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第2章 魔導帝国の陰謀

黒の暗殺者

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 カリオスの下で彼の名を呼んでいた少年は、カリオスから返事が得られないことに酷く焦っていた。
(ど、どうしよう。さっき、すごい怪我をしちゃったのかな。それで動けなくなっちゃったのかな。僕を庇ったから、僕のせいで、)
 どうにかしなければと思うものの、少年の力ではカリオスを抱えて逃げることなどできない。
 気持ちが焦るばかりで何もできない少年は、ふと自分たちに大きな影が覆いかぶさったのに気づいて、その背筋を凍らせた。先ほどカリオスを傷つけた魔物が、二人を狙って覗き込んできたのだ。
 少年の心臓がばくばくと跳ね上がる中、魔物が二人を食らおうと牙を突き立てる。だが、その牙が二人を覆う雷の膜に触れた途端、魔物は悲鳴を上げて跳び退いた。どうやらカリオスが張った雷の盾は、魔物を倒すほどの威力はないものの、退けることはできるようである。
 しかし、この雷の盾もいつまで保つか判らない。いよいよ追い詰められてしまった少年が、こんなことなら最初に言われたときに眼帯を取っていればと後悔したそのとき、
「…………え……?」
 雷の盾越しに自分とカリオスを見下ろしていた魔物の身体が、突然ぐらりと横に傾き、大きな音を立てて地面に倒れ伏した。そのまま霧状になって霧散したそれに、少年は幻影の魔物が倒されたのだと察する。だがしかし、何がどうなった結果そうなったのかがまるで判らない。
(な、なんで……!?)
 突然のことに一瞬身を固くした少年だったが、すぐにこのまま倒れている訳にはいかないと判断する。何しろこの体勢ではほとんど空しか見えず、現状を把握することすらままならないのだ。そう考えて、なんとかカリオスの身体を支えながら上半身を起こして周囲に視線を巡らせた彼は、その目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
 最早数えきれないほどの量になって辺りを埋め尽くしていた魔物たちが、次々と倒れて消えていっているのだ。少年の少し前にいる魔物が倒れたと思えば、今度は斜め後ろで、更に次はやや離れた位置で、といった風に、不規則に魔物たちが地面に伏しては、霧となって消えていく。少年の目には、あちらこちらで生じるその現象が、同時多発的に起こっているもののように見えた。
 だが、その現象を引き起こしている原因については、皆目見当もつかない。もしやあの貝が生み出す幻には欠陥があって、そのせいで勝手に消えているのだろうか。しかし、その割に消えていった魔物たちから不調の兆しのようなものを見て取ることはできないし、魔物たちの方もやや困惑したように視線を巡らせているようだった。
 もちろん少年がそう考えている間にも、連続的な魔物の消滅が止まることはない。何が起こっているのかを把握しきれないでいる少年は、しかしこの現状は紛れもない好機であると判断し、目を閉じてぐったりとしたままのカリオスへと視線を移す。だが、カリオスの背中の傷を見て、少年は小さく悲鳴を上げて目を見開いた。
(ひ、酷い怪我……!)
