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令嬢と作戦会議 1
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手にしていた紙の束を机に置いて、アルマニアはふうと息をついた。
(……さすがに疲れたわね)
胸中でそう呟きつつ、机の上のティーカップへと手を伸ばす。
アルマニアがヴィレクセストから資料を受け取って、今日で三日だ。
正直に言うと、机どころかに床にまで積み上がった資料の山に、これを三日で読み込んで全て理解しろだなんて無茶が過ぎる、と叫びたくなったアルマニアだったが、彼女は意地と根性とプライドでそれをやり切ってみせた。
と言っても、別に徹夜をしただとか、そういう無茶はしていない。食事、睡眠に加え、気分転換を兼ねた入浴までをもきちんと行った上で、それ以外の全ての時間を情報の理解と整理に充てただけだ。
無理をして思考が鈍れば、それこそ効率の悪化と無駄なミスを招くだけだということを、アルマニアは良く知っていた。
濃いめに淹れた紅茶をこくりと飲み干してから、アルマニアはふと三日前に言われたヴィレクセストの言葉を思い返す。
『世界を統一する王になるのなら、世界全ての人間があんたの民だ。それをきちんと理解した上で、思考しろよ。俺は基本的に助言はしないし、俺が率先してしたいと思ったことと、あんたに頼まれたことのうち、して良いと思ったことだけしかしない。だから、全てあんたが選んで、あんたの責任で決めるんだ。それが王ってもんだろ?』
一字一句違わずに記憶にこびりついているそれに、アルマニアは忌々し気に首を振った。
馬鹿にしている。ヴィレクセストは、アルマニアが生まれ故郷である帝国を優先してしまう可能性を危惧して、ああ言ったのだ。
確かにアルマニアは、帝国の国母になるために研鑽を積んできた。だが、あのときアルマニアは、紛れもなく自らの意思で、世界を統一する王になれと言ったヴィレクセストの手を取ったのだ。その意味が判らないほど、彼女は愚鈍ではない。
だからあの瞬間から、アルマニアにとっての民とは、この世界に生きる全てなのだ。
それを、その覚悟を、あの男はなんだと思っているのか。
思い出せば出すほど腹が立ってきて、アルマニアは大きく吐き出した息と共に、怒りと記憶を追い払った。
(……怒っても仕方がないわ。彼の危惧は理解できるもの。そしてそれだけ、まだまだ私は信用されていないということ。……それなら、信用を得られるように努力するしかないわ)
そう胸中で呟いてから、彼女は再び資料に手を伸ばした。
ヴィレクセストから提供された資料の山は、アルマニアの想像を遥かに超えるほどに情報の宝庫だった。庶民の間で囁かれている噂話から、およそ限られた国の上層部しか知らないであろう重要な機密事項までが実に丁寧に記載されているどころか、資料としての体裁や構成までもがこの上ないほどに完璧で、その出来はアルマニアが思わず舌を巻いたほどだ。そして何よりも優れていると彼女が感じたのは、彼が用意した情報の中には、彼女の既知が一切含まれていない点である。
(情報の山から既知と未知を分けるのは、それだけで一つの大きなタスクになってしまう。……恐らく、ヴィレクセストは究極的な効率化のために、私が既に知っている知識は全て排除して情報を纏めたんだわ)
彼がどうしてアルマニアの既知を細かく知っているのかは知らないが、自分で自分のことを最強種とのたまうくらいなのだから、どうせその最強種としての力を使ったのだろう。
人智を越えた行いを、果たして最強種だからそんなものなんだろうなで済ませて良いのかどうかは疑問だったが、それに固執したところで何にもならないことを思えば、アルマニアにとってはどうでも良い話だ。
それより問題は、この膨大な情報から導き出せる答えの方である。
ヴィレクセストから渡された情報は、大きく分けて三種類あった。
一つは、アルマニアが生まれ育った、魔石を用いた科学技術と魔法との両方を基盤とするシェルモニカ帝国について。シェルモニカ帝国だけでも気が遠くなるほどの情報がある中、特にアルマニアの目に留まったうちのひとつが、皇族と貴族が関わる問題だった。
皇帝が倒れ、今の皇太子が代理人として政務を行うようになったあたりから、皇族や貴族や神殿、大きな商会の間で、賄賂や国庫横領などが横行し始め、それらは小夜の出現を機により活性化し、今の帝国を蝕んでいるというのだ。それは、皇后候補であるアルマニアすらも知らなかった事実で、彼女は今更ながらこれらの悪事に気づけなかったことを悔やんだ。唯一の救いは、アルマニアの生家であるロワンフレメ公爵家が、この悪事に一切加担していなかった点だろうか。
