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第3章 虚ろの淵より来たるもの

円卓会議

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 少年が黄の国に向かう一週間ほど前。神の塔では、十二国の王が集う緊急円卓会議が開かれていた。
 ただし、今回招集を掛けたのは赤の王ではなく、赤、黒、金の王たちからの報告を受けた銀の王である。事態を重く受け止めた銀の王が、十二国のまとめ役として直々に会議の開催を要請したのだ。
 その甲斐あってか、今回の円卓会議では既に十一の国が席を埋めている。唯一の空席は、最も出席率の悪い黒の王のものだ。会議の時間が過ぎても空いたままのその席に、青の王は綺麗な目元を吊り上げた。
「ヴェールゴール王は今回の会議の要でしょう! それが不在とはどういうことか!」
 拳で机を叩いた彼を、ちょうど向かいに座る赤の王が、まあまあと宥めた。
「ヴェールゴール王にも何か事情があるのやもしれん。ひとまず、ヴェールゴール王が不在でも支障がない話から進められてはいかがだろうか」
「同類の問題児は黙っていて下さい」
 ぴしゃりと言い放って睨みつけて来た青の王に、赤の王が苦笑して肩を竦めた。それを見ていた黄の王が、隣に座っている橙の王に耳打ちをする。
「ロステアール王が話し掛けたら機嫌悪くなるに決まってんのに、なんだってああやって煽るようなことするのかねぇ、あの王様は」
「さてなぁ。あいつの考えていることは判らんが、もしかすると青の王をからかって楽しんでいるのかもしれんぞ?」
「またまた~。さすがにあの王様でもそんな遊び方はしないでしょ~」
 そう言った黄の王が小声で笑っていると、今度はそちらに青の王の視線が刺さった。
「リィンスタット王、大層楽しそうなご様子でいらっしゃいますが、何か良いことでもおありで?」
「げぇ、こっちに飛び火した……。いやいやなんでもないっすよぉ。ちょっとこのおっさん、じゃなかった、テニタグナータ王とお喋りしてただけですって」
「公式な会議の場でお喋りですか。さすがはリィンスタット王にテニタグナータ王。軽薄なお方と思考能力が高くないお方というのは、どこまでも気が合うのでしょうね。羨ましい限りです」
 そう言った青の王が二人の王に微笑みかけたが、勿論目は全く笑っていない。
「おい黄の小僧。お前さんのせいで儂にまで飛び火したぞ」
「いやぁでも、あんたが難しいこと考えるの得意じゃないのは事実だしなぁ」
 またもや小声でそんなやり取りをしていると、今度は紫の席に座っていた女性が、じとりと二人を見た。
「うるさい。不愉快。黙って」
 淡々と要件だけをぶつけてきたのは、紫の国の女王である。橙の王は口数少なく苦言を呈してきた彼女に軽く肩を竦めてみせたが、一方の黄の王は、ふにゃりとだらしない笑みを浮かべて頷いた。
「ベルマ殿がそう言うなら、俺黙っちゃいますぅ」
「同じことを二回言わせないで。口を開くな。あと、公式の場では国名に王をつけて呼ぶのが礼儀。そもそも公式の場じゃなくても、貴方に名前を呼ばれるのは不快」
 先ほどよりもきつい語調でそういった彼女に、なおも何か言おうと口を開きかけた黄の王だったが、横から伸びて来た橙の王の掌がその口を塞いだ。これ以上とばっちりを受けては敵わないと思ったのもあるが、何よりも先ほどから銀の王の視線が痛いのだ。流石にそろそろ黙らないと、老王の怒りに触れそうである。
 橙の王のその判断は正解だったらしく、僅かに片眉を上げた銀の王は、橙の王と黄の王をたっぷりめつけてから、全体を見回して口を開いた。
「さて、軽薄な口も塞がれたようである。王という重責を担う能力が著しく不足しているらしいヴェールゴール王の到着はまだだが、本題に移らせて貰おう」
 そう言った彼が、赤の王へと視線を投げる。それを受け、心得たと頷いた赤の王が皆を見た。
「先日緊急伝達をした通り、グランデル王国とギルディスティアフォンガルド王国が帝国からの襲撃を受けた。幸い両国の被害を極限まで抑えることには成功したが、運が良かっただけだと私は考える。前回に加え今回も、私が苦手な土俵での戦いに持ち込まれた。更に今回は、そうして私を自国に留めた上でギルディスティアフォンガルド王国に手を出している。……あれは、こちらの弱点をよく知った上での戦い方だ」
「弱点、ね。グランデル王は、帝国が円卓の弱点を熟知しているとお考えなのかな? どうして?」
 そう言って首を傾げてみせた男は、萌木の国の王だった。実年齢よりも若く見えるが、円卓の国王の中では銀の王に次ぐ年長者である。
 先達たる王は一見非常に柔らかく問い掛けたように見えたが、その場にいた王たちには、彼が赤の王の発言の真意を見定めようとしていることがよく判った。まだ幼い金の王が場に流れる空気に緊張の面持ちで臨んでしまうのも、無理ないことだろう。
 そんな中でも、しかし赤の王は常の態度を崩すことなく萌木の王へと向かった。
「簡単な話だ、ミレニクター王。私たちが円卓の連合国の王であること。それ自体が、克服することすら叶わない最大の弱点です」
 その言葉に、萌木の王は赤の王をじっと見つめたあと、静かな溜息を吐いた。
「やっぱりそこに落ちついてしまうんだね。確かに、それは僕たち全員に共通して存在する弱点だ」
「ええ。これまでは我々に並び得る敵勢力が存在しなかったため、問題になることがなかっただけです。しかし、帝国が脅威になりつつある現状において、この弱点は致命的と言って良い」
 二人のやり取りに、薄紅の王も頷いた。
「王である以上、妾たちは自分の国の被害を最小限に留めるように立ち回ることしかできないわ。それを実行しないなんて、民に対する裏切りだもの。けれど、そこを逆手に取られると厄介ねぇ。始まりの四大国の王なんて最も危ういのではなくて?」
 彼女の言わんとしていることを察した青の王が、忌々しそうに眉根を寄せる。それを横目でちらりと窺った緑の王は、薄紅の王に視線をやって静かに頷いた。
「シェンジェアン王の仰る通りですわ。私たち四大国の王は、それ以外の皆様と比較すると魔法の微調整が得意ではありません。高威力の魔法こそ扱えますが、それも調整ができないとなれば、使用できる条件は大変厳しいものになるでしょう」
「儂など、極限魔法を使えば広範囲の地形を丸ごと変えてしまうからな。領土内では使いたくとも使えん」
 そう言った橙の王が、腕を組んで唸る。そんな橙の王を見てから、青の王も息を吐いた。
「……遺憾ですが、私の水霊魔法も似たようなものです。国民ごと街を水没させる訳にはいきませんので」
 貴方もそうでしょう、というように視線を向けられ、赤の王は頷いた。
「私の場合、まさにそれが原因で、結果的に手こずることになってしまった」
 そこで、赤の王がちらりと空席に目をやる。
「真に目を向けるべきは、今回の襲撃を処理するのに、こちらは三国の力を使わざるを得なかった点だろう。念には念をと思い、黒の王にアマガヤキョウヤの護衛を依頼したが、それだけでは不十分だった可能性が大いにある。……評するならば、最悪になりかねない事態をかろうじて回避できたのかもしれない、ということになるだろうか」
 歯切れの悪い物言いに、紫の王が訝しげな顔をする。
「かもって何?」
 その問いに赤の王は、静かに金の王を見た。
 年少者だからと黙っているのだろうが、これは金の国で起こったことだ。彼にも王として発言する権利があり義務があると、そう考えての行動である。
 そんな赤の王の配慮に内心で感謝を述べつつ、金の王は紫の王へ顔を向けた。
「最悪の事態を回避できたのか、回避させられた・・・・・のか、私たちには判断できない、ということです」
「帝国がわざと手を抜いて、勝たせてくれたってこと?」
 敢えて婉曲的な言い回しをした金の王だったが、容赦なく確信を突いてきた彼女に、一瞬だが目をさまよわせた。だが、すぐに視線を定めた金の王は、しっかりと頷いて返す。
「はい。グランデル王国への襲撃も我が国への襲撃も、極少人数によるものでした。帝国が本気でどちらかの国に大きな打撃を与えるつもりだったのならば、あそこで更に兵力を投入してきたはずです」
 きっぱりとそう言った金の王に続き、赤の王も口を開く。
「無論、そうなれば我々も相応の対応を取る。それを見越して敢えて少数精鋭をぶつけたという可能性もなくはないが……」
「少数精鋭と呼ぶにはあまりにお粗末な敵だったから、そうは考えにくい、だろ?」
 そう口を挟んでウィンクをしてみせたのは、黄の王だった。
「ああ、その通りだ」
「グランデル王国の方に行ったのはヤバめの人外だったみたいだけど、ギルディスティアフォンガルド王国の方は、言ってしまえば王であれば余裕で対処できる程度の敵だろうからなぁ。グランデル王を遠ざけてまでやったのがあれって言われると、なんかちょっと考えなさすぎじゃないのって感じかね」
 そう言った黄の王に、これまで静かに話を聞いていた白の王が頷いた。
「確かに、これまでの帝国像とは少し違うように思えてしまいますね。何もかもが中途半端で、まるで浮雲のよう。……今回の事件も、表面をなぞっただけでは判らない真意があると考える方が自然なのではないでしょうか」
 思案するようにそう言った彼女に対し、金の王が頷いた。
「そうなのです。ですから、帝国を迎え撃つため、より一層の警戒と準備が必要なのではないかと」
 だが、その言葉に赤の王が首を横に振る。そして彼は、依然黙したままの銀の王を見た。
「最早迎撃でどうこうなる話ではないと私は思う。我々に課された使命は、神の塔と自国を守り抜くこと。故に、他への侵略は円卓の本意ではない。そのことは重々承知しているが、我々が王である以上、迎え撃つという選択は常にリスクを伴ってしまう」
 赤の王の言葉の意味を悟った王たちが、一様に銀の王を見る。
 それは、歴史書をたどる限り、前代未聞の事態だ。円卓の国々は、常にリアンジュナイル大陸の守護のために存在しており、それ以上にもそれ以下にもなってはいけない。
 老齢の王が、ひとつ息を吐き出す。そして彼は、忌々しげに赤の王を見た。
「時間が必要だ。……過去視のな」
 そのひとことに、王たちが小さくどよめいた。
 過去視。過去渡りとも称されるそれは、銀の国の王だけが持つ特殊な力で、文字通りあらゆるものの過去を見ることができる能力だ。更に、金の王が持つ未来視の能力と違い、これは銀の王の意思で自在に発動できる。
 ただし、その分魔力の消耗は著しく、使い方を間違えれば衰弱死しかねない危険な能力でもある。その上、過去を視る対象や遡る範囲によって消耗する魔力量が大きく変わるので、安定した過去視を行うためにはそれ相応の準備が必要なのだ。
 そんなリスクの高い能力の使用を銀の王が決めたということは、赤の王の提案が飲まれたということである。
 すなわち、
「グランデル王の言う通り、最早帝国をこれまでの帝国と捉えるわけにはいかぬ。今を以て第一級緊急事態とし、ロイツェンシュテッド帝国へ戦争を仕掛けることを提案する」
 朗々と響いたその声に、反論が上がることはなかった。この場にいる誰もが帝国を脅威として認め、排除すべき敵であると定めたのだ。
「異論はないようだな。では、もうひとつ提案させて貰おう」
 そう切り出した銀の王が、金の王へ視線を投げた。
「エインストラは、ネオネグニオ王国に管理させるべきだ」
 その言葉に、金の王が険しい表情をした。誰が見ても、銀の王の提案に異を唱えたいという表情である。しかし、銀の王はそれに構わず言葉を続ける。
「ネオネグニオ王の庇護の元、限りなく強固な結界で外界との接触を断つ。これ以上の良策はあるまい」
「お待ちくださいエルキディタータリエンデ王! それではまるで、キョウヤさんを軟禁すると言っているようなものです!」
 思わず叫んだ金の王に、銀の王が冷たい目を向ける。
「軟禁など生ぬるい。エインストラそのものを結界魔法で縛り上げ、その上で周囲を隔絶するのだ。ネオネグニオ王ならば可能であろう?」
 問われ、紫の王が黙って頷く。表情の変化が薄い彼女が何を考えているのかは判らなかったが、少なくともこの提案に後ろ向きではないようだ。
「キョウヤさんは我が国の民です! ギルディスティアフォンガルド王国の王たる私の許可なくそのような所業に出るなど、許されるとお思いですか!?」
「お主が許そうとも許すまいとも、お主以外の王たちが納得すれば、お主も首を縦に振るほかなかろうよ。そも、私はこれでも限りなく譲歩していると思うのだが?」
 一体何が譲歩だというのか、と憤慨した金の王が、赤の王を見る。銀の王はああ言ったが、少なくとも南方の国の王たちならば、民を犠牲にするようなやり方を肯定するはずがないと、そう思ったのだ。
 だが、赤の王は何も言わない。慌てて黄や橙、薄紅の王にも目を向けたが、皆気まずそうな表情を浮かべているだけだった。
 どうしたことかと再び赤の王に視線を戻した彼に向かい、赤の王がゆっくりと首を横に振ってみせた。
「ロステアール王……!?」
 信じられないものを見るような目を向けた金の王に、赤の王が口を開く。
「キョウヤが帝国の手に渡れば、リアンジュナイル大陸全体に甚大な被害が出る可能性が高いのは事実だ。そして、それを防ぐための手段として、エルキディタータリエンデ王はこれ以上ないほどにキョウヤに配慮した判断を下された。ならば、我々がそれを否定することはできない」
「配慮、など、」
 そんなものがどこにあるのだ、と言いたげな金の王に言葉を掛けたのは、青の王だった。
「十二国にとって最良である可能性が最も高い選択が何か、お判りですか?」
 質問の意図が判らず困惑の表情を浮かべた金の王に対し、青の王が溜息を吐く。
「エインストラを殺し、跡形もなく死体を処理してしまうことですよ」
「なっ!?」
「帝国が求めているのは、エインストラの能力なのでしょう? ならば、帝国に奪われる前に殺してしまえば良いのです。それだけでは不安だと言うのなら、死体はそこのグランデル王にでも焼き尽くして頂きましょう。そうすれば、エインストラが帝国の手に渡ることは有りません。それだけの話ですよ」
 あまりの言い草に絶句する金の王に、しかし他の王は何も言わない。それは、青の王の言葉が正しいことをありありと示していた。そして、ここまでくれば金の王も悟ることができた。
 到底納得できることではない。だが、それでも、青の王が言っていることは間違いなく最良に近い選択なのだ。
「……でしたら、どうして、エルキディタータリエンデ王は、」
 何故、最良を選ばなかったというのか。
 言葉にならなかったその疑問に、しかし銀の王は何も答えなかった。
 とうとう俯いてしまった金の王の肩に、赤の王の手が触れた。大きな掌から伝わる温度に顔を上げた幼王の目を、赤の王が真っ直ぐに見つめる。
「我々は、ひとりの人間である前に王なのだ。故に、個人の感情で動くことは許されない。国のために守るべきを守り、討つべきを討つことしかできないのだ。たとえその対象が私の最愛であったとしても、それが国のためになるというのならば、私は迷わずこの剣を突き立てるだろう。……王とは、そういう生き物だ」
 いっそ起伏すら感じさせないような声で、赤の王はそう言った。そして、他の王たちはただ黙している。
 しんと静まり返った空気の中、じっと赤の王を見つめていた金の王の瞳が何度か揺らぎ、小さな唇が引き結ばれる。だが、それだけだった。
 幼い王は、それでも王の挟持を以てすべてを受け止め、理解し、静かに立ち上がった。そして、銀の王に向かい、深々と頭を下げる。
「思慮に欠ける発言をしてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
 王としての覚悟と力が不足している自分を恥じた、心からの謝罪だった。
 天ヶ谷鏡哉にとって、これから起こることは耐え難いことかもしれない。けれど、金の王はその選択をしなければならないと知ったのだ。以前の円卓会議で銀の王が言っていたことが、今になって身に沁みる。
 千のために百を捨てる。その選択ができなければ、王など到底務まらないのだ。
 拳を強く握って頭を下げる幼い王に、銀の王が小さく息を吐く。
「もうい。王がそう軽々しく頭を下げるものではない」
 言われ、金の王が顔を上げる。銀の王を正面から見つめた彼は、もう一度だけ頭を下げてから着席した。それを見届けてから、銀の王が王たちを見回す。
「それでは、反対意見はないと捉えていな?」
 銀の王の言葉に、王たちが頷く。
 そのときだった。
「あれ? もう始まってたの? 皆早いね」
 この場には不釣り合いな、酷く間の抜けた声が響いて、王たちが一斉にそちらへと目を向ける。その先には、黒の国の門からひょっこり顔を出した黒の王がいた。
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