらい活発でな。お前もこの前ザナブルムを見ただろ? ありゃ獰猛だけど縄張り意識がはっきりしてる分、滅多に人里に現れないタイプの魔獣でな。連中の住処に足を踏み入れなきゃ、まず攻撃されることはない筈なんだが、どういう訳か、ここのところ街の近くでの発見報告が相次いでる。ザナブルムだけじゃなくて砂蟲サンドワームもやたらあちこちで暴れ回ってるみてーだし、いくら雨期前だからってちょっとおかしいんだよ。だからまあ、簡単に言うと、うちの国民でもないお前に割く兵力があんまないワケ」
 そう言って王は、やれやれと溜息を吐いた。
「実は今も、王宮周りの兵をごっそり全国に派遣しててさぁ。必要最低限の戦力は残してあるけど、結構カツカツなんだわ」
「え、あの、そんな大変な時に、僕なんかがお邪魔してよろしかったんですか……?」
「よろしいもクソも、うちで引き受ける以上に良い選択肢がなかったら仕方ねぇや。ああ、別にお前のせいじゃないんだから、あんま気にしなくて良いぞ。その代わりと言っちゃあ何だが……、」
 そこで言葉を切った王が、やや気まずそうな顔をしたあとに、がしがしと頭を掻いた。
「こっちもこういう状況だからな。国かお前かって事態になったら、迷いなくお前を見捨てさせて貰う。お前には悪いと思うが、俺にとっちゃ、自分とこの国民が第一なもんでな」
 こういうことは最初にきちんと伝えておいた方が良いだろうと言った王に、少年は何度か瞬きをした後、内心で首を傾げた。そして、こくりと頷く。
「はい、判っています」
「……お前、随分聞き分けが良いのね」
 なんだか困惑したような表情を浮かべた王に、少年はまた内心で首を傾げた。
 聞き分けが良いも何も、王が言ったことは至極当然のことだ。自国の民と自分ならば、間違いなく民を選ぶべきである。もし万が一自分が選ばれるようなことがあったとしても、それは少年が少年だからではなく、少年がエインストラかもしれないからだ。少年は守られるに値するような存在ではないし、寧ろ真っ先に贄にされて然るべきだろうとすら思う。そんな自分に僅かでも戦力を割いてくれると言うのだから、感謝こそあれ不満など抱くはずもなかった。
 人工物めいた微笑みを絶やさずにいる少年に、王はやはり戸惑うように首を捻ったあと、はあと息を吐いた。
「あー……、お前さ、例えばの話なんだけどさ。ほら、お前の彼氏のロステアール王いるだろ?」
 間違っても彼氏なんかではない、と思った少年だったが、それが本題でないことは判ったので黙っておくことにした。
「そのロステアール王がさ、国民のためにっつってお前のこと見殺しにしたら、どう思うワケ?」
「どう、と言われましても……」
 どうも何もないのではないだろうか、と少年は思った。あの王は王であるが故に、迷いなく国民を選ぶだろう。それは当然のことだし、そうあるべきである。あの王ならば、きっと最後まで全てを救おうと奮闘するだろうから、そんな彼がどちらかを選ぶということは、つまりそうせざるを得ない状況になったということだ。そしてそうなったとき、捨てられるべきは少年の方である。
 どうしてそんなことを訊くのだろうと思い、黄の王の顔を窺った少年は、しかし思っていた以上に王が真剣な眼差しをしていることに気づき、なんだか居心地が悪くなって目を逸らした。
「……愉快な気分では、ないと、思いますけど……。……でも、あの人ならそうするでしょうし……」
「ロステアール王を恨んだりとか、裏切られたって思ったりとか、そういうのはないのか?」
 その問いに、少年はまたもや首を傾げてしまう。
「ええと……、裏切られてはいませんし、恨むようなことをされた訳でもないと思うので……」