 カリオスの背には、鋭い何かで抉られたような傷があったのだ。
(き、きっと、さっき僕を庇ったときにやられたんだ……)
 少年には医療の知識などないので判らないが、出血量から察するに傷は浅いとは思えず、このまま放っておけば命に係わるのではないだろうかと思えた。
「カ、カリオスさん」
 震える声でカリオスの名を呼んだ少年だったが、彼からの返事は得られない。それどころか、彼の苦しそうな呼吸はどんどん浅くなっているような気さえした。
(ど、どうしよう。カリオスさん、すごく苦しそうだし、やっぱりこのままにしておくのは危険だ……。でも、どうやってここから逃げれば……)
 そう、いくら謎の減少で魔物が減ってきているとは言え、敵はまだ半数以上残っている。そんな中、カリオスを引き摺って逃げるなど不可能だろう。自分一人だけ逃げるという手段も選択肢としてあるが、身を挺して自分を守ってくれたカリオスを見捨てて逃げられるほど、少年は勇敢ではなかった。
 迷った挙句、結局一人で逃げることも二人で逃げることもできなかった少年は、その罪悪感からか唇を強く噛んだ。だがそのとき、不意にすさまじい悲鳴が少年の耳を叩いた。
「っ!?」
 金属を擦り合わせたような不快なそれは、少年の背筋を凍らせるほどに怨嗟と呪いにまみれた声音で、まるで聞いたことがない言語のような音が捲し立てるように吐き出されている。聞いているだけで震えそうになるような恐ろしい悲鳴に、少年はほとんど反射的に声の方を振り返った。すると、二人の後ろ、それなりに離れたその場所で、巨大な貝が大きく殻を開けて、その軟体をでろりと地面に伸ばしてのたうっているのが目に入った。貝は苦痛に呻くように何度も地面を叩き、その衝撃で大地が揺れる。だが、それも短い間のことだった。
 何かを呪うような耳障りな叫び声を上げた貝がその軟体を一際強く地面に打ち下ろしたかと思うと、それを最後に、貝はぴくりとも動かなくなった。そして同時に、まだ多く残っていた幻たちが全て霧散する。
 少年には、何も判らなかった。何も判らなかったが、それでも、幻を生んだ本体である貝が死に、カリオスを追い詰めた幻たちが消えてなくなったのだということだけは、察することができた。
 そして後に残ったのは、死体と、めちゃくちゃに荒らされた森と、少年と、未だにぐったりとしているカリオスだけである。
 唐突に静けさを取り戻した空気に困惑を隠せないでいる少年が動けずにいると、不意にカリオスが小さく呻くのが聞こえて、少年は慌てて彼の方へと視線をやった。
「カリオスさん!?」
「っ、……少し、意識が飛んでいた、ようです。申し訳、ありません」
「い、いえ、そんな、謝るようなことじゃ……、それより、大丈夫なんですか……?」
 不安そうな声で訊く少年に大丈夫だと答えてから、カリオスはゆっくりと身体を起こした。
「酷い怪我ですし、急に動いたら危ないんじゃ、」
 思わずカリオスの肩を抱き支えるようにして補助した少年に、カリオスが微笑みを返す。
「しかし、グランデル王陛下の恋人であるキョウヤ殿に抱き支えて頂くのは、少々問題があるのではないかと」
 少しだけ笑うようにして言われた言葉に、少年が小さな悲鳴を上げて、カリオスから手を離した。カリオスを支えたのはほとんど反射のようなものだったので、相手に触れるという行為を意識していなかったのだ。だが、改めて言われると恥ずかしいやら畏れ多いやらで、申し訳なさすら込み上げてくる。
 もしかして不快な思いをさせてしまっただろうかと少し不安になった少年だったが、カリオスの表情からその心配はいらないらしいと察し、安堵したように息を吐いた。カリオスは少しだけふざけたような声だったし、きっと少年の緊張を解すためにああいう言い方をしたのだろう。
 上半身を起こして深く息をついたカリオスは、手を開いたり閉じたりして何かを確認した後、少年を見て微笑んだ。
「ご安心ください。もう身体の毒も消えたようだ。恐らくは、幻が消えたからでしょう。幻が生み出したものは、その幻が消えれば消えるのが道理というもの。毒などは、その最たる例です。無論、毒が消えるまでの間に私が消耗した分はなかったことにはなりませんが、これならば動いても問題ないでしょう」
