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愛縁危縁 3
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「……ほう」
長の言葉に、朧が少しだけ目を細める。
「八年ほど前に、幼いこの子を連れた旅の夫婦が里に訪れましてね。里から見えるあの山の頂上付近に生えている高山草を採りに来たのだが、幼子を連れて行くのは難しそうだから、一日だけ預かって貰えないか、と言われて、私共は快諾しました。実際、子連れであの山に立ち入るのは難儀しますからね。……ですが、それっきり、この子の両親は帰って来なかったのです」
はあ、という溜息と共に吐き出されたその言葉に、朧が首を傾げる。
「何故捨てられたのだと? こう言うのは適切ではないかもしれませんが、山に行ったきり帰って来なかったというのならば、事故や遭難の可能性もあるでしょうに」
その指摘に、里長は首を横に振る。
「私共も最初はそう思いました。里の男連中総出で、山を捜索したりもしましたとも。ですが、手掛かりらしい手掛かりは一向に見つからず、これ以上の捜索は難しいのではないかという話が出たあたりで、我が家の財の一部がなくなっていることに、家内が気づいたのです」
「財、と言いますと?」
「里長として、里に何かがあったときのためにと貯めていた金です。壺に入れて人の目の届かないところへしまっていたのですが、その壺の内のひとつがなくなっていました」
「……彼のご両親が盗んだとお考えなのですね?」
朧の言葉に、長は頷いた。
「壺のことは里の者には言っていなかったのですが、このようなことがあったので里中に話をしたところ、ちょうどこの子の両親が山へ行ったのと同じ日に山に入っていた者が、この子の両親が大事そうに壺を抱えているのを見たそうで。……恐らく、厄介者のこの子を捨てるだけでは飽き足らず、ついでとばかりに金も盗んでいったのでしょう。私共がそれに気づいたのは、この子の両親が消えてもう三日も経った後でしたので、追いかけることもできず、結局金は戻らずじまいです」
そう言って、長は深い溜息を吐き出した。
「盗まれたのが里のためにと用意していた金であるせいか、里の皆は兎角この子を追い出したがりましてな。中には、親の不始末は子に償わせるべきだとして、叩くなり焼くなりして殺してしまえなどという物騒なこと言い出す輩もいました。ですが、両親が大きな罪を犯したからといって、この子がそのすべてを背負う必要はない。殺すなどもっての他ですし、親に捨てられた上に私共にまで捨てられてしまっては、この子は生きていくことができないでしょう。それは余りに惨い仕打ちです」
「それで、この家で引き取ることにされたのですか?」
「はい。反対の声は強かったですし、未だに里の者はこの子を邪険に扱いますが、それでもなんとか説得し、ここに住まわせられるようにしました。ですが、里の者の気持ちを考えるなら、ただ住まわせておくだけという訳にはいきません。だから、使用人のようなもの、なのです」
里の人々の気を静めるために、椿は長の家の子としてではなく小間使いのようなものとして扱い、里の人々の目につくように、わざと迫害するような真似をしている。そうでもしなければ、この家で行われているような軽い仕打ち程度では済まないような目に合わされるかもしれないのだ、と。長は重苦しい声でそう言った。
「なるほど。そういうことだったのですね」
神妙な顔で頷いた朧が、椿を見る。その視線を受けて、椿は唇を噛んで俯いた。朧にこの話を聞かれるのが、恥ずかしくて仕方がなかったのだ。
自分を捨てた親がしたこととは言え、血縁者である椿が無関係であるとは言えない。少なくとも、椿はそう思っている。だから、まるで自分の汚れた部分を晒してしまったようで、とてもではないが朧の方を見る勇気は出なかった。優しかった彼の表情が侮蔑に染まっていたらと思うと、どうしても顔を上げることができなかった。
「事情は判りました。しかし、そうするともしや……」
そう言って里長を見た朧に、長が頷く。
「先程仰っていた儀式の話ですね? …………はい。お察しの通り、椿は十日後に行われる儀式の贄です」
無理矢理に押し出すような声で発された長の言葉に、椿がきゅっと拳を握る。
儀式、とは、古くからこの里で受け継がれている、人身御供のことだ。おおよそ百年に一度、この山に住む神に、里の者を一人差し出す。それを怠れば神は怒り、里に災いを降らすという。