 そりゃあ、少しは悲しい気持ちになったりはするのかもしれないけれど、それだけだ。
「ロステアール王を責める気はないって?」
「あの、ですから、責めるも何も、責められるような選択ではないので……」
 やけに食い下がって来る黄の王に、少年は途方に暮れてしまった。だが、黄の王はなおも追及の手を緩めようとしない。
「別に告げ口なんてしねーから正直に答えて貰いてぇんだけど、……ロステアール王に、国民だとか世界だとかそういうのより、それを捨ててでも自分自身を選んで貰いたいって、そうは思わないのか?」
 周りくどい言い方を止めた黄の王が、とうとう核心へと切り込む。しかし、それを聞いた少年は途端、可哀相なくらいにさっと青褪めてしまった。
「……そんな、あの人が、僕を選ぶなんて、」
「え、ちょ、おい? 大丈夫か?」
 突然の少年の変化に黄の王が僅かに狼狽える中、顔を俯けた少年がふるふると首を横に振る。
「あ、あの人は、だって、約束してくれたから……。ずっと、きれいなままだって……。だから、王様であるあの人が、僕なんかのせいで変わるなんて……、そんな……、……そんなこと……」
 細く絞り出された震える声は、まるで悲痛な叫びのようにすら聞こえ、黄の王は何度か視線を彷徨わせた後、ああもう、と大きな声を出した。
「止めだ止め! こういう尋問めいたのは向いてねーんだよ俺!」
 そう言った黄の王は、胡坐をかいた両ひざに手を置き、何の躊躇いもなく少年に向かって頭を下げた。それを見た少年が、先程までとは別の意味で真っ青になる。
「あ、あ、あの、あの、」
「試すような真似して悪かった」
 そう謝罪した黄の王に、少年が慌てて首を横に振る。
「い、いえ、あの、あ、謝らないでください……!」
 一国の王に頭を下げられるなんて、小心者の少年には耐えられない状況だ。そんな少年の心の内を察したのか、黄の王はすぐに頭を上げ、少しばつが悪そうな顔をした。
「いや、本当に悪かった。ただ、円卓の王の一人として、お前の認識を確認する必要があってな」
「認識……?」
「簡単に言や、お前が国王の恋人であることの意味を、きちんと理解してるのかどうか、かね。……国王の恋人やら王妃やらってのは、割と特殊なもんだからさ。そういうの、きちんと覚悟してないと色々とキツいんだよ」
「ええと……」
 そもそも恋人ですらない少年には、それがどういう風に特殊なのかなど判るはずがなかった。ただ、黄の王の醸し出す雰囲気から、少年が想像できるような特殊性とはまた違ったものなのだろうということだけは察しがついた。
「ま、お前の場合は問題なさそうだから良いや。なんつーか、破れ鍋に綴じ蓋って感じだなぁ、お前ら」
 取りあえず他の王連中には大丈夫だって伝えておくわ、と言った黄の王に、少年は理解できないままに頷いた。よく判らないが、先程のあれは、黄の王個人によるものというよりは、円卓の国王全体からの問いだったのだろう。だとすると、自分の回答はあれで良かったのだろうか。
(……でも、だって、あの人が約束してくれたから……)
 未だに青褪めたまま赤の王との約束を反芻する少年に、黄の王が苦笑して彼を見た。
「心配すんな。お前の言う通り、ロステアール王がお前のせいで王として誤ることはねぇよ。ありゃこっちが羨ましくなるくらい、何事にも惑わされないでいられるタイプだからな。それに、あの王様が変わらないって約束したんだったら、そういうことなんだろ」
 そう言われ、少年の顔にようやく血の色が戻っていく。