 カリオスとしては少年を安堵させようと思っての発言だったのだろうが、しかしその言葉を聞いた少年の顔色はさっと青褪めてしまった。
「ど、毒!?」
 その少年の反応に、カリオスが思わずしまったという表情を浮かべる。カリオスは失念していたようだが、そもそも少年はカリオスが毒に侵されたことなど知らなかったのだ。カリオス・ティグ・ヴァーリアは優秀な師団長だが、どうやら疲労と怪我の影響か少々判断力が鈍っているらしい。
「い、いえ、毒と言っても大したものではないのです。少々身体が痺れる程度と言いますか、」
 カリオスが慌てて取り繕おうと言葉を並べていると、不意に二人の頭上から呆れたような声が降ってきた。
「少々身体が痺れる程度? あの毒、割と強力な麻痺毒っぽかったけど。実際あんた、もう少し遅かったら呼吸困難になってたんじゃない?」
 本当に唐突に聞こえたその声に、少年がびくっと肩を震わせて声の方を仰ぎ見た。その視線の先、少年の正面で腰を下ろしているカリオスのすぐ後ろに、いつの間にか人が立っている。
 驚いたことに少年は、声を掛けられるまでその存在を一切認識できなかったようだ。少年の正面という、通常ならば気づかないはずがないような位置に立っているにも関わらず、である。
 そのことに驚愕した少年は、その人物の顔を見て更に驚くこととなる。
「ヨ、ヨアン、さん……?」
 突然声を掛けてきたのは、さきほど少年を見捨てていなくなったヨアンだったのだ。
 少年が驚きを隠せないでいる中、一方のカリオスは、どこか慌てたように身体ごと背後を振り返ると、片膝をついて深く頭を垂れた。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。ご助力、深く感謝申し上げます、ヴェールゴール王陛下・・・・・・・・・・
 畏敬の念と共にカリオスが口にしたその言葉に、少年が目を丸くする。
「…………え? あ、あの……?」
 今、カリオスは何と言ったのだろうか。ヴェールゴール王と、そう聞こえた気がする。ヴェールゴールと言えば、リアンジュナイルの東端に位置する小国だ。十二国に宛がわれた色に倣い、黒の国と呼称する人も多い。つまり、ヨアンと名乗ったこの青年は、どうやら黒の王であるらしいのだ。
 あまりのことに回らない頭でなんとかそこまで把握した少年は、しかしその現実が受け止められないといった風にヨアンを見上げた。そんな彼に、ヨアンが首を傾げる。
「なに?」
「い、いえ、あ、あの、……国王陛下、で、いらっしゃるの、ですか……?」
 恐る恐る紡がれた声に、ヨアンはやはり小首を傾げたあと、あっさりと頷いて肯定してみせた。
「うん。そうだけど、それが?」
 ひえっ、という声は、あまりのことに発することさえできなかった。
 なんでもないことのように肯定してみせたヨアンに、ただでさえ良くなかった少年の顔色が更に悪化する。まさに顔面蒼白になってしまった彼は、何度かヨアンを見て口をぱくぱくとさせた後、ばっと這いつくばって地面に額を擦り付けた。
「も、申し訳ありません! 国王陛下とは知らず、失礼致しました!」
 国王に対して頭を下げなかった上にその名を気安く呼んでしまったとなると、不敬罪を言い渡されても不思議ではない。赤の王が気安い性質なので感覚が鈍ることもあるが、一国を統べる相手と接するならばそれ相応の対応というものがあるのだ。
 この程度の謝罪で許されるとは到底思えないと少年は酷く怯えたが、そんな彼の様子にヨアンは面倒臭そうな表情を浮かべた。
「別に良いよ。俺、そういうの気にしないから。あんまり頭下げられてもめんどくさいし。だからさっさと顔上げて。エインストラだけじゃなくてあんたもね」
 あんたというのは、恐らくカリオスのことを指したのだろう。それを証拠に、カリオスが苦笑と共に顔を上げる気配がした。それを受けて、少年の方も恐る恐る顔を上げる。そうして見上げたヨアンの表情にはこれといった変化はなく、どうやら彼は本当に気にしていないようだった。
 二人が叩頭を止めたことに満足したのか、それで良いといった風に頷いたヨアンは、次いでカリオスに視線をやって口を開いた。
「取り敢えずあんたはさっさと傷の手当てした方が良いよ。その背中の傷、けっこう深いみたいだし」