(貴族どころか皇族すらも腐敗しているなんて、あるまじき事態だわ。でも、だからと言ってこれは今すぐ私がどうこうできる問題じゃない。義賊の真似事をしたところで、それでは根本的な解決にはならないし、悪さをしている貴族たちも、場面が変われば重要な力を持つ戦力なのだから、粛清すればそれで済むなんていう単純な話でもないわ。この問題を解決するなら、それこそ帝国を治める立場になって、重役を大きく入れ替えるような大胆な政策が必要よ)
そして何よりも重要なこととして、この件が今すぐに帝国とその民に取り返しがつかないような甚大な被害を与えるかというと、そうではないという点がある。
いくらヴィレクセストがいると言っても、彼しか味方のいない今のアルマニアには、全ての問題を同時に解決することなどできないのだ。大切なのは、物事の優先順位をきちんと定めることである。
(シェルモニカ帝国のことで気になったのは、あと一つ)
帝国の民の間で、僅かに流行の兆しが見られるという病についてだ。
兆しが見られる、という言葉は資料でそのまま用いられていた表現だが、その控えめな表現に相応しく、現時点での病の症状や状況自体は、それだけで流行する病であると気づくのは不可能に近いほどに軽いものだった。少なくともアルマニアでは、あの病が流行る可能性には思い至らないし、病の原因すらも掴めなかっただろう。だが、ヴィレクセストによる解説をきちんと読めば、病の原因や流行すると判断した根拠や論理などは非常に納得できるもので、彼女は改めてヴィレクセストの能力の高さに感嘆した。
(この病のことも少し気がかりだけれど、これもやはり後に回すべき案件ね。現状は軽い咳程度で、著しい健康被害がある訳ではないようだし、原因物質のことを考えると、加速的に悪化するとも考え難い。その上、今の私では原因を取り除く手段が判らないし……。……いえ、手段については、もしかするとヴィレクセストが知っているかも。取り敢えず、駄目元で訊いてみようかしら)
いくら被害が軽微とはいえ、人々の身体に僅かなりとも影響が出ている以上、打てる手があるならば打つべきだ。
(……さすがに疲れたわね)
胸中でそう呟きつつ、机の上のティーカップへと手を伸ばす。
アルマニアがヴィレクセストから資料を受け取って、今日で三日だ。
正直に言うと、机どころかに床にまで積み上がった資料の山に、これを三日で読み込んで全て理解しろだなんて無茶が過ぎる、と叫びたくなったアルマニアだったが、彼女は意地と根性とプライドでそれをやり切ってみせた。
と言っても、別に徹夜をしただとか、そういう無茶はしていない。食事、睡眠に加え、気分転換を兼ねた入浴までをもきちんと行った上で、それ以外の全ての時間を情報の理解と整理に充てただけだ。
無理をして思考が鈍れば、それこそ効率の悪化と無駄なミスを招くだけだということを、アルマニアは良く知っていた。
濃いめに淹れた紅茶をこくりと飲み干してから、アルマニアはふと三日前に言われたヴィレクセストの言葉を思い返す。
『世界を統一する王になるのなら、世界全ての人間があんたの民だ。それをきちんと理解した上で、思考しろよ。俺は基本的に助言はしないし、俺が率先してしたいと思ったことと、あんたに頼まれたことのうち、して良いと思ったことだけしかしない。だから、全てあんたが選んで、あんたの責任で決めるんだ。それが王ってもんだろ?』
一字一句違わずに記憶にこびりついているそれに、アルマニアは忌々し気に首を振った。
馬鹿にしている。ヴィレクセストは、アルマニアが生まれ故郷である帝国を優先してしまう可能性を危惧して、ああ言ったのだ。
確かにアルマニアは、帝国の国母になるために研鑽を積んできた。だが、あのときアルマニアは、紛れもなく自らの意思で、世界を統一する王になれと言ったヴィレクセストの手を取ったのだ。その意味が判らないほど、彼女は愚鈍ではない。
だからあの瞬間から、アルマニアにとっての民とは、この世界に生きる全てなのだ。
それを、その覚悟を、あの男はなんだと思っているのか。
思い出せば出すほど腹が立ってきて、アルマニアは大きく吐き出した息と共に、怒りと記憶を追い払った。
(……怒っても仕方がないわ。彼の危惧は理解できるもの。そしてそれだけ、まだまだ私は信用されていないということ。……それなら、信用を得られるように努力するしかないわ)
