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令嬢とザクスハウル国の異変 6

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「……私にだけ許した特別な名前だなんて、初耳なのだけれど」
 ヴィレクセストの邸宅に転移して真っ先にアルマニアが言ったのは、その台詞だった。それを受けて、ヴィレクセストがきょとんとした顔をする。
「あれ? 言ってなかったか?」
「聞いていないわね」
 愛称で呼ぶのは慣れ慣れしいからやめろ、という話ならアルマニアも理解できるが、本名なのだろうそれで呼ぶのを禁止するという彼の言葉はいまいちよく判らない。そんなことを考えながら、理由を問うようにヴィレクセストを見れば、彼はぱちりと瞬きをしてから、うーんと言った。
「なんて言えばいいんかね。こう、俺にとってはさ、名前ってのは特別なものなんだ。セレンストラは何者でもあって何者でもないって言ったろ? だから、名前だけが俺なんだよ。そういうものを、軽々しく他人が口にするのは嫌なんだ。判るか?」
「……なんとなくだけれど、言いたいことは理解したと思うわ。……でも、それじゃあどうしてその大切な名前を私には許すの? 王にすると決めた相手だから?」
 心底からの疑問を問うように言ったアルマニアに、ヴィレクセストはぽかんとした顔をしてから、それはもう盛大な溜息を吐き出した。
「そんなの、あんたのことを愛してるからに決まってんじゃん……。好きな女に俺の唯一で呼んで欲しいって思うの、そんなに理解の範疇を超えてんのか……?」
 どこか責めるような目で見てきたヴィレクセストに、アルマニアは思わず感じてしまった罪悪感に少しだけ狼狽えて視線を彷徨わせた。
「り、理解の範疇を超えているということはないけれど……」
 何かもっともらしい理由があるに違いないと思っていたので、正直そこで好きだのなんだのという話になるとは思っていなかった、と胸の内で呟きつつ言葉を濁したアルマニアに、ヴィレクセストはじとっとした視線を向けてから、もう一度ため息を吐いた。
「まあいいや。あんたのそういうところも含めて好きになった訳だし」
「……いちいちそういうことを言うの、やめるつもりはない?」
「ないな。こういうのは言えるうちに言えるだけ言っておくもんだ」
「ああそう……」
 ならばもう何も言うまい、と思ったアルマニアは、呆れたように言葉を返してから、すっと真面目な顔をして彼を見た。
「それで、地下監獄についてなのだけれど」
「ああ、あんたが啖呵切っちまったあれな。……何が訊きたい?」
 前置きをせずに直球で切り出してきたヴィレクセストに、アルマニアは迷うことなくそれを口にする。
「どんなに厳重に守られた監獄が相手だろうと、貴方なら団長を助け出せるだろうことくらいは判るわ。……でも、やって貰えるのかしら?」
「まあ、臣下としてできる域としちゃあ、ぎりぎりどうかってとこかね。あの幻夢の賢人が言ってた通り、大賢人並みの魔法が使えるっつっても、それでどこまでやれるかは甚だ怪しいな」
「そう……。でも、それでもついてきて欲しいの」
 真剣な顔でそう言ったアルマニアに、ヴィレクセストはやや驚いたような様子で彼女を見た。
「ついてきて欲しいって、まさかあんたも行く気なのか!?」
 信じられないものを見るような目を向けてきたヴィレクセストに、アルマニアはこくりと頷く。
「当然よ」
「いやいやいや落ち着け。良いか、王様ってのはそもそも前線に出るべきじゃねぇし、それ以前にあんたは戦闘力が皆無なんだから、猶更危険地帯に率先して行くべきじゃねぇ。玉座に座って指示を出すのが仕事なんだよ」
「判っているわ。でも今の私はまだ王ではないもの。だったら、今の内に経験できることはしておきたいの。貴方の言う通り、王になってしまったら難しくなるでしょうから」
 冗談でも言っているのかと思ったヴィレクセストだったが、アルマニアの表情はやはり真剣そのもので、彼は何度かあーだのうーだの唸ったあとで、己の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「……結構な危険地帯だってのは判ってるんだよな? それでも行きたいのか?」
「足手纏いになってどうしようもないと言うのであれば、大人しくここで待つわ。けれど、貴方なら私を守りながらそれを成すことくらい、造作もないことでしょう?」
 はっきりと言い切った彼女の言葉には、僅かな疑念もない。きちんとそれに気づいてしまったヴィレクセストは、ぐぅと唸った。
 そこにあるのは、この上ない信頼だ。彼ならば私を守ってくれる。彼ならば私の望みを叶えることができる。それを本当に実行してくれるかどうかは判らないけれど、すると決めたならば彼は必ず成し遂げてくれる。
 駆け引きとはまるで関係のない、ただひたすらに無垢な思いで、そんな強固な信頼を向けられてしまっているのだ。それを跳ねのけて傍観に徹するには、ヴィレクセストは彼女を愛しすぎてしまっていた。
「だー、もう! 判った! 判ったよ! あんたの望み通り、あんたと一緒に地下監獄でも何処でも行ってやる!」
 思考を放棄して本能のままにヴィレクセストがそう叫び、それを聞いたアルマニアはぱぁっと顔を明るくしたが、そんな彼女に向かってヴィレクセストが指を突き付ける。
「ただし、よほどのことが起こらない限りは、さっき決めた通り、俺が使うのは大賢人相当の魔法だけだ。その代わり、それだけでなんとかなるよう、精一杯頑張ってやる」
 良いな、と念を押したヴィレクセストに、アルマニアがこくこくと頷く。
「ええ、十分すぎるわ。……けれど、無理にお願いしている立場で言うことではないと判っているけれど、……無理だけはしないで。これ以上は不可能だと判断したら諦めて離脱して良いし、どうしても私が邪魔になったら容赦なく見捨てて良いわ。それくらいは、覚悟の上よ」
「…………あんたなぁ……」
 ヴィレクセストが思わず恨めしそうな目で彼女を見れば、彼女はきょとんとした顔で見返してきた。そんな彼女に、彼は内心で最大級の溜息をつく。
 彼女の願いを叶えずにほいほい諦められるかと言うと、感情的にそれはとても難しいし、邪魔になったからといって見捨てるなど、もっと不可能だ。
 ヴィレクセストはその程度には彼女を深く愛しているというのに、まるで伝わっていない。伝わっていないからこそ、彼女はこんなことを本気で言う。
 その事実に疲れたような悲しいような、けれどそんなところもまた愛おしいような複雑な気持ちを抱きつつ、ヴィレクセストはあらゆる言葉を呑み込んで、善処する、とだけ絞り出したのだった。
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