 さらっと言ったヨアンに、カリオスが焦ったような表情をするのと、多少良くなりかけていた少年の顔色がまた悪化するのがほぼ同時だっただろうか。
「す、すみません! 僕なんか庇ったから……!」
 気が動転していて頭から飛んでしまっていたが、カリオスは大怪我を負っているのである。こんなところで悠長に話している場合ではないだろう。
 今度はカリオスに向かって土下座しそうな勢いの少年に、カリオスが慌てて首を横に振る。
「いいえ、キョウヤ殿が気にすることはありません。私の鍛錬不足が招いたことですから」
 そう言って少年を落ち着けさせてから、カリオスが恨めしそうな目でヨアンを見る。
「ヴェールゴール王、あまりキョウヤ殿を困らせないで頂きたい」
「困らせてるつもりないんだけど。だって事実じゃん」
 首を傾げたヨアンに、カリオスが深くため息を吐く。だがその拍子に傷が痛んだのか、彼は少し身体を丸めて小さく呻いた。
「ああほら、やっぱり大怪我なんじゃん。意地張るのも良いけど、ほどほどにしないと死ぬよ」
「死ぬほどの怪我ではございません」
 暗にこれ以上少年の不安を煽るようなことを言うなと伝えるように、ぎっと睨んできたカリオスに、ヨアンは肩を竦めてみせた。
「まあ良いけどね。取りあえずついでだし、俺が応急処置くらいはしてあげる。白の国の薬使うから、ある程度治癒できるはずだよ」
 そう言ったヨアンが、上着の内ポケットから薬や包帯を取り出す。そんな彼の行動が予想外だったのか、カリオスは少しだけ慌てたような顔をした。
「い、いえ、そんな、ヴェールゴール王陛下のお手を煩わせる訳には、」
「もう十分煩わせられたから、これくらいオマケみたいなもんだよ。寧ろここであんたを放置して後遺症とか残る方が面倒。判ったら黙って背中見せて」
 ぴしゃりと言われ、カリオスが口をつぐむ。ヨアンの言っていることは間違いなく事実だったので、反論のしようがなかったのだ。
 慣れた手つきでカリオスの傷口に薬を塗って包帯を巻いていくヨアンを、少年がじっと見つめる。
 状況から判断するに、あの窮地を救ってくれたのは黒の王なのだろう。だが、一体どうやってあの魔物を倒したのだろうか。というか、あんなに簡単に倒せるのならば、何故一度少年を見捨てるようなことをしたのだろう。考えれば考えるほど、疑問は深まるばかりである。
 そんな少年の視線を鬱陶しく思ったのか、応急処置の手を止めないままヨアンが少年を見た。
「なに?」
「え、あ、いや、な、なんでもありません」
「何か気になってるからそういう目で見てるんでしょ。気になることがあるなら言って。俺に答えられることなら答えてあげる」
 そんなことを言われても、少年は国王相手に堂々と質問をするような度胸など持ち合わせていないのだ。だが、淡々としたヨアンに気圧されてしまった少年は、結局おずおずと口を開いた。
「……えっと、あの、さっきの魔物を倒したのは、ヴェールゴール王陛下なのでしょうけれど、……あの、どうやって、倒したんだろうって……」
「どうもこうも、殺しただけだよ」
 何を言っているんだ、という顔をしてそう言ったヨアンに、少年が困惑したような表情を浮かべる。それを見かねたのか、カリオスが助け舟を出すように口を開いた。
「ヴェールゴール王国は、優れた隠密技術を持つことで知られています。その国の国王陛下ともなれば、その技術や能力はリアンジュナイル大陸一、……いえ、この世界一と言っても差し支えないでしょう。つまり、ヴェールゴール王陛下は、あの魔物を暗殺したのです」
「あ、暗殺、ですか……?」
 そのやり取りに、ヨアンが納得したような顔をした。
「ああ、そういう質問だったのか。うん、そこの師団長の言う通り。俺には魔物の本体がどれかとかわかんないし、取り敢えず片っ端から暗殺した。で、途中で本体に当たったから残りの幻が全部消えた。そんな感じ」
「で、でも、僕、あのとき、ヴェールゴール王陛下の姿なんて全然見えなくて……。そもそも、魔物は、同時に何体も倒れたりしてたし、……あ、もしかして、広範囲に効く攻撃魔法を遠くから打った、とか、でしょうか……?」
 少年なりに頭を回転させた結果の発言に、しかしヨアンは首を傾げた。