 別に、王であり続けることが彼の美しさだと思っている訳ではない。王であろうとなかろうと、きっと彼はこの世で一番美しい存在であり続けるだろう。ただ、あの美しい王の歩む道が、自分のせいで僅かでも歪んでしまうのが怖いだけだ。だから、その可能性を提示されたと思って狼狽えてしまった。
 けれどもう大丈夫だ。少年はあの約束を信じると決めたのだし、黄の王が提示したのは可能性ではないということが判った。
 ほっと安堵した様子を窺わせた少年に、黄の王はやれやれといった顔で彼を見て、小さく呟く。
「なんつーか、まあ、王っていう生き物からしたら、恋人として最適な存在だな、お前」
「え……?」
「あーいや、なんでもねーよ。それより、えーっと、どこまで話したっけか? 滞在中の話とか全然してねぇよな?」
 そう言った黄の王が、部屋の扉を見た。
「おーい、そろそろ入ってきて良いぞー」
 その声を合図に扉が開く。そして一人の男が中に入ってきた。そこそこの体格をした、三十代半ばほどの男だ。短く切りそろえられた暗い金髪に、やや色の濃い肌は、いかにもこの国の人間らしい容貌だと少年は思った。ただ、どうにも近寄りがたい雰囲気を感じる男だ。射るような鋭い目がそう思わせるのかもしれない。
 なんだか怖そうな人だな、と思った少年をよそに、男を自分の傍まで呼び寄せて座らせた王は、その背を遠慮なくばしばしと叩いた。
「こいつはアグルム。うちの兵の中でもそこそこ強い奴なんだけど、この度お前の専属護衛としてつけることになった。ほれ、挨拶しろ」
「……アグルム・ブランツェだ」
 仏頂面のままそう言ったアグルムの背中を、黄の王がまたもや叩く。
「いやぁ悪いな。こいつ愛想ってもんがないのよ。でも腕は確かだし命令にも忠実だから、信用してやって」
「痛いんで叩くのやめて貰えませんか、陛下」
「この通り敬語も怪しいくらいなんだけど、マジで腕だけは確かだから」
 そう言って笑う黄の王に、少年も微笑みを返しておく。正直、口数が多い黄の王よりはこの護衛の方がまだ良い気がする、と少年は思った。
「お前の護衛に兵力を割いてやれない代わり、になるかどうかはまあ判んねーけど、取り敢えずこいつだけは絶対にお前の味方でいるようにしといてやるから」
「ええと……?」
 王の言う意味が判らず首を傾げた少年に、アグルムが口を開く。
「つまり、何があっても彼を守れということですか」
「そうそう。この先、国やお前自身がどんな状況に置かれたとしても、死ぬ気でこいつのこと守ってやれ。帝国との件がひと段落するまで、お前に下す命令はそれだけだ」
 いつもと変わらないおちゃらけた調子でそう言った王を、アグルムが見つめる。そのまま数度瞬きをした彼は、次いで、すっと目を細めた。
「……それだけ、ですか。つまり、今後陛下がこいつを殺すという判断をしたとしても、俺はこいつを守らなきゃならないってことですね」
 アグルムの言葉に、少年が驚いて黄の王の様子を窺う。少年は黄の王が否定することを期待したが、しかし王は満足そうに微笑んだだけだった。
「陛下が直々にこいつを殺そうとしたとしても、俺にはこいつを守れと」
 その問いに、やはり王は何も言わない。だが、否定されないということは、つまりそういうことだ。
 はぁ、と小さく息を吐いたアグルムは、やや恨めしそうな表情を浮かべて王を睨んだ。
「ご命令には従いますが、陛下と敵対すれば俺は抵抗虚しく死ぬと思うんですが」
 そもそも抵抗らしい抵抗すらできないと思いますけど、と続けた彼に、王が声を上げて笑う。
「そりゃまあそうだ。俺とお前じゃ力量差がありすぎんよ」
 笑い交じりにそう言った王は、だが迷いのない眼差しでアグルムを見た。
「だけど、それでもお前はこいつを守ってやれ。その結果、俺に殺されることになっても、だ。良いな」