迷信やただの言い伝えではない。遥けき昔に交わされた約束事だ。
かつて、里の人間たちは山を荒らし、草木やそこに住む生き物たちを脅かした。まるで我が物顔で山を蹂躙する人々に怒った山の神は、自らの山肌を削って大規模な土砂崩れを起こし、里を壊滅させた。そして、僅かに生き残った里の人間たちに対して、言ったのだ。百年に一度、里に根付いた人間を一人我が元へと献上せよ。その者の命を以って、犯した罪を償い続けるがいい、と。
それからずっと、儀式と呼ばれる贖罪は続けられている。一度でも背けば、山の神は今度こそこの里を滅ぼしてしまうだろうと。人々は怯えながら、永遠に罪を濯ぎ続けている。
朧に向かってぽつりぽつりと語られる里長の話を聞きながら、椿はより一層に背を丸めて俯いた。
一方、長の話を興味深そうに聞いていた朧は、ちらりと椿を見やってから、長に視線を戻して柔く笑んだ。
「とある山里で、山の神に生贄を捧げる儀式を行っている、という噂を聞いてここへ来たのですが、そういった事情があったのですね」
朧の言葉に、長は数度瞬いてから苦笑した。
「もしや薬師様も、儀式を見てみたいと仰るので?」
「ああ、いえ、神聖な儀式の場に部外者が入るのはよろしくないでしょう。ただ私はそういった不思議な話が好きなもので、こうしてお話を伺えたらと思っていただけですよ。……しかし、薬師様も、と仰るということは、他にも私のような者が訪ねてきたことが?」
首を傾げた朧に、長は少しだけ慌てたように首を横に振った。
「いえいえ、薬師様のような高尚な方は滅多にいらっしゃいません。ただ、時折道楽気分で儀式を見せろという厄介な輩が来ることがあるのですよ。勿論そういう相手には、今のような儀式の話などせずに追い返しますがね」
別に迷惑だとか失礼なことを考えた訳ではないのだと弁解するように、長はそう言って笑った。そんな彼に、朧もまた微笑みを返す。
「ご迷惑でないなら良かった。とは言え私も、薬師稼業の傍らで不思議な話を聞いて回る悪癖がありますので、不躾なようでしたら仰ってくださいね。ああ、勿論、お話を聞かせていただけた場合は、お礼として日持ちする常備薬などを提供させていただきますが」
ひとまず今いただいたお話の分は、食事が終わったあとにでも、と言った朧に対し、長は判りやすく目の色を変えた。
「お話をするだけで、薬をご提供いただけると?」
「ええ、当然のことです。この里の方々が目にし、伝えてきた貴重な経験をお話いただくのですから」
その言葉に、長は何かを確認するように妻を見てから、それでは、と口を開いた。
「我が家に代々受け継がれている、儀式に関する書物があるのですが、ご覧になりますか?」
「おや、よろしいのですか? 貴重なものでしょうに」
首を傾げた朧に対し、長は構いませんと言った。
「我が里が犯した罪を濯ぐための儀式の話であり、言ってしまえば里の恥のようなものではありますが、それで少しでも薬師様を楽しませることができるのでしたら」
「そうですか? ……では、図々しいことで恐縮ではありますが、お願いしても?」
「勿論ですとも。それでは、お食事が済み次第お持ちいたしましょう」
そうとなったらまずは腹ごしらえですな、と笑って会話に一区切りをつけた長は、そこでふと思い出したように椿を見た。
「ああ、お前、まだいたのか。お前も早く食事を済ませてきなさい。この後もやることが沢山あるんだろう?」
「……はい、旦那様」
返事をした椿は、俯けていた顔をそのままに頭を下げてから、畳に視線を落としたまま退室した。
その小さな背を見送ってから、朧は食事に手をつけつつ、そういえばと口を開く。
「お話を聞く限り、里の皆さんは儀式にあまり前向きではないように受け取れたのですが、私の印象に間違いはないでしょうか?」
突然何を言い出すんだ、という顔を一瞬した長は、しかしすぐにそれを消して、こくりと頷いた。
「当然です。誰が好き好んで、里で育った子を贄に捧げようと思うでしょうか。……しかし、致し方ないのです。そうしなければ里が滅ぶのであれば、我々は多くのためにひとつを犠牲にします。……椿には本当に可哀相なことをしてしまうとは思いますが……、……あれの両親の行いがある以上、里の者は椿以外の贄を許さないでしょう。…………それは、私も同じことです」
重苦しく吐き出すような声で、長はそう言った。その言葉に、妻たちも表情を暗くして俯く。
そんな様を見て、ふむ、と言った朧は、少しだけ考えるように押し黙ったあとで、再び口を開いた。