「いや? 俺はそういう魔法得意じゃないから、一体一体地道に殺してっただけだよ。第一、そんなあからさまな魔法なんか使ったら一発で存在がバレちゃうじゃん。あんた隠密の意味判ってる?」
 何故だか判らないが貶されてしまった少年は、何が悪いのか判らないまま、すみませんと小さく謝った。そんな彼を見て、カリオスが慌ててフォローに入る。
「ヴェールゴール王陛下、もう少し言い方を考えてください。キョウヤ殿も、そう委縮することはないのです。ヴェールゴール王陛下は歯に衣着せぬ物言いをされるというだけで、悪気もなければ責める気もないのですから」
 そう言って少年を慰めたカリオスが、続けて言葉足らずなヨアンの説明の補足をしようと口を開く。
「ヴェールゴール王陛下は、身体強化魔法を得意とされていらっしゃいます。今回の戦闘でも、それを使用されたのです。キョウヤ殿は魔物が同時に倒れたと仰いましたが、厳密には違う。ヴェールゴール王陛下が、同時に倒れたと錯覚してしまうほど速く魔物を倒しただけなのですよ」
 そんなことが人間に可能なのかと驚く少年の正面で、ヨアンがうんうんと頷く。
「そうそう。あとは敵に気づかれないように存在を消してた。だからあんたが俺を認識できるわけがないよ。事実、俺が正面に立ってても声掛けるまで気づかなかったでしょ」
 言われた内容を理解し、少年は僅かに戦慄した。
 つまり、このヨアンという男は、相手に認識されずに相手を殺すことができるのだ。そんなもの、敵に回した時点で終わりのようなものではないか。
 その考えに至った少年は、そして同時にある可能性に気づく。彼がそれほどまでに優れた暗殺者だというのならば、本格的な戦争が始まる前に帝国をどうこうできてしまうのではないだろうか。
 しかし、少年がおずおずとそのことを尋ねると、ヨアンは難しい顔をして首を横に振った。
「それは無理。今回帝国を偵察してきて判ったけど、俺に帝国の上層部は殺せない。俺は殺せる相手なら絶対に殺せるけど、殺せない相手は殺せないから」
 相変わらず難解な言い方をするヨアンに、いまいち理解できなかった少年が何も言えずにいると、それを察したらしいヨアンが少しだけ思案するような表情をしたあと、口を開いた。
「俺は暗殺とか諜報は得意だけど、正面切った戦闘はあんまり得意じゃないんだ。だから、相手に存在を認識させない状態で殺す。逆を言うと、存在を認識されちゃうと、格下じゃないと殺すのは難しい。つまり、俺の攻撃が当たる前に俺の存在に気づけるような相手は殺せないってこと。で、帝国の上層にはそういう奴らがいた。まあ、正確にはその上層部の人間の魔導契約相手に気づかれるだろうなって感じだったんけど」
 やや顔を顰めてそう言ったヨアンに続けて、補足するようにカリオスが口を開く。
「ヴェールゴール王陛下が一度キョウヤ殿から離れたのは、魔物から離れて身を潜めるためだったのでしょう」
 言われ、ようやく少年は納得した。あのときヨアンは少年を見捨てたのではなく、態勢を立て直していただけなのだ。
「しかし、あの魔物はヴェールゴール王陛下が一度引くほどの脅威だったのでしょうか? 陛下が直接的な戦闘を好まれないのは存じ上げておりますが、それでもわざわざ一度撤退する必要があったとは思えません」
 訝し気にそう言ったカリオスに、ヨアンはすっと目を細めた。
「……念のため、ね。帝都にヤバいのがいてさ。あれが一枚どころか何枚も噛んでるみたいだったから。まあ、その辺は次の円卓会議で話すから」
 暗に面倒だからそれ以上は訊くなと言うような態度のヨアンに、カリオスもそれ以上問いただすような真似はしなかった。
「……あの、カリオスさんが一人で僕を助けに来てくださったのは、ヴェールゴール王陛下に言われたから、ですか……?」
 少年は出来る限り問いの本質から遠ざかるような言い方を選んで発言したが、どうやらヨアンには正しく伝わってしまったようで、彼はちらりとカリオスを見てから口を開いた。
「言いたいことはなんとなく判るよ。あのまま師団を率いて来てれば、この師団長がここまで大怪我することはなかっただろうね。でも、そんな大所帯で駆け付けたら、いくら敵が馬鹿だって気づくんじゃないかな。で、さっさとあんたを連れて逃げられちゃってたかも。誰も追って来てないと思い込んでたからこそ、ここで悠長にあんたをいたぶって遊んでたんだろうし。あとはまあ、そうだなぁ」