 否を許さないその命に、アグルムは王を見つめ返してから、黙したまま深く頭を下げた。
 元よりアグルムに否を唱えるつもりなどないのだ。だというのに、敢えて圧を掛けるような言い方をするあたり、この王らしいと言えばらしい。
「……相変わらず、甘い人ですね」
 ぼそりと呟かれた言葉は、恐らく王にも届いたはずだ。だが、王は何も言わなかった。
 そんな中、ハラハラとしながら状況を見守っていた少年は、またもや顔色を悪くして黄の王を見た。
「あ、あの、そ、そんな命令しなくたって……」
 何も自分のために命を懸ける必要なんてどこにもないではないか、と思った少年に、黄の王は少しだけ困った表情を浮かべた。
「うーん。まあ、重すぎて逆に負担なのは判んだけど、ここは我慢して飲み込んでくれねぇかな。自信満々でーすみたいなこと言ってお前のこと引き受けちゃったから、守り切れないと他の王からめちゃくちゃ怒られそうなんだよ。ほら、取り敢えずポーズだけでも精一杯守りましたって感じにしときたいワケ。判る?」
「で、でも、」
 なおも食い下がろうとした少年を、アグルムが睨んだ。もしかすると本人にそのつもりはなかったのかもしれないが、少々強面なので少年にはそう思えてしまったのだ。
 怒らせてしまっただろうかと思った少年が、反射的に口を閉じる。そのまま、アグルムの視線から逃れるように顔を俯けてしまった少年を見て、黄の王がアグルムの頭をぽかりと殴った。
「護衛対象を威嚇すんなバカ」
「……別に威嚇なんてしてないです」
「お前顔が怖いんだから、もっとにこやかにしとけよ。キョウヤの奴完全にビビってんじゃねーか」
 やれやれ、とわざとらしいため息を吐いた王にアグルムは不服そうな表情を浮かべたが、何も言わなかった。
「あ、あの、……申し訳ありません……口ごたえ、してしまって……」
「あーそういうのは良いって。こっちこそ色々押し付けちまって悪いな」
「いえ、あの、」
 迷うように何度か視線を彷徨わせた少年が、アグルムに向かって頭を下げる。
「……よろしく、お願いします」
 本当は、命懸けの護衛をつけて貰うなんて、畏れ多くて辞退したい気持ちでいっぱいだ。けれど、少年には王命を覆すことなどできない。故に、彼は諦めて王の提案を呑むしかなかった。
「……いや、こちらこそ、よろしく頼む」
 何がよろしく頼むなんだ、と思ったアグルムだったが、身を小さくしている可哀想な少年に掛ける言葉が他に見つからなかったのだ。
 そんな微妙な空気が広がる中、黄の王がさてこの状況をどうしたものかと考え出したところで、扉をノックする音が部屋に響いた。そして、王がそれに対して返事をする前に、勢いよく扉が開く。
「クラリオ様ー! 全然お呼び出しが掛からないから来ちゃいましたわー!」
「エインストラを紹介してくれるって言ったくせに遅いのが悪い!」
「ごめんなさい、クラリオ様。私は大人しく待ちましょうって言ったんですけど、皆さんがどうしてもと言って聞かなくて」
 わいわいと思い思いのことを喋りながら入ってきたのは、煌びやかな衣装に身を包んだ女性たちだった。ざっと二十人は超えているだろうか。結構な集団である。
 あまりにも不躾な入室に、しかし黄の王はぱっと顔を明るくして大きく手を振った。
「もう奥さんたちこのタイミングで入って来るとか最高ー! なになに? なんか微妙な空気になったなこれどうしようって困っちゃったクラリオくんのことを察してくれたの? すごくない? 俺愛されてるなぁ!」
 なんだか一人で盛り上がっている王を、アグルムが呆れた顔で見る。一方の少年は、王が口にした言葉に驚きを隠せずにいた。
(お、奥さん……たち……?)