「では、私がその神様を退治してしまっても構わないでしょうか」
長の言葉に、朧が少しだけ目を細める。
「八年ほど前に、幼いこの子を連れた旅の夫婦が里に訪れましてね。里から見えるあの山の頂上付近に生えている高山草を採りに来たのだが、幼子を連れて行くのは難しそうだから、一日だけ預かって貰えないか、と言われて、私共は快諾しました。実際、子連れであの山に立ち入るのは難儀しますからね。……ですが、それっきり、この子の両親は帰って来なかったのです」
はあ、という溜息と共に吐き出されたその言葉に、朧が首を傾げる。
「何故捨てられたのだと? こう言うのは適切ではないかもしれませんが、山に行ったきり帰って来なかったというのならば、事故や遭難の可能性もあるでしょうに」
その指摘に、里長は首を横に振る。
「私共も最初はそう思いました。里の男連中総出で、山を捜索したりもしましたとも。ですが、手掛かりらしい手掛かりは一向に見つからず、これ以上の捜索は難しいのではないかという話が出たあたりで、我が家の財の一部がなくなっていることに、家内が気づいたのです」
「財、と言いますと?」
「里長として、里に何かがあったときのためにと貯めていた金です。壺に入れて人の目の届かないところへしまっていたのですが、その壺の内のひとつがなくなっていました」
「……彼のご両親が盗んだとお考えなのですね?」
朧の言葉に、長は頷いた。
「壺のことは里の者には言っていなかったのですが、このようなことがあったので里中に話をしたところ、ちょうどこの子の両親が山へ行ったのと同じ日に山に入っていた者が、この子の両親が大事そうに壺を抱えているのを見たそうで。……恐らく、厄介者のこの子を捨てるだけでは飽き足らず、ついでとばかりに金も盗んでいったのでしょう。私共がそれに気づいたのは、この子の両親が消えてもう三日も経った後でしたので、追いかけることもできず、結局金は戻らずじまいです」
そう言って、長は深い溜息を吐き出した。
「盗まれたのが里のためにと用意していた金であるせいか、里の皆は兎角この子を追い出したがりましてな。中には、親の不始末は子に償わせるべきだとして、叩くなり焼くなりして殺してしまえなどという物騒なこと言い出す輩もいました。ですが、両親が大きな罪を犯したからといって、この子がそのすべてを背負う必要はない。殺すなどもっての他ですし、親に捨てられた上に私共にまで捨てられてしまっては、この子は生きていくことができないでしょう。それは余りに惨い仕打ちです」
「それで、この家で引き取ることにされたのですか?」
「はい。反対の声は強かったですし、未だに里の者はこの子を邪険に扱いますが、それでもなんとか説得し、ここに住まわせられるようにしました。ですが、里の者の気持ちを考えるなら、ただ住まわせておくだけという訳にはいきません。だから、使用人のようなもの、なのです」
里の人々の気を静めるために、椿は長の家の子としてではなく小間使いのようなものとして扱い、里の人々の目につくように、わざと迫害するような真似をしている。そうでもしなければ、この家で行われているような軽い仕打ち程度では済まないような目に合わされるかもしれないのだ、と。長は重苦しい声でそう言った。
「なるほど。そういうことだったのですね」
神妙な顔で頷いた朧が、椿を見る。その視線を受けて、椿は唇を噛んで俯いた。朧にこの話を聞かれるのが、恥ずかしくて仕方がなかったのだ。
自分を捨てた親がしたこととは言え、血縁者である椿が無関係であるとは言えない。少なくとも、椿はそう思っている。だから、まるで自分の汚れた部分を晒してしまったようで、とてもではないが朧の方を見る勇気は出なかった。優しかった彼の表情が侮蔑に染まっていたらと思うと、どうしても顔を上げることができなかった。
「事情は判りました。しかし、そうするともしや……」
そう言って里長を見た朧に、長が頷く。
「先程仰っていた儀式の話ですね? …………はい。お察しの通り、椿は十日後に行われる儀式の贄です」
無理矢理に押し出すような声で発された長の言葉に、椿がきゅっと拳を握る。
儀式、とは、古くからこの里で受け継がれている、人身御供のことだ。おおよそ百年に一度、この山に住む神に、里の者を一人差し出す。それを怠れば神は怒り、里に災いを降らすという。
迷信やただの言い伝えではない。遥けき昔に交わされた約束事だ。