そう胸中で呟いてから、彼女は再び資料に手を伸ばした。
ヴィレクセストから提供された資料の山は、アルマニアの想像を遥かに超えるほどに情報の宝庫だった。庶民の間で囁かれている噂話から、およそ限られた国の上層部しか知らないであろう重要な機密事項までが実に丁寧に記載されているどころか、資料としての体裁や構成までもがこの上ないほどに完璧で、その出来はアルマニアが思わず舌を巻いたほどだ。そして何よりも優れていると彼女が感じたのは、彼が用意した情報の中には、彼女の既知が一切含まれていない点である。
(情報の山から既知と未知を分けるのは、それだけで一つの大きなタスクになってしまう。……恐らく、ヴィレクセストは究極的な効率化のために、私が既に知っている知識は全て排除して情報を纏めたんだわ)
彼がどうしてアルマニアの既知を細かく知っているのかは知らないが、自分で自分のことを最強種とのたまうくらいなのだから、どうせその最強種としての力を使ったのだろう。
人智を越えた行いを、果たして最強種だからそんなものなんだろうなで済ませて良いのかどうかは疑問だったが、それに固執したところで何にもならないことを思えば、アルマニアにとってはどうでも良い話だ。
それより問題は、この膨大な情報から導き出せる答えの方である。
ヴィレクセストから渡された情報は、大きく分けて三種類あった。
一つは、アルマニアが生まれ育った、魔石を用いた科学技術と魔法との両方を基盤とするシェルモニカ帝国について。シェルモニカ帝国だけでも気が遠くなるほどの情報がある中、特にアルマニアの目に留まったうちのひとつが、皇族と貴族が関わる問題だった。
皇帝が倒れ、今の皇太子が代理人として政務を行うようになったあたりから、皇族や貴族や神殿、大きな商会の間で、賄賂や国庫横領などが横行し始め、それらは小夜の出現を機により活性化し、今の帝国を蝕んでいるというのだ。それは、皇后候補であるアルマニアすらも知らなかった事実で、彼女は今更ながらこれらの悪事に気づけなかったことを悔やんだ。唯一の救いは、アルマニアの生家であるロワンフレメ公爵家が、この悪事に一切加担していなかった点だろうか。
(貴族どころか皇族すらも腐敗しているなんて、あるまじき事態だわ。でも、だからと言ってこれは今すぐ私がどうこうできる問題じゃない。義賊の真似事をしたところで、それでは根本的な解決にはならないし、悪さをしている貴族たちも、場面が変われば重要な力を持つ戦力なのだから、粛清すればそれで済むなんていう単純な話でもないわ。この問題を解決するなら、それこそ帝国を治める立場になって、重役を大きく入れ替えるような大胆な政策が必要よ)
そして何よりも重要なこととして、この件が今すぐに帝国とその民に取り返しがつかないような甚大な被害を与えるかというと、そうではないという点がある。
いくらヴィレクセストがいると言っても、彼しか味方のいない今のアルマニアには、全ての問題を同時に解決することなどできないのだ。大切なのは、物事の優先順位をきちんと定めることである。
(シェルモニカ帝国のことで気になったのは、あと一つ)
帝国の民の間で、僅かに流行の兆しが見られるという病についてだ。
兆しが見られる、という言葉は資料でそのまま用いられていた表現だが、その控えめな表現に相応しく、現時点での病の症状や状況自体は、それだけで流行する病であると気づくのは不可能に近いほどに軽いものだった。少なくともアルマニアでは、あの病が流行る可能性には思い至らないし、病の原因すらも掴めなかっただろう。だが、ヴィレクセストによる解説をきちんと読めば、病の原因や流行すると判断した根拠や論理などは非常に納得できるもので、彼女は改めてヴィレクセストの能力の高さに感嘆した。
(この病のことも少し気がかりだけれど、これもやはり後に回すべき案件ね。現状は軽い咳程度で、著しい健康被害がある訳ではないようだし、原因物質のことを考えると、加速的に悪化するとも考え難い。その上、今の私では原因を取り除く手段が判らないし……。……いえ、手段については、もしかするとヴィレクセストが知っているかも。取り敢えず、駄目元で訊いてみようかしら)
いくら被害が軽微とはいえ、人々の身体に僅かなりとも影響が出ている以上、打てる手があるならば打つべきだ。
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