 一体どれが奥さんでどれが奥さんではないのだろうか。入室した女性たちは皆似たような服装をしているから、恐らく侍女の類ではないだろう。ならば、奥方と王家の血縁者がこぞってやってきた、ということだろうか。
(いや、でも、なんで女性ばっかり……)
 正直少年は、母を思い出すから大人の女性はあまり得意ではないのだ。それがこんなに沢山となると、少々身構えてしまう。だが、そんな彼にはお構いなしに、女性たちは少年の方へとやってきた。取り囲まれることこそないが、それに近い状態に陥りかけて、少年は内心で悲鳴を上げた。
「やだー、かわいいー」
「坊や、いくつ? 十五歳くらいかしら?」
「顔色良くないぞ? 体調悪いのか?」
「まあ、本当だわ。医師を呼びましょうか?」
 心配そうにこちらを見る女性陣に、少年は大丈夫だと言って、懸命にいつもの微笑みを浮かべて返した。そんな集団と少年の間に、何も言わないままアグルムが割って入る。
「ちょっと、邪魔をしないでちょうだい」
「不躾だぞ、お前」
 少年を隠すように立ちはだかったアグルムに、女性陣からブーイングが飛ぶ。だが、アグルムに動じた様子はない。ちらりと王を見た彼は、特に表情を変化させることなく女性たちに視線を戻した。
「国王陛下から、こいつを守れと命じられているので」
 途端、女性陣から更なるブーイングが飛んでくる。まるで私たちが悪者扱いじゃないかだの、あんたの方が悪役顔だだの、割と酷いことを言われているが、やはりアグルムに堪えた様子はない。
 少年はなんとなくだが、もしかするとこの国ではこういうのが日常茶飯事なのかもしれないな、と思った。そして実際のところ、少年のその考えは正しかった。
「はーいはい、奥さんたちそこまでー。取り敢えず一旦俺の傍に来ようね」
 ぱんぱんと手を叩いた王にそう言われ、女性たちが渋々といった様子で王の元へ向かう。それを見たアグルムも少年の前に立つのをやめたが、彼の場合は傍を離れる気はないようで、少年の斜め後ろに移動しただけだった。それはそれで落ち着かないのだが、大勢に囲まれていた先程よりは遥かにマシである。
 少しだけ気持ちが落ち着いた少年は、改めて女性たちを見た。
 容姿も歳も雰囲気も、何もかもに統一性がない集団だ。黄の国の民らしき人もいれば、寧ろ雪国である銀の国あたりの出身なのではないかと思えるほど肌の白い人もいる。皆、黄の王と随分親し気な様子だが、それ以外の共通点を見出すことが少年にはできなかった。
 内心で首を傾げた少年に、女性たちと楽し気に話していた黄の王が思い出したように顔を向けた。
「ああ、悪い悪い。紹介が遅れたな。こちら、俺の奥さんたち」
 にこっと微笑んでそう言った王に、少年の思考が一瞬停止する。
「…………えっと……、皆さん、ですか……?」
 遠慮がちにそう問えば、王は勿論だと頷いた。その答えに、少年が絶句する。
 改めてきちんと数えてみると、この場にいる女性は全部で二十三人。この王は、その全てが王妃だと言うのだ。確かに貴族の重婚が認められている国は多いが、それにしたってこれだけの女性と婚姻を結んでいる人間はそういないだろう。
 内心では素直に引いてしまった少年だったが、勿論それを表情に出すことはしない。だが、そんな彼の様子がおかしいことに気づいてしまったらしい黄の王は、少しだけ首を傾げたあと、ああ、と頷いた。
「可愛くて素敵で最高な奥さんたちに囲まれてる俺を見て、羨ましくなっちゃったパターンね。いやぁ、男の嫉妬は見苦しいぞぉ」
 いや、全然そんなことはないのだが、と思った少年だったが、まさかそう言う訳にもいかないので、曖昧な微笑みを返しておいた。一方の王は、そんな少年にはお構いなしに、自分の奥方の紹介をし始めた。
 だが、何せ人数が多すぎる。名前を覚えるだけでも一苦労だというのに、加えてひとりひとりの紹介がやたらと長く、少年の記憶容量は三人目あたりから既に限界を迎えていた。
 結局、奥方の紹介がひと通り終わった段階で少年の頭に残っていたのは、自分でも呆れるほどに些末な情報のみだった。
 取り敢えず、少年が最初に抱いた印象はあながち間違いではなく、黄の国外から嫁いできた王妃がかなりいるようだった。中には、生まれがリアンジュナイル大陸以外の人もいるそうだ。
(それだけ色んな国と交流してるってこと、なのかな……?)
 だが、だからといってこんなにも王妃の国籍にこだわらないものだろうか。王家の人間ならば、そういうことには気を遣いそうなものだが。
 ぼんやりとそんなことを考えた少年は、しかしその答えを知ったところで何になる訳でもないと気づき、あっさりとその疑問を忘れることにした。こういうとき、物事にあまり執着しない性格は便利である。
「という訳で、俺の愛する奥さんたちをどうぞよろしくな! そんでもって奥さんたちは、取り敢えず大勢でキョウヤに近づくの禁止ね」
 そう言った王に、王妃たちから不満の声が上がる。何故だか判らないが、どうやら少年は王妃たちに気に入られているらしい。これまでに面識がないどころか存在さえ認知されていなかっただろうに、不思議な話もあったものである。
 とにかく少年を構いたくて仕方がない様子の王妃が多いようだったが、それでも黄の王は頷かなかった。
「ごめんねぇ。でもそれ、禁止事項に抵触しちゃうんだよなぁ。だから我慢して? ね?」
 禁止事項、という言葉に、少年が首を傾げる。一体何のことだろうかと思った少年だったが、その疑問はすぐに解けた。
 懐から何やら分厚い封筒を取り出した黄の王が、その中に入っていた便箋の束を捲り始める。
「あーほらこの項目。『キョウヤは大人の女性が苦手なので、適切な距離感を保ち、強引な言動は避けること』ってあるでしょ? まあ一人とか二人とかなら良いのかもしんないけど、あんま大勢で押し掛けるのは良くないかなぁって」
 そう言って便箋を見せられた王妃たちは、そういうことなら仕方ないわねー、と意外とあっさりと納得した様子だったが、納得がいかないのは少年の方である。
「あ、あの、禁止事項って……? それに、その手紙は……?」
「あー、これな。ロステアール王が送ってきたんだよ」
「あの人が……」
 思わずそう呟いた少年に、黄の王は大量の便箋をばさばさと振って見せた。
「見ろよこれー。めちゃくちゃ分厚いだろ? これぜーんぶお前の話なんだぜ? 寝るときは眼帯外してるから寝室覗くなとか、風呂は一人で入らせてやれだとか、広すぎる部屋だと逆に落ち着かないだろうから適度な広さの部屋を用意してくれとか、花の蜜が好物だからデザートはそういうものが良いだとか。まあそんな感じのことが、びっちり便箋二十枚分」
 いやー引くわー、と言ってケラケラ笑った王に、引きたいのはこっちである、と少年は思った。
(なんであの人、僕が花の蜜好きとか知ってるんだろう……)
 そんな話をした覚えは一切ないので、普通に怖い。
「あー、あとあれも渡されてたんだった。おーい!」
 何かを思い出したらしい黄の王が、扉に向かって声を掛ける。それを受けて部屋に入って来た侍女に王が何事か言うと、彼女は一度退室してから、何か大きな袋を抱えて戻ってきた。そして、それを受け取った黄の王が、そのまま袋を少年へと差し出す。
「ん。ロステアール王から。開けて良いぞ」
「は、はあ……」
 間の抜けた返事をしながら受け取り、言われたとおりに袋を開ける。そしてそこに入っていたものを見て、少年は顔に貼り付けていた微笑みを引き攣らせてしまった。
「…………ロスティ……」
 そう。袋の中にいたのは、あのくすんだ炎の色をした巨大なテディベアだったのだ。
「……あの、これは……」
「なんか知らねぇけど、自分と長期間離れるのはお前が寂しがるからって寄越されたぞ」
 そう言った黄の王が、袋の中を覗き込んで盛大に顔を顰めた。
「うへぇ。これ完全にあの王サマをモチーフにしたぬいぐるみだよな? 引くわー……」
「え、あ、いや、あの、別に僕は……」
 あの王がいないところで寂しくなどならないし、なんなら少年の方が絶対に引いている。そう思った少年だったが、はたと周囲に目を向けると、黄の王だけでなく王妃たちも若干うわぁという顔をしていた。それはそうだろう。当然の反応だ。だがこれに関して、少年には一切の落ち度がないのだ。
 なんとか判って貰えないだろうかと後ろを振り返った少年だったが、アグルムもまた異物を見るような目でテディベアを見ていたので、望み薄なようである。
(……なんか、もう、良いや……)
 こうして、赤の王との仲を盛大に勘違いされた状態で、リィンスタットでの生活が始まったのであった。
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