かつて、里の人間たちは山を荒らし、草木やそこに住む生き物たちを脅かした。まるで我が物顔で山を蹂躙する人々に怒った山の神は、自らの山肌を削って大規模な土砂崩れを起こし、里を壊滅させた。そして、僅かに生き残った里の人間たちに対して、言ったのだ。百年に一度、里に根付いた人間を一人我が元へと献上せよ。その者の命を以って、犯した罪を償い続けるがいい、と。
それからずっと、儀式と呼ばれる贖罪は続けられている。一度でも背けば、山の神は今度こそこの里を滅ぼしてしまうだろうと。人々は怯えながら、永遠に罪を濯ぎ続けている。
朧に向かってぽつりぽつりと語られる里長の話を聞きながら、椿はより一層に背を丸めて俯いた。
一方、長の話を興味深そうに聞いていた朧は、ちらりと椿を見やってから、長に視線を戻して柔く笑んだ。
「とある山里で、山の神に生贄を捧げる儀式を行っている、という噂を聞いてここへ来たのですが、そういった事情があったのですね」
朧の言葉に、長は数度瞬いてから苦笑した。
「もしや薬師様も、儀式を見てみたいと仰るので?」
「ああ、いえ、神聖な儀式の場に部外者が入るのはよろしくないでしょう。ただ私はそういった不思議な話が好きなもので、こうしてお話を伺えたらと思っていただけですよ。……しかし、薬師様も、と仰るということは、他にも私のような者が訪ねてきたことが?」
首を傾げた朧に、長は少しだけ慌てたように首を横に振った。
「いえいえ、薬師様のような高尚な方は滅多にいらっしゃいません。ただ、時折道楽気分で儀式を見せろという厄介な輩が来ることがあるのですよ。勿論そういう相手には、今のような儀式の話などせずに追い返しますがね」
別に迷惑だとか失礼なことを考えた訳ではないのだと弁解するように、長はそう言って笑った。そんな彼に、朧もまた微笑みを返す。
「ご迷惑でないなら良かった。とは言え私も、薬師稼業の傍らで不思議な話を聞いて回る悪癖がありますので、不躾なようでしたら仰ってくださいね。ああ、勿論、お話を聞かせていただけた場合は、お礼として日持ちする常備薬などを提供させていただきますが」
ひとまず今いただいたお話の分は、食事が終わったあとにでも、と言った朧に対し、長は判りやすく目の色を変えた。
「お話をするだけで、薬をご提供いただけると?」
「ええ、当然のことです。この里の方々が目にし、伝えてきた貴重な経験をお話いただくのですから」
その言葉に、長は何かを確認するように妻を見てから、それでは、と口を開いた。
「我が家に代々受け継がれている、儀式に関する書物があるのですが、ご覧になりますか?」
「おや、よろしいのですか? 貴重なものでしょうに」
首を傾げた朧に対し、長は構いませんと言った。
「我が里が犯した罪を濯ぐための儀式の話であり、言ってしまえば里の恥のようなものではありますが、それで少しでも薬師様を楽しませることができるのでしたら」
「そうですか? ……では、図々しいことで恐縮ではありますが、お願いしても?」
「勿論ですとも。それでは、お食事が済み次第お持ちいたしましょう」
そうとなったらまずは腹ごしらえですな、と笑って会話に一区切りをつけた長は、そこでふと思い出したように椿を見た。
「ああ、お前、まだいたのか。お前も早く食事を済ませてきなさい。この後もやることが沢山あるんだろう?」
「……はい、旦那様」
返事をした椿は、俯けていた顔をそのままに頭を下げてから、畳に視線を落としたまま退室した。
その小さな背を見送ってから、朧は食事に手をつけつつ、そういえばと口を開く。
「お話を聞く限り、里の皆さんは儀式にあまり前向きではないように受け取れたのですが、私の印象に間違いはないでしょうか?」
突然何を言い出すんだ、という顔を一瞬した長は、しかしすぐにそれを消して、こくりと頷いた。
「当然です。誰が好き好んで、里で育った子を贄に捧げようと思うでしょうか。……しかし、致し方ないのです。そうしなければ里が滅ぶのであれば、我々は多くのためにひとつを犠牲にします。……椿には本当に可哀相なことをしてしまうとは思いますが……、……あれの両親の行いがある以上、里の者は椿以外の贄を許さないでしょう。…………それは、私も同じことです」
重苦しく吐き出すような声で、長はそう言った。その言葉に、妻たちも表情を暗くして俯く。
そんな様を見て、ふむ、と言った朧は、少しだけ考えるように押し黙ったあとで、再び口を開いた。
「では、私がその神様を退治してしまっても構わないでしょうか」
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