 やはりカリオスに視線を投げたヨアンが、肩を竦めた。
「師団員が何人か死ぬのと、師団長一人が重症を負うの、どっちの方がこの国にとってでかい損失かって話じゃない? 俺が赤の王から受けた依頼はエインストラの護衛だけど、ついでに余裕があれば金の国のことも気遣ってくれって頼まれてたから」
 相変らず的を射ないような言い回しをしたヨアンだったが、その言葉が意味するところを正確に把握できたカリオスは、改めて深々と頭を下げた。
「そのご判断に、深く感謝申し上げます」
「いらないよ。感謝するなら報酬支払う赤の王にしたら?」
 そう言ったヨアンに、少年が驚いた顔をした。
「えっ、お金、取るんですか……?」
 思わずといった風に口をついて出た言葉に、ヨアンは飽きれた顔をする。
「何言ってんの。当たり前でしょ。俺はただ働きなんて嫌だよ」
 そもそも帝国関連のことはリアンジュナイル大陸全土に渡る問題なのだから、それに関する対抗策で金銭のやりとりが発生するとは思っていなかったのだが、そんなことはないらしい。
「あ、あの、ちなみに、おいくらくらいなのでしょうか……? 僕を守るという依頼ですし、僕も負担した方が良いんじゃないかと思うんですが……」
 さすがに全額をあの赤の王に支払わせようと思えるほど、少年は肝が据わっていないのである。しかし、言われたヨアンは変な顔をしたし、カリオスも困ったような表情を浮かべている。
「……まあ、良いんだけど、あんたただの刺青師でしょ? 払えるのかなぁ」
「そ、そんなにお高いんですか……?」
「うーん。護衛の基礎料金と、俺をひと月拘束する拘束手当と、途中であんたを攫った騎獣を追いかけさせられたから騎獣追尾手当も加算だな。あとは魔物討伐手当に、そこの師団長を応急手当した手間賃を加えて、そこから国王割を効かせると、…………ざっと金貨二十枚ってところかな。うーん、ちょっと安すぎる気もするけど、まあ同じ国王のよしみってことで良いや」
 ヨアンからすれば実に良心的な値段であるという判断なのだろうし、カリオスの方も、なんと国王割があるとそこまで安くなるのか、というような顔をしていたが、尋ねた本人である少年の方はたまったものではない。
(ひ、ひええっ! 金貨二十枚……!?)
 金貨二十枚というと、あともう四枚ほどで少年のおおよその年収に届くような大金である。頑張って半分くらいは負担できないかと考えていた少年は、自分の見積もりの甘さに愕然とした。
「ね、無理でしょ?」
「…………あ、あの、分割、とか、して頂けるなら、なんとか……」
「いらないよ。さすがの俺も庶民から搾り取る気はないし。赤の王が全部払うって言ってるんだから払わせとけば良いじゃん。どうせあの王様、他に使うアテもないんだろうし」
「う、うぅ……」
 見事に撃沈した少年に励ましの言葉をかけたカリオスが、次いでヨアンに向かって口を開く。
「ヴェールゴール王、せめて私の手当の分の手間賃くらいは、私にお支払いさせてください」
「はい却下。俺が契約したのは赤の王であって、あんたじゃない。だからあんたから金を貰う気もない。どうしても払いたいなら後で赤の王に支払って。あっちからもこっちからも支払われると経理が面倒なんだよ」
 どうやら、ヴェールゴール王は経理の負担のことまで考えてくれる王らしい。なんというか、話せば話すほど、少年が想像している国王とはかけ離れているような気がした。
(あの人もすごいけど、この人もすごいな……。もしかして王様って、皆ちょっと変なのかな……)
 そんなやり取りをしていると、遠くから十数頭の騎獣が空を翔けて来るのが少年の目に入った。恐らく、カリオスの部下がこちらの様子を見に来たのだろう。どうやら、ようやくこの事件もひと段落しそうである。
 安堵のあまり気が抜けたのか、騎獣を見上げて手を振っているヨアンをぼーっと見ながら少年は思うのだ。
 ヴェールゴール王国は、大変商魂逞しい国なのだなぁ、